静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

書評: #018  風濤(ふうとう) <井上 靖> 新潮文庫

2014-07-08 08:39:34 | 書評
 日本史では元寇と呼ばれるフビライハンによる日本侵攻時、当時の朝鮮<高麗(こうらい)>王朝が被った甚大な負担と悲劇を描いたものである。   まず、朝鮮の歴史を通覧しておこう。
 高麗は初めて半島を統一した新羅(しらぎ)を936年に継承した二つ目の統一王朝だ。新羅を冊封した唐が907年に滅んで中国への従属が途切れたのは300年余だけ。運悪く蒙古の勃興期に遭遇、遂に1258年、蒙古に服属させられる。爾来、元・明・清にわたる約550年間、朝鮮民族が大陸の異民族に服属する歴史が続いた。清のあとは独立を目指したものの、大陸に替わる明治日本の支配を受け、日本が去ったあとは再び大陸による支配が朝鮮北部に残っている。繰り返すが、朝鮮民族が異民族支配から逃れえたのは僅か300年余しかない。この経緯が今も東アジアに大きくのしかかっていることを頭に入れておこう。

 解説の篠田氏は<自然の影響を限定された空間の中で人事世態を描きとり、その間に経過する時間の流れを読者に印象づける>のがヨーロッパ由来の”近代小説 ”と定義する。井上氏の「歴史小説」(例:風林火山、天平の甍、おろしゃ国酔夢譚 etc)は"近代小説”の作法をきちんと守っているが、(楼蘭、敦煌、蒼き狼)などの「西域小説」は、時間のクビキから空間を離脱させ、人事の変転をも広漠たる空間の広がりに溶け込ませている”反近代小説 ”の試みだと篠田氏は言う。この視座から(風濤)は一連の「西域小説」の中で最も”反近代小説 ”の試みが成功した作品と篠田氏は評価している。なるほど、ヨーロッパ文学との対比という側面では当を得た批評であると肯く。自伝を除き、いわゆる私小説を井上氏は書かないことからも妥当な観方だと思う。

 暴君フビライに振り回される高麗王・臣下と民の苦しみが、硬質な文体でこれでもかとばかりに迫ってくる。吉村昭氏、沢木耕太郎氏などは井上氏の筆致にさぞかし学んだであろうと思う。他方、同じ西域に舞台をとり司馬遼太郎・陳瞬臣の両氏が描いた作品は詩的効果がより強い分、文体の硬質さにおいては大きく異なる。やわでないコワモテの点で、井上靖はダントツの作家だと改めて思う。女性でこの作品:風濤を好む方は少ないような気がする。金薫著:蓮池薫訳『孤将』は、秀吉の起こした朝鮮侵攻撃退に功績を挙げたとされる李瞬臣を描いたものだが、蓮池氏の名訳になる孤将を本書と併せてお読みになれば、朝鮮が永く大陸・日本の双方から受けてきた圧力が今日の朝鮮民族に如何なる影響を残しているか、理解が深まると思う。
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