オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

猿も木から・・・

2017-05-25 | Weblog

5/25(木) 20日、土曜日の正午、錦秋に輝く佐賀平野を眼下にしがら佐賀空港に降りた。この時期、黄金色の佐賀平野を目にする度、この土地の豊かさを実感する。空港にNAKAMIZOさんが迎えてくれた。

                             

午後一時、「地球市民の会 総会」が開かれる会場に入る。旧知の事務局や理事の面々と挨拶を交わし、会の始まりを待つ。佐藤会長の挨拶に始まり、28年度の決算報告、29年度の活動報告、29年度の計画と順調に進行した。

                             

                          何時になく、生真面目な顔!

活動に大きな変わりはないが、タイ東北部で27年に渡り、3451人の子供達に支援をしてきた奨学金事業は、役目を終えたとの判断で終了となった。新たに始まっているミャンマーでの奨学金支援、学校建設、農業開発などの活動が国際交流のメインか。東北大震災・熊本地震への支援活動の継続、四月に佐賀駅近くにオープンしたゲストハウスの運営、日・韓・中の交流事業と多彩であるが、海外事業予算の大宗を占めるのはODAの助成金である。

自主財源の拡大と支援者の輪を広げる、口で言うのは易いが・・・・。中村哲さんの、ペシャワール会のような大きな広がりと、支援者を得るにはどうすればなるか。所詮は叶わぬ夢? 創立者の古賀武夫氏の物語が、その一翼を担うことができれば。私的には、そんな思いはあるが・・・。

総会が終わり、引き続き記念講演と討論会「今、日韓の友好を改めて考える」が始まる。拓殖大学の下條先生の講演、つづいて釜山韓日交流協会顧問の朴先生の講演。最後にお二人の討論であった。お二人とも、地球市民の会とはご縁が深い方である。下條先生は歴史的な視点から、竹島や慰安婦の問題を語り。

                             

朴先生は、国と国の主権問題はあっても、民間レベルはどんどん交流をすべし。「以民促官」、政・経(文)分離と親日的な視点で現状を語り「とことん話しをするべき」と括った。

最後に、韓国のメデイアでは悪者扱いだと言う下條先生が「実は、私の家内は韓国人です」と打ち明け、家内の実家に行くと、政治の話には触れずとても大事にしてくれると内輪話を披露した。そう云えば、小生も日韓交流・親善に努めた時期があったが、努力不足であったか?そんな話は、夜の交流会の時に冗談交じりに披露した。

「じんぎすかん」なる店が交流会場で、てっきりジンギスカンの肉メインの店と思いきや・・・。なんと魚料理の店で、この日はタイの生け作り、小鯛の煮物と、鯛尽くしであった。二次会は、前理事長の奥様が趣味でやる実家(母上が亡くなり、予約制の店にしている)での懇談。一次会は三十数名、二次会も二十人以上が参加。下條、朴両先生を囲んで盛り上がった。

懇談会の席上、故、古賀武夫さんの物語の進捗と、今後の予定について報告をしたのは、云うまでもない。年明けには「本」になりますと。出版企画実行委員長の大之氏が「先生の十回忌に間に合いますね」と、喜んだ。

翌、日曜日。7:05分佐賀駅発の特急列車で博多に向かい、地下鉄で福岡空港へ。8:55発のJALで高知空港へと向かう。両日とも上々の天気で、汗ばむ。高知空港に妹夫妻の迎えをへ、実家へと一時間の車中。故郷の海は碧く、川は清んで穏やかであった。山の椎や樫の木は薄い黄緑から緑を濃くしつつあった。初夏の日差しは強く、夏を思わすような気配。

 日曜日から火曜日と、飯作りに勤しんだのは何時もどおりだが、月曜の晩飯作りで、思わぬアクシデントが。野菜好きの親戚のKATOの為に、山盛りのサラダを作っていた時のこと。新タマネギをスライサーを使って下ろしていた。その時、油断をして他所見をしてタマネギを擦ってしまった。

アッと、思うと親指の先を擦っていた・・・。それほど美味そうにも見えぬ指、これを擦ってどうすんだ。瞬く間に血が溢れてきた・・・・。左手で傷口をきつく抑え、大急ぎでチッシュを探して巻いたが・・・・真っ赤になってきた。 

猿も木から落ちる、上手の手から水が漏れるとも聞くが、まさかまさかの大失敗を演じてしまった。未だ傷口は癒えず、何かの拍子に傷口を当てると血がでる。スライサーを使う時は何時も注意をしていながら・・・このあり様。新タマは柔らい、それを知りつつ・・・。

 この日に、畑での大方の作業は終えていた。幸いと云えよう。ミカンの花はそろそろ終わりに近い。梅の実は1~2週間で収穫時期だ。枇杷は未だ青いが、色づきはじめると鳥の襲来か。今年は少し袋を掛けたが、効果はあるのか?

                 

蜜柑と云えば、十年前ぐらいか。タネから伸ばした実生の文旦が畑に二本、東京に鉢植えにしたのが二本ある。先日、東京の樹に花が咲いたのだ。そんなことを思い出しながら、畑の実生の樹を手入れした。枝が張りすぎたので剪定した。ふと気が付くと、なんと一本の樹に花が咲いていることに気付いた。

一枝だけ、控えめに花を付けていたのだ。東京の樹も同じで、一枝だけ花をつけ香りを漂わせていた。漸く花を付けたか!苦節十年、よくやった。と、誉めてやりたい気分になった。花は咲けども実はつけず、に終わるだろうが、地獄の道も一歩からだ?後、十年もすれば実を付けるかも?

                            

                        畑の文旦        江戸の文旦

と云う、短い日々を過ごし、昨夕に帰京。会社を出たのは20時になっていた。不正直不動産のマッチャンから、先週半ば、道路で倒れて入院したNAKAMURA大将のことを聞くため「高松」で待ち合わせていた。予定では、七時過ぎにであったが、八時になっちゃった。大急ぎで100m先の高松に駆け付けた次第。

高松から「ローカーボ」、ここでHOYA兄いと合流して「ちょっぷく」に寄ってから帰還。

そして今朝、久々の弁当作りだ。が、今日は家人用の一つだけ。ギンダラの西京漬け、タラコ、緑豆春雨とキャベツのゴマダレ和え、小松菜の胡麻和え、オムレツ風卵焼き、以上非常にシンプルかつヘルシーな?弁当にした。

                      

 

今夕は、渋谷村で郷里の高校の同窓の集い。皆さんご老体で、入院や治療中と淋しくなる一方だ。今回辺りで、解散宣言でもしたい気分であるが・・・・。ま~行ってまいります・・・・・。同級のMASAOが、肝臓で禁酒礼を貼られたとのこと。淋しいねぇ~。

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昭和レトロの灯を消すな・・・ | トップ | イタドリ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事