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旅行 社寺

上田城跡

2014-02-10 11:19:01 | 
 2014.01.30 松代城から長野駅に戻り新幹線で上田駅に駅前広場では真田幸村が出迎えです。





  真田幸村公像と六連銭









  上田城 国指定史跡 日本百名城 真田氏の居城として1583年に真田昌幸によって

      千曲川のほとりに築かれた平城。戦国時代に二度にわたって徳川軍を退けた名城。



  案内図 上田城跡公園として本丸と二の丸の一部が残っている。



  上田城跡 二の丸入口(二の丸橋)



  二の丸橋から見た二の丸堀跡 現在けやき並木歩道となっているが、

                1972年までは電車が通っていた。



  二の丸東虎口と二の丸橋(当時は土橋であった)。



  本丸 東虎口櫓門と南櫓、北櫓。手前は内堀。





  東虎口 復元された櫓門と江戸時代建築の南櫓と北櫓。



  本丸内堀



  真田石 真田信之が、松代移封の際に父の形見として持ち去ろうとしたが、不動であったとの

            伝説がある一辺3m余の大石。



  東虎口 櫓3棟を本丸側から見る。



  本丸跡 南側には真田神社がある。



  真田神社



  本丸西側土塁 左内堀、右本丸跡。





  本丸西櫓と西虎口石垣。西櫓は仙石氏によって創建された場所に当時のまま残っている。







  尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた西櫓と南櫓を見る。高石垣がかって難攻不落を誇った城らしい。

     当時、城の南には千曲川がながれ、緩やかで深みのある流れが天然の堀となっていた。

         この場所を「尼ヶ淵」と称した。



  同上 南櫓



  同上 東虎口櫓門



  本丸内堀 北西部には土塁上に隅櫓があった。



  本丸土塁の隅おとし これは土塁の北東(丑寅)隅を切り込み「鬼門除け」としたもの。

            土塁上には隅櫓があった。



  二の丸北虎口の枡形石垣



  時の鐘 





  上田藩主居館跡(現.上田高等学校)三の丸跡にあり関ヶ原の合戦後、真田信之が居館を

         構えた。居館は明治維新まで移転せず、表門.土塀.堀を今に残している。

  

  




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