静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ 「実家」感覚 X「イエ意識価値観」X「転居経験の寡多」 ≫ 「実家」は死語に? 「ふるさと」は?

2017-06-15 16:22:09 | つぶやき
★ (投書)私の「実家」 千葉県君津市・山田陽子(36歳・看護学生) https://mainichi.jp/articles/20170615/ddm/013/070/023000c?fm=mnm
・ <辞書で実家の意味を調べてみると(1)その人の生まれた家(2)婚姻・養子縁組などのため他家の籍に入った人の元の家。実父母の家--とある>。
・ <私が生まれたのは川崎市だが7歳の時に千葉県君津市に引っ越し、両親が建てたその家にずっと暮らしている。両親はすでに病気で亡くなっていて、
  その家に結婚後の今も生活しているのだ。だから「実家はどこですか」と聞かれると「今住んでいる所。両親はいないけれど」と答える。でもそのたび、
  「私の実家はどこにあるのだろう」と思っていた。> 

 ⇒ ここまで読み進み「ああ、私も投書者と似た生活で、同じような感覚をもつことがある」と共感する人は多くないのでは? と想像した。同時に、
  山田さんのように親が建てた家に子供時分から住み続け、結婚後もずっと同じ場所で暮らしている人の生活は、高度経済成長の60年代以降、都市へ流入する労働人口であった人々(その子孫も含め)と対照的な暮らし方だというのも想像していただけるだろう。 前者は、戦前・戦後すぐまでは日本人の大勢だったが、経済成長に伴う人口膨張の大半を占めた都市人口増大の主役となったのが非大都市圏から移り住んだ人々である後者だ。

 後者に属する人は「非都市圏=田舎」に親が住む家(=実家)があり、帰省時にはそこを「ふるさと」と懐かしむ。前者に属す山田さんの場合は、たまたま「実家」に相当する家の在る地域は都市圏内であり、純粋の語感として「田舎」とは呼べない。だから「ふるさと」感覚は持てないのであろう。
 だが山田さんの母親の出身地・奄美大島はまぎれもない「田舎」に今も分類されるので、親の「ふるさと」で自分がもちたい「ふるさと感覚」は代用できる。 然し、依然として「実家とは?」の疑問は親元を離れなかった人でも消えない。 
 
 核家族化・少子化・都市生活者の増大で、「イエ意識や”墓守り”意識」は衰退している。昔からの「田舎」でさえ、それを維持できなくなってきた。都会では猶更であり、もはや「実家」感覚自体が、山田さんのような暮らし方をする極く少数の人ですら実態を喪失した。

 都市部への人口流入に加え、高度成長は輸出産業の隆盛を呼び、次いで製造業は現地生産型に展開。日本国内だけでなく、外国への転居経験者も増えてきた。こういう都市流入族&子孫に顕著な内外転居経験の拡大は「ふるさと」喪失や「実家感覚」消滅と深く結びついている。核家族化・少子化・都市生活者の増大がもたらした「イエ意識や”墓守り”意識」衰退と重なり合い、「実家」は早晩、死語になるのではないか? 

 死語と化すのは一抹のエレジーを伴う現象だが、家父長制度の残渣が本当に拭い去られる方向へ日本社会がむかうのだ、と考えたら私は喜ばしいと思う。 
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