空飛ぶ税理士

サッカー、ゴルフ、グルメ、海外旅行などなど思いつくこと徒然なるままに…。

一年を振り返り

2010-12-31 00:22:58 | Weblog
今年は自分の人生の中でも決して忘れることの出来ない一年となった。
税理士としての師匠でもある父の逝去。
ここ数年、あと何年一緒に居られるであろうか、と常に不安に思っていたがついにその時は来た。
悲しむ暇も無く、やるべき事に追われ、それを粛々とこなす日々。
しかし、ふとした瞬間に失った存在の大きさに改めて気付かされる。
恐らくあと数年はこうした日々を送ることになるのであろう。
そんな日々ではあるが、随分自分は救ってもらった。
大切な仲間たちに…。
小中高の同級生、玉川学園の仲間、ライオンズクラブの仲間、関与先の方々、税理士の仲間、そして事務所のスタッフ、家族などなど…。
一人、一人に御礼を言って歩きたいがそれも出来ず、ただただ感謝するのみ。
一緒に笑ってくれる仲間もいる、苦言を呈してくれる仲間もいる、一緒に涙してくれる仲間もいる…。
感謝してもしきれない思いが胸を熱くする。
本当に「ありがとう…」。
時には消えてしまいたくなるような弱い心も仲間がいたから強がっていられたのかもしれない。
でも、父の葬儀の時、久しぶりに心の底から泣いた。
偉大な父を失った寂しさから泣いたのではない。
次から次へ弔問に訪れてくれた人々の顔を見ているうちに自分の感情を抑えることが出来なくなってしまったのだ。
人は生きているのではなく、生かされているということに改めて気付かされた。
だから、人は立ち止まらずに前へ進んでいけるのだろう。
父が鬼籍の人になってから、早6ヶ月を迎えようとしている。
3年前に父と一緒に設立した税理士法人であるが、止む無く今年一杯で法人を解散することに決心した。
というのも税理士法人というのは、常時2名以上の有資格者がいなければならないのである。
医療法人のように医師が1名でもいれば良い特別法人もあるが、税理士法人は法律上そうなっていない。
税理士法人は、死亡後6月以内に他の有資格者を社員として迎え入れなければ、自動的に消滅するのだ。
一緒に事務所をやっていけるようなガッツの有る良きパートナーをこの半年間探してきたが、その願い叶わず、平成22年もこうして終わろうとしている。
だが、今はむしろサッパリと清清しい気分だ。
税理士法人がなくなっても自分は何ら変わることはない。
やるべきことをしっかりやり遂げるのみ。
これからも大切な仲間に支えられながら前へ進んでいこう。
JUNCO&CHEEPの曲にもあるように、「前へ!前へ!!」である。
天国にいる両親もきっとこの決断には賛同し、見守っていてくれるに違いない。
やったるぞー!

本年最後のブログになると思うので、恒例により今年の5大ニュースを書き添えておこう。
2月 事務所を南18条西14丁目に移転する
6月 FIFAワールドカップ南アフリカ大会へ行く
7月 父の死
8月 玉川学園同窓会道央支部の支部長に就任する
12月 税理士法人有田事務所の解散を決める
このほか、息子を連れて学生時代に住んでいた下北沢を訪れたことも自分にとっては大きな出来事であった。

喪中につき年末年始のご挨拶は控えさせて頂きますが、皆様良い年をお迎え下さい。
来年は良いことがたくさん、たくさんありますように…。
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租税教室(中学校編)

2010-12-08 07:58:38 | Weblog
またまたご無沙汰のブログお許し下さい。
師走に入ると何もかもが本当に早い、早い。
やるべきことが山積されていて、毎朝夢にまで出てきてしまう。
最近のお気に入りはというと、頑張ってもがいている自分、アジア大会で金メダルを獲った福島選手の腹筋、そして子供達のけがれのない笑顔である。
子供達の笑顔というと、今年も租税教室の季節がやってきた。
今シーズンは、石山中学校と龍谷高校で授業を担当することになった。
印象深かったのは、最初に訪れた石山中学校…。
小学生は一般的にノリが良いことは分かっているが、果たして中学生はどうなのか、不安で一杯になる。
今回は南アフリカで購入してきたブブゼラを持って行くことにした。
授業の最初から「ブ〜ブ〜!」と吹き鳴らし、生徒達を驚かせる。
「みんな、これ何か知ってるかなー?」と質問すると、「ブブゼラだー!」と方々から声が上がった。
これでつかみはオッケー。
このブブゼラを南アフリカで買った時、14%も消費税のようなものがかかったんだよー、というところから授業はスタートした。
授業の内容は、いつものように税金の種類、税金の使われ方、税金の必要性、税理士の仕事などを説明。
そして、授業が少し早く終了したので、残りの時間を質問タイムにした。
何か質問ある人?と聞くと、数人の生徒が「ハイッ!」と元気良く挙手してくれた。
最初の男子生徒の質問は、「税理士の年収はどれくらいですか?」というドキリとするもの。
まさか正直に答えることもできないので、こう答えた。
「南アフリカに行けるくらいかなー。」
すると、おぉぉぉ!と盛り上がる。
次の生徒は、「税理士になって一番良かったことは何ですか?」という可愛いらしい質問だ。
それには、咄嗟にこう答えた。
「そうですねー。税理士になって一番良かったことは、今日石山中に来れて皆さんに会えたことですね。」
すると、教室中に笑顔の花が咲き、おぉぉぉ!とまた盛り上がった。
こういう生徒との生の触れ合いこそが、租税教室の真の魅力であろう。
あっと言う間に授業も終わってしまい、後日担当の先生から小生の事務所にファックスが届いた。
そのファックスは、生徒達が書いてくれた租税教室の感想文や意見であった。
この内容が面白いので、一部原文を紹介させていただこう。
「税理士の仕事はとても良い仕事だなと思いました。ぼくもなってみたいなと思いました。
今度、会った時には正確な給料教えて下さい。
あと、給料があり余った時には、ぼくに高級焼肉をおごって下さい。」
この文章は、授業で一番最初に質問してくれた男子生徒からのものであろう。
給料があり余らなくても高級焼肉くらいは彼にご馳走してあげたいのだが、個人情報というものがあり彼の連絡先を知るよしも無い。
もし、街で見かけてくれたら気軽に声を掛けてもらいたい。
最後に生徒諸君に一言。
君たちは日本の宝だ!正しい納税意識を持って、立派な社会人になってくれ!

余談ではあるが、今日12月8日は小生の46歳の誕生日…。
この歳になると正直誕生日はあまり嬉しくはない。
でも、自分を産んで育ててくれた母と父に改めて感謝である。
「お母さん、お父さん、本当にありがとう。」
46歳になっても「ちょい悪おやじ」エネルギッシュに頑張ります!

画像、北海道税理士会の目の前にある龍谷高校での授業の一コマ。体育館に3年生約300人を集めての授業なので、いささか緊張気味。高校生には、もっと日本の財政のことや税制のことを考えて欲しいと訴えた。
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念願の靖国参拝

2010-11-08 01:15:18 | 国内旅行
今年の7月から母校である玉川学園の同窓会北海道道央支部の支部長という重職を拝命し、初めての会務のため東京へ。

6日土曜日は、70年と90年卒業の同窓生が集うホームカミングデーであったため90年卒業の小生も学食で行われたパーティーに出席。
卒業して20年ぶりに会う友人達はどんな変貌を遂げているであろうか、などと色々な想いを胸に出席してみたが、残念なことに知っている旧友に会えたのは一人のみ…。
我々の年代は働き盛りだから忙しく出席できないという事も理解できるが、いささか寂しい気持ちになった。

その夜は小田急相模原駅近くに住む友人らと久しぶりに酒を酌み交わし、昼の寂しい気持ちを払拭した。
友人が予約しておいてくれた先は、『信玄』という名の串揚げのお店。
地元で有名な美味しいお店らしい。
その串揚げ料理はコースになっており、腹がきつくなりストップ!と宣言するまでオートマチックに次から次へと供されるシステムになっている。
この日の串揚げの種は、全部で28種類用意されており、全種類を胃袋に収めるとお店の大将から記念の大きな煎餅がもらえるらしい。
タルタルソースのかかった海老から始まり、ハマグリ、牡蠣、蟹ミソ、穴子と変わり種の串揚げが続き、最後の28番目は何と子持ち昆布であった。
ベルトを緩めながら何とか最後まで完食!
帰り際には、立派な煎餅が大将から手渡された。

楽しい時というものは、一瞬で過ぎ去るもので、またの再開を約束。
次は、12月7、8日に高円寺で行われる「Junco & Cheep」の東京進出ライブに一緒に行くことになった。
暫しの別れ、友よ元気で!
さて、日曜日に玉川学園で行われた同窓会の全国支部長会には、全国から51名の支部長が集まり、今後の同窓会の在り方、魅力ある同窓会にするためにはどうしたら良いのか等、真剣な意見が出された。

小生も自分の支部をどのような支部にしたらよいのか、頭を悩ますところだ。
ただ、はっきりしている事は、自分が楽しめない同窓会であれば、他の人も絶対に楽しくないということ。
全国最年少支部長としてプレッシャーは感じているが、風通しの良い、老若男女が楽しめる支部作りをしていくつもりである。
そのためには、先ずは一度でも良いから同窓会に参加していただく事に尽きる。
道央支部の皆様、若輩者の支部長ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
全国支部長会が思いのほか早く終了したので、以前からの念願であった靖国神社参拝へ。
大原簿記学校勤務時代に桜を観に靖国神社の境内を歩いたことはあったが、恥ずべきことに本殿への参拝は初めてのこと。
日曜日ということもあり、多くの人々が参拝していた。
参拝の後は、貴重な資料などが展示されている「遊就館」へ足を運んだ。
1階には零戦や機関車などが展示されており無料で見学することができるが、2階の展示室へは、800円(大人)が必要。
2階の展示室は、中世の甲冑、刀剣などから始まり、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦の資料へと続く。
圧巻なのは、第二次世界大戦で日本のために命を落とした方の写真が所狭しと壁に並べられているところである。
そして、数多くの遺品とともに家族へ残した遺書が展示されていた。
父上、母上様の言葉から始まる遺書、生まれたばかりの子供を残し前線に向う兵士の遺書などを読むと、人目をはばからず涙が頬をつたった。
声をあげて泣いている若いカップルの女性もいた。
生まれる時代が違っていたら小生も前線に赴いていたに違いない、そう思うと他人事とは思えないものがあった。
平和ボケした日本、危機管理のなっていない政府、近隣諸国との領土問題ですら弱腰だ。
そもそも尖閣諸島も北方四島も日本固有の領土であり、北方四島は不当にロシアに占拠されているに過ぎない。
お国のために命を落としていった先人達のためにも毅然とした態度、そして行動が今こそ必要である。
そのためには日本国憲法改正も視野に入れる必要があるのかもしれない。

画像(1)、念願の靖国神社参拝を果たした。中国語を話す4人組の男性も遊就館を訪れていた。日中関係が緊迫する中、どんな気持ちで靖国を訪れたのか…。
画像(2)、母校玉川大学のキャンパス。この日はコスモス祭という学園祭も開催されており、学生達が楽しそうに盛り上がっていた。可愛い女子学生が多く驚いた(昔も可愛いコはいましたよ!)。
画像(3)、ホームカミングパーティーが行われた学食「りんどう食堂(旧塾食)」の現在のメニュー。ラーメン320円、カレーライス340円とリーズナブル!ここの生姜焼きが好きだった記憶がある。
画像(4)、串揚げ屋『信玄』にて同窓生のA君とS君と。煎餅には「売上御協力ありがとうございます」と書かれている。煎餅は、お土産として息子にあげた。
画像(5)、先輩支部長達とっても親切にしていただき、ありがとうございました。道南、道北、道東各支部とも連携し、北海道を盛り上げていきましょう。そして、優秀な人材を母校玉川学園へ送り込みましょう!
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公開研究討論会 in 京都

2010-11-01 01:11:13 | 国内旅行
これもちょっと前にさかのぼるが、初秋の京都へ足を運んできた。
10月15日に開催された第38回日税連公開研究討論会に参加するためだ。
北海道税理士会の研究発表特別委員に指名され、初めての参加。
会場は、蹴上駅近くに建つ「ウェスティン都ホテル京都」。
このホテルは小生にとっての思い出の宿。
信心深かった祖母に連れられ毎年のように訪れた京都、その時の宿が前身の「都ホテル」であった。
ノスタルジックな思い出に包まれる。
歳を重ねるにつれ過去の思い出ばかりが多くなる訳だから、これからの人生もこうして度々ノスタルジックな感情にさせられるのであろう。
ホテルにチェックインし、窓のカーテンを開けるとそこからは平安神宮の鳥居や南禅寺の三門が目に飛び込んできた。
懐かしい…。
そういえば、南禅寺には父親と一緒に訪れた記憶がある、小学校高学年の頃だったろうか…。
そこから銀閣寺まで「哲学の道」を二人でてくてく歩いたっけ、などとまたしても思い出に耽ったのであった。
今回の公開研究討論会は、北陸税理士会と近畿税理士会の共催で、発表もその地区の委員の税理士が行った。
北陸会は「損失関連税制の検討−税理士の視点から問題点を探る−」というテーマ、近畿会は「所得控除と税額控除の役割」というテーマで発表が行われた。
どちらの発表も実務的で非常に興味深い内容であった。
近畿会の研究発表委員の中には、小生が大原簿記学校東京校で働いていた時の後輩講師がおり、はらはらしながら発言を見守っていたが、バッチリ決めてくれた。
この公開研究討論会は毎年持ち回りで開催され、来年は仙台市で北海道会と東北会の共催で行われることになっている。
果たして小生もきっちり自分の役割を遂行できるか、今からとても不安である。
討論会の後は、会場を移動しての懇親会。
舞妓はんの舞踊を満喫しながら、旧知の先生と交流を深めた。

お酒もどんどん進んだが、翌朝は久しぶりに辛い朝を迎えることに…。
ベッドとトイレの往復…これは酷い。
これから北海道から同行している先生達と観光タクシーをチャーターして寺院巡りをするというのに。
朝食を何とか胃袋に収め、やっと立ち直った。
そして、予約していた観光タクシーに乗り込む。
予め特別公開をしている寺院に絞って予定を組んでいた。
まず向った先が「大徳寺」、京都でも有数の規模を誇る禅寺である。
数多く存在する大徳寺の塔頭(たっちゅう)は、通常ほとんど公開されていないが、幸運なことに今回は「黄梅院」と「総見院」を見学することができた。

豊臣秀吉が建立したという「黄梅院」の見事な枯山水、同じく秀吉が織田信長の一周忌に建立したという「総見院」に安置されている等身大の信長坐像、ともに見ごたえ十分であった。
それにしても京都の観光タクシーの運転手さんの知識には驚かされる、彼らはただ者ではない。
本能寺の変で信長が明智光秀に殺されたと言われているが、実は最後に息の根を止めたのは秀吉なんですよ、などなどとても興味深い話を聞くことができた。
この木製の織田信長像も死後2体彫られ、信長の遺骸が見付からなかったため、秀吉は変わりに1体だけを荼毘に付したそうだ。
その時その信長像が白檀で作られていたため、京の街中に白檀の良い香りが流れたと聞いた。
次に向った先が、足利義満が建立したという「相国寺」、同志社大学の隣に位置する禅寺である。
この「相国寺」も普段は一般公開はさせておらず今回は特別公開。
本堂の天井にある見事な龍の絵は狩野光信の手によるもので、特定の場所で手を打つと「ビビビ…」と反響するため「鳴き龍」と呼ばれている。
実際にそこで手を叩いてみたが、本当に不思議な反響音がした、全くもって不思議である。
同志社大学がこの寺に隣接しているが、その敷地は「相国寺」所有のものであり、同志社は土地を借りて運営しているという裏話もタクシーの運転手さんから聞いた。
最後は、「わらじや」という鰻の雑炊で有名なお店を紹介してもらいタクシーを降りた。
風情のある日本家屋の二階の座敷に案内されたが、面白いことにこの店にはメニューがない。
「うぞうすい」のみ、6千1百円のコース一本!
最初に抹茶と小さな菓子が出され、前菜、うなべ、うぞうすい、デザートと続く。
味付けはどれも京都らしくなんとも上品な味わいであった。
うなべは、鰻を開かずにブツ切りにし中骨を抜いた状態で出される。
一瞬、グロテスクに思えたが、食べてみると、川魚特有の臭みもなく絶妙な味わいだ。

うぞうすいは、白焼きの鰻がグツグツの雑炊の上に乗って供され、二日酔いの身体には最高であった。

今回の京都は、北海道税理士会の会務として訪れたが、次回は是非息子を連れて京都を探索したいと思う小生なのであった。
これからの京都は、紅葉のベストシーズンを迎える。

画像(1)、ウェスティン都ホテル京都で開催された第38回公開研究討論会の様子。白熱した質疑応答が繰り広げられた。今回は1200名の税理士が全国から参加した。
画像(2)、舞妓はんとの一枚。どうしても顔がにやけてしまうのは何故だろう。いつかお座敷でパーッとやりたいものだ。
画像(3)、織田信長の木造坐像が安置されている総見院の本堂。昔はもっと立派だったそうだが、現在の本堂は大正年間に建立されたもの。信長の戒名「総見院殿」から寺の名前を付けている。
画像(4)、「わらじや」のうなべ。ブツ切りの鰻と焼いた九条葱との相性もバッチリ。お好みで山椒を振りかけて食べる。
画像(5)、鉄鍋の中でぐつぐつ。名物のうぞうすい。このメニュー一本というところが、気に入った!「わらじや」という店名は、この地で豊臣秀吉が草鞋をぬいで休まれたことに由来しているらしい。京都の歴史おそるべし!
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よし、メッシを見に行こう!

2010-10-24 17:18:08 | サッカー
またしてもすっかりご無沙汰のブログ更新である。
気が付けば、10月になって初めてのブログか…。
最近は本当に時が経つのが早く感じてしまう。
仕事が忙しすぎるのか、それとも歳なのか、はたまた怠け者なのか…。
まずは、何といっても今月の話題はサッカー日本代表ザッケローニ新監督の船出であろう。
息子がどうしてもアルゼンチン代表のメッシが見たいというので、学校を休ませて埼玉スタジアムに連れて行くことにした。
木曜日の昼休み学校へ迎えに行き、そのまま新千歳空港へ車を走らせる。
そして、車の中で制服を着替えさせた。
東京羽田空港へは、生まれてはじめてエア・ドゥ(北海道国際航空)の機材を利用。
全日空とのコードシェア便なので、ANAのマイルを貯めることができた。
機内シートのヘッドレストには、「白い恋人」の文字…いかにも道民の翼っぽくて良い。

東京での宿泊先は西新宿にあるヒルトン東京、元々は小生一人で予約していたが、小学生の添い寝は無料とのことだ。
翌日の金曜日、夜のアルゼンチン戦まで時間があるので、小生が学生時代に住んでいた街・下北沢へ息子を初めて連れて行くことにした。
最初はそんなとことろに行きたくない!銀座の博品館(おもちゃ屋)に行きたい!と言っていた息子であったが、小田急線の下北沢駅を降りてからは色々なものに興味津々であった。
南口商店街を歩き、当時のことを色々思い起こした。
あー、この居酒屋でよくコンパしたっけなーとか、ここで見知らぬサラリーマンと喧嘩したっけ、などなど。
当時から残っているお店は、1割にも満たないほど。
いかに商売を継続していくことが難しいかということをしみじみ思い知らされた。
南口から小田急線の線路を渡り北口商店街へ歩を進める。
「えー、まだ歩くのー。」と言う息子をなだめ、小生が住んでいたおんぼろアパートへ連れて行った。
内心、まだあるのかな、と不安ではあったが、あった、あった、ありました!

かつての城、「綾部ハイツ」1号室。
ドアに自分で貼り付けた「101」というプラスチックのプレートも当時のまま。
ふざけて付けた「社長室」というプレートは剥がされていた。
「この部屋に昔パパは住んでいたんだよー。高級でしょ。」と言うと、息子は苦笑いしていた。
19歳から28歳までを過ごした所に今、自分の分身である息子と二人で佇んでいる…。
自分の生きざまの片鱗をわずかでも息子に見せることが出来て感無量であった。
お腹が空いたからご飯でも食べようかということになり、当時足しげく通った「中華そば一龍」の暖簾を約18年振りにくぐった。

「いらっしゃいませー。」という懐かしいママさんの声。
カウンターの中ほどに息子と座った。
「チャーシューメン2つ下さい。」
すると、ママさん「あれ?なんか見たことある!」と小生の顔をまじまじと見つめる。
またどこぞの芸能人にでも間違われたのかと思ったが、「ママ、ボクのこと覚えてる?昔下北に住んでたんだけど。」と言うと、「やっぱり!昔よく来てくれたよねー。覚えてるよ!」と答えてくれた。
感動…。
下北沢の街は随分変わってしまったけど、まだ自分のことを覚えていてくれる人がいるのか…。
ちょっぴり熱いものが込み上げてきたけど、息子に見られると恥ずかしいので我慢。
今どこに住んでいるかとか、仕事は何をしているかとか、他愛もない会話は続いた。
そして、思い出のチャーシューメンが小生と息子の前に!

うん、うん、やっぱりウマい!スープもチャーシューの味付けも昔のままだ。
息子も熱心にフーフー言いながら食べている。
また必ず来るね!と言って思い出の店を後にしたのであった。
息子も自分の父親が学生時代に住んでいたおんぼろアパートとよく通っていたラーメン屋に行けてきっと心に何か感じてくれたはずだ。
サッカーの話がメインではなくなってしまったが、埼玉スタジアム2002に到着した頃にはどっぷりと日が落ち、まるで巨大な宇宙船のようにスタジアムがライトアップされていた。

息子には小学校に入学してから札幌ドームでしかサッカーを見せたことがなかったので、大観衆で埋まったサッカー専用スタジアムにいささか興奮しているようであった。
生で憧れのメッシのドリブルも見られ、親善試合とはいえ日本代表の勝利にも酔い、きっとサッカーがもっと好きになってくれたに違いない。
やっぱり本物は生で見なければ…百聞は一見にしかずなのである。
4年後のFIFAワールドカップ・ブラジル大会への第一歩を日本代表と共に息子と踏み出したそんな一夜であった。

画像(1)、アルベルト・ザッケローニ監督の写真がスタジアムに映し出されると選手よりも大きな歓声が!岡田ジャパンの跡を継いだばかりだが、アルゼンチン代表相手に勝利し最高の船出となった。が…これから先がどうなることか。お手並み拝見である。
画像(2)、エア・ドゥの機内。道民でありながら一度も搭乗したことがなかったことを反省しつつ。機内のスープは、コンソメではなく道内産のオニオンスープでした。
画像(3)、「おんぼろアパート」と敬意と愛着を込めて書いたが、まだまだ現役物件でいけそうだね。がんばれ、綾部ハイツ!あと10年現役を続ければ息子も住むことになるかもしれないね。
画像(4)、小田急線の北口を出て右へ進み、つきあたりを左折した所にある名店「中華そば一龍」。下北沢出身のタレント小池栄子さんもよく来るという。
画像(5)、チャーシューの多さにびっくり。でもこれはサービスしてくれたのではありません。誰が註文してもこのように盛り付けされて出てきます。本当にウマいんだなーこれが。いかん、ヨダレ出てきた。
画像(6)、「埼玉スタジアム2002」の前で。息子が生まれた翌年、日韓大会の時にできたから埼スタは9歳になるのか。月日の経つのは本当に早いとまたも実感。しかし、このスタジアム利便性悪過ぎ…駅がもうちょい近ければなー。
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秋の気配漂うニセコ

2010-09-14 11:58:58 | 国内旅行
先週末は、久しぶりにニセコの別荘へ足を運んだ。
秋晴れの中、小樽から赤井川村を通るメイプル街道(国道393号線)のドライビングは快適だ。
(紅葉の季節はもっと素晴らしいが…。)
この季節の北海道は、暑すぎず寒すぎず丁度良い。
父が建てたニセコの別荘を相続したのはいいが、建設してから既に10年程が経過し、メンテナンスをしなければならない状況だ。
ウッドデッキの柱は雨水がしみ込み木材が腐ったところに、アリが巣を作り、ボロボロの状態。
このウッドデッキは建て替えを要するであろう。
ログの丸太にも亀裂が入り、そのままにしておくとやはり雨水が浸入し内部から腐ってくるそうである。
その他、屋根の塗り替え、壁の塗り替えなど相当の支出が見込まれる。
一月か二月に一度しか行かない別荘にこれだけの費用をかけてメンテナンスをする必要があるのか悩んでしまう。
いっその事、この別荘を売却してしまおうなどと考えることもあるのだが、父が生前に「俺が死んでも、ニセコの別荘だけは売らんでくれな。」と言っていた言葉を思い出す。
所有しているだけで、光熱費や固定資産税、除雪費などがかかるが、無理をしてでも父の大好きだったニセコの家だけは守らなければならないのかもしれない。
ニセコの魅力は何と言ってもその自然、景色の美しさ、食べ物の美味しさにある。
夏は涼しく、冬の寒さと雪の量は半端ではないが、夏には虫捕りをしたり、釣りをしたり、冬には雪遊びをしたり、スキーをしたり、子供にとっては楽園なのかもしれない。
ニセコの別荘どうするかなーと家で一人呟いていると、息子が走り寄って来て耳元でこう囁いた。
「パパ、ニセコだけは絶対に売らないでね。僕、ニセコ大好きだから!」と。
やはり、何としても維持して行かなくてはならない、と改めて決心した小生なのである。
ニセコに行くと毎回同じような行動をとるのであるが、まずニセコ到着後、手打ちそばの「いちむら」で昼食。

オーダーもほぼ同じ、小生は鴨せいろ、息子は天せいろ。
この季節は、新そばなので特に香りが良かった。
土日は、行列ができ、店内はごった返しているのに、いつも御主人がわざわざ厨房から出てきて小生に挨拶をして下さる。
忙しいのに本当に恐縮であるが、御主人のおもてなしの心に頭が下がる。
昼食の後は、別荘の周りで虫を捕ったり、キノコを探したりする。
9月も中旬になってくると、落葉キノコという美味しいキノコがカラマツの下などに生えてくるのであるが、今年は異常気象のせいかキノコの姿は全く見られなかった。
この落葉キノコは、味噌汁の具に入れると最高に美味しい。
小生が味噌汁の具の中で一番好きなのが、この落葉キノコなのである。
そして、夕方くらいに日帰り温泉に足を運ぶ。
ほとんどが、ニセコひらふ温泉「ぽぽろの湯」である。
施設もまだ新しいし、風呂からは羊蹄山が見渡せ、おまけにサウナも付いているので言うことなし。
ただ、最近は大学のテニスサークルと思われる若者がどっと押し寄せるので、あずましくない(北海道弁、「落ち着かない」の意)。
温泉の後は、これまた小生のブログでお馴染みの「ペンションYOUYOU]で夕食。
御夫婦二人だけで経営しているので、宿泊者が多い時は入れないこともある。
ここでのオーダーも毎回決まっていて、オニオングラタンスープとビーフシチュー。

先日、道南の某有名洋食店で同じメニューを注文したが、明らかに「ペンションYOUYOU」の方が美味。
息子が、「世界で一番美味しいレストラン」と名付けたのも頷ける。
ここの御夫婦もいつも温かく迎えてくれ、山で採った竹の子やキノコをくれたり、山葡萄で作ったワインなどをお裾分けしてくれる。
サンダル履きに短パンで行ける肩肘の張らない、とてもリラックスのできるお店なのである。
酔っぱらって記憶がないままグッスリ寝た次の日は、「高橋牧場ミルク工房」へアイスクリームを食べに行ったり、パークゴルフをしたり。
今回は、泉郷の施設にある釣り堀へ行ってみた。
竿一本一時間1,500円(宿泊者は1,000円)。
清流が流れ込む池の中には、ニジマスがほぼ自然の状態で泳いでいる。
係の人に聞いてみると、春先にニジマスを放流してから一度も餌をあげていないとのこと。
それだけニセコの自然は豊だということの証明かもしれない。
餌は練り餌を渡されたが、魚たちは釣り上げられる事を知っているのか、ちっとも針にかからず、餌だけが無くなってしまう。
親切な係の人は、何かの虫の幼虫を捕ってきてくれて、「これを針に付けてごらん。」と言ってくれた。
その幼虫を付けて池に投げ込んだ瞬間、大物をゲット!

いとも簡単に釣り上げることができた。
もちろんこのニジマスはキャッチアンドリリース。
息子は家に持ち帰ってニジマスを飼育したいと言うが、冷水を好むニジマスを家で飼育することは難しいであろう。
こんな風にしてニセコでの束の間の休日を過ごしているのである。
息子が大人になった時にニセコでの楽しかった思い出が、少しでも息子の記憶に残っていることを祈って…。



画像(1)、秋の気配漂うニセコ。高橋牧場から羊蹄山を望む。カボチャが至る所に置かれハロウィンが近いことを想像させる。小生も自宅のハロウィン用にカボチャを数個ゲット。
画像(2)、手打ちそばの「いちむら」。お店の前の駐車場はいつも車がいっぱいだ。土日なら昼食時の混雑時を避けて食べに行った方が良いかもしれない。ビールのつまみに鴨焼きもおすすめ。
画像(3)、「YOUYOU」のビーフシチュー。よく街のレストランで見かけられるスパゲティと一緒に煮込んであるビーフシチューではない。やわらかい部位と歯ごたえのある部位が両方堪能できる。付け合わせのニセコ産の野菜も美味しい。
画像(4)、昆虫の幼虫を餌に釣り上げたニジマス。ちなみに持ち帰るなら1匹500円。バーベキューの食材用に持ち帰る人も多いらしい。
画像(おまけ)、メイプル街道の赤井川から小樽に向かう峠の途中にあるトンデンファーム「ホピの丘」で飼育されているダチョウの「だちお君」。100円で餌のニンジンを買うことができる。ダチョウの他にもウマ、ヤギ、ブタ、ウサギなどの動物が飼育され、ちょっとしたミニ動物園気分を味わうことができる。ちなみにブタの名前は「とんちゃん」でした。入場無料です!
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残暑の函館探訪

2010-09-09 16:41:08 | 国内旅行
9月に入って最初のブログ更新。
どうも最近筆不精になっているような気が…。
それにしても今年の北海道は、完全におかしい、どさんこには暑すぎる。
2日前あたりからようやく涼しくなってきているが、残暑はまだ続く見込みだ。
そんな残暑厳しい中、函館に小旅行に出た。
大学の後輩達と十数年前に函館を訪れて以来の函館観光である。
札幌の自宅を朝9時前に出発し、道央自動車道をひたすら南下。
函館まではまだ高速道路がつながっておらず、八雲の先の落部インターチェンジで一般道に降りた。
高速道路料金の見直しに伴い通行料は、わずか1千円。
ここからは、雄大な駒ケ岳と青い海を眺めながらのドライビングとなる。

帆立で有名な噴火湾(内浦湾)の先には、遥か日高、襟裳の山並みも見える。
そして、札幌を出発してから4時間ほどで函館に無事到着。
走行距離は320キロちょっと、東京から新潟に走るような感覚だ。
函館では超有名な「ラッキーピエロ」というレストランで人気ナンバー1だというチャイニーズチキンバーガー(350円)を頬張り、最初に向かった先は五稜郭公園。
2006年に完成した新しい五稜郭タワーに上ってみる、料金は大人840円。

ここからの眺望は素晴らしく、真下に五稜郭、そして函館山、遠くには青森県の下北半島と津軽半島も目にすることが出来た。
展望エレベーター利用料金840円の価値は十分にあった。
一階の売店で、「誠」という一文字が入った水色のタペストリーを購入(1,050円)。
これは、ファイターズファンなら誰もが知っている土方歳三似の金子誠選手応援グッズだ。
試合観戦の時にはドームに持って行こうと息子と盛り上がった。
五稜郭公園を後にし、次は金森倉庫や函館山の方をドライブ。
ニュースでも話題になった(北海道限定かも知れないが)「二十間坂の自由の女神像」が置いてあった場所にも行ってみたが、現在は女神像の跡にパイプ椅子が三脚並べられているのみ。

ここに座って記念写真でもどうぞということであろう。
景観に相応しくないという理由で女神像は、所有者である水産会社の屋上に撤去されたが、話題作りとしては成功したに違いない。
函館限定のビールで喉を潤し、今夜の宿である「ラビスタ函館ベイ」へチェックイン。

当日の朝にネットで慌てて予約したが、部屋は広く窓からは函館山と金森倉庫群が見下ろせる絶好のシチュエーションだ。
世界三大夜景の一つとして名高い函館山に登る前に、金森倉庫の中のショップをぶらぶらと見学。
水産加工品やお土産屋が所狭しと並んでいる中に「函館浪漫館」という天然石のグッズを取り扱うショップを発見。
そして、ゴールデンタイガーアイ(金虎目石)というパワーストーンの説明書きに目が釘付けになる。

それには、「仕事で頑張る自分には物事を成功に導く!金運をたぐり寄せる力は圧倒的」と書かれていた。
これは、正に自分のためにあるパワーストーンではないか!ということで即購入を決断(8千円ちょっと)。
さて、次は今回の旅の最大の目的である函館山へ向かう。
この時期は、自家用車での通行が禁止されているので、ロープウェーか観光バスかタクシーを利用するしか函館山に登る方法はない。
息子がロープウェーに乗りたいということで、チケットを購入(往復大人1,160円)。
こんなに晴れる日も珍しく夕陽もオススメですよとホテルのスタッフが言っていたので、日没前の18時過ぎに山頂へ着くようにロープウェーに乗った。
驚いたのはその眺望の素晴らしさだけではない、カメラを手に持つ人、人、人…。

日没前だというのに展望台は二重三重に人の列が出来ていた…サスガ世界三大夜景。
山の頂は風が強く、昼の猛暑と打って変わり肌寒かったが、思う存分夜景を満喫し、ホテルへ帰った。
このホテルの屋上にある風呂がまた良かった。
天然温泉の露天風呂からは函館の街が一望でき、函館山山頂の展望台を見上げるとカメラのフラッシュがパチパチと瞬いていた。
息子と二人でたっぷり1時間半温泉を満喫。
風呂上がりには、無料のアイスキャンディーまで用意され、至れり尽くせり。
翌朝の朝食は、バイキングであったが、何と朝からご飯が見えない程イクラをぶっかけて「いただきまーす!」。

帰りは、函館駅前の朝市に寄って市場内を散策。
活イカ釣り掘なる珍しいものを発見し、早速息子がチャレンジ。
1千5百円を支払うと短い釣り竿を手渡される。
この竿の先端にはイカを引っ掛ける針が付いており、この引っ掛け針を泳いでいるイカの耳にフックするのだ。
子供でも簡単に釣り上げられ、イカを水から上げると勢いよく水を噴射していた。
時にはイカが黒い墨を吐くそうなので、白い洋服はちょっと危険かもしれない。

釣り上げたイカは、その場で刺身にさばいてくれ、新鮮なゴロと一緒にいただく。
コリコリとした触感とイカの甘さが口の中いっぱいに広がっていく…至福の時。
北海道にはこんな素晴らしい観光地と食材があったのか!と改めて実感した小旅行であった。

画像(1)、夕暮れ時の函館。香港の夜景のように高層ビルは存在しないが、函館の夜景の魅力は何と言ってもこの砂時計のような地形。まさに絶景かな絶景かな。
画像(2)、駒ケ岳を左手に見ながら海岸線を走る。気持ちの良いドライビングコースである。スピードの出し過ぎに注意!
画像(3)、五稜郭タワーから下を覗くと五角形の五稜郭が見える。ここで旧幕府軍と新政府軍との激しい箱館戦争があったとは思えぬほど…。お堀では手漕ぎボートに乗ることもできます。
画像(4)、二十間坂の女神像が建立されていた現場。函館市から撤去命令が出るなどもめていたが、先日無事に決着。二十間坂の上から港を見下ろすと気持ちが良い。CMのロケ地としても度々テレビに登場している有名な坂である。
画像(5)、オリジナル地ビール「函館赤レンガビール」を飲む筆者ジョニー。中ジョッキは、870円とちょっと高め。この他、「函館開拓使ビール」というピルスナータイプの地ビールもある。こちらは890円。
画像(6)、財産を増やす石と言われている「ゴールデンタイガーアイ」のブレスレット。これで財産が増えれば言うことなし!「成功間違いなし」という自己暗示も時には大切である。
画像(7)、見よ、この人、人、人。台湾や韓国などからの観光客もいと多し。
画像(8)、朝からこのイクラ丼を2杯平らげた。体重増加のことなど考えてはいられない。後ろに映っている泡と瓶は…!?
画像(9)、活イカ釣り堀。毎朝活きの良いイカが運ばれてくるとご主人が言っていた。お造りになった後でも暫くイカの足はウネウネと動いている。イカの足の吸盤に指を吸いつかせて子供は喜んでおりましたです、ハイ。
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ワールドカップ・トロフィー作成

2010-08-24 08:35:18 | Weblog
時の経つのは本当に早いものだ。
ブログも更新すると公表しておいて、この有り様だ。
今日、8月24日は、亡き父の本当の四十九日にあたる。
小生は、日々の仕事に追われているが、息子はといえば、ようやく夏休みが終わって2学期が始まったばかり。
小学生がいる家にとって、夏休み最大の懸案事項が「自由研究」であろう。
手先が器用だった小生は、割り箸を再利用しサンフランシスコの金門橋を製作し先生に褒めてもらった記憶があるが、息子の宿題なのでそうもいかない。
夏休みも残り少なくなったにもかかわらず、いっこうに何を研究したら良いのか分からず悩んでいた息子にアドバイス。
よし、今年はワールドカップ・イヤーだったことだし、ワールドカップ・トロフィーはどうかな?
本物は純金でできているそうだが、紙粘土でリアルに作ろう。
「それ、いいねー。」
早速、息子と二人でジャスコに紙粘土と絵具と筆を買いに車を飛ばす。
できるだけリアルに作ろうということになり、金色の絵の具で塗ることにした。
まずは、トロフィーの高さとデザインを調べる。
高さは36センチ、ゴールを決め両手を挙げて歓喜している選手が二人で地球を持ちあげているお馴染みのデザインである。
トロフィーを全部紙粘土で作ろうと思ったが、そうすると紙粘土を大量に消費してしまうので、芯になるものを入れることにした。
何か良いものがないか家の中を捜査した結果、「森伊蔵」(720ml)の空瓶を発見。
その瓶を逆さまにして、それに紙粘土で肉付けすることにした。
その前にトロフィーの重さもリアルにしようということになり、空瓶に金魚鉢に入れていた小砂利を詰めてみた。
すると、ずっしりと重くなる。
手を真っ白にしながら懸命に息子が空瓶に紙粘土を貼り付けていく。
トロフィーの土台から上部に向けてだんだんと形がそれらしくなってくる。
一番の難関は、地球を持ちあげている二人の選手の顔の部分の作成である。
小さな手で一生懸命、髪や目や鼻を造形していく…結構な集中力だ。
この集中力で勉強もしっかりやってくれたらなーと、つい余計な事を考えてしまう。
地球の部分を球体にしてほぼトロフィーの完成。

後は一日乾燥させ、金色の絵の具を全体に塗っていく作業が待っている。
絵の具のチューブを2本使い切り、全体を金にした。
そうすると何だか本物のトロフィーに思えてくるから何とも不思議である。
最後にトロフィーの土台にあたる部分に2本、グリーンのラインを入れて完成!
息子と4年後のワールドカップ・ブラジル大会にこれを持って行こうと大いに盛り上がった。
その時は息子も中学1年生になっているのか、もう大人だな、何だか寂しいな、などと妄想にふける。
ブラジルは日本にとっては、地球の裏側の国だから、渡航費用も馬鹿になるまい、頑張って稼がなくては!と現実に引き戻された小生なのであった。
トロフィーの製作だけでは研究にならないので、ワールドカップ・トロフィーの歴史や、過去のワールドカップ優勝国などを調べた。
ブラジルが最多の5回、ついでイタリアが4回、南アフリカ大会を制したスペインは初優勝…などなど息子がメモを取る。
学校に行って発表するのが待ち遠しいという感じであった。
どのように学校で評価されるのかは分からないが、息子と小生にとっては思い出に残る最高の「自由研究」になったことは間違いない。
2014年のブラジル大会まで大切に保管することにしよう。

画像(1)、完成したワールドカップ・トロフィー。絵の具が乾いたところで、ニスを塗り色を固定した。実際のトロフィーは、重さ11ポンド(6970グラム)もある。イタリアの彫刻家シルビオ・ガザニガが作成した。学校から戻ってきたら、暫くは事務所の玄関に飾っておく予定。
画像(2)、色を塗る前のトロフィー。なかなか様になってきたぞ!
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四十九日を終えて

2010-08-12 12:28:28 | Weblog
忘れられない七夕となったあの日から既に一か月以上が過ぎ去った。
葬儀告別式には本当に多くのご参列を賜り喪主として心から御礼を申し上げたい。
気持ちの整理はついたつもりでいても、父の残した手書きのメモなどを見付ける度に胸が痛む。
まだ事務所で一緒に働いているような錯覚すらしている。
そんな毎日を送っていたが、8月10日火曜日、父の四十九日の繰上法要を双子山地蔵寺で無事済ますことができた。
小生の家は代々日蓮宗であったのだが、父が分家に当たるため父の死を節目に真言宗へと改宗することになった。
地蔵寺のご住職とは、元々とても親しくさせて頂いており、改宗するにあたって一抹の不安も迷いもなかった。
父が生前まだ元気であった時に、小生は父にこう言ったことを憶えている。
「うちは分家だから、俺の代になったらお寺を替えようと思うんだけど、いいかな?」と。
すると父は、「お前の代になったらお前が決めれば良いことだから。」と言ってくれた。
その時点で既に真言宗智山派双子山地蔵寺にお願いしようと心の中では決めていたのだ。
亡き母の実家も真言宗であったし、祖母も真言宗智山派の成田山新勝寺によく足を運んでいたことから考えると、真言宗とは目に見えない縁があったのかもしれない。
四十九日法要と同時に納骨も行ったのであるが、その際、小樽の寺の納骨堂から持ってきた母の遺骨も一緒に地蔵寺の納骨堂に納めることができたのである。
一人息子としてやるべきことはやったという安堵感はある。
あとは、先祖と両親の御霊を供養し、息子を一人前に育てるのみだ。
当主としての責任は重大であるが、しっかり前を見つめ、一歩一歩前に進んで行こうと思っている。

今後とも今まで以上のご指導ご鞭撻を改めてお願い致します。
「空飛ぶ税理士」のブログもまめに更新しようと思っているので、そちらの方も引き続き宜しくお願い申し上げます。

事務所の方は8月16日までお盆休みとさせて頂きます。
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訃報のお知らせ

2010-07-07 11:50:58 | Weblog
本日ここに「空飛ぶ税理士」のブログをお借りしまして、訃報をお知らせさせていただきます。
税理士法人有田事務所 税理士・有田穣二、平成22年7月7日午前3時56分、KKR札幌医療センターにて病気療養中のところ、満77歳(享年79歳)にて逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼を感謝し謹んでお知らせさせていただきます。
なお、葬儀は下記の通り執り行う予定です。


【日時】通 夜 7月 9日金曜日 午後6時30分から
    告別式 7月10日土曜日 午前10時から
【場所】むすめやホール平岸(HTBテレビ並び)
    札幌市豊平区平岸5条13丁目
    TEL 011-824-2141
【喪主】有田眞人(長男)


父は、2年前から肺ガンを患っておりました。
担当医から肺の腫瘍摘出手術を勧められておりましたが、本人が抗がん剤治療、放射線治療も含め全てのガン治療を拒み現在に至りました。
余命が少しくらい延びても不自由な思いまでして生きたくはない、という本人の強い意志によるものでした。
今年に入るまで体調は良かったのですが、所得税の確定申告の繁忙期に体調を崩し、3月26日にKKR札幌医療センターに入院いたしました。
その後、ゴールデンウィーク期間中に一度退院はしたものの、5月14日に再入院することになったのです。
療養中の父を日本に残し単独で南アフリカへ強行渡航した小生の身勝手極まる愚行も父は許してくれました(許してくれたと勝手に思っているだけかもしれませんが)。
そして、日本代表がグループリーグ突破の後、決勝トーナメント一回戦でパラグアイ代表に敗れた頃から父の容体も悪化していったのです。
日曜日からびっちり父の病室に寝泊りし、会話は出来なくとも久しぶりに父子水入らずで過ごすことができました。
父は痛みにもがき苦しむことなく、安らかに穏やかに最後の息を引き取りました。
最期は、ずっと父の額に手を置き、心静かに送り出すことができました。
ホームドクターの山科先生、そして、KKR札幌医療センター緩和ケア科の瀧川先生、並びに看護師の皆さま、本当に本当に長い間ありがとうございました。
慈愛の精神に満ちた献身的な看護師の皆さまの日々の働きぶりを見ていると本当に頭が上がりません。
父も安心してこの世から旅立ったことでしょう。
言い表せぬ感謝の気持ちと共に父の訃報をお知らせさせていただきました。
父の人生において父と携わっていただいた全ての方々に、父に代わって深く深く御礼を申し上げる次第でございます。
そして、若輩者の小生ではございますが、父と変わらぬご指導ご鞭撻の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。

合掌
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南アフリカ観戦記 編集後記

2010-06-29 19:00:18 | サッカー
17日に南アフリカから帰国してから、既に10日以上が経過してしまった。
その間の日本代表の快進撃(デンマーク戦)は本当に目を見張るものがあった。
自国開催以外での初のグループリーグ突破は「あっぱれ!」と言わざるを得ない。
そして、今夜のベスト8を賭けたパラグアイ戦、日本国内では「勝って当然」的な雰囲気になっているが、厳しい試合になることは必至であろう。
しかし、何が起こるか分からないというのがサッカーという競技であり、ワールドカップというものである。
一昨日のイングランドの幻のゴールや、4年前の決勝戦でのジダン(フランス代表)の頭突き…などなどハプニングは付き物だ。
あと4時間後には、世紀の一戦の幕が開けることになる。
南アフリカから帰国後、今では一種の望郷の念にも似た感情が胸の奥から沸々と湧きあがってきている。
テレビで、エリス・パーク・スタジアム(ヨハネスブルグ)やフリー・ステート・スタジアム(ブルームフォンテーン)の映像を見る度に懐かしさが胸を突く。
本当に夢のような1週間であった。
今回のブログでは、いままでの「南アフリカ観戦記」で紹介しきれなかった画像を掲載することにしたい。
まず、FIFAの公式スポンサー企業であるコカ・コーラの缶。

良く見ると、タグが付いており、「Welcome to SOUTH AFRICA」と書いてある。
このコカ・コーラの缶は、ヨハネスブルグ国際空港到着後、イミグレーション(入国審査)通過後、直ぐに手渡されたものである。
思わず「Is This Free?」と聞いてしまった小生なのであった。
南アフリカの粋な演出に最初に感動した瞬間であった。
このコカ・コーラは、帰国する直前までホテルの部屋に飾っておき、そして、一気飲みした。
そして、次の一枚はホテルにチェックインし、自分の部屋に入った後、最初に目に付いたものである。

トイレの横のトイレットペーパーにさり気なく貼られていたサッカーボールのシール。
こんなところにも南アフリカのホスピタリティを強く感じ取ることができた。
トイレの話ついでに、これもまたトイレ。

これは、日本VSカメルーン戦の時に訪れたフリー・ステート・スタジアムの男性用トイレ。
エリス・パーク・スタジアムも同様であったが、壁に向かって黄金の液体を放出することになる…。
自信のない日本人にとってはちょっと恥ずかしい一瞬だ。
そういう時は個室へGO!

話は変わるが、小生はいつも旅に出ると息子宛てにポストカードを出すようにしている。
今は読んでくれなくても、成人になった時、机の片隅からふとこのポストカードが出てきた時、この時の息子に対する小生の思いを少しでも感じ取ってくれるかも知れないからだ。
ポストカードをホテルのフロントから出そうとしたのであるが、ホテルに切手は置いていないという。
どこに行けば切手を購入することができるのか尋ねると、エアポートにポスト・オフィスがあるとのこと。
早速、切手を購入するためにポスト・オフィスを探し尋ねると、窓口の女性がニッコリとほほ笑みながら挨拶してくれた。
「日本にポストカードを送りたいのでスタンプを下さい。」と言うと、彼女はこう言った。
「私はあなたに元気ですか?と聞いているのよ。」と。
しまった、日本人の悪い癖だ、挨拶よりも用件を先に伝えてしまった。
改めて、小生は「I’m fine,Thank you! And you?」と言い直し、ニッコリとほほ笑み返し。
そうすると彼女は満足したかのように、ワールドカップの限定切手を取り出してくれたのである。
1シートは、記念に永久保存することにした。
次のこの一枚は、ブブゼラに関するもの。

スタジアム周辺を問わず、街はどこもかしこもこのブブゼラの爆音に占領されているが、ホテルのフロントでこんな注意書きを発見した。
眠っている宿泊客もいるので、むやみやたらにブブゼラを吹かないで下さいという内容である。
ちなみに到着した時(ワールドカップ開幕日)にはこの注意書きは存在しなかったはずだが…。
南アフリカでもブブゼラは問題になろうとしているのであろうか!?
次の一枚は、南アフリカのナイスバディ。

空港内にあるレストランのキャンペーンガール?なのであろうか。
現地の人にも人気で、皆このベッピンさんと一緒に写真を撮っていた。
小生も一緒に写真を撮れば良かったと、今になって後悔…。
さすが、アフリカの人は本当に足が長い!
最後の一枚は、ブルームフォンテーンに向かう途中に買った「キットカット」だ。

もちろん、ゲンを担ぐために買ったものである。
「キットカット」を食べて、「きっと勝つ!」ということだ。
この効果のはずはないが、見事初戦を勝利したのである。
そして、今夜のパラグアイ戦も「きっと勝つ!」…はずである!

表紙画像、南アフリカ共和国の紙幣(ランド)。1ランド12円位である。サファリのビッグ・ファイブがプリントされているのが、いかにも南アフリカらしい。ここには写っていないが、一番の高額紙幣200ランドにヒョウがプリントされている。残念ながら滞在中一度も目にすることはなかった。
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南アフリカ観戦記 6

2010-06-19 18:28:38 | サッカー
南アフリカ滞在最後の朝、帰国の時を迎えた。
前日の寒さがまだ体の隅に残っていた。
飛行機に乗る前に熱い風呂にでも入っておこうと蛇口をひねるも…またも冷たい水。
結局、風呂に入らずの24時間のフライトに突入だ。
これで丸二日、風呂に入れないことになる。
前日、南アフリカに一本の電話が入った。
HBCテレビの取材である。
千歳空港に到着した時の映像を撮らせて欲しい、ブブゼラを吹く映像を撮らせて欲しいというものであった。
もちろん断る理由がないので、取材を快く承諾した。
北海道の千歳空港で待ち受けてくれている取材班に対し、二日も風呂に入っていないのは失礼にならないかと心配してしまう。
しかし、寒い朝に冷水シャワーを浴びるという暴挙に至る気にはならず、渋々11時にホテルをチェックアウトした。
そして、徒歩でヨハネスブルグ国際空港へ向かう。
空港に隣接しているホテルなので、こういう時はとても便利である。
HBCテレビのディレクターにブブゼラを1本買って来てくれないかと言われていたので、FIFAオフィシャルショップで青いブブゼラを1本購入した。
現地では100ランド(約1,200円)であるが、日本ではオークションで数千円になっているそうである。
航空券を受け取り、いよいよ出国。
恐らく世界で一番愛想の良い南アフリカの税関職員に「HOW ARE YOU?」と言われ、立ち去りがたい気持ちになる。
現地で知り合ったサポーター仲間は、オランダ戦まで残る人、デンマーク戦まで残る人とさまざま。
サポーターの中には、一度日本に帰り、一週間仕事をしてから再び南アフリカの地を訪れるという凄い人までいた。
小生もせめてオランダ戦まで残りたかったのであるが、入院中の父のことを想い踏みとどまった。
その代わり4年後のブラジル大会は、グループリーグ3試合全て観戦しようと心に決めた。
あくまで、次回も日本代表が最終予選を勝ち抜くことが前提であるが…。
搭乗ゲートに向かう途中、アフリカらしい民芸品を扱う土産屋が目に付く。
ダチョウの卵の工芸品、木彫りの人形などなど。
その中でひときわ目に付いたのが、シマウマ一匹まんまの毛皮の敷物だ。

まつ毛や尻尾の毛がそのまま残りちょっと薄気味悪い…。
値段を恐る恐る見てみると、一、十、百、千、万…17,000ランド、日本円で2,000,000円以上である。
こんなお土産を誰が買うのであろう。
でも、買う人がいるから売っているのか。
シマウマの他にも、ヤギやウシなどの毛皮が沢山売られていた。
そして、いよいよシンガポール航空12便シンガポール行きに搭乗し、機上の人となったのである。

南アフリカ…訪れる前は、ネガティブな報道ばかりが気になっていたのも事実。
1日に50件の殺人事件がある、女性の4人に1人がレイプ経験者、一人で歩くと3分以内に必ず強盗にあう、などなど。
しかし、実際の南アフリカの印象は、180度違うものであった。
南アフリカ人のホスピタリティ、これは今まで訪れたどんな国よりも素晴らしいものであった。
目と目が合うとにっこり笑って必ず声を掛けてきてくれる人々…。
確かに100%安全という訳ではない。
もちろん「行ってはいけない場所」というのが存在している。
かつてのニューヨークのハーレムしかり、ロサンゼルスのダウンタウンしかり、世界中にそういう場所は存在するのだ。
そういう危険な地域に立ち入らない限りは、他の国と変わらずに行動することができるのである。
もし人生の最期にもう一度行きたい国はないかと尋ねられたら、間違いなく南アフリカと答えるであろう。
それほど自分にとって南アフリカという国は魅力的であった。
いつか、家族を連れて南アフリカを再び旅したい…心からそう思える素晴らしい国であった。
南アフリカで知り合った全ての人々に感謝、THANKS A LOT!


画像(1)、ヨハネスブルグ国際空港、正式名称OR・タンボ(タムボ)国際空港で売られていたブブゼラ。飛行機に乗る半数以上の人がブブゼラを持っていた。これが世界中に広まるのか、広まらないのか…。個人的には南アフリカでのサッカー観戦時に限って使用して欲しいと思っている。
画像(2)、シマウマの無残な姿…。
画像(3)、ヨハネスブルグ国際空港の出発ターミナル。広々としていてとても綺麗であった。ここで、自分の携帯電話が無いことに気付く。どうやらホテルの部屋に忘れてきてしまったらしい。情けない…(涙)
画像(4)、ここヨハネスブルグからアフリカ中に飛行機が飛び立っていく。ガボン航空、アンゴラ航空などなど見たことも無い飛行機がずらり。未知の国にいつか行ってみたいものである。
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南アフリカ観戦記 5

2010-06-16 07:22:30 | サッカー
昨日の日本代表の勝利で気持ち良く起床。
と言っても、現地時間4時頃(日本では11時頃)には目が覚めてしまう。
睡眠不足の毎日が南アフリカ入国以来ずっと続いている。
ブラジルVS北朝鮮の試合が、20時30分キックオフと遅いため時間に余裕があったので、今日はサントン地区まで足を延ばした。
一昨日、サファリツアーのピックアップでサントン地区には足を運んでいるが、ゆっくり見て歩いていなかったのだ。
サントン地区には、FIFAの本部が置かれ、他にもネルソン・マンデラ・スクエアというショッピングセンターやスーパーマーケットなどがある。
言ってみれば、かつてのシティ(ダウンタウン)に代わる新しいヨハネスブルグの中心地なのである。
ネルソン・マンデラ・スクエアの広場には、巨大なマンデラ氏の銅像が置かれ、氏の偉大さが理解できる。

この広場の周辺にはお洒落なレストランやオープンカフェが立ち並び、ここが南アフリカなのかと疑ってしまうほどだ。
ワールドカップ期間中、この広場の中心にSONYの3Dシアターが建てられ、多くの観光客で賑わっていた。
小生も列に並び、3Dシアターの中に入ってみる。
SONYの商品を紹介する施設なので入場はもちろん無料、入口で日本人の責任者の方から「昨日は勝って良かったですね。」と声を掛けてもらい思わず顔がほころぶ。
中は映画館のような造りになっていて、3D映像を見るためのメガネを渡される。

ノリの良いDJの司会で、昨日の試合の映像を見たのだが臨場感があって実際にスタジアムでサッカー観戦しているような不思議な感じであった。
映像の世界もいよいよ革新期に入ったということか…。
でも残念なことに放映された昨日の試合というのが、日本VSカメルーンの試合ではなくオランダVSデンマークの試合。
まあ、世界に向けた3Dテレビの発信なので、致し方ないとは思うが…。
日本の勝利を喜んでいるのは日本に限られ、世界各国の人は優勝候補オランダの勝利の方を注目しているということであろう。
次のオランダも撃破し、世界をアッと驚かせてくれ!がんばれニッポン!
3Dシアターを出た所で、日本語で「ニッポン、オメデトウ。」と声を掛けられた。
振り向くと外国人の方である。
外国人にしては随分と日本語が上手なので、どうしてそんなに日本語がうまいか聞いてみると、横浜に住んでいたことがあるという。
何と!元横浜フリューゲルスのJリーガー、チェローナ氏本人であった。
「ヤマグーチ、マエゾーノ、トモダチでーす。」
彼は、かつて元エルサルバドル代表としてワールドカップにも出場しており、今回はメディアの仕事で南アフリカを訪れたそうである。
こうした出会いもまたワールドカップの大きな魅力の一つなのだ。
その後、味はイマイチだがボリュームたっぷりのパスタとピザを食べ、スーパーマーケットへ行ってみる。

スーパーマーケットや市場へ行くと、その国の人がどんな食材を食べ、どんな生活をしているのか窺い知ることができるので大好きなのだ。
小生のブログ「南アフリカ観戦記1、2」にも登場した謎の魚「King Klip」もこのスーパーマーケットで売られていた。
とても大きな魚でタラに似た感じの白身の魚である。

このスーパーマーケットでは、南アフリカ名産の一つであるルイボス・ティーを数種類購入した。
サントン地区から例のガウ・トレインを利用し空港にあるホテルに戻り、夜の試合に備え防寒対策を施す。
この日は南アフリカに滞在してから最も寒い日で、最高気温8度、最低気温はマイナス2度と予想されていた。
ダウンジャケットにマフラー、手袋、ニット帽、これでオッケー!
ブラジルVS北朝鮮戦も、ヨハネスブルグの「エリス・パーク・スタジアム」で行われる。
一度、アルゼンチンVSナイジェリア戦の時に訪れている所なので慣れたものである。
陽が沈みかけた頃、スタジアムに到着。

試合開始までまだ3時間近くもある…団体行動なので仕方が無いが早く着き過ぎたようだ。
そして、太陽の姿が消えた途端、体の芯から冷えるような壮絶な寒さとの闘いが始まった。
ダウンジャケットなど防寒対策もバッチリだと思っていたが、甘かった…。
スキーの時に使用するタイツ、膝掛け、フェイスガード、大量のカイロもあった方が良いかもしれない。
北海道出身の小生であるが、耐え難い寒さに途中で帰りたくなったほどであった。
この夜ばかりは、ビールを飲む気にすらならない。
一刻も早くホテルに帰り、バスタブに熱い湯をはり、ゆっくり浸かりたいと願うばかりである。

試合の方は、ブラジルが一方的に攻めるも枠にシュートが飛ばず、まさかの0−0で折り返すことに…。
元ジュビロ磐田にも在籍した元ブラジル代表主将のドゥンガ監督が好きなので、ブラジルが5−0位の大差で勝って欲しいと思っていたが、厳しい立ち上がりとなってしまった。
北朝鮮からは「ヨロコビ組」なのかどうかは不明だが、バックスタンドの2階に真っ赤な制服姿の応援団が50人位陣取っていた。
恐らく国からの指令で訪れたのであろう、仕事とはいえこの寒さの中の応援作業は辛かったに違いない。
小生もハーフタイムの頃には手足の指の感覚が無く、耳たぶは千切れそうに痛くなっていた。
ロッカールームで闘将ドゥンガの檄が飛んだことは容易に推測できるが、カナリア軍団が後半2本のゴールを決める。
さあ、もう1点と思った矢先、隙をつかれ北朝鮮にまさかの失点を許してしまう。
結局、2−1の僅差でブラジルの勝利、ブラジル本国では相当なブーイングであったはずだ。
小生の席の後に韓国人の男女が座っており、韓国の国旗を振り、メッセージを書いたダンボールを掲げていた。
どういう意味かは不明だが、北朝鮮を一生懸命応援していた。
スポーツと政治は関係がないとはいえ、両国間の緊迫した情況の中でよく北側を応援できるものだと感心してしまった。
前回もそうであったが、「エリス・パーク・スタジアム」から出たところで、人の流れが悪くなり、必ず堰き止められることになる。
事故防止の為なのであろうが、寒空の下、30分近くも並ばなくてはならないのだ。
これには心底辟易してしまう。
寒さを我慢している観客のためにもスムーズな大会運営を心掛けて欲しいものである。
ホテルに到着したのが、深夜23時50分、夕食も食べていなかったが一刻も早く部屋に戻り熱い湯に浸かりたい。
しかし何たることだ、お湯が出ないではないか!?
余りの寒さにボイラーが故障したのかどうかは不明だが、とにかくお湯が出ないのである!
オーマイガッ!
とにかく部屋の温度を上げるためにエアコンの温度設定を30℃にしてみたが、部屋は直ぐには暖まらない。
暫くして蛇口をひねってみたが、お湯は全くダメ…。
寒くて服を脱ぐのも嫌だったので、ジーパンとジャージの上を着たまま布団の中へ。
結局このまま寝てしまい今に至っているのである。
今回の滞在中強盗や盗難などのトラブルには会わなかったが、最後の最後、思わぬところでトラブルにあってしまった。
日本に帰ったら、あったか〜い温泉に浸かりたいと心から願う小生なのであった。

画像(1)、「エリス・パーク・スタジアム」にて。着ぐるみブラジル人サポーターと。ザクミかと思ったら…こんな顔。でも会場では凄い人気で引っ張りダコであった(笑)
画像(2)、南アフリカの英雄、ネルソン・マンデラ元大統領。日本で言えばさしずめ誰になるであろう?日本の首相には該当する人はいないか…。
画像(3)、映画館のようなSONY・3Dシアター。連日世界中の観光客で大盛り上がりを見せている。途中、リフティングの世界チャンピオンであるフランス人が登場し、曲芸を見せてくれたりするので、面白い。ワールドカップ期間中、サントン地区を訪れる人は是非見て下さい。
画像(4)、ネルソン・マンデラ・スクエアに面したイタリアンのお店に入ったが、塩気が足りずに残念。パスタものびていた。雰囲気はとても良い。南アフリカでは無難にステーキかシーフードが口にあった。
画像(5)、写真左にたくさん並べられている魚が「King Klip」という魚。白身でジューシーでなかなかうまいが、海水魚か淡水魚かは不明。ただ、南アフリカでは一番高級で人気のある魚らしい。
画像(6)、吐く息も白いスタジアム。間違いなく氷点下の気温であったと思う。夜遅い試合の観戦の時は、オーバーな位の防寒対策をすることをお勧めする。これから南アフリカに観戦に行く人も多いと思うので念のため。
画像(7)、ついに謎多きチーム・北朝鮮代表が本戦に出場した。日本生まれのJリーガー、チョン・テセは国歌斉唱の際、感極まり号泣。彼の気持ちも理解できる、ついに掴んだ夢のワールドカップ出場!Jリーグファンとして応援しよう。試合終了後は、ドイツ大会、ドルトムントでのブラジル戦の後の中田英寿のようにピッチに仰向けになっていたチョン・テセであった。

(ブログの投稿日時は、参考のため南アフリカ時間にしています。)
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南アフリカ観戦記 4

2010-06-15 08:44:19 | サッカー
朝、6時にホテルを出発し、カメルーンとの決戦の地ブルームフォンテーン(現地語ではマンガウング)に向かう。
昨日、続々とヨハネスブルグにサポーターが到着し、総勢50人程の日本代表サポーターが集まった。
大型バス2台に分乗したが、二人掛けの席に一人で独占して座れたので快適なドライビングである。
ヨハネスブルグの南西に位置するブルームフォンテーンの街まで8時間を予定していたが、6時間ほどで到着。
途中2度ほどハイウェイのサービスエリアで休憩を取った。
最初に訪れたサービスエリアで、大きな体のスタッフがジャパニーズかと話しかけてきた。
YESと答えると、日本の歌「手に手をとって」(小生は聴いたことがない)を口ずさんでくれた。
この歌は、以前日本人の知り合いから教えてもらった歌であり、このメロディが美しくてとても好きだと言う。
一度、バスにプレゼント用の青いTシャツを取りに戻り、このスタッフにプレゼントしてあげた。

すると大きな身体で小躍りし喜びを爆発!
かつて人にプレゼントして、こんなに喜んでくれたことはない、人生初の出来事である。
生涯二度と会うこともない彼とは、何度も握手し二度抱き合ってサービスエリアを後にした。
人に喜んでもらうということは、自分の喜びでもあるということを再認識させてもらった。
ドライビングは、澄み渡る青空の下、地平線がどこまでも続く道をひたすら駆け抜けるというもので気持ちが良かった。
牛が放牧されていたり、トウモロコシ畑であったり、牧歌的でどこか故郷・北海道に似た風景を感じ取っていた。

そして、緑豊かなブルームフォンテーンに到着したのはお昼の12時。
静かな佇まいの人口40万人(現地英語ガイド談)の地方都市である。
余談ではあるが、南アフリカの首都は3つに分かれていて、ブルームフォンテーンは司法府が置かれる首都でもある。
ちなみに、行政府はプレトリア、立法府はケープタウンとなっている。
話を元に戻すが、ブルームフォンテーンに到着後はショッピングセンター内のレストランで昼食、腹が減っては戦はできぬとばかりにステーキとビールを腹に流し込む。
13時30分には、「フリー・ステート・スタジアム」の駐車場に到着した。
バスを降りると、日本人サポーターを待ちかねていた日本のメディアがドッと集まってきて、取材攻勢を受ける。
「どこから来たんですか?」「今日の意気込みは?」「スコア予想は?」「どの選手に期待していますか?」などなど。
ちなみにこう答えた、「1−0で日本の勝利。」と。
そして、いよいよスタジアムへ足を踏み入れる。

FIFAオフィシャルショップで、JAPANの文字が入った手作りのヘルメットを500ランド(約6千円)で思わず衝動買い。
ちなみに南アフリカは金の鉱山で栄えた国なので、その時にかぶる鉱山労働者のヘルメットを自分で細工して応援グッズとしているという経緯がある。
このヘルメットとブブゼラは、南アフリカサポータ特有の応援グッズなのである。
このヘルメットをかぶったお陰で、各国メディアから写真を撮らせてくれとお願いされること数回…。
一躍、人気者になってしまった。
試合開始時刻の16時までまだまだ時間があったので、直ぐに席には着かずスタジアムの周りをブラブラ。
サポーター増殖作戦のため用意した青いTシャツを南アフリカ人の親子連れなどにプレゼントしたが、やはりここでも並々ならぬ喜びよう。

南アフリカの人は、シャイな日本人と違い感情を表現するのが得意なのかも知れない、というか素直なのだ。
こんなに喜んでくれ、日本からはるばるTシャツを持ってきた甲斐があったというものである。
NHKの収録で知り合った「世界一蹴の旅」をしたアシシとヨモケンにも再会。
フジテレビの「とくダネ!」でお馴染みの大村正樹レポーターにもお会いし、写真を一緒にパチリ。
彼は自分で日本代表予選3試合のチケットを買って南アフリカまで来たという、生粋のサポーターである。

試合開始1時間前位になって、ようやく自分の席に移動。
緑の芝が眼に眩しく、開放的な素敵なスタジアムであった。
自分の席は、ピッチから直ぐ近くの日本代表ベンチの左後方と、絶好のポジション。
ピッチ練習、スタメン発表の後、いよいよ両国選手入場。
FIFAアンセムの曲(入場曲)を聴いたときは鳥肌が立ち熱いものが込み上げてくる。
フランス大会、日韓大会、ドイツ大会…過去の記憶が走馬灯のように浮かんでは消えた。
下馬評の低い今回の日本代表だが、きっとやってくれるに違いないと選手達を眺めていた。

そして、ある変化が…国歌「君が代」斉唱の際、日本代表の選手が肩を組んでいたのだ。
心は一つ…固いチームワークであることを確信した。
いよいよ試合開始、浮き足だったところもなく無難な立ち上がり。
そして前半の39分に本田圭祐の待ちに待った専制ゴール!
自分の席からは遠い方のゴールだったので、はっきりは分からなかったが、ゴールネットが揺れた直後、フラストレーションが爆発!
「オ〜〜〜!!!」、言葉にならない魂の叫びが腹の底から溢れてくる。
この瞬間のために遠路遥遥、南アフリカまで来たのである。
ブルームフォンテーンは高地であるため、叫びすぎて酸欠になりそうになるほどだ。
試合の方は、後半カメルーンに押されっ放しで、ゴールポスト直撃と言いう冷やりとした場面もあったが、日本の守備は安心して観ていることができた。

そして、試合終了のホイッスル…選手ともども歓喜の瞬間。
日本にとって初めてのアウェイでの勝利!そして岡田監督にとってもワールドカップ初勝利!日本サッカー界にとって歴史的な試合結果となった。
小生もフランス大会のクロアチア戦・ジャマイカ戦、ドイツ大会のブラジル戦と実際に現地で観戦し、海外観戦では辛酸を舐めてきただけにこれほど嬉しいことはない。

改めて家族やスタッフ、そして全ての人に心から感謝…無謀な小生の我が儘を許してくれて本当にありがとう。
日本代表の快進撃はまだまだ始まったばかりである。

画像(1)、待ちに待った日本の勝利!歓喜のガッツポーズ!ワールドカップ日本代表の現地観戦は、8試合目(フランス大会2試合、日韓大会4試合、ドイツ大会1試合)となったが、アウェイでの勝利はもちろん初めてのこと。
画像(2)、ハイウェイのドライブインで知り合った日本贔屓のナイスガイ。あまりの嬉しさに彼は大きな声で同僚に自慢していた。このことで彼はもっと日本が大好きになったに違いない。国際交流もワールドカップの大きな魅力である。
画像(3)、バスの車窓からの一枚。抜けるような青空とは正にこのこと。気温は18℃位だが、日光を浴びている間は、暑いくらいである。昼は半袖、夜は長袖が基本。
画像(4)、フリー・ステート・スタジアム。1995年のラグビー・ワールド・カップの時に建設されたスタジアム。4万5千人収容だが、日本戦は3万人位しか客席は埋まっていなかった。チケットは手に入れたが、遠距離や治安などの問題で南アフリカに来れなかった日本人サポーターが相当数いたということであろう。
画像(5)、南アフリカ人の親子にTシャツをプレゼント。カメルーンの応援なのかどうか一応尋ねてからTシャツをプレゼントしている。「一緒に日本を応援してね。」と言うとニッコリ。でも、同じアフリカンとして心の中ではカメルーンを応援しているのであろう。
画像(6)、「とくダネ!」の大村レポーターを見つけ、一緒に写真をお願いした。試合終了後も大村レポーターに会い、固い握手。そしてマイクを向けられたのだが…。そのことは次回のブログで。
画像(7)、入場し、ピッチに並ぶ日本代表。この写真は対戦相手カメルーンの国歌が流れている時である。選手達はどのような思いで試合に臨んだのか。プレッシャーは相当なものであったろう。
画像(8)、試合後半の遠藤のフリーキック。2点目を必死に狙ったが、ゴールネットを揺らす事は無かった。韓国がギリシャ相手に2点獲っているので、日本にも2点獲って欲しかったのだが…。
画像(9)、試合終了後、サポーターのところまで挨拶に来た日本代表。試合に出場した選手もベンチの選手もスタッフも一丸となった結果の初勝利!元コンサドーレの今野にも出場して欲しかったが、今回はベンチであった。みんなようやった!おめでとう!そして、ありがとう!

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南アフリカ観戦記 3

2010-06-14 00:01:18 | サッカー
南アフリカ滞在も3日目となり、時差ボケを除いては完全に慣れた感がある。
今日は完全に「オフ」、と言ったら語弊があるかもしれないが、試合観戦の無い日である。
昨夜はアルゼンチンがナイジェリアに勝利したが、同日に行われた韓国もまたギリシャ相手に2−0の快勝!
同じアジア枠の国として素直に拍手を送りたいが、日本人としてはいささか複雑な思いである。
次のグループBの試合で、韓国はアルゼンチンと当たることになるが、難しい試合となるであろう。
さて、今日は初めてヨハネスブルグから足を延ばし、サン・シティから程近い「ピーランスバーグ国立公園」へ向かった。
当初はヨハネスブルグ近郊の「ライオン・パーク」を訪れるツアーに申し込んでいたのであるが、ピックアップポイントで名前を告げても該当するツアーに小生の名前が見当たらないという。
偶然、ピックアップポイントに指定されたホテルがあるサントン地区へ向かう「ガウ・トレイン」という出来立てホヤホヤの列車に乗車する際、4年前のドイツ大会で一緒だったサポーターO氏と遭遇。

「おー、久しぶり!来てたんですね!」と話が進んだ。
ところでこんなに朝早く(始発5時30分)どこに行くんですか?と尋ねると、ピーランスバーグ国立公園に動物を見に行くと言う。
という経緯で、旅は道連れ、急遽、目的地を「ライオン・パーク」から「ピーランスバーグ国立公園」に替えたのである。
ヨハネスブルグのサントン地区を出発し、「ピーランスバーグ国立公園」に向かう途中、高速道路のパーキングエリアみたいな所でトイレ休憩。
日本のガイドと違い、「何分間トイレ休憩します」的な予告は全くなし。
大型バスに乗った乗客の内訳は、昨日試合を終えたアルゼンチーナが7割、一昨日試合を終えたメキシカンが2割、そして我々ジャパニーズが1割(3人)。
この多勢を占めるアルゼンチーナが、何ともマイペースなのであった。
トイレ休憩だと言っているのに、パーキングエリアに併設されたハンバーガーショップで朝飯を食べ始め、結局ここで1時間も待つことに。
サントン地区を出てから3時間をかけようやく「ピーランスバーグ国立公園」の入口に到着。
と・こ・ろ・が、である。
ガイドの女性がのたまうには、サファリのエージェントと連絡が取れず、ゲーム・ドライブをするトラック(ジープ)が用意できていないと言うではないか!?
追加料金で300ランド(日本円で3,600円ほど)払えば、代わりのトラックに乗ることができると言う。
ツアー代金には、ゲーム・ドライブの料金も含まれているのに、何ということだ。
新手の詐欺かと疑ってしまいたくなる。
ここまで来て、ビッグ・ファイブ(アフリカバファロー・アフリカゾウ・サイ・ライオン・ヒョウのこと)に会えないなんて酷すぎる。
各国の乗客たちは怒る、怒る、もちろんジャパニーズチームも怒る、怒る。
ところが、ガイドさんは、「私が悪いわけではないから、私に怒らないで。」と言う始末。
結局、泣く泣く追加料金を支払いゲーム・ドライブに参加したのであった。
15名程が乗れる大型のトラックに乗り込み、いざ出発。

この国立公園の広さは、南アフリカでも最大規模の550キロ平方メートルというが、どれほど広いのか想像もつかない。
日本ではしばしば、札幌ドームの何倍です、とか東京ドームの何倍です、なんて言い方をするが、ここではそんな説明があるはずもない。
野生動物は音に敏感だから静かにするようにとドライバー兼レンジャーに言われた傍から、アルゼンチーナは「オーレー、オレ、オレ、オレー!」と合唱。
優勝候補の国のサポーターは何をしても許されるのかと少し憤慨…ここはスタジアムじゃネェ(心の言葉)。
サバンナの中を進むとヌーやシマウマやイボイノシシといった動物達が草を食んでいるのが見える。

いつも動物園やサファリパークで見る光景と同じ、特に感動はなし。
凸凹のある赤土の道を進むと、暫くしてシロサイに遭遇。
鎧のような厚い皮膚を持ち、尖った角がまるで恐竜のように思える。
そして水辺の道をさらに進むと、カバの死体が草むらに転がっていた。

今まで嗅いだことのないような異臭で、死体には無数のハエがたかっている。
カバの腐乱死体など動物園では絶対に見ることができないので、鼻が曲がりそうになるのを堪え写真に収めた。
この後、若いアフリカゾウを目撃し、ゲーム・ドライブは無事に終了。

結局、ビッグ・ファイブのうち2種類を目撃することができた。
ちなみに遭遇率が最も低いのは体が小さいヒョウとのこと、目撃するのは至難の技だ。
野生動物に遭遇することは魅力であるが、動物を間近でゆっくり観察したいなら確実に動物園がいい、と言うことが解ったそんな一日であった。
さて、明日は早朝5時朝食、6時ホテル出発、その後8時間バスに揺られ、決戦の地ブルームフォンテーンに向かう。
次のステージに進むためには、カメルーン戦は日本代表にとって間違いなく最重要試合。
Ke Nako!さぁ、時は来た!

画像(1)、空港内を監視しているポリスウーマン。彼女たちのお陰で空港内の治安が確保されている。THANK YOU SO MUCH!
画像(2)、ワールドカップのために作られた「ガウ・トレイン(GAU TRAIN)」。現地の人の発音だと「ハウ・トレイン」と聞こえるのだが…。車内でコーラを飲んでいるとセキュリティの人から注意を受けた。車内での飲食は罰金600ランドとのことである。乗られる方は気を付けましょう。エアポート−サントン・シティ間は、始発5時30分、終電は20時30分と早い(6月12日現在)。プレトリアまでは建設が間に合わず開通してないので注意。
画像(3)、ゲーム・ドライブ中のトラック車内。左手前の帽子の男性(メヒコ)以外全てアルゼンチーナ。「アルゼンチーノ!アルゼンチーノ!」声が耳に残る…。はっきり言ってうるさい。
画像(4)、家族で移動するイボイノシシの親子。顔は怖いが、ちょこちょこ歩きが何とも可愛い。
画像(5)、腐敗したカバの死体。恐らく病死でもしたのであろうか、ドザエモンのようにパンパンになっていた。これぞ野生、弱肉強食。ニオイも届けられたら…。
画像(6)、突如現れた若いオスのアフリカゾウ。牙はまだ小さい。

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