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モーツァルトは、 悲しみに包み込まれるヴァイオリンソナタ(第28番ホ短調 K.304)

2017-05-15 20:19:58 | 音楽


●ハーン(vn)ナタリー・シュー(p) DG,2004
25番・28番・32番・42番を収録。ハーンは現役ヴァイオリニストのなかでもっとも注視しているひとり。ボウイングがいいのだと思うが、丁寧できめ細やかで美しく、それでいて誰が弾いているかすぐわかる個性的な音だ。技術的には今回聴き比べした中で一番かも。完璧さでこの演奏の上を行くというのはちょっと考えにくい感じ。ピアノのシューも好演だが、正直ハーンの相方としては役者不足といわざるをえない。これが普通のヴァイオリンソナタなら問題ないレベルだが、ピアノのウエイトが大きい曲だからこそ感じてしまう小さな不満である。無難な選曲なので他の曲もぜひ録音してほしい。


その中でも飛びきり好きな曲と言えば、やはり第28番ホ短調K304ということになります。この曲に、最も”霊感”(インスピレーション)を感じるからです。曲全体を短調特有の苦悩や哀しみが覆っていますが、第2楽章中間部の静寂の中に射し込める微かな薄明かりは、ほんの束の間の幸福を想わせて涙を誘われずにいられません。


この曲は、一度聞いたら忘れられない憂いに満ちたメロディーのために広く愛されており、もちろんサイト管理人の大のお気に入りでもあります。
 作曲された時期は、先にご紹介したピアノソナタ第8番と同じくパリで母が客死した頃であり、時には号泣し時にはすすり泣くようなモーツァルトが感じられるような感傷的な表現に満ちています。


作曲家の人生に起こった出来事と結びつけて作品を論じようとするのは、必ずしも有効な方法とは言えない。「この人は当時こういう生活をしていたからこういう作品を書いた」という説明がしっくりくる作品もたしかにあるが、実人生とは連結し得ない純粋にイマジネイティヴな作品、天啓のようなインスピレーションから生まれた作品も無数にあるのだ。とくに、モーツァルトのような作曲家についてはそれが言える。悲しい境遇にあっても天使のいたずらのように愛らしくて楽しい音楽が書けてしまう彼の才能は、現実の出来事に蝕まれることなく、実人生からほとんど乖離した状態にある。

 しかし、そんな彼にも真情をそのまま吐露したような、私小説的な作品がある。それがヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調だ。「短調のモーツァルト」で有名なのは交響曲第40番、ピアノ協奏曲第20番、そして「疾走する悲しみ」で知られる弦楽五重奏曲第4番あたりだろう。ただ、これらの作品には「悲しみ」だけでなく、その悲しみを打ち破ろうとする強い感情ーー怒りや焦燥感もうねっており、それが劇的な表現を生んでいる。ところが、ヴァイオリン・ソナタ第28番はひたすら物悲しく、グルーミーである。モーツァルトの作品には必ずと言っていいほど見られる、暗さから這い上がろうとする防衛本能の力も非常に弱い。

 曲が完成したのは1778年夏。当時のモーツァルトは仕事の面でも精神の面でも危機的状態にあった。ここではその前後の出来事を辿ってみたい。

 1777年9月、ザルツブルクでの息が詰まるような宮仕えから逃れた21歳のモーツァルトは、母アンナ・マリアと共に新天地を求めて旅立った。ミュンヘン、アウクスブルクを経てマンハイムにやってきたモーツァルトは、そこでヴェーバー一家と出会い、次女アロイジアに恋をする。
「もう書いたかどうか覚えていませんが、その人には、非常に歌が上手で、美しく澄んだ声を持つ娘さんがいます。演技力が不足していますが、それさえあればどんな劇場でもプリマ・ドンナになれるでしょう」(1778年1月17日)
 ザルツブルクにいる父、レオポルド宛の手紙である。アロイジア・ヴェーバーは当時17歳。バス歌手で、内職で写譜師の仕事もしていたフランツ・フリードリン・ヴェーバーの娘である。後年『魔弾の射手』を書いたカール・マリア・フォン・ヴェーバーはアロイジアのいとこにあたる。モーツァルトは彼女のために歌の指導をし、有力者に紹介しようと骨を折り、自作の美しいアリアまで捧げた。さらに彼の気持ちは高揚し、こんな手紙を送って父レオポルドを仰天させている。
「僕はこのかわいそうな家族のことが大好きで、彼らを幸せにすることしか考えていません。そして僕にはたぶんそれが出来るでしょう。思うに、彼らはイタリアへ行けばいいのです。......僕たちがイタリアへ行けるように出来るだけのことをして下さい」(1778年2月4日)
 自身の就職活動はうまくいかず、先の見通しも全然立っていなかったが、それでもモーツァルトはアロイジアと幸せになることを夢見ていた。しかし、息子の身を案じたレオポルドはこう命じる。「パリへ発ちなさい! 今すぐに」ーー父親の心配ももっともである。モーツァルトには職がなく、お金もなく、非力で、無名だった。まずは名をあげなければならない。

 1778年3月、モーツァルト母子はパリに到着した。しかし周囲の反応は冷たかった。神童時代の名声は忘れ去られ、モーツァルトは「過去の人」になっていたのだ。自分を売り込むのが下手なモーツァルトについて、グリム男爵はレオポルドにこう書き送っている。「ご子息はあまりに人を信じやすく、積極性に欠け、だまされやすく、立身出世に通じる方策に無関心です。......才能は今の半分で結構なので、倍の世渡りのうまさを望みたいところです」
 ピアノや作曲のレッスンをすることで小金を稼いでいたモーツァルトは、コンセール・スピリチュエルの音楽監督ジョゼフ・ルグロに依頼され、交響曲第31番「パリ」を書き、成功を収める。しかし、その喜びも束の間、母アンナ・マリアが体調を崩して寝込み、7月にパリの下宿先で世を去る。
 9月、パリを出たモーツァルトはストラスブールを経てマンハイムへ戻る。アロイジアはミュンヘンの劇場に雇われていたためいなかった。ミュンヘンに向かったモーツァルトはアロイジアと再会。愛の確認の場となるはずだったが、そうはならなかった。彼女は歌手として出世することを望み、一介の音楽家と結婚する気はない、と言い放ったという。失意のモーツァルトはレオポルドに帰郷を迫られるまま、ザルツブルクに戻った。

 後年、ウィーンに出てからのモーツァルトは、なんだかんだ言っても名声を得ることが出来たし、(出費はひどかったにせよ)収入面でも恵まれていた。しかし、このマンハイム〜パリ時代は、将来への不安、無名であることのふがいなさ、無力感、失恋、母の死など、外的要因と内的要因が重なり、暗黒時代と呼んでもいいほど低調だった。ヴァイオリン・ソナタ第28番には、そんな彼の弱音がポーズとしてではなく、聴き手まで無力にさせるほど率直に表れている。ここには天使の微笑みもなく、デーモンの激越な感情も出てこない。ただ出口の見えない思い出の中をいつまでも低徊しているような無力感に浸っている。あるのは仄暗い諦観のみ。ひょっとすると、これはモーツァルトが書いた最も悲しい曲ではないだろうか。


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