静夜思

愁多酒雖少 酒傾愁不来

 ≪ 長生きの公私にわたる弊害を直視しよう ≫  長寿化で麻痺したリスク管理 個人も社会も

2016-10-29 08:53:57 | つぶやき
 * 走った道「覚えてない」 87歳逮捕 横浜・通学の小1死亡 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12631718.html?rm=149
 * 高速逆走、最多 昨年259件、目立つ高齢者・進入時多発 http://www.asahi.com/articles/DA3S12631783.html?ref=nmail_20161029mo   
・ 高齢者の運転による痛ましい事故がまた繰り返された。 高齢者ドライバーに対する認知症テストが5年に1度という頻度だということに問題が潜んでいる。 
  此のテスト実施頻度を短縮し、且つ、交番巡査による近所の聞き込みなどで認知症症状有無を事前キャッチしてはどうか?
・ 高齢運転者の免許返上の話が出るたびに反論されるのが、公共交通手段が乏しい地方・山間部・漁村部などにおける不便をどうするか、というポイントだ。
  然し、全国くまなく調べれば、旅行などに自動車を使うケースを除き、日常生活で本当に鉄道/バス/乗合タクシーも一切使えない自治体がどこにどれだけ有るかは直ぐに判る。 
  そこを特例地域と指定し、日常行動距離範囲内に限定した運転を認めるが、それ以外の私的使用は運転させない。仏事など特殊な機会でどうしても運転した方が経済的という
  場合のみ、例外的に認め、GPSで追跡すればいいのではないか。 或は、運転させない代償として公共交通費の公的補助も考えられよう。それでも高齢者の起こす交通事故に
  伴う公私全般にかかるトータルコスト、失われる若人の人生の損失に比べれば、安いのではなかろうか。 一部の努力は既に自治体で行われているようだが、財政規模の
  小さな自治体にそれを任せるのは酷というものだ。  免許制度全般の見直しと絡め、全国レベルでの改善に踏み出すべきだと思う。

長寿高齢化の劇的な進行とあいまち、80代、90代になっても運動ができ、痴呆にもならず幸福そうに暮らす老人の姿がメディアで盛んにもてはやされ、健康食品/若返り関連商品などがビッグビジネスとなった。60代はとっくに「鼻たれ小僧」と化し、70代で亡くなっても誰も「天寿を全うした」などとは言わなくなっている。80代で世を去れば「フツー」の感覚になっているのでは?    
 この結果として現在はびこっているのは、長くなってしまった残り時間をどう生きればよいのか途方に暮れ、スーパーマン・スーパーウーマンでない一般大衆にとり、長生きはやり場のない当惑でしかなくなり、途方に暮れつつ毎日をやり過ごす姿である。 若き日とは違う<厭世観>が日本の老人に忍び寄っている。
 これまでも、それなりに一生懸命生きてきた男女に「もっともっと、まだまだ先は長いぞ。 めげずにガンバレ!」と発破をかけ続ける社会になっている。 
 然し、誰もがいつまでも頑張れるわけはないのだ。 そして残酷にも、「ポックリ死」の幸運は僅か5%の確率でしか訪れてくれない。

 世の価値観に<絶対>は無いとする立場をとるならば、『長生きは無条件に常に良いことだ』というのも然り。 個人としても社会としても、ノーだ。
病弱あるいは障害を持って生まれ、または人生の途中でそうなった人の立場からは、「そうはいっても、長生きは目出度く讃えるべきことだ」と言うだろう。 
 この設問自体が健常者の贅沢且つ不遜な悩み・戯言に過ぎない、と。 そうかもしれない。だが逆に、障碍者に、際限なき長寿が健常者にもたらす怨嗟/厭世感はわかるまい。
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