13トリソミー 陽花の記録

すべての幸せが君のものであれ

■娘から学んだこと

2017-03-08 08:39:16 | 陽花の記録
■娘から学んだこと

 39歳で結婚して、41歳で子どもを授かりました。妊娠と出産の喜びと幸せを忘れることはないでしょう。娘は可愛かったです。が、産まれてすぐにいくつもの症状がみつかり、生後2ヶ月の時に「染色体異常」を告げられました。
 通常は23対46本ある染色体のひとつが一本多かったのです。遺伝的なものではなく突然変異で何千人に一人の割合で生まれるのだと説明されました。「平均寿命が120日、1歳までに9割の子どもが亡くなる。」という言葉に頭が真っ白になりました。
嘘でしょう、間違いでしょう、悪い夢ならさめてほしい・・・。

 病院から帰って泣き続けました。そのうちに「泣いていても娘は喜ばないよ。」と言う夫の言葉が心に入ってきました。統計や平均は一般的なデータにすぎない。それが娘の全てではない。同じ「染色体異常」があっても、子どもたちの症状や経過に大きな個人差があること自体がそれを示している。娘にこの先どんな症状がでるのか出ないのかもわからない。
 娘がこの先どんな経過をたどるのかなんて誰にもわからない。楽観はできない、けれども必要以上に悲観的になることもない。娘の現実を知り、今ある症状には対処する。出来ることを精一杯する。それだけだ。
 先のことはわからない、けれども今、娘は目の前にいて、こんなに可愛くて、こんなに頑張っている。その娘との幸せな時間をいっぱい過ごしたい。そのことを喜ぼう。そう思ったのでした。(注:実際に同じ病気で中学生のお友だちもいます。)


■その後も呼吸が不安定になってあわてたり、吸引や医療ケアの仕方を覚えるのに心配や不安でいっぱいになったり、普通に退院していく赤ちゃんがうらやましく思えたり、検査で難聴もあることがわかってショックを受けたり・・。普通の子育てとは随分違ったのでしょうが、毎日娘と過ごせること、娘がいてくれることが幸せでした。生後2ヵ月半で退院し、産まれて初めておうちに帰ることもできました。
 しかし呼吸が不安定になって再入院。気管切開の手術をすすめられました。娘の喉にメスを入れるなんて・・。決まった答えのないなかで迫られる決断。追い詰められ転院した大学病院で緊急手術を決断しました。娘がいてくれること、生きてくれることだけを願い、祈りました。
 手術は成功。大学病院には同じように気管切開しているお友だちもいました。みんな重い病気を抱えながら一生懸命に頑張っていました。その姿に勇気をもらいました。娘も体調が安定し可愛い笑顔を見せてくれるようになりました。厳しいこともたくさんあるけれど、これからもずっと娘と一緒に生きていく。そんな未来だけを描いていました。
 しかし生後5ヵ月、地元の病院に戻って再び自宅に帰る準備をしはじめていました。その時に風邪をこじらせて急性気管支炎を併発。一晩のうちに全身状態が悪化し、娘は旅立ってしまいました。


■娘が死んでしまったという現実を受け入れられませんでした。
娘がいなくなった悲しみから抜けだせなくて、なんでいなくなってしまったの? なんで? 悲しい。寂しい。もう一度会いたい、触れたい。あんなこともしたかったのに、こんなこともしたかったのに、そのはずだったのに、という思いがわきあがってきては泣くことの繰り返し。あの時こうしていればという思いにもさいなまれました。(今も同じような思いがわきあがることもあります。)

 誰にも会いたくない、話したくない、人と関わりたくない、そんな時期が続きました。けれどもそのままひきこもりにも鬱にもならずに抜け出せたのは、娘の誕生を喜び、娘を愛し、応援してくれた家族や友人たち、娘をつうじて出会いつながった方々との心の絆があったからです。
 たくさんの方に心をむけてもらい、支えてもらいました。ギリギリの毎日のなかで、娘が今日いてくれること、今日笑顔でいられることが幸せでした。
 娘は幸せでした。たった5ヵ月余の人生だったけれど、たくさんの人に愛され、大切にされ、可愛がってもらいました。たくさんの人の心を動かし、感動を与え、いのちの、生きることのすごさを教えてくれました。娘は小さな赤ちゃんだったけれど凝縮した自分の人生を精一杯生ききったのだと思います。

幸せとは、生きた時間の長さに比例するものではない。
希望は紡ぎだすもの。

(人はどんな試練のなかからでも希望を紡ぎだすことができる。)


 それが私が娘から学んだことです。ママになる喜びと幸せを与えてくれた娘。可愛い自慢の娘。娘に何度でもありがとうを伝えたいです。お母さんの元に来てくれてありがとう。あなたは自らの人生をかけて生きる勇気、生きる力、人間とは何か、生きるとは何かを教えてくれました。
 もしもう一度、娘との人生をやり直せるなら二度と同じ病気の人生を望みません。
けれども思うのです。重い先天性の病気を背負っていたからこそ、たくさん泣いたからこそ、あたりまえに今日があること、笑顔で今日が過ごせることの〈幸せ〉を誰よりも感じることができたのだと。向けられる人のやさしさやあたたかさを知ることができたのだと。
 さみしさがないと言ったらウソになります。けれども娘と過ごした時間、交わした愛情は消えません。

〝千の風になって〟生きている娘の存在を感じています。
いつか再会する日まで、娘に恥ずかしくないように、自分らしく人生を生きたい、そう思っています。
(2011年11月)
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