静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

≪ ”政策で選ぶ”というが? ≫  政策を造るヒト現物を評価し 選ぶのではないか? 税金を賭けるプロに値する政治マッチ選手か?

2017-10-08 08:56:26 | 時評
★ 政治家の生き方を選ぶ=伊藤智永 https://mainichi.jp/articles/20171007/ddm/005/070/009000c?fm=mnm
1) 衆院解散に反対だったはずの菅義偉官房長官に、側近議員が「なぜ同意したんですか」 と尋ねたら、答えたそうだ。
  「反対したさ。でも、総理が言うんだ。国会が始まったら、またモリ・カケ(森友・加計両学園問題)ばかりだろ、もうリセットしたいんだって」
2) 今回の解散理由「国難」も、信を問うより先に国会で話し合うべきだが伝家の宝刀を握る人は国会そのものが嫌だという。返答に窮した菅氏の顔が目に浮かぶようではないか。
3)「(政権交代は)次の次(の衆院選)くらい」と明かした見通しは、小池氏が内々に語らなければ口にできないはずだし、それどころか選挙後に自民党と提携する可能性すら隠さない。
  小池氏のリセットとは、与野党の政権交代ではなく、自らの政権取りに向けた第一歩という意味だったのか。
4) 同じく前原氏の「合流」も、選挙向けの「衣替え」を装いながら、実はひそかに「解党」の口実を探していて、今が好機とリセットボタンを押したのではないのか。でないと、
  「想定内」のセリフは出てこないだろう。

<選挙が政治家の生き残り競争に終始したら、私たちは何を選べばいいか。個々の政治家の生き方に票を投じたらどうだろう。暴言や不倫の話ではない。今が「国難」ならなおのこと、
各候補が歴史の評価に堪える政のプロと言えるかどうか。右往左往は野党に限らない。「1強」にへつらい、議論を封じる与党のふがいなさも審判を受ける時である>。
 ⇒ 伊藤氏の此の問いかけは、まさに有権者我々が投票に当たり、自分を如何にブレずに保持してゆくか、という迷いへの指針である。

ここで伊藤氏は、福沢諭吉の言葉を「丁丑(ていちゅう)公論」「瘠(やせ)我慢の説」の2書から引いているので、詳しくは同書に当たるか、または引用記事をご覧願いたいが、
<常識とは逆さの人物評が政治家の何たるかを考えさせる。蛇足ながら、冒頭の有名な句「立国は私(わたくし)なり、公(おおやけ)に非(あら)ざるなり」の逆説も長い思索を誘う>
・・・・明治時代に使われた「立国」とは、西欧による植民地化を招かない為の自立・独立保持を指す言い回しだったが、今の用語風に言えば、それは保守国粋勢力が称揚したがる「愛国」にすり替わっている。   まさしく「愛国」とは集団擁護に名を借りた一部勢力にとっての”私(わたくし)”でしかないことを有権者は見ぬかねばいけない。

 伊藤氏の言いたいこと。それは、所属する政党/思想グループ名称/公約/政策言辞での判断ではなく、そこに身を置く個人個人の「政治家としての生き方」にまで眼をつけ、候補者を
<顔の見える相手>まで自分に近づけ『職業としての政治プロフェッショナル』といえる人物かどうか?で判定する。。。 其の眼力を有権者一人一人が今こそ問われている。 
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