マルキュー藤田の釣日記

熱い釣りの記録や思いをお伝えします

釣りと受験

2008-05-31 13:53:29 | 想い出

  中3の夏休みといえば、部活動も終わり、高校受験に向けて、気合を入れて勉強を始めなければいけない時期だ。私は、毎日のように釣りに出かけていた。さすがに母の逆鱗に触れ、ある日釣り道具一式をどこかに隠されてしまった。薄々隠し場所は見当が付いたが、敢えて探し出す事はしなかった。こんな時に備えて、もう一式、友達の部屋に置かしてもらっていたのだ。私は、友達の家に勉強に行って来ると家を出ては、友達の部屋(離れになっていた)に立ち寄り、道具を持って釣りに行っていた。

しかし、秋以降は、さすがに釣りに行かなくなった。釣りに行かなかったからといって、その分勉強時間が増えた訳ではなかった。自分の中でけじめを付けていただけだ。私にはなんとしても入りたい高校があった。その高校に入るまでは、釣りを我慢して頑張ろうと思っていたのだ。釣りをエサにして、自分のやる気を奮い立たせていた。毎晩3時前に寝ることは無かった。勉強をしていたというより、ラジオの深夜放送に熱中していた。TBSのパックインミュージックだ。小島一慶、愛川欽也、ナッチャン・チャコチャン、山本コータロー、そして、土曜がオールナイトニッポンの鶴光。土曜日は5時まで聞いていた。

そんな生活だったので、常に寝不足、顔色が悪く、不健康そうな顔をしていた。勉強する机の傍らには、受験が終わったら行きたい釣場一覧を置いていた。1番が、戸田の道満。2番がビン沼。3番が荒川本流だったと思う。

ようやく中学受験が終えた日に、受験の帰り道にへらの雑誌を買って帰ったのを覚えている。そして、受験後最初に行ったのは、やはり道満釣場(戸田市観光協会が運営する管理釣場で、今も健在)だった。

今、下の子が中3だ。あの頃の私と同い年かと思うと不思議な気がする。うちの子はしょっちゅうテレビゲームを私の妻に隠されている。彼の場合、すぐに見つけ出して、再開するので、妻の逆鱗に触れ、大変な騒ぎになる。彼もまた、あの頃の私と同様に、昼と夜が逆転してしまっている。学校から帰るとすぐ寝てしまい、親が寝た後、起き出して活動を始める。作っておいた夕飯を夜中に一人で食べ、明け方風呂に入っているようだが詳細は分からない。青白い不健康そうな顔色も私そっくりだ。


左手指先のケガの真相

2008-05-29 20:25:12 | ウンチク

以前このブログで、釣りの最中に、左手指先を毎回のように切ってしまうと書いたことがある。その後も、毎回のように指先を怪我していた(先日の三春ダムでは、4時間も出血が止まらなかった)が、ようやくその真相(怪我の原因)が分かったのだ。3_121_2 3_122_2

 犯人は、ジーパンのバックルであった。お気に入りのマルキューのバックルだ(写真左)。20年も使っているものだから、ベルトストッパー金属が摺れる部分(写真右)がナイフの刃のように研ぎ澄まされて、触るだけでスパッと切れるようになってしまっていた。

 ケガは、寒い時期に多く、暑い時期にはあまりなかった。これは、寒い時期には、ジーパンの下に防寒用のアンダーウエアー(モモヒキとも言うらしい。私のモモヒキは、1万円以上するのだ)を履く為、小用の時にジーパンのベルトを緩めるのだ。その時にバックルの鋭い刃先に指が触れてバックリ切れてしまうのだ。

 実は、そのことに気が付いた後もケガが絶えない。釣りの最中は小用もゆっくり出来ず、焦っているものだから、つい分かっていてもやってしまう。左手指先で常にエサをいじっている為に、指先がふやけ気味になっていることも原因している。

 それにしても、このマルキューのバックル、日本中で持っている人はどの位いるのだろうか?オークションに出したら、結構な値段が付くかしら?湯崎湖のバックルも持っている。こちらもお気に入りの一品だ。(写真はクリックすると拡大します。)


小さい頃5 病院の池

2008-05-27 22:10:03 | 想い出

私が小学校5年の時(昭和45年?)だったと思う。父が胃潰瘍で都内の病院に入院した。私は学校が休みの日には1人で十条駅に程近い病院まで見舞いに行った。病室に行くと父は喜んでリンゴなどを剥いてくれた。普段、家事をするところなど全く見たことが無かったので、器用にリンゴの皮を剥く父の姿は驚きであった。リンゴを剥き終わると、父と息子で会話が弾むはずも無く、沈黙してしまった。普段、父は帰りが遅く、12時前に帰る事はほとんどなかった。そのため、会話をする機会は余り無く、父と私との唯一の接点は釣りだったのだ。

病院には、コンクリート製のプールのような大きな池があった。入院患者は、日中、退屈しのぎに、池の周りにずらりと座って池に放してある金魚などを釣って楽しんでいた。会話のない父と私は、当然の流れとして、その池で1日中釣りをして過ごした。患者は皆、病院の給食で出される食パンを水で戻し、柔らかく練り込んだ白い練りえさを使っていた。私は、自宅から持ち込んだ「青べら」を使った。患者が目を剥くくらい私はたくさん釣った。当時から私にとって魚釣りはただの遊びではなかった。周りの患者の暇つぶしの釣りと、釣が命の私の釣りとでは土台からして違っていた。既に腕前は、小学4年の時に父を上回っていたのだ。

程なく、父は退院した。後年、父は胃癌で胃を全摘し、更に最期は癌が転移して亡くなってしまった。父に連れられて釣りをしたのは、小学校までで、中学になると完全に私の方が釣りの先生になってしまい、父にうるさくああしなきゃダメだ、こうしなきゃダメだと言うようになってしまった為、一緒に釣りに行きたがらなくなってしまった。私は中学からヘラ一筋になったが、父は結局ヘラをマスターせずに釣りから遠ざかってしまった。それでも、晩年は、私から譲られたヘラ道具一式をかついで、暖かい日にはビン沼などに通っていたと、母から聞かされた。

私の息子は全く釣りに興味が無いらしい。私の後を継いで、何時か私を超える日が来れば、親としてこれほど嬉しい事は無いのだが、その日は来そうに無い。この親不孝者が!


酔釣会 5月例会 湯崎湖 5月25日

2008-05-26 21:26:46 | 湯崎湖情報(釣行記)

  夏場の管理釣場は久しぶりである。朝から雨であったが、湯崎湖は予想外の人出で、150名ほどの入りであった。ほとんどは例会組で、さすがにプライベートは少ないようだ。

 3号桟橋4号向き中央にテントを設営して、8尺タナ15cm、ハリス15cm1本バリで開始する。エサは、パウダーベイトHERA3にへらスイミー0.7のペトコンである。開始早々、快調に釣れ出す。いい感じでアタリが出て、あっと言う間の1フラシ終了。同行の会員は、1,2枚。まだ片目が開かない会員もいる。周りも全く釣れないとのボヤキがあちこちから聞こえてくる。その後は、エサが粘りすぎて、ウキの動きが悪くなったら、エサを水で戻し、新しい麩を差しこみ、バラケが強すぎてウキが突き上げられるようなら更に練り込む。2フラシ目もあっと言う間に終了した所でトロ掛けに変更。上ハリス10cm、下ハリス15cm、ダンゴエサにマッハを継ぎ足したエサで開始する。いきなり強いアタリが連発し、1本バリのダンゴよりアタリが多い。11時に3フラシ終了。トロ掛けにすると、上バリのエサは、今までとほとんど変わらないようなダンゴタッチのエサなのだが、不思議とトロロに8割くらい乗るようになる。トロロは、半数ぐらいがハリを飲んでしまっている。午後は、同じ釣りを続けたつもりだったが、何故か空ツンで乗らなくなってしまった。それでもようやく5フラシ目に突入。最後は絶不調で終了。89枚、40kgちょっと。

 自分としては、ダンゴエサとトロ掛けの良い練習になったと思う。


今年の解禁日

2008-05-24 17:58:25 | アユ

  今年のアユの解禁日(6月1日)は日曜日と重なってしまった。そして、日研団体トーナメント戦福島地区の決勝戦と重なってしまったのだ。予選で負けていれば問題なかったところだが、勝ち抜いてしまったことから、解禁日はアユ釣りに行けなくなってしまったのだ。相棒の真一さんは「今年は邪魔者がいないので、100尾超えだ!」と、今からニヤニヤしている(おもしろくない!)。

アユ釣りを始めて以来、解禁日に釣りをしなかった日は1度も無い。随分前に下の子がまだ10ヶ月の時の解禁日に熱を出してしまった事がある。とりあえず、3時に家を出て釣りをし、6時にオトリ舟を川に置いたまま家に戻ると、妻は「今日、どうせ休む予定なんでしょー。子供頼むねー。」と言い放って、仕事に行ってしまった。日頃の仕返しか?!妻が出かけるとすぐに私は子供をチャイルドシートに縛り付けて、川へ戻り、釣りを再開した。子供の事は気になったが、解禁日に熱を出すなんて私の子として許せない。とんでもない親不孝者だ!お昼近くに車に戻ると我が子は、熱くなった車の中で激しく泣いていた。仕方なく、家に帰ったが、その後、こじらせてしまった。おかげで、その後3日間も介護のために休むはめになってしまった。職場には、釣りは1日だけで、後の3日間は子供のお守りだったと説明したが、誰も信じる者はいなかった。職場の誰もが4日間釣り三昧だったと信じて疑わないようだった。

また別の日、どうしても午後から仕事をサボってアユ釣りに行きたくなってしまった。職場に「保育園から、子供が熱を出したから迎えに来て欲しいと電話があった」と嘘をついて、急いで釣場に向かっていると、慌てて出てきたので、やりかけの仕事をそのままにして来てしまった事に気が付いた。慌てて公衆電話から職場に電話すると、電話に出た電話交換手の女性から「保育園から子供が熱を出したから迎えに来て欲しいと電話があったけど」と言われた。「えっ!・・あっ、分かりました」危機一髪だった。そのまま、釣りに行っていたら大変な事になる(嘘がバレル)ところだった。

日曜日に某管理釣り場で釣りをしていると、マイクで釣り場に放送があった。「・・・・のお車でお越しのお客様!至急お車にお戻り下さい。車の中でお子様が激しく泣いています」釣場中、大爆笑だった。何処にもそんなやつはいるものだと知って、安心した。

ちなみに、下の子は、あの時の後遺障害なのか?秀才である。そして、家族には未だに秘密である。


へら鮒釣りの疑問-13 へらウキは美味しいのか?(笑)

2008-05-22 21:35:28 | へら鮒釣りの疑問

実は、私もへらウキを食べたことはない。食べようとも思っていない。

 へらエサは昔よく食べたものだ。正確にいうと、食べたというより、味見をしてみたことがある。大学時代は、まだ若く、何でもやってみないと気がすまない方だった。当然、へらのエサも食べてみないと気がすまなかった。その結果は、「匂いの割りに味が無い」というのが結論だった。あの強烈な匂いのサナギ粉も匂いの割には味が無かった。味がしないというのは、決して美味しいものではない。もちろん好んで食べはしなかったが、友達を自分の部屋に呼んで、鍋を作って食べる時などには、必ず「隠し味」だといって、へらのエサを鍋に入れて嫌がられていた。

ウキはどうか?恐らく世界中でもへらウキを食べたことがある人はいないはずだ。しかし、我が家には、へらウキを食べてしまうやつがいる。そんなやつは、人間のはずが無い。ネコちゃんだ。うちには、3_032かわいいネコちゃんが二3_048 人いる。一人は、職場の物置の中で生まれてしまった赤ちゃんを引き取って育てたもの。もう一人は、我が家のそばで迷子になって、餓死しかけたのを引き取って育てたものだ。どっちのネコちゃんが私の大事なウキを食べてしまうのか良く分からない。多分、二人とも食べていると疑っている。どんなに大事なウキ(作成中のウキや完成して浮き立てに立てているウキ)を何度食べられても、相手がかわいいネコちゃんなら怒る気にもなれない。きっと私の作るウキはおいしいのだ。

写真は、食べ残されたウキの上半身。(ウキの下半身はまだ見つかっていない)

写真はクリックすると拡大します。


日研いわき支部 5月例会 5月18日 坂下ダム 実釣編

2008-05-21 21:53:46 | 坂下ダム情報(釣行記)

3時半開始。既に薄明るい。出島下に向かうと、ノーマークで私ひとりである。準備をしていると、ウキの立つ位置のあたりでもじる。これは釣れそうである!急いで21尺1本弱でエサを打ち始めるが、暗くてウキが見えない。また、少し沖でもじる。と、ウキが動いたように見えた。すかさず合わせるが空振り(アタリに見えたのは気のせいか?)。夜があけて、ウキが良く見えるようになると、ウキが全く動かないのが良く見えてしまう。たまに沖でもじるので、時間の問題で魚が回ってくれば釣れると信じてエサを打ち続けるが、無反応である。さすがに上流が気になり、偵察に行くと、前日に釣れているのを見て、入ったのであろう、欲深い会員で満員御礼である。。芳春君は最悪の場所に陣どっている。風は上流からダムサイドに吹いている。この風では上流で釣れるはずが無い。案の定、誰も釣れていない。一安心だ。

再びエサを打ち始めるが無反応。7時に突然アタリが有ったが、合わせるほどのアタリではなかった。その後、8時半までに3回ウキが動き、1回はウグイが釣れ、1回は力強い消し込みで空振り、もう1回はサワリだけだった。8時半になると、風が変わった。ダムサイドから上流へ吹く、いつもの風が吹き出した。すると、沖に魚の真っ黒い群れが見え出した。そのうちの1つは、ウキの立つ位置に移動してきた。またとないチャンス到来!群れの中にエサを打つが無反応。何回か群れが回ってきたが、結局無反応でチャンスをものに出来ない。10時になると、群れは風流れに乗って、上流に移動してしまった。流れが強くて釣りづらいこともあり、予定通り上流に移動することにした。

朝満員御礼だった上流は、半分の会員が既に下流に移動してしまっており、ガラガラ状態。芳春君も我慢出来ずに下流に移動してしまっていた。真一さんは昼寝中である。10時の段階で誰も釣れていない。ゆっくり場所を物色していると、目の前でへらの群れが真っ黒く浮いているではないか!急いで始めると、すぐに消し込んだ。大興奮で合わせると、何と、お邪魔なウグイ!がっかりである。その後すぐ再び消し込むが、ウグイ。へらの群れは見えなくなってしまった。と、5m上流にへらの群れ発見!すぐに移動して群れの中にエサを打つが無反応。その後、群れを追いかけて更に2回移動するが結局無反応。見える魚は釣れない!絶対釣れない!とっても勉強になりました。でも、またやりそう!

 結局、痛恨のオデコ。嫌な予感がしてなのですが・・。それでも、何とか総合1位をキープ。でも、ここで釣っていれば、5月にして年間優勝をかなり確実にしていたので、大きな悔いの残る例会になってしまった。例月から気を取り直して頑張りたい。


日研いわき支部 5月例会 5月18日 坂下ダム 試釣編

2008-05-20 21:27:38 | 坂下ダム情報(釣行記)

毎年、5月の坂下は全く釣れない。釣れないのは、5月だけではないが・・。今回も絶対に釣れないという確信を持って例会に望んだ。

例会前日、5時からお昼過ぎまで試釣をした。モジリはほとんど見られなかったが、看板下と出島下で少ないながらもモジリを確認した。椿ワンドから放流場所にかけては普段最もモジリの多い場所だが、何故か全くモジリが無かった。

始めに放流場所をチェックした。減水したため、良い水位になった。21尺で宙、底を試すが、ジャミアタリ1つ出ない。全く脈がないと判断した。

次に出島下をチェック。強い流れの中を浅ダナでエサを打つとたまに当たる。ほとんどはウグイのようなズルーというアタリだったが、数回強い消し込みがあった。全て空ツンで正体は分からずじまいだったが、ひょっとすると出る可能性が有ると判断した。

本命ポイントの馬車道は、へらっこ会の知り合いが入っていたが、全くダメだったようで、お昼には帰ってしまった。

それに対して上流では、風流れに乗ってお昼からへらが入ってきたようで、お昼から良く釣れていた。この状況を見てしまっては、上流を狙わない訳にいかない。ただし、朝は魚が入っていないので、ダムサイドから強い風が吹き出す、10時以降に狙うしかない。

帰って、インターネットで確認すると、日中は東風が吹く予想だった。ダムサイドから上流に吹く風だ。朝は出島下で探りを入れて、風が吹き出す10時頃に上流に移動する作戦を立てた。馬車道は、本命とは分かっていたが、釣れていなかったので、何となく敬遠してしまった。 続く


日研団体トーナメント戦 福島地区予選

2008-05-12 20:28:45 | 団体トーナメント戦

  頼りにしていた高野選手が体調不良で出場出来なくなってしまった。急遽、最もこの大会に出たがっていた大越君に出番が回ってきたが、彼も大会直前に都合で出られなくなってしまった。そこで、百戦錬磨の渡辺会長に選手をお願いすることにして、大会に臨んだ。

 9チーム中、4チームが県の決勝戦に駒を進めることが出来、決勝戦で1位になれば、横利根川での全国大会に出場できるのだ。予選会場は、坂下ダムだ。いわきのホームグランドということと、いわきの実力を考えると、間違っても予選は通過できそうだ。しかし、ここで手を抜かないのが我がチーム。全員が連携して試釣を行い、作戦を立てた上で万全の体制で臨んだ。

 試釣の状況から、なかなか釣れない事が分かった。魚は上流には確実に居る事は分かったが、下流は情報が少なく、間違う危険性が高いと判断した。このため、昨年とはまったく違い、全員が上流に入ることとした。私は、主将として、自らにプレシャーをかけるため、1番スタートを敢えて選んだ。1級ポイントを確保して、どんな事があっても釣らなくてはならない。

 経過を書くとまた長くなってしまうので、ここでは省略する。結局、5人中2人が釣れている仲間のそばに躊躇無く移動したことで、アタリの出たワンチャンスの時間をものにして、5人全員が釣果を得た。終わってみれば、ブッチギリの成績で予選通過。それにしても坂下ダムは釣れない!場所を間違えれば終わりだし、良い場所に入っても、魚が回ってきたワンチャンスをものに出来なければお終いだ。魚は、1日で移動してしまい、前日に釣れていても当てにならない場合もある。混雑してもパンクだ。来週の月例会が今から不安だ。何が不安かって、それはオ・デ・コ!十分有り得るところが怖い!ブッちぎったって言っても、一体5人で何キロ釣ったと思う?全員釣果があって4kgだぞ!5人全員オデコのチームもあったのだ!

 最後になりましたが、全力で釣ってくれた選手の皆さん、釣りもしないで選手の世話を焼いてい頂いた大井川監督、ありがとうございました。全員でまた、横利根に行ける様に頑張りましょう!


へら鮒釣りの疑問12 半ベラは居るのか?

2008-05-10 20:00:06 | へら鮒釣りの疑問

結論は、居ない。

マブナとヘラブナの合いの子を半べらと呼ぶらしいが、その存在は、科学的には有り得ないと言われているし、私は40年以上釣りをしているが見たことが無い。へらとマブを見分けられない人が、体高の高い大型のマブの事を半べらと呼ぶのだと思っている。先日も某釣大会で、うちのへら研所属会員が隣でマブを釣ったが、彼はへらと主張して引かなかった。一瞥してマブナのだ。最近では、他の釣りを経験しないでいきなりへら釣りに入る釣師が多い。それもいきなり管理釣り場からだ。管理釣り場では、プロポーションが崩れたへらが多く、中には、マブのような魚も多い。私は、マブナ釣りを散々した上でへらに入った。最近はマブをあまり見たことが無い釣師が多いのではないのか?

半べらが存在するかどうか、実はこの件については私はうるさい。大学で水産学を学ぶ原点になった問題であり、その事が、その後に人生(仕事)を決定してしまったからだ。それはともかくとして、

一般に生物は染色体を1対持っていて、2nあるいは2倍体と呼ばれている。マブナ(正式にはギンブナ)は高等生物では極めて珍しく、染色体を3本持っており、(このため、世界的に有名)このため、減数分裂が出来ず、マブナは、全て雌で、卵はオスの精子を介しないで発生が進むのだ。これを雌性発生(単為発生)と呼び、生まれてくる子供は全て親のクローンになるといわれている。このため、地方間のマブナは交配が進まず、それぞれが品種のような分化を遂げており、場所によってはへらのように体高の高いマブナがいるようだ。

2倍体のへらと3倍体のマブナは、交配するはずが無いので、半べらは、存在し得ないといわれているが、へらとコイは簡単に交配し、非常に大きくなる。ちょっと見はへらに見えるが、よく観察すると、非常に小さなひげが1対あるのが確認できる(コイはひげが2対)。私も鯉の養魚場で育った巨大な合いの子を何回か見たことがある。以上の話は、現在までの通説で、今後、日本のどこかで2倍体のマブナが発見され、半ベラが確認されないとも限らないことを最後に付け加える。

釣師が、半べらだと主張している魚こそが、正真正銘のギンブナ(マブナ)という魚なのだ!


黒べら復活 その2

2008-05-07 20:33:33 | ウンチク

  競技の釣りを始めてからも、管理釣り場で両ダンゴカッツケをする時には、黒べらは手放せなかった。黒べらの素練りから入って、ウキが入らなければ、「へらスイミー」を加えて比重を付け、それでもダメな時には「ダンゴの底釣り夏」で更に比重を付ける事を常として、好成績を残してきた。練り込めば、超ペトコンにしても、しっかりハリ残りしてくれた。

黒べらが無くなってからは、黒べらの代わりに、「パウダーベイト」を使い、最近では「ガッテン」も使うようになってきていた。「パウダーベイト」でも「ガッテン」でも、特に黒べらと遜色なく使えたので、今さら黒べらにあえて戻そうとは考えていないが、最近のエサで気になる点が1つある。それは、人工的な匂い(香料?)がきつく、決してその匂いが心地よい匂いではない事だ。個人的には、さなぎの匂いは好きな方で、スイミー系の匂いも好きである。ぺレット系の匂いはあまり好きではないが、「浅ダナ1本」や「パウダーベイト」、「ガッテン」は何れもきつい人工的な臭いがあり、余り好きな匂いではない。

黒べらが復活した事は、オールドファンには嬉しいニュースであるが、どれ程売れるかは疑問である。バイク各社が、7080年代のバイク世代を対象にレトロなバイクを一斉に発売したりした。私も大学時代に乗っていたバイクが復刻されたので、一時またバイクに乗ろうかと心が動いたが、時代は変わっていたのだ。家族の有る身では、なかなかバイクに乗れる状況で無い。車の快適さも知ってしまった。かつての名車は、現代の若者には受けず、かつてのバイク乗りも、既にバイクから離れてしまっていたのだ。復刻した名車はほとんど街で見かけない。あまり売れなかったのではないかと思っている。今回の黒べら復活も、バイクのメーカーの名車復活と重なって見えてしまうのは私だけだろうか。

とりあえず、黒べら1袋購入しようと思っている。


黒べら復活 その1

2008-05-06 21:39:35 | ウンチク

 「マルキュー藤田」を名乗るからには、たまにはエサの事を書こうと思う。最近、黒べらが復活したらしい。

私がへらを始めた昭和40年代後半は、丁度、マッシュから麩のエサに変わろうとしている時代だった。エサ作りの修行は、マッシュの素練りから入ったが、まとまりが悪くて往生した記憶がある。麩のエサとしては、青べら、赤べらが有り、青べらは赤べらに集魚材(さなぎ)の入ったものだった。青べらは、へらエサというよりは、どちらかというと万能エサとして、マブナ釣りなどでも広く使われていたように思う。赤べらは、マッシュに混ぜて使うものと当時は相場が決まっていた(現在でもダム湖などでは、使われているらしい)。とても良い匂いのするエサで、釣りをした翌日にも左手には赤べらの匂いが残っていたものだ。強烈な粘りが特徴のエサだ。

麩のエサとして始めに使い出したのは、ふまつげんの「だぶる」というエサだった。大袋でお買い得だったので使っていたという記憶がある。その後は、「ふまつげん」(商品名)などを使ってみたが、「ふまつげん」は硬い麩が混じっていて手触りが悪かった。落ち着いた先は、黒べらだった。当時は、セット釣りという概念がまだ無かったので、オカユを使う冬以外は何時も両ダンゴである。バラケというエサの概念もまだなかった。

黒べらは、適度な粘りが有りながら、バラケ性もあり、両ダンゴのエサとしてはとても使いやすかった。私は、浅ダナをやる時は、何時も黒べらの素練りを使っていて、よくブッチギリの釣果を残した。高校時代には友人から「黒は強いぞ」とよく言われたものだ。黒べらは、昭和50年頃、一時「黒」と改称した(他のエサも色だけの名称になった)が、いつの間にかまた黒べらに戻ってしまった。(黄べらは、黒べらのさなぎを抜いたものだが、何故か全然売れなかったように記憶している)  続く


へらバックころり事件 5月5日水沼ダム

2008-05-05 20:26:14 | 水沼ダム情報(釣行記)

   4日、5日と水沼ダムに釣行した。3日連続雨の中の釣りとなった。4日は、橋上流に入り、18尺1mをやったが、全くダメで2枚。試しに21尺で対岸の柳すれすれを狙ってみるが好転せず、宙を諦めた。21尺で底を狙うと意外にも好反応でアタリが続き、ポツポツであった。ダム全体に不調で全く出ていないようだった。

 5日は、得意の看板下に入った。前日の状況からなかなかアタリが出ないものと思いながら、1480cmのタナ、両ダンゴで打ち出すと、何と4投目に強い止めが入り、次の瞬間ズバッ!と入り、あっけなく釣れてしまった。その後も60cm程のタナでアタリが続き、ポツポツ釣れた。下流から上流に強い風流れが有り、釣りづらいが、ナジミ際やなじんだ直後の早いアタリを狙い、ウキが流れに乗って流れ出したらエサを切るという早い釣り方で地合いになった。周りは、皆、深いタナでアタリがないとぼやいていたが、私が浅ダナで釣り出してからは、浅ダナに変更し、一投目から当たったという声が聞こえてくる。魚は初めから浅ダナに居るようだ。

 1ボール終了し、10時前に納竿した。重いへらバックを背負い、急な斜面をほぼ登り終えたところで、ブチッと嫌な音がして、へらバックの背負子が切れてしまった。へらバックは、斜面をポンポン弾みながらダムに転げ落ちてしまった。呆然としている間に、バックは半分水没しかけている。慌てて回収したが、下に釣人が居たら笑えない事故になったかと思うと、ぞっとした。今使っているバックの背負子が切れるのはこれで4回か5回目になる。元々のダイワ製純正のベルトは買ってすぐ切れてしまった。欠陥品としか思えなかったが、特にクレームも付けなかった。その後は、ホームセンターで買ってきた物を使っていたが、やはり切れる。バックが重過ぎるのがそもそもの原因だとは分かっているのだが。3_2

 ここのところ、両ダンゴに凝っている。どうも、セットの釣りより両ダンゴで手返しを早くし、落ち込みのアタリを狙ったほうが釣れるような気がするのだ。今シーズンは両ダンゴとトロ掛けで通しそうだ。釣りから帰ると、ダンゴ用の大きなハリをしこたま結んだ。


霞ヶ浦 恋瀬川河口 5月3日

2008-05-03 20:08:53 | 釣行記

  3_049 乗込みには少し時期が遅くなってしまったが、大好きな霞ヶ浦に単独釣行してみた。雨が降っていたため、朝は出遅れて、現地8時30分着。ハタキの気配は全く無いが、モジリやハネが見られ、魚の気配は多い感じだ。アサザの群生地にある産卵用オダの脇を12尺で狙う。タナは思ったより深く、80cmほど。両ダンゴで打ち出すと、単発的に当たるが、続かない。時たま大型が掛かるが、ことごとくハリスを切られ、全く取り込めない。とてもへらの引きとは思えないような強い引きであったが、周りのヘラ師の会話を聞いていると、40cm級は普通、50cm台も出るらしい。0.5号のハリスを5回切られてしまった。一体何がハリ掛りしたのだろうか?結局取り込めたのは、マブ1尾、アメリカナマズ1尾、オオタナゴ1尾、種不明のタナゴ1尾だけだった。釣れない割には、周りにはへら師がズラリと並び、いかにも釣れていそうであるが、型を見たのは数名だけのようだった。

 今度は、もう少し早い時期に狙ってみたい。


日研いわき支部4月例会 水沼ダム 4月28日 検証編

2008-05-01 19:40:55 | 水沼ダム情報(釣行記)

 例会翌日、仕事をパスして水沼ダムに向かう。どうしても確かめたい事があるのだ。まずは、前日朝入った、柳の中の水溜りポイント。前日と同じ14尺で浅ダナをやるが、2時間で1回もアタリがない。全く魚がおらず、回遊も無い。ハタキ後の食い渋りでダム全体がこんな状況なのかと思っていたが、前日、真一さんの入ったポイントに移動して驚いた!いくらなんでもしばらくはアタリがないだろうと、両ダンゴで打ち出すと、3投目で水面まで魚の群れが浮き、4投目では、いやいやして馴染まないウキが一気に消し込み、尺上が釣れた。このポイントの違いは何なんだ!僅か20m程しか離れていないのに、天国と地獄程の違いだ!やはり前日はポイント選定の誤りだった。本流筋と通じているポイントでないと魚の回遊が極端に悪いようだ。その後は、両ダンゴカッツケで爆釣が続いた。例会翌日にいくら釣れてもただ虚しいだけだったが・・・。