みょうみょうの読めばなんとかなる

読めばなんとかなる本の紹介

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介護の現場がこじれる理由・フリーのケアマネが見た在宅介護の10年

2011-05-31 23:12:53 | 日記
フリーのケアマネ・本間清文氏の著書である。要介護者自身によるこじれ、介護家族によるこじれ、市民・社会によるこじれ、市場原理によるこじれ、介護保険制度によるこじれ、保険・福祉・医療によるこじれというふうに、あらゆる方面からこじれる原因を見ている。介護職として、一度じっくり考えてみなければならないと感じた箇所があった。介護家族によるこじれの章に書かれていた男性介護者についてである。

医療や看護と比べ、ときに誰にでもできると揶揄される「介護」。その誰にでもできるはずの介護が原因で、なぜ殺人や心中が起こるのか。「医療地獄」「看護地獄」という言葉はないのに、なぜ「介護地獄」という言葉があるのか。なぜ「看護殺人」という言葉がないのに「介護殺人」という言葉があるのか。そこにある介護特有の難解さを、多くの男性たちは理解できていない。だから、男性的な価値観にもとづく社会では、いつまでも「介護」は次元の低いものとしてみなされる傾向がある。介護をなめてかかるから、手痛いしっぺ返しをくらう。

これは介護職員にもあてはまることに思える。自分たちの仕事を専門職、技術のいる仕事と思っている介護職は、一見、介護を甘くみている男性介護者とは正反対のように見えるかもしれない。だが、実はこれらは表裏一体ではないのか。介護職員は本当は介護など誰にでもできる仕事だと思っている。自分がやっているのがよい証拠である。だがそれを認めることは屈辱なのだ。だから、専門職だ、誰にでもできる仕事ではないといわざるを得ないのだ。そういった歪んだコンプレックスが介護現場をこじれさせている。と私は思ったのです。
本間清文さんはブリコラージュの最新号(5月号)にも出ています。
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『ひとり老後はこんなに楽しい』保坂隆

2011-04-30 05:58:13 | 日記
なんか負け惜しみのようなタイトルだが、まあいいか。私も40歳、そろそろ老後のことを考えねばいかん。ひとりとなるか二人となるか、最悪大人数となるかわからないが…ひとりの可能性が高い。(というかひとりを希望する)ひとり老後がどれほどいいものか、目次を読むだけでもワクワクしてくる。

* ひとり暮らしだから楽しめる気ままな生活
* わずらわしい人間関係をカットできる快適さ
* 連れ合いはあってもよし、なくてもまたよし
* ちょっとしたぜいたくが心を豊かにする     

だが、ひとり暮らしだからこそ気を付けねばならないことももちろんある。

* ひとりだからこそきちんと食べる習慣を
* テレビをダラダラと見続けない
* 万年床の想像以上のデメリットとは

ひとり暮らしであれば、趣味や人付き合いもそれなりにあったほうがよい。そしてそれらにはルールがあるということです。

* ペットを飼う前に考えること
* 楽しいおしゃべり会での注意点
* ‘人恋しいコール’ は節度を持って
* 必要以上に若さを強調しない
* モテる基準はルックスより人柄

老後というよりも、ある程度の年齢を過ぎたら気をつけないといけないことばかりである。世間では40歳はまだまだ働き盛りなのだろうけど、老いは 確実に忍び寄ってきている。私は老人ホームに勤務しているが、入所している人たちのことが他人事とは思えない。特養なので、自分の意思で入所している人などいない。みな誰かかれか、他人の意思で入所させられている。ひとり暮らしは無理、心配、施設は安全、責任感等々理由は様々であろうが、本人の意思が全く尊重されていないことは確かだ。ひとり暮らしはかわいそうだが、施設だと一人ぼっちではなく、介護職員もいて安心でよい、などと本気で思っている人はいないだろうが、ひとり暮らし=孤独でかわいそうという考えは根強い。私自身は、ひとり暮らしの経験がほとんどないので、老後に限らずひとり暮らしそのものに漠然とした不安がある。ひとり暮らしの長い人に、孤独ではないか聞くと、憮然とした表情で否定される。孤独、かわいそうと思われるのが嫌なようだ。そのくせ、老後のひとり暮らしは嫌だ、などと思っていたりする。「老後の」ひとり暮らしはどうやらそうとう敬遠されているようだ。
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死刑絶対肯定論

2011-03-27 14:49:10 | 日記
著者は、現在服役中の無期懲役囚である美達大和(みたつ やまと)さんである。タイトルにあるとおり、死刑は絶対に必要であるという主張が、理由をきちんと説明して述べられている。死刑というのは、先進国ではアメリカと日本にしか残っていない制度で、どうもひどく野蛮で反人道的ということになっているらしい。死刑廃止論が圧倒的に多いようだ。私は、死刑は廃止すべきかどうか全くわからない。冷静に理論的に考えることができず、いつも考えが行き詰ってしまう。この本を読む少し前、偶然ではあるが、光市母子殺人事件の被害者の遺族である本村さんの書いた本を読んでいた。本村さんは被告に死刑を求刑し、闘い続けた人である。そして死刑を勝ち取った。私は本村さんが、犯人に対して執拗に死刑を望んだことが、頭の片隅というか、心の片隅にひっかかり釈然としなかった。どうしてもすっと受け入れることができなかった。なぜなのか。この本を読んでも、自分の求める答えは書いてないのだけど、別の視点から書かれているという点で、貴重な意見であるように思う。目次が内容を端的に表しているので紹介します。

1 ほとんどの殺人犯は反省しない
2 「悪党の楽園」と化した刑務所
3 殺人罪の厳罰化は正しい
4 不定期刑および執行猶予付き死刑を導入せよ
5 無期懲役囚の真実
6 終身刑の致命的欠陥
7 死刑は人間的な刑罰である
8 無期懲役囚から裁判員への実践的アドバイス

現在の刑務所について、著者は次のように言っています。
「現在の刑務所は、人々がイメージする昔の暗い刑務所と異なり、暑さ寒さのつらさはありますが、毎日テレビを見ることもでき、映画等の娯楽も用意され、厳しい施設ではなくなってきています。以前は注意された日常の言動も許されるようになり、まずまずの食事も給与されます。刑務所というより、悪党ランドのような明るい雰囲気です。どれもこれも‘人権のインフレ’のおかげです。そんな施設の中で、反省のない受刑者の傍らで自分の醜行について省察しているうちに、殺人事件に対する量刑はあまりにも軽すぎると考えるようになりました。」

私が人を殺したら、自分の命をもって償うべきと思うだろうか?亡くなった人がどれほど無念であったか推し量ることができるだろうか?できれば‘なかったこと’‘忘れたいこと’として、新しい人生をやり直したいと思うのではないか。
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『人を語らずして介護を語るな』masaさんの激辛本

2011-02-28 11:07:20 | 日記
masaさんこと菊池雅洋氏の著書「人を語らずして介護を語るな」は、人気ブログmasaの介護情報裏板に書かれていることに、加筆、修正をしたものです。書かれていることはとても厳しく、待遇の悪いことを理由に、介護について学ぼうとしない、法律等を理解しようとしない、そんな怠慢な介護者にとっては、耳が痛く、読み続けられない内容です。介護福祉情報掲示板では、迅速に返事をくれ、法令を読まずにルールを理解しようとしていることについて、私自身厳しく指摘されました。厳しい、厳しいと言っていますが、何も特別なことを言っているわけではなく、当たり前のことばかりなのですが、その当たり前のことを、あたかもしなくてもいいように思われているのが介護現場なのです。待遇が悪いからといって、利用者を人間としてみないということが許されるわけではありません。
私は最近、介護部長から「あなたの言葉は荒い、キツイという声が聞こえている」と、指摘を受けました。自分では気をつけているつもりでしたが、慣れがでてきているのと、職場への不満でイライラして、それが利用者への言葉に反映されているのかもしれません。masaさんが、言葉について非常に厳しい、しかし当たり前のことを言っていますので、抜粋します。

(介護、看護現場で非常識な言葉遣いが横行していることについて)どこの世界で、顧客に対し、命令口調や、赤ちゃん言葉で接することがあるだろうか。介護や看護は、馴染みや親しみの関係が大事だから、という訳のわからない論理を振り回す方がいるが、言葉をぞんざいにしないと親しみが伝わらないとでもいうのだろうか。親しみをこめた言葉とか、いろいろな理屈をいかにつけようが、その地域で一般的な関係の中で使われない言葉を、介護サービス現場という特定の場所で職員と利用者の間でだけ使われているということそのものが「感覚の麻痺」なのである。

この後も、厳しい意見が続きます。でも…と思わず言い訳したくなるくらいですが、反論できません。言葉が大事なのは、言うまでもないことです。masaさんの言葉を肝に銘じて仕事をしたいと思います。
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息子が一人で介護してれば弧族にもなるさ

2011-01-31 15:36:18 | 日記
「息子介護」の著者、鈴木宏康さんを知ったのは、アサヒコムの弧族というサイトである。悲惨な事例が多いなかで、唯一、外からの援助が届き、なんとか助かった人というかんじだ。本人の性格や幸運など、いくつかの要因が重なった結果であろう。仕事をやめて、認知症の母親の介護をしている40歳の独身男が、いつしか周囲から孤立し、抜き差しならない状態になっていたところに、ケアマネから頼まれたボランティアがかかわる。会合に参加するうち、少しずつ苦しい胸のうちを話すようになり、いっそのこと本でも書いてみたら、ということで出版されたのが「息子介護」である。日記さえ書いたことがないという鈴木氏が夜パソコンに向かって、孤立無援な日々に正気を失いかける心境を綴っている。思いのたけをそのままぶつけたような文章、過激な表現、余白が多いので、一気に読み通せる。一番印象に残っている箇所を紹介しよう。鈴木氏は、「(認知症の)本人が一番大変。一番かわいそう」この言葉が大嫌いだといいます。病院に行っても、施設に行っても言われ、こんなことを言うマニュアルでもあるのかと思ったくらいだそうです。看護師でも、ヘルパーでも、介護している人が一番大変、そう思わないとやっていけないほど大変な仕事だと思う、とのこと。安易に、本人が一番大変、一番かわいそうなんて言ってほしくない。もっとも、言った本人が認知症になったことがあるんなら別だけどね、とも。この本は在宅で介護をしている家族の方だけでなく、介護従事者にもぜひ読んでもらいたい本です。鈴木氏は弧族から脱出したと思います。
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