灯(ともしび)

あなたの心に灯がともりますように

凛として芳(かんば)し

2017年01月03日 | 新日記


 おせちにも飽き、年末からの家事の疲れがではじめた今日、おだやかでのどかな雰囲気があたりをたただよっている。
 茶室の前の庭のつくばいには、紅梅がある。
まだつぼみすらついていないが、梅の風情ほど渋い趣のあるものはない。

 月よみの照りあきらけき地(つち)のうへ紅梅の影とがりて黒し(岡本かの子)

 「紅梅の影とがりて黒し」の鋭い写実が素晴らしい。内面を投影している様は深い。
 梅の季節に生まれた母の形見の品は「梅鉢」のダイヤの指輪だ。
梅の花を模したプラチナに、花の芯になるところにダイヤが埋め込まれている逸品である。
 母の父が嫁入りする時、、自らデザインして作らせた名品だ。
家事であれた手には、装飾品など一切しなかった母だったが、外出する時、この指輪をすると、とたんに母が天性に持っている気品がにじみ出て凛とした美しさがかもしだされた。
 それはまさに、梅の花の美しさと同じようである。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (4)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 鉢に咲く梅一尺の老い木かな | トップ | 「小寒」 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (渚)
2017-01-04 08:59:50
花さんのお母さんは今までのたくさんのエピソードを読んでも本当に素敵な方でした。
家族にも誰に対しても愛の深い方。
花さんはお母さんが大好きでしたね。

私も久しぶりに母のことを思い出しました。
私は一人っ子で母の愛情が重たかったです。
私に自我が芽生えるとともに母の愛情が重たくて母の望むとは反対の方ばかり行こうとしていました。
母が望んだ進路や結婚をしなかった私のことを母は心の底で「私を裏切った娘」と本気で思っていたようです。
それは母を最期の看病しているときわかりました。
随分そのことで苦しみましたから無理に「母は私を愛したというよりは自分の思うように生きられなかった人生を私に乗り移って生きたかったのだ」と思い込むようにしました、その方が楽になれたから。

でも花さんと同じようにネットで文章を書くことによってセルフカウンセリングできました。
子供が大きくなるにつれ、母はこんな気持ちで私のことを心配してくれたのだろうと母の愛情を信じることができました。
今は自分自身が年を取り昔の葛藤も時のかなたです。
母とこの世でいる時に解り合えなかったことが悲しいですが。

今日はどうしてか母のことを語りたくなり長々と書いてしまいました。
渚さんへ(断捨離) (花)
2017-01-04 10:49:06
渚さんへ
 おはようございます。
 親というのは、「立てば歩めの親心」というたとえがあるように、無事に生まれてくれればよいと思っていたのに、賢くなってほしい、一流大学に入れ、などきりもなく、子供に望みを託するものですね。
 子供は親に好かれたくて、自分の意志とは反対に、やりたくないものをやって、不愉快になる。
 自分自身に過度の期待をしたり、子供や伴侶、他人に過度の期待をかけると、ひずみがおこります。
 自分自身の期待にそえないと自信喪失につながり、他者に期待をし、むくわれないと、憎しみや怒りに変化します。
 条件をつけることなく、良くても悪くても、あるがままの自分を認め、また他人も同じように認めあうことが大切だと思います。
 わかっていても、親は子に望みを託してしまう。

  自分の心に縛りをかけてているもの(こうあらねばならない。べきだという考え方)を捨てる。それが本当の断捨離だと思います。
 渚さんが、自らの意志を貫いたのは、親不孝でもなんでもなく、自分の望む方向へ進んだだけです。
 もし、親の言うとおりに生きたとしたら、きっと深い後悔が残ったことでしょう。
 お母様は満足したかもしれませんが、子供の人生は親が決めることではなく、操り人形ではないのですから、渚さんの、してきたことは自分の道だったということです。
 子供は親に嫌われたくないので、引きずられますが、それは自分の意志でないことを親子で知ることが大切なことだと思います。
 
 私は母が大好きでした。でも重いこともありました。中学生の時、母に逆らって喧嘩して母を手でついたことがありました。
 母はよろよろと、よろけて倒れました。
 悲しそうな目で母は私を見て、「わかったわ。今日から好きにやりなさい」と言った日を忘れることができません。
 どんなに親を好きでも、子供は親の意志とは違う道を歩む日があるものですね。それが成長というものだからです。
 渚さんが、葛藤した月日は、渚さんを深い人にしたと思います。
 お母様からの贈り物ですね。
 苦悩することは、人の心の奥にあるものを育むものでもあると思います。
 人に相談することも大切ですが、内なる自分と向き合う時間も大切だと思います。
 それを文章としてあらわすことはセルフセラピーとなって、自らを深めていくことになるのだと思います。
 こうして、書いた事は、自己解決した現れです。
 過去の自分をフィードバックして、文章として確認する。
 セルフセラピーの完結です。
 
 
 
梅の香り (まめ)
2017-01-04 16:36:25
渚さんもお母さまとの確執がおありだったのですね。
私の母は、戒名に「梅香院」と付いています。
落ちぶれた家だけど、先祖がお寺に多大な功績があり、そのために院号をいただいています。
母は地域の小学生の落ちこぼれを救う塾をしていたので、亡くなったときは58歳でしたが、小学校の校長先生の許可があり、塾生と父兄全員が葬儀に来ていました。
こんな母を持って、私たち兄弟姉妹はやや歪な性格に育ったと思います。
私たちにとって、母は母ではなく、誇張して言えば、母が父で、母は居ないような感じでした。
母は後妻で(私には実の母)苦労をしていました。それで余計に、厳しく私たちを教育したのです。
地域の子供には母は梅の香りのようであった、と思っていました。
今では、厳しい寒さの中で咲いていた、私たちにも届くべき香りだった、愛情が無かったのではなくて届かなかったのだと分かります。
渚さんは繊細で優しい方のようだと感じていましたが、苦しみを抱え(乗り越え)ておられたのですね。
花さん、まめさん (渚)
2017-01-04 18:41:18
花さん、私のコメントに真摯な感想を書いてくださってありがとうございます。
私の心はもはや静かな凪の海のようですが、そのため母を思い出すことの少ないのは少し寂しいです。

まめさん、まめさんのお母さんも地域の子供たちに尽くした素晴らしい方だったのですね。
そんな素晴らしい方でも子供の立場からすれば寂しさやいろいろな思いがあるのですね。
TVドラマにあるような理想的な家庭と映ってもそこには問題ありの家庭にはない別の悩みがあったりして。。
どんな家庭に育っても同じなのですね。
なにかしらの葛藤はあるのです。

今では母や父の愛情を感じることができます。
ちゃんと育てててくれ学校へ行かせてくれたのですからそれだけで感謝しなければいけません。
食事を満足に与えられず、虐待され、あるいは挙句に殺されてしまった子供たちのことを思います。
そうでないならそれぞれの親は自分たちの価値観・性格・物理的条件の中で精いっぱいわが子を育てたのだと思いますね。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。