空飛ぶ税理士

サッカー、ゴルフ、グルメ、海外旅行などなど思いつくこと徒然なるままに…。

エレファントトレッキング

2012-01-05 08:26:18 | その他海外
プーケット滞在3日目、海やプールでばかり過ごしてるのも飽きてきたので「エレファントトレッキング」という現地ツアーに参加することにした。
通常、ホテルへの送迎がついて1,050バーツなのだが、小生が宿泊しているルネッサンスは離れた場所にあるので1,680バーツとのこと。
9時ちょうどにピックアップの車が迎えに来てくれたので、それに乗り込む。
少し英語が話せるタイ人のドライバー、ナムさん、36歳。
ホテルからトレッキングの場所まで、約1時間のドライブである。
途中、彼とは色々な話をしながら行ったが、印象に残っているのは、車のナンバーの話だ。
タイのナンバープレートは好きな数字を買うことができるそうで、裕福な人たちはタイのラッキーナンバー「9」を好んで選ぶらしい。
中でも「9」のぞろ目ナンバーは最も高額で、500,000バーツ(約140万円)もするそうである。
タイのタクシン首相なんかが、このナンバープレートを好んで使っているとのことだ。
どうして、タイではラッキーナンバーが「9」なのか聞くのを忘れたが、シンガポールでも香港でも「9」が好まれる数字であったはずである。
麻雀の「發」という縁起の良い漢字を中国語で発音すると、「9」の発音に近くなるので好まれるらしい(不確かな記憶)。
日本ではラッキー「7」や末広がりの「8」が人気のある数字であり、自分の車のナンバーは「8888」だと教えるとナムさんは驚いていた。
どんだけ金持ちなんだろうと、思ったに違いない…日本ではナンバープレートの選択は単なる抽選なんだけど。
話が横道にそれたが、1時間ちょっとのドライブで山の中にある「AMAZING BUKIT SAFARI」に到着。
車から降りると早速赤ちゃん象が2頭いるところに案内される。
観光地お決まりの記念撮影、この写真は後ほど写真立てに入れられて購入を勧められることになる。
赤ちゃん象は何度もタイで見てきたが、ここの象は芸達者である。
「キュッ」と象らしからぬ鳴き声を出したり、立ち上がったり、寝たふりをしたり。
極めつけは、ハーモニカの演奏である。

小さなハーモニカを長い鼻の先端で持ち、踊りながら可愛い音色を奏でていた。
ハーモニカは口で吹くものだが、象は鼻で吹くということを初めて知った。
赤ちゃん象の次はいよいよ大きな象の背中にゆすられてのトレッキング。
トム・ソーヤの冒険に出てきそうな掘立小屋に登り、象の背中にくくられている椅子に座ることになる。

今回は、60分コースのトレッキング。
のしり、のしり、ゆったりしたスピードで森の中へ入って行く。
途中、象のお気に入りの草が生えていたら、長い鼻で巻き取っては口に運んでいる。
余りに長いみちくさの場合は、象使いのオジサンの大きな声が飛ぶ。
それでも動かない場合は、かぎ状の棒でゴツンと頭を叩かれていた。
象の頭は大きく硬いとはいえ、ちょっと可哀相な気がするのは自分だけであろうか。
前を歩いていた象がおもむろに立ち止まったかと思うと、尻尾を上げて丸くゴロンとした物体をボトッ、ボトッ、ボトッ。

新鮮な糞が転がった。
ここで新たな発見をしたのであるが、象は決して糞の上を歩かない、糞を踏みつけない!
象が歩くコースはどこも糞だらけであったが、とてもうまく避けながら細心の注意で歩いているのである。すごいぞ!象さん!

最後は、象使いのオジサンが小生を象の首に乗せてくれて、トレッキング。
内緒で象の首に座らせてやるから、後でチップをよろしくという事である。
象は体温も伝わらないほど皮膚が厚いように思っていたが、首に直に座ると象の体温が伝わってきて、熱い位であった。
ちなみに、小生が乗らせてもらった象は25歳のレインボウという名の象。コップクンカップ!

画像(1)、これ、なかなかバランスとるのが難しいんです。特に象が草をむしる時は頭を振るので…。乗馬みたいに乗象もダイエットに良いかも(笑)
画像(2)、赤ちゃん象によるハーモニカの演奏!動画はFaceBookの方にアップしたので、アカウントをお持ちの方は是非見て下さい。
画像(3)、象使いのオジサンの背中…。哀愁漂っていますな。
画像(4)、肛門を開き「う〇こ」をする決定的瞬間!色が鮮やか!
画像(5)、道にはこんなに象の糞が…象もやっぱり「う〇こ」を踏むのは嫌なんだろうね…。
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プーケットでの休日

2012-01-03 07:28:38 | その他海外
謹賀新年
日本にとって昨年はこれ以上ない苦難の年となってしまったが、今年は復興へ向け試される勝負の年だ。
個人的にも今年は「年男」、空を駆ける龍のように飛躍の年にしたいものである。
さて、今年はタイのプーケットから始動した。
今回のタイは、6年ぶり7回目の訪問、プーケットを訪れるのは3回目だ。
前回も息子を連れて来たが、その時、息子はまだ4歳だった。
息子にタイのこと覚えているか聞いてみたが、全く記憶にないと言う…4歳じゃ無理もないか…。
親父としては、今回の旅の思い出はしっかり脳裏に刻み込んで欲しいと願っている。
旅行くらいでしか息子と四六時中一緒に居ることはできないので、旅行をする度に息子の成長に驚かせられる。
食べ物の好き嫌いが多い息子は、今までは絶対に食べたことのある物しか口に入れなかったが、「これ食べてみる。」とか「一口ちょうだい。」などと新しい食べ物に積極的にトライするようになっていた。
これからもどんどん色々な事にチャレンジして、成長していって欲しいと願っている。
今回、プーケットで選んだ宿が「ルネッサンス・プーケット・リゾート&スパ」、プーケット島の北西部にあるマイカオビーチに今年建てられた新しいホテルである。
このホテル、確かに新しく綺麗だし、朝飯も旨いから良いのだが、島の中心部から離れ過ぎているという難点がある。
ホテルにじっくり泊まってのんびりしたい人や、お忍びでやって来るカップルには最高であるが、色々なところに移動したいと考えている人には不便な場所と言えるかも知れない。
昨日もホテルのシャトルバスを利用して、レストランやバーが数多く集まるパトンビーチに足を延ばしたのであるが、所要時間1時間、シャトルバス料金片道350バーツ(約1千円)もかかってしまった。
シャトルバスの時間も限られており、夕方以降はホテルを16:45、18:45に出発し、帰りは23:00の一本のみ。
我々は16:45のシャトルに乗りパトンビーチへ向かい、帰りはシャトルバスを利用せず自力でホテルに帰ることにした。
パトンビーチでは、以前も食べに来たことのある「パトンシーフード」という老舗のレストランで、夕食をとった。
プーケットは豊かな海に囲まれているので、シーフードが美味しい。
今回は、プー・パッポン・カリーという蟹のカレー炒めをメインに、ロブスターカクテル、エビのガーリック炒め、日本のアサリに似た二枚貝の炒め物をオーダーした。
オーダーをした後、店先に並ぶ魚やエビや蟹などの中から自分の好きな食材をチョイスするシステムだ。

ロブスターや蟹などは、すべて時価での計り売りになっている。
大きなたらいの中でゴソゴソ蠢(うごめ)く蟹の中から好きなのを選ぼうにもどれも同じに見えてしまい、選ぶのは難しい…結局はお店の人が選んでくれた。

待つこと30分、プー・パッポン・カリーが運ばれて来た。
かしこまって食べてなんかいられない、とにかくガツガツ手でむしゃぶりつく。
特に蟹の爪は、締まった身がびっちり入っていて、その濃厚な味はたまらないものであった。

食事後は屋台を冷やかしながらそぞろ歩いていたが、雨も落ちてきたので、トゥクトゥクのドライバーとホテルまでの料金交渉を開始した。
タイ語で書かれたホテルの名前をドライバーに見せ、「タオライカップ?(いくら?)」と聞く。
最初のドライバーは遠いから2000バーツ!などとバカな事をほざいたので、心の中でアホかおまえは!と叫び次の車へ。
事前にホテルのフロントで、パトンビーチからホテルまでのトゥクトゥクの相場は、1000バーツ前後だと聞いていた。
次の年配のドライバーは、ホテルの名前を見て「遠いなー。」と少し難しい顔をしたが、結局900バーツで行ってくれることになった。ラッキー!
しかし、90分ほど乗車し、ホテルの近くまで来た時に、トゥクトゥクが止まってしまった。
うつらうつらしていたので、何が起こったのか理解できなかったが、何と砂地にタイヤがスタックしていたのである。
ここは電灯も少なく真っ暗なので、ドライバーは道を外れてしまい海岸の方に走らせてしまったらしい。
ドライバーは、すまなそうに車を押してくれと言う。
仕方がないので、息子と二人でトゥクトゥクの後に回り、力一杯押した。
タイヤが激しく砂を巻き上げ、湿った砂を全身に浴びることになってしまった。
雪道に埋まった車を押したことは数え切れないが、砂地に埋まった車を押したのは人生初である。
やっとのことで砂地から脱出し、ホテルに無事に到着することができた。
予期せぬハプニングであったが、深夜にトゥクトゥクを押した思い出は、息子にとって一生忘れられない思い出になったことであろう。


画像(1)、「ルネッサンス・プーケット・リゾート&スパ」の朝食風景。こちらでは、ルネッサンスと発音せず、ルネソンと発音しなければ通じない。タイ語は難しい。
画像(2)、「パトンシーフード」の入口横に並べられた魚介類。高いものは相当な値段がするので、事前に重さを量ってもらった方が無難。エビも2種類あり、大きなタイガープロウンは、2匹で2,500円ほどもする。
画像(3)、ガサガサゴソゴソ…この中からどれを選べっちゅうねん(汗)
画像(4)、そして、出てきたプー・パッポン・カリー。プーとはタイ語で蟹のこと。店によって卵を溶いたものを絡めたり調理方法は色々である。タイに来たら必ず食べたくなる一品!是非お試しあれ!
画像(3)、スタックしたトゥクトゥクの車内で撮った一枚。この怪しげな雰囲気がたまらない。ホテルに向かう途中、おもむろにガソリンスタンドに寄り給油していた…。日本じゃあり得ないね。
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「税理士界」に寄稿

2011-08-17 12:08:08 | Weblog
 久しぶりのブログである。気付けばドバイの記事以来か…。最近は主にフェイスブックなるものを利用し情報発信していたので、音信不通の小生の体調を気遣ってくれた優しい人たちも沢山いた。すこぶる元気なのでご安心下さい。4月からダイエットも敢行し、9キロほど体重を落としました。
 さて、今回、日本税理士会連合会が発行する新聞「税理士界」に随筆が掲載された。日税連の広報から原稿を依頼された時、文字数を気にせずに原稿を書いたので、誌面の校正上大幅に文字をカットすることになってしまった。そこで今回、オリジナルの原稿をそのままブログにアップさせて頂くこととしました。
以下、原文。


 FIFA女子ワールドカップドイツ大会で「なでしこジャパン」はアメリカとの死闘の末PK戦を制し、日本サッカー界にとって史上初のワールドカップを手にすることができた。「あっぱれ!なでしこジャパン!」と張り裂けんばかりの声で叫び、拍手を送りたいと思っている。テレビ中継を見ながら手に汗握り応援していたが、最後は感激の余り知らぬ間にむせび泣いていた。復興に向かっている日本国の全ての人に勇気と感動を与えたことは言うまでもない。なでしこジャパン、本当におめでとう!
 今回はFIFAワールドカップ(以下「W杯」)の思い出について書かせていただこうと思う。私がW杯の虜になってしまったのは、1998年岡田監督率いる日本代表が初めてW杯の本大会に出場したフランス大会からだ。まだ皆さんの記憶に残っていると思うが、日本中を騒がせたチケット問題というのがあった。「ジョホールバルの歓喜」と語り称されているプレーオフで宿敵イランを下し初の本大会出場を決めた時から自分も絶対にフランスへ行くのだと心に決めていたのである。早速、旅行会社に観戦ツアーを申し込んだのだが、暫くして旅行会社から非情な一本の電話がかかってきた。「申し訳ございません。チケットが取れていないのですが、キャンセルされますか。」と。私は、チケットなんかなくてもフランスに行くに決まっているじゃないか!と語気を荒げて即答。結局、フランスに渡った後、幸運にもダフ屋から高値でチケットを手に入れることができたのであった。初戦のアルゼンチン戦は観戦できなかったものの、2戦目のクロアチア戦(ナント)、3戦目のジャマイカ戦(リヨン)を現地で観戦した。予選リーグを日本代表は全敗し勝ち点1すら獲得することができないという何とも悔しい結果になってしまったが、W杯の素晴らしい雰囲気は体験することができたのである。W杯は世界最大のスポーツの祭典。世界中から集まってくる人々と楽しく交流することができる。この時からW杯の魅力の虜になってしまったのであった。
 初めて日本で開催された2002年日韓大会の時は、トルシエジャパンの全試合を含む10試合を現地で観戦した。初戦のベルギー戦(埼玉)はドローだったが、日本にとっては記念すべき初の勝ち点1が記録された瞬間であった。そして、2戦目のロシア戦(横浜)でW杯初勝利!3戦目のチュニジア戦(大阪)にも勝利し、初めて予選リーグを首位で突破した。ベスト8を懸けて戦った雨中のトルコ戦(宮城)、惜敗はしたものの日本代表は多くの課題を得ることができた試合だったと思っている。この日韓大会の開催中は、ほとんど仕事が手に付かず、スタジアムからスタジアムへ移動し、その合間に札幌の事務所へ戻って仕事をするという慌ただしい毎日であった。これも今となっては懐かしい思い出となっている。
 ジーコ監督が率いた2006年ドイツ大会は、予選リーグ3戦目のブラジル戦(ドルトムント)のみ応援に行ったが、強豪国相手に善戦するも大敗し、2大会連続の予選リーグ突破はならなかった。ドイツは環境に力を入れている国だということは知っていたが、スタジアムの売店で販売されているビールはプラスチック製のグラスに注がれて手渡される。ビールの値段が随分高いなと感じていたが、このグラスを返却すれば代金の一部を戻してもらえるという合理的なシステムになっているのであった。それを知らない日本人サポーターはゴミ箱にポイポイとグラスを捨てており、私はそれを拾い集め換金し、タダでビールを飲むことができたのであった。
 記憶にも新しい昨年の2010年南アフリカ大会。岡田監督が見事にアウェー初の予選リーグ突破を果たした大会であった。W杯開催前からメディアで度々流される南アフリカのネガティブな報道。1日に50人が殺人事件に巻き込まれているとか、道を歩けば3分以内に強盗に遭うなどなど。行こうか行くまいか直前まで迷った挙句、私は初戦のカメルーン戦(ブルームフォンテーン)を観戦するためヨハネスブルグ行きの飛行機に飛び乗ったのである。知人などからは、そんな危険な国に行ってどうするんだ、どうせ行ったって日本は1勝もできないでしょ、など色々な事を言われたが、帰国後はそれも一転。良い試合を見ることができて良かったね、という賛美の声に変っていた。南アフリカは、自然が豊かで、ホスピタリティに溢れ、本当に魅力的な国であった。勿論、危険な場所もあるが、それは世界中どこの国にもあることだ。節度を踏まえた上で行動すれば、危険な目に遭遇することもない。南アフリカは、死ぬ前にもう一度訪れたい国の一つと言えよう。
 4年に1度開催されるW杯、次は2014年ブラジルで開催されることが決まっている。W杯に行くことは私のライフワークであり、身体的にも経済的にも健康でなければ行くことができない。W杯は自分の健康のバロメーターを知る上でひとやく買っているということにもなるのだ。一生涯、私とW杯は切っても切れない関係になりそうである。いつの日か、男子日本代表もユニフォームのエンブレムの上に小さな星☆が付くことを夢見て。
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シンガポールの夢の島

2011-05-10 08:40:18 | その他海外
ドバイ国際空港22時45分発のシンガポール航空945便で次の滞在地シンガポールへ移動。
深夜便なので機内で1泊しなければならない。
この深夜便で息子にとっての一大事が起こる。
先日購入したばかりの任天堂の3DSを座席ポケットに置き忘れたまま飛行機を降りてしまったのである。
ヒルトンシンガポールへ向かうタクシーの中で、「あれ?僕のDSがない!」と大切な物を置き忘れたことに気付いたのだ。
ホテルにチェックインする時にシンガポール航空の機内に忘れ物をした事をスタッフに伝え、空港に電話を入れてもらうことにした。
航空券のEチケットと座席番号が書かれた搭乗券の半券をスタッフに手渡す。
息子は、心配そうに忘れ物が無事発見されることを祈っている。
しかし、結果は残念ながら「NO」ということだった。
シンガポールでも3DSは高価なものだから戻ってくることは難しいのではないか、とホテルのスタッフは気の毒そうに言った。
息子は悔し涙を目に溜めていたが、ポジティブに捉えるとこれもまた良い勉強である。
旅先で移動する際は必ず身の回りの物に神経を使い紛失や盗難に遭わないようにしなければならない。
3DSはまた買えば良いが、これがパスポートや財布だったらとんでもないことになっていた。
息子にとっては多くの経験値を得た有益な失敗であった。
さて、シンガポール滞在は今回で6回目となる。
初めてシンガポールを訪れたのは1989年、大学3年生の春休みの時だ。
それから22年が経過し、シンガポールという国家は飛躍的に発展した。
中でも一番発展したエリアは、紛れもなくシンガポールの南に位置するセントーサ島だ。
ブログのタイトルにも書いたようにシンガポールの「夢の島」なのである。
昔はマウントフェーバーからケーブルカーで行くか、船で行くしか方法がなかったが、今ではバスやタクシーやLRTという電車で行くこともできるようになっている。

島内にはリゾートホテルが何軒も建ち並び、かの有名なテーマパーク、ユニバーサル・スタジオまでオープンした。
今回の旅では、2日間セントーサ島を訪れたが、1日中遊んでもまだ時間が足りない程であった。
1日目はタクシーを利用しセントーサ島に入り、旅の目的でもあったユニバーサル・スタジオ・シンガポール(USS)へ訪れたが、大阪のUSJとはアトラクションも随分と異なり、思う存分童心に帰る事ができた。

ただし、まだ建設中のアトラクションもいくつかあり、マダガスカル、ウォーターワールドなどは見ることができなかった。
次にシンガポールを訪れる時まで楽しみは取って置く事にしよう。
2日目はケーブルカーでセントーサ島に渡り、アンダー・ウォーター・ワールドという水族館を見たり、LUGE&スカイライドというソリのようなハンドル付きの乗り物でスロープを滑り降りるアトラクションに挑戦したりした。
アンダー・ウォーター・ワールドはそれほど大きな水族館ではないが、エイなどの魚に餌をやったり、ピンクドルフィンのショーがあったりと魅力的なオリジナリティーがある。
小生もエイに餌(2シンガポールドル=130円程)をやってみたが、大きなエイがバシャバシャと餌を求めて這い上がってくる姿が実に滑稽で面白い。

エイはその容姿から悪魔の化身などと怖がられているが、小さな口がとてもチャーミングでキュートであった。
LUGEでは、息子と一緒にヘルメットを装着し、コンクリートのスロープを一気に滑り降りた。
ハンドルを押すとスピードが出て、ハンドルを引くとブレーキがかかる。
意外にスピード感もあり、大人でも十分楽しむことができるアトラクションであった。
次にこの「夢の島」を訪れる時、どんな風に変化しているか今からとても楽しみである。
話は変わるが、小生は過去の旅程等をPCに記録しており、日付、渡航先、回数、主な出来事などを記録している。
今回の旅が節目となる70回目の海外旅行であった。
そのうちの半分が息子を連れての旅である。
初の海外旅行は、1980年8月(当時15歳)に亡き母と二人で行ったアメリカ旅行。
サンフランシスコ、ニューヨーク、ナイアガラの滝、ロサンゼルスなどを周遊した。
高校合格のお祝いにと母が連れて行ってくれたものである。
今思い起こせば、この時から旅することが小生のライフワークになったのかもしれない。
現在では、旅に出るために仕事をしていると言っても過言ではない。
それ程、旅は多くのものを自分に与えてくれる。
まさに、「No Journey,No life.」なのである。
初めての海外旅行から31年の時が流れた…。
そしてまた、息子との旅は続く。

今まで訪れた旅の記録(国及び地域)2011年5月現在
大韓民国、中華人民共和国、台湾、香港、マカオ、グアム、北マリアナ諸島、パラオ共和国、タイ王国、シンガポール、マレーシア、インドネシア、オーストラリア、カザフスタン、アラブ首長国連邦、レバノン、シリア、イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、スイス、イタリア、バチカン市国、オーストリア、ロシア連邦、アメリカ合衆国、カナダ、ジャマイカ、モロッコ王国、南アフリカ共和国。

画像(1)、セントーサ島のマーライオン。マーライオンの上に登ることができる。ちなみに本物のマーライオンは、現在修復中であった。
画像(2)、ケーブルカーからセントーサ島を望む。ハードロックカフェホテルなど新しいリゾートホテルがオープン!一度は泊ってみたいものだ。ケーブルカーもリニューアルされていた。
画像(3)、ジュラシックパークライドというアトラクションの前で。USJのライドとは違った円形のボートに乗って探検!ちなみにレインコート(2Sドル)を着ないと、ぐしょ濡れになるよ。
画像(4)、エサ欲しさに集まってくるエイ。マダラトビエイなど4種類ほどのエイがこの水槽で飼育されている。エイのエサは、魚とイカの切り身。
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ドバイ紀行 4

2011-05-03 08:41:48 | その他海外
ドバイもついに最終日。
4日間の短い滞在だったが、これでは到底時間が足りないほどドバイは魅力的な街だ。
最終日も朝からホテルの前に広がるジュメイラビーチで波と遊んだ。

他の国のビーチと比較するのは好きではないが、とにかく砂と海が綺麗である。
波打ち際には様々な種類の貝殻が落ちていて、波が引く時には貝殻たちがぶつかり合いチャリチャリと可愛い音を立てていた。
砂の粒子も細かく、とてもサラサラしている。
ホテルの前のビーチは完全にプライベートビーチになっており、ヒルトン宿泊者ではない者が入ってくるとセキュリティに追い払われていた。
ヒルトンの宿泊者は青いタオルを使用しているので、それが目印になっているのだ。
遠浅の海で仰向けに大の字に寝て波に身を任せれば、日頃の疲れも癒してくれる。
もっともっとこうしていたい、と願うが無情にも時間は止まってはくれない。
ペルシャ湾(こちらではアラビアン・ガルフという)にお別れし、午後1時に展望台行きエレベーターの予約をしていた世界一ののっぽビル「バージ・カリファ」までタクシーを飛ばした。

一昨日、訪れた時はチケットが完売だったため展望台に登ることができず、今日という日を息子共々すこぶる楽しみにしていたのだ。
チケットを提示するとスタンプが押され、いよいよ世界最速と言われるエレベーターへ。
エレベーターを待つ人々からは、ドイツ語、ロシア語、韓国語、英語など様々な言葉が聞こえてきた。
10分ほど待ち、近未来的なエレベーターの中へ。
エレベーター内は照明が落とされ、キラキラとライトが点滅し、まるでスターウォーズに出てくるような感じがした。
最速秒速10メートルという速さで、アッと言う間にレベル124の展望台(Gフロアがあるので実際には125階に相当)に到着。
この展望台の高さは勿論世界一の高さ442メートル(ビルの高さは828メートルで世界一)である。
エレベーターを降り、外のテラスへ出るとまるで雲の上からドバイの街を見下ろしている様な不思議な感覚がした。

世界地図を模した建設中の人工島「ザ・ワールド」も展望台から見ることができた。
おー、すげえ!と息子も3DSで外の景色をカメラに収めていた。
今や世界でも有数の観光地となったドバイだが、街が砂の上に建てられていることが景色からはっきりと見てとれる。
莫大なオイルマネーで経済的に飛躍した国であるが、いつかは石油資源も枯渇してしまうであろうからと観光立国へ早々とシフトチェンジした君主の柔軟な姿勢がこの風景から感じることができた。
国の為の政策転換、その英断に敬意を表さずにはいられない。
ドバイショックなどというネガティブな言葉も耳にするが、その言葉を吹き飛ばすほどの爆発的エネルギーをこの風景から感じとったのであった。
さて、テラスからビルの中に入ると土産品を売る小さなショップがあり、その前に金色に輝く不思議な自動販売機がポツンと置かれていた。

何だろうと見に行くと、噂には聞いていたが、純金を売る自動販売機であった。
グラムによって料金は違うが、一番安いもので2万円弱、一番高いもので15万円ほどの純金だ。
金の板には「バージ・カリファ」のビルが刻印されている。
日本の観光地でよく見られる記念品のメダルのようなものだ(実際には全く違うが)。
息子は欲しがったが、流石にちょっと手が出なかった。
ドバイを見て感じたのが、経済的に潤っているせいか、人々はギスギスしていない。
アジア諸国で見られるような強引な勧誘にも物売りにも遭遇することはなかった。
人々は非常にフレンドリーで、穏やか、笑顔で溢れている。
前述のドライバーがパキスタン人であったように、人々は海外からの労働者がほとんどだ。
パキスタン、インド、バングラデュ、フィリピンなど実に多くの国々から働きに来ている。
その彼らの強く直向な優しさは、祖国に家族を残し家族のためにがむしゃらに働いているところから来ているのかも知れない。
日本も過去の栄光の上に胡坐をかいている場合ではないのだ。
ドバイを訪れ色々なことを考えさせられた特別な4日間であった。
ドバイで知り合った全ての人々に感謝、シュクラン!

画像(1)、ビルに描かれたムハンマド・ドバイ首長とハリーファ(カリファ)・アブダビ首長(大統領)の肖像。国民からとても尊敬されており、ホテルのロビーなんかにも写真が飾られていた。アラブ首長国連邦は、7つもの首長国から構成されており、それぞれの国に王様(首長)がいるそうだ…うーん複雑だ。
画像(2)、ビーチでもプールでも息子は一度入れば、ほとんど陸に上がってくることはない。よく疲れないものだ。
画像(3)、人工池の向こうに「バージ・カリファ」を臨む。みんなこの馬の前で記念写真を撮っていた。
画像(4)、街は一面砂の色。砂の中に街ができたのがよく分かる。ガラス張りの壁の一部から手を出す事ができるようになっている。カメラを外に出し写した景色がコレ。

世界一の噴水「ドバイ・ファウンテン」の人工池がよく見える。
画像(5)、これがあの純金の自動販売機!今になって買えばよかったと少し後悔。
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ドバイ紀行 3

2011-05-01 11:02:38 | その他海外
今日はいよいよ楽しみにしていたデザート(砂漠)・サファリの日。
朝の8時にホテルでピックアップ。
迎えに来てくれたのは、ツアー会社「Funtours」のロゴがド派手にプリントされたTOYOTAのランドクルーザーだった。
このランクルで1時間ほど車を走らせ砂漠地帯へと向かう。
青空の下、快適なクルージング。
途中ドライーバーと色々なことを話した。
昨日のタクシードライバーと同じく彼もまたパキスタンからの出稼ぎ労働者。
パキスタンからドバイに出てきてもう11年も経つという。
当然のことながら家族とは別居、物価の高いドバイにはとてもじゃないが一緒に住めないと笑っていた。
故郷のパキスタンには、毎年一度一ヶ月間だけ帰省するそうだ。
年に30日間しか顔を会わす事が出来ない家族もいるのである。
仕事やら会合で帰宅が深夜になり朝しか家族と顔を会わせることが少なくない小生ではあるが、彼よりはまだマシである。
朝だけでも家族と会えることは幸せなことなのだ。
そうこうしているうちにランクルは、市街地を抜け乾ききった砂漠地帯へ突入した。
道路標識にオマーン80キロなどと表示され、隣国オマーンが近いことを想像させた。
ドライバーが、キャメル、キャメルと言うので、横に目をやるとラクダが点々と植物を食んでいるのが見えた。
野生のラクダかと思いきや、キャメルファームで飼われている家畜のラクダだという。
いよいよ、デザート・サファリの入口に到着し、トイレ休憩。
その間にドライバーは、4WDのタイヤの空気を抜いて砂の上を走りやすくしていた。

トイレ休憩と言ってもそこは小さな土産物屋で、店の店員にアッと言う間にアラブ人の格好をさせられてしまう。
息子も真っ白いカンドーラという民族衣装を着せられ、頭には布を巻きつけられていた。
勿論、記念撮影用に着せてくれた訳ではなく、「買ってくれ」と言うことなのである。
結局、全部あわせて110ディルハムで購入。
息子はすっかりアラブの王子様に変身させられていた。

さて、タイヤのエア調整も終わり、いよいよデザート・サファリへと向かう。
土産物屋の横から砂漠地帯へ入ると直ぐに見渡す限りの砂、砂、砂…、美しいブラウン・サンドが果てしなく続いている。
車のタイヤやらバンパーやら散乱している所もあり不思議に思ったが、その不安は的中。
自然が織り成す急な砂丘を駆け上がって行ったと思ったら、まっ逆さまに下りて行く。
走っていると言うよりは、滑り落ちていると言った方が、適切な表現かもしれない。

並みのジェットコースターなんか比べ物にならないほどのスリリングさを味わうことができる。
オーマイガッ!完全に車が横転したと思った瞬間も何度かあったほどだ。
声にならない悲鳴を上げ、恐怖の汗でシャツがぐっしょりになってしまった。
ドライバーにワンモア?と聞かれたが、慌ててトゥマッチと答え勘弁してもらったのである。
ジェットコースターが大の苦手な息子はと言うと、目がうつろになりグッタリだ。
デザート・サファリの後は、ラクダに乗ったり、バギーに乗ったり、結構盛りだくさんのツアー内容。
ラクダに揺られながら、念願の駄洒落も言うことができた。
「ラクダに乗って楽だー。」

バギーは、ヘルメットを着用し息子とタンデム状態で程よい高低差の丘陵地を走り回った。
最初は怖がっていた息子であるが、最後にはもっと走りたい走りたいと小生の背中でつぶやいていたのである。

日本に帰ったらバイクの大型免許とってハーレーで息子とタンデムしたいな、などと砂漠で夢を膨らませたのであった。
とうとうドバイも残すところあと1日、エキサイティングな1日でありますように。

画像(1)、ドライバーが砂漠の中で車を停めてくれ記念撮影。360度砂漠。こんなところで遭難したら1時間ももたないかも。
画像(2)、タイヤの空気調整をするパキスタン人のドライバー。日本語は話せないが、英語で丁寧に説明してくれた。今まで一度もデザート・サファリで事故ったことがないベテラン・ドライバー。
画像(3)、すっかりアラブのプリンスになった息子。この4WDでこの後砂漠を滑走することになる。
画像(4)、見えるのは青い空と茶色の砂のみ。息子は仲の良い友達にプレゼントするんだと言って砂漠の砂を袋に詰めていた。果たして、砂をもらった友達は嬉しいのだろうか??
画像(5)、小生に乗られたラクダも重くて大変だろうなー、なんてことを考えながらラクダに揺られた。ラクダの足は、平べったくて砂の上を歩くのに優れているんだな。ラクダ飼いのオヤジは喉の奥から妙な音を絞り出し、ラクダを立たせたり座らせたりしていた。匠の技だ!
画像(6)、ライセンスなど必要なく、誰でもバギーにライドすることができる。あ、ちなみに小生、頭のサイズがいささか適合せずノーヘル運転してました。そうそう、一緒に走っていたヨーロッパ人は砂丘で横転していたなー。大丈夫かなー。
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ドバイ紀行 2

2011-04-30 04:48:58 | その他海外
2009年に開通したドバイ・メトロに乗ってみようと思い最寄り駅まで炎天下の中てくてく歩いたが、金曜日の運行は13時30分からだと無情にも駅員に告げられた。
何故、金曜日だけそんな運行ダイヤなのか知る由も無いが、日本では考えられないことである。
仕方がないので駅からタクシーで「バージ・カリファ」へ向かうことにした。
20分ほどで世界最大のショッピングモールである「ドバイ・モール」へ到着。
タクシーを降りると人口池の向こうに今まで見たことも無い高さのビルが天に突き刺さんばかりに威風堂々と聳え立っていた。
「なんだこれは?」と息子と絶句。
世界で最も高い建造物としてギネスブックにも登録されているそうであるが、その高さ828メートル。
日本が誇る建設中のスカイツリー(634メートル)を遥かに凌駕している。
早速、展望台アット・ザ・トップに登ろうとチケットブースに行ってみたが、当日券は全てソールドアウト。
仕方がないので、予約カウンターで5月1日13時指定の前売券(1人100ディルハム=約2500円)を購入した。
この「バージ・カリファ」ドバイでも超人気らしく、なかなかチケットを手に入れることは難しい。
ちなみに前売券ではなく、即時入場券の場合4倍の料金(400ディルハム)になってしまうそうである。
流石に展望台まで行くのに1人1万円近くの出費は痛い。
アット・ザ・トップに行くのは明後日までのお楽しみとし、次に向かった先がドバイ・モールの中にある「ドバイ・アクアリウム」。

これまたギネスブックに登録されている世界最大の巨大水槽がある水族館だ。
少し前までは、日本の「沖縄美ら海水族館」が世界一だったが、残念ながらドバイに記録を塗り替えられた。
水槽の長さ32.88メートル、高さ8.3メートルは確かに圧巻だが、水槽内の魚が美ら海とは全く異なる。
自分の中では巨大なジンベエザメが3匹も泳ぎまわる美ら海水族館に軍配が上がった。
「ドバイ・アクアリウム」では、水中トンネル、グラスボトムボートがセットになったお得なチケットを購入(1人100ディルハム)。
水中トンネルを抜け、上の階にあるアンダー・ウォーター・ズーを見学した後は、ライフジャケットを着用しグラスボトムボートに乗船。
先ほどの巨大水槽の上を今度は真上から眺めるという趣向である。

魚のエサも料金に含まれており、エサを撒くとバシャバシャと音を立てて魚達がボートに近寄って来た。
グラスボトムボートなんてもんを良くぞ考えたものだと感服してしまった。
ドバイ・モールの外に出ると丁度音楽が流れ「ドバイ・ファウンテン」という噴水のショーが始まった。
この噴水も兎に角凄い。
噴水の全長275メートルというのも世界一であり、ショーのクライマックスには150メートルの高さまで噴水が高く舞い上がった。

このショーは一日何度も行われるそうであるが、ライトアップされた夜のショーの方がお勧めである。
今日だけで一体いくつの世界一を体験したであろうか…。
本当にこのドバイは、世界ナンバーワンがお好きなようである。
どこかの国のように、「2番じゃダメなんですか?」という貧相な考えは持っていないことは確実であろう。
帰りのタクシー・ドライバーに日本から来たと言うと、神妙な顔つきで「大変だったね。」という答えが返ってきた。
そして、地震と津波で3万人近くもの人が亡くなったことを教えると、深い悲しみの表情を浮かべていた。
ドライバー自身パキスタンからドバイに出稼ぎに来ており、3歳の娘と5ヶ月の息子をパキスタンに置いて来ているので災害のニュースは他人事ではないのかもしれない。
日本のイメージがどんなものかそのドライバーに聞いてみると、電化製品や自動車などの日本製品はとても素晴らしく世界で一番安心できる、中国製のものとは比べ物にならないよ、と言ってくれた。
その良いイメージを守るためにも我々日本人は一日も早く震災から復興しなけれなならない、そう強く思った。

画像(1)、先端恐怖症の人には見るのも辛いこのフォルム!カリファとはUAE大統領の名前。早く展望台に登ってみたい!
画像(2)、水槽は大きく、サメやエイなどそれなりに飼育されてはいるのだが、何となく寂しく感じてしまうのは小生だけなのだろうか。やっぱ巨大水槽にはジンベイでしょ!それとマンタでしょ!
画像(3)、グラスボトム、このアイデアはイイね!アジの仲間がエサを求めてわんさかと近付いて来た。
画像(4)、爆音とともに高く吹き上がる噴水。こんな噴水今まで見たこともない。今まで見てたのはせいぜい札幌大通公園の噴水くらいかな。
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ドバイ紀行 1

2011-04-29 14:44:44 | その他海外
実に久しぶりのブログ更新である。
甚大な被害をもたらした東日本大震災の大災害、そして福島原発の放射能問題など日本は今まで経験したことの無い困難に立ち向かっている。
そんな中、海外に出ることは気が引けたが、1年前から計画していた旅行なので思い切って実行することにした。
自粛、自粛と言われているが、そろそろ震災前の生活に戻した方が経済も活性化するはずだ。
今回訪れた旅先は、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ。
以前から一度は視察しておきたかった中東の大都市である。
中東を訪れるのはレバノン、シリアに次いで三カ国目(息子にとっては初の中東諸国)になる。
札幌を出発し、羽田空港で国際線に乗り換え、シンガポールへ、そこでトランジットに5時間ほど要し、UAEのドバイへ飛んだ。
羽田からシンガポールまで7時間のフライト、シンガポールからドバイまでまた7時間のフライト、乗り換え時間を入れてトータル24時間もかかってしまった。
関西空港からエミレーツ航空の直行便を利用したら11時間ほどでドバイに来れるが、今回は昨年のうちにANAのマイレージを利用し札幌−シンガポール往復の特典航空券を取っていたので仕方がない。
しかし、だんだん歳を重ねてくると長時間のフライトは堪える。
体の幅もエコノミークラスのサイズに合わなくなってきているし、困ったものだ。
でもそれ以上に旅は、人生を豊かにしてくれる。
息子の成長を肌で感じることができるのだ。
普段は忙しくて帰宅は深夜になってしまうことが多いので尚のことである。
例えば、今までは海外で一人でトイレに行けなかった息子であるが、今回は文句も言わず怖がらずに一人で用を足せるようになっていた。
些細なことではあるが、父親としては嬉しい限り。
さて、昨日、シンガポール・チャンギ空港12時55分発のSQ454便に搭乗し、ドバイに到着したのは16時(シンガポール時刻20時)過ぎである。
なかなか進まないイミグレーションにイライラしたが、無事に通過し、空港の外に出た。
ダマスカスのようにドッとタクシーの客引き攻撃に会うかと想像していたが、誰からも声を掛けられることなく、すんなりタクシー乗り場へ。
今回のホテル、ヒルトン・ドバイ・ジュメイラまで行ってくれとドライバーに伝えた。
タクシーは近未来的な街並みの中を走り抜けた。

今まで訪れたイスラムの国とは確実に違う発展を肌で感じることができた。
世界で一番高い「バージ・カリファ」という超高層ビルを左手に眺めながら、30分ほどでホテルに無事到着。
のはずが、よく見るとこのホテルは、ヒルトンではなくシェラトンではないか!?
NO!NO!シェラトンではなく、ヒルトンだ!とドライバーに告げると、彼は肩をすぼめ、ハンドルを切り返した。
直ぐ近くにヒルトンはあったので、問題は無かったが、全く逆の方向だったらとんでもないことになっていた。
以前、ハワイのタクシーでもヒルトンとシェラトンを間違われたが、自分の英語の発音に自信が持てなくなってしまう。
初めての土地でタクシーに乗るときは、面倒でもホテルの名前が英語表記された紙か地図をドライバーに見せた方が無難かもしれない。
UAE入国後まだ日本人と出会っていないが、世界の人々が日本という国をどう見ているのか知りたいと思っている。
そして、自分もこの発展を続けるドバイという都市を日本人の目で観察したいと思っている。

ホテルに到着後、ホテルの目の前にある「チリズ」というレストランで食事をしたが、もちろんアルコールは置いてない。
「なんでここではお酒は飲めないの?」と息子は不思議がっていた。
そういうことが生きた勉強なのだ。
結局、息子とダイエット・コークで乾杯し、喉を潤したのであった。
話は変わるが、今朝は夜中の3時に目が覚めてしまった。
これが時差ボケというものだ。
夜中の3時は、日本の朝の8時なのであるから自然に目が覚めてしまうのである。
今日は朝から「バージ・カリファ」見学のためドバイ・モール方面を訪れ、午後はプールかビーチでのんびりしたいと思っている。


画像(1)、左ドバイ、右アブダビという標識。アラビア語が異国情緒を助長している。残念ながら今回はアブダビには足を延ばせない。
画像(2)、片道6車線、合計12車線のとてつもなく広い道路。アメリカと同じように右側通行である。
画像(3)、近未来的な風景が続くドバイの街並み。ビルの手前にある建物は、最近完成したメトロの駅。メトロと言っても地下鉄ではなく地上を走っている。
画像(4)、朝早く目が覚めてしまったので、ビーチを散歩。ホテルの朝食は7時(日本時間12時)からということだったので、波打ち際で貝殻を拾ってみたよ。お土産になるかもね。
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ジャックさんの話

2011-03-18 15:34:58 | 国内旅行
確定申告の繁忙期、忙殺されていた。
この一カ月、休んだ事も早い時間に帰宅したこともなかった。
帰宅はいつも深夜、それも日付が変わる頃である。
なぜ今年はこんなにも忙しいのか、自問してみた。
振り返ってみると、やはり昨年逝去した父の存在が大きいことが分かった。
昨年の確定申告期間は、まだ父は生きており最後の力を振り絞って仕事をこなしていたのだ。
その父がやっていた仕事の分も今年は全て小生がやらなくてはならなくなったので、こんなにも時間が足りないのである。
父は自分が担当していた関与先の確定申告書をガンに侵された体で一生懸命作成していた。
目を瞑ればその小さくなった父の姿が鮮やかに脳裏に蘇る。
最後の申告書を作成し、関与先に決算報告の文章を打っていた時、マウスさえクリックできなくなってしまった。
これはもう限界だと思い病院に連れて行き、即入院させた。
今もって振り返ると入院した日がちょうど今日なのである。
この繁忙期、大きなプレッシャーとストレスで押し潰されそうになったが、何とかツイッターでごまかした。
ツイッターは、案外ストレス解消になる。
自分で自分を褒め称えたり、励ましたり、愚痴ったり。
今回の未曾有の災害になった東日本大震災でもツイッターは情報の収集に役に立ったはずだ。
エジプトの大規模な民主化デモもツイッターやフェイスブックが大いに役に立ったと聞いた。
これほどIT化が進み便利になった時代の中で、今ひっそりと幕を下ろそうとしている名店がある。
その名は「レストランジャックス」、横浜本牧にあるステーキレストランだ。
昨年の秋、息子を連れて横浜を旅した時に、憧れの名店に足を運んだ。
テレビの旅番組でジャックスを知り、いつかはここのステーキを食べてみたいと思っていたお店である。
インターネットで電話番号を調べ、駅から電話をかけてみた。
「これから行きたいのですが、どうやって行けば良いですか。」と尋ねてみた。
電話に出た男性は、丁寧に場所を教えてくれた。
JR根岸駅で下車し、タクシーに乗ればお分かりになると思います、とのこと。
早速、言われた通りにタクシーに乗る。
ものの数分でレストランジャックスに到着。
小さなレストランの前にきちんとした身なりの初老の紳士が立っていた。
タクシーを降りると「お待ちしていました。」と声を掛けて下さった。
その紳士こそレストランの名前にもなっているジャックさんなのである。
テーブル席に案内され、ワインとステーキを注文。
息子と二人で食べられるようにと、特別サイズのステーキを焼いてくれた。
バター醤油味のちょっと懐かしい感じのする味。

息子と二人で争うようにジューシーな肉を口に頬張り、あっと言う間に完食してしまった。
ジャックさんは、時折テーブル席に足を運んでくれ、どうですか?と声を掛けてくれた。
テレビ番組を見て、札幌からジャックさんのステーキを食べに来たんですと言うと、ニコニコしながら頷いてくれた。
そして、ちょっと寂しそうな表情で、来年の3月でこの店も閉めることにしたんですよ、と言う。
一緒に写真を撮ってもらい、名刺をお渡しし、ジャックさんお元気でいらして下さいねと、伝え店を後にした。
お店から外に出ても暫く見送ってくれたジャックさん。
そのレストランジャックスの五十数年の歴史も今年の3月27日で終わろうとしている。
出来ればもう一度あのステーキを頬張りに横浜まで足を運びたいが、時間が許してくれそうもない。
昨年のクリスマス近いある日、ジャックさんから手紙が届いた。

そこには、レストランジャックスの歴史が記されていた。
横浜の中華街でお店をオープンして以来、火災にも遭ったが、石原裕次郎を始め多くの人々に愛されてきたという。
現在のビルも老朽化が進み、ビル建て替えをきっかけに立ち退くことにしたそうである。
また一つ昭和の名店が消えようとしている。
いつまでもお元気でジャックさん!


画像(1)、84歳になられるジャックさんと。いつまでもお元気でいて下さい。
画像(2)、また食べたいが、もう食べることは出来なくなるんだな。本当に残念。
画像(3)、ジャックさんこと小倉昭二さんから届いたお手紙。
画像(4)、これは帰り際、ジャックさんがコピーして渡してくれたもの。一番左が若かりし頃のジャックさん。
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北の暦友の会

2011-02-02 08:14:08 | ライブ
いよいよ、北海道のアーティストや文化活動を支援する文化団体である「北の暦友の会」が本格始動した。
「北の暦」とは、北海道180市町村ライブを行っているJunco&Cheepが北海道の四季を表現した曲のタイトルでもある。
小生もこの「北の暦友の会」の監事に任命された。
Junco&Cheepのこの曲をまだ一度も聴いたことのない人は、是非ライブ会場に足を運んでいただきたい。
きっと感動すること間違いない。
愛車の温度計が氷点下10.5を示すなか、札幌市中央区の山麓通り沿いにあるレストラン「円山厨房」で「写真家・飯塚達央、札幌フォトギャラリー・オープニングパーティー」がしめやかに開催された。
Junco&Cheepの歌旅一座のメンバーでもある飯塚達央氏は、CDジャケットやPVの写真を数多く提供している新進のフォトグラファーだ。
飯塚氏曰く、ネガティブの中に見えるポジティブを撮り続けているとのこと。
http://photoseason.blog25.fc2.com/
大阪出身の飯塚氏であるが、ツーリングで北海道を旅した時にこの北の大地が気に入ってしまい北海道に永住を決意したほどの北海道大好き人間。
フォトギャラリーには、冬景色の作品が多く展示されているが、どの作品にもある種の温かさを感じることができる。
飯塚氏が言っていた「ネガティブの中にあるポジティブさ」、小生もなんとなく理解できたような気がした。
写真家飯塚達央の作品は、「円山厨房」に併設されたギャラリーで購入することもできるので、一度足を運んでいただきたい。

そして、もちろんこのパーティーには我らがJunco&Cheepも駆け付け、3曲ほど素晴らしい歌声を披露してくれたのである。
その中の1曲、チープ広石が歌う「想秋譜」は、いつもストレートに自分の中に入ってくる。
人生を四季に例えると、今どのあたりを歩いているのだろうか…。
人生80年として、それを春、夏、秋、冬で20年ずつに区切るとすると、正に自分の歩いている季節は秋なのだ。
それも初秋の頃だろうか…。
「想秋譜」(作曲チープ広石、作詞北埜うさぎ)という曲の中に、このような歌詞がある。

 登りきった坂の上から
 急ぎすぎた時を戻して
 見下ろせば息を切らして
 思い出が駆けてくる

息を切らして思い出が駆けて来るというフレーズ…何だかグッと来てしまうな。
パーティーの後、作詞家の北埜うさぎさんと談笑したが、「ジョニーさんも今、確実に秋なんですよー。」と言われた。
いつまでも青春真っ只中の若大将を気取ってはみても、周囲から見ればとっくに「秋」なのだ。
今やらなければならない目の前の事に全力で体当たりし、突っ走っているが、ふと自分の人生を振り返ってみると、実に色々なものが走馬灯のように浮かんでは消えて行く。
得たものも多いが、それ以上に失ったものも多い。
数えきれない人たちとの出会い、そして別れ、そのどれもが確実に今の自分の血となり、肉となっている気がする。
こうやって人生を振り返ることができるのも自分の立ち位置が正に「秋」だからなのだ。
人生いつ終わるか分からないが、もう少し続くであろう「実りの秋」を自分なりに楽しんでみようと思う。
そのことを気付かせてくれたJunco&Cheepと作詞家北埜うさぎに感謝。


今後のJunco&Cheep180市町村公演のスケジュール。
どこかのライブ会場で皆様とお会いできますように…。
2月12日(土) 新ひだか町(新ひだか公民館)14:30
2月19日(土) 登別市(登別市民会館)14:30
2月20日(日) 音更町(音更町文化センター)14:30
2月27日(日) 士別市(市民文化センター)13:30
3月 6日(日) 標茶町(開発センター)12:30

画像(1)、写真家飯塚達央さんと。プロの写真家ってすごいですね。その瞬間を芸術作品にするのですから…尊敬してしまいます。お体に気をつけて頑張って下さい。
画像(2)、飯塚達央さんとトークしているのは、作詞家の北埜うさぎさん。彼女の朗読がまたいいんです!是非一度聴いてみて下さい。
画像(3)、この写真は、平成22年12月8日ザ・高円寺で行われた東京進出ライブでの一枚(Junco&Cheep公式HP転載)。玉川学園の仲間たちがたくさんライブに来てくれた。みんな凄く感動してくれて、Junco&Cheepのライブにいつも行ける北海道人が羨ましいって言ってくれた。北海道に遊びに来るかい?北海道はでっかいどー!
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新生JALで飛ぶ

2011-01-31 09:21:38 | 国内旅行
正月のパラオの日記以来となるブログの更新。
気が付けば、アジアカップも日本の4度目の優勝で終わり、慌ただしい1月も今日で終わり。
この時の流れの速さは一体何なのだろうか。
今年も残すところあと11月…頑張るしかない。
遅ればせながら、最近、ツイッターなるものを始めた。
いわゆる「つぶやき(ツイート)」である。
誰も読んでないかもしれないし、誰かが読んでいるかもしれないが、これが結構面白い。
iphoneを購入したので、どこからでもツイートできてしまう。
例えば、今朝はこんな風にツイートした。
「事務所なう。今朝の札幌中央区の気温は-7.5℃なまらさみぃ。息子の胃腸炎も治り、1週間ぶりに学校に行った。さあ、また新しい週の始まり。『みなぎるパワー!』と疲れた体に呪文を注入!やるぜよ!」
ブログは自分の中ではオフィシャルな感じのもので、ツイッターは気楽な感じのもの。
先日のアジアカップの時もテレビを見ながら「日本勝ったー!泣けるぜよ!」などとツイートしまくったのであった。
さて、話は変わるが、今年初めてとなる東京出張に行ってきた。
昨年は、ブログにも書いたが、とにかくANAに乗りまくった。
目標は、ANAマイレージクラブのプラチナメンバーになること。
プラチナメンバーになると、ANAスーパーフライヤーズカードを持つことができる。

こうなると、ANAカードを所持する限り永遠に世界中のエアポートラウンジを利用できたり、優先搭乗できたりといった素晴らしいサービスを受けることができるのである。
おまけに、ANAは、世界最大の航空連合であるスターアライアンスのメンバーなので、コンチネンタル航空やシンガポール航空を利用する際にも同様のサービスを受けることができるのだ。
既にJAL系のワンワールドでは、同様のカードステイタス(JALグローバルクラブ)を保持していたので、これでJAL系もANA系も快適に空の旅を楽しむことができるようになった。
このようなカードステイタスを取得するためには、一年間(暦年)で5万マイル以上のフライオンポイントが必要であるが、昨年南アフリカへ飛んだ際スターアライアンスメンバーのシンガポール航空を利用したので、比較的容易にポイントを貯めることができたのである。
話を元に戻すが、ブログのタイトルにあるように、今年は再生中の新生JALを利用することに決めた。
何故、ANAからJALにまた変更したかというと、貯まったマイルの使い勝手がJALの方が良いからである。
家族旅行に行くときは、マイルを利用し特典航空券に交換しているのであるが、ANAはなかなかハードルが高い。
例えば、年末年始、ゴールデンウィーク、夏休みなどの繁忙期は、特典航空券に交換するマイルが割り増しになってしまうのだ。
成田からホノルルまで、通常のレギュラーシーズンだと4万マイルなのだが、ハイシーズンでは4万5千マイル必要になってくる。
貯まったマイルを国内線で利用するならANAの方が良いかもしれないが、国際線だとやはりJALの方が使い勝手が良いという結論に達した。
旅行に興味のない方には、どうでもよい話になってしまって恐縮だが、今年はとにかくJALで飛ぶということだ。
今年最初に搭乗した便は、ちょっと贅沢にJAL国内線ファーストクラスを利用。

ANAプレミアムクラスと同様の席種と考えてもらえれば良い。
品格漂うベージュ色の革シート…座席のテーブルもANAより広くて便利だと感じた。
朝の便であったので、離陸後間もなくして朝食が運ばれてきた。
この日のメニューは、魚がし北田の「築地の朝定」。
鰈(カレイ)の生姜煮、ほうれん草のお浸し、柚子大根、ご飯、味噌汁が付く。

驚いたのは、茶碗に盛られたご飯の美味しさである。
機内食とは思えぬほど、熱々でふっくらとしたお米であった。
アルコールの種類も豊富で、芋焼酎はあの「森伊蔵」を飲むことができる。
朝の便だったので、ビールにしたが、復路ではしっかり「森伊蔵」を2杯ロックで頂戴した。
飲み屋では、一般的に「森伊蔵」は1杯2千円位が相場なので、2杯飲むと4千円!などと無粋な計算をしてしまう小生なのであった。

画像(1)、羽田からの復路便は「嵐ジェット」。嵐のメンバーの顔が機体にプリントされていた。だからどうということはないが…。
画像(2)、ANAのスーパーフライヤーズカードとANAマイレージクラブのプラチナメンバーカード。
画像(3)、JAL国内線ファーストクラスの座席。本当はCAにカメラを渡して「写真撮ってもらえますか?」と言いたいところだったが、恥ずかしいのでやめた。
画像(4)、ファーストクラスの朝食。鰈の煮付けも結構うまかった。国内線のファーストクラスは、プラス8千円で利用できる。お酒の好きな旅人には意外とお得かもしれない。一度Fクラス利用すると、Eクラスは利用できなくなるかも…。
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パラオからグアムへ

2011-01-05 16:48:08 | その他海外
パラオの「パラオ・ロイヤル・リゾート」からグアムの「ヒルトン・グアム」に移動した。
パラオ発グアム行きのコンチネンタル航空954便は、深夜2時35分出発。
ホテルを深夜0時にチェックアウトしなければならなかったので、モーニングコールを23時30分に頼んだ。
ほとんど眠れずに空港へ行き、飛行機に搭乗することになる。
そして、パラオからグアムまでの飛行時間は、約2時間。
機内でもゆっくり眠ることは出来ず、やっと眠くなってきた頃にはグアム国際空港に到着だ。
パラオとグアムの時差は、1時間。
到着時刻は、パラオ時間で早朝4時30分、グアム時間で早朝5時30分である。
グアム空港でレンタカーを借り、まだ夜が明けていないグアムの街を走る。
まだホテルでチェックイン出来る時間ではないので、24時間営業の「K Mart」に向った。
朝、6時だというのに結構多くのロコがウロウロしている。
ピザの朝食を食べたり、息子とおもちゃを見たりして時間を潰したがまだ7時過ぎ…。
眠さも限界で、車を走らせる気力も無くなったので、とりあえず「ヒルトン・グアム」にスーツケースを預けに行くことにした。
チェックインは14時からというので仕方なく荷物だけ預けたが、やはり睡魔とは闘うことが出来ず、フロントに行きエキストラチャージを支払うから空いてる部屋にチェックインさせてくれと頼んだ。
すると、ラッキーなことに特別に空き部屋に入れてくれたではないか。
やっと横になれる、と思ったのも束の間、息子がプールに行きたいというので水着に着替える。
毎年、年末年始をグアムで過ごしている数家族とすっかり友達になっているので、久しぶりに会うのが待ちきれない様子だ。
神戸や東京から来ているお友達と直ぐに打解け、プールの中でボール遊びに夢中になっていた。
小生はというと、トドのように重たい身体をベッドに横たえ夢の中へ…。
午後になり、もう一組札幌からお友達家族がグアムに到着したので、夕食は総勢16名でジャマイカン料理を食べに行くことに。

子供が全員で8人…にぎやかなこと、にぎやかなこと。
今回うちは、グアムに2泊だけであるが、長い家族で半月ほどグアムに滞在しているという。
長く滞在しているご家族の話によると、今年のグアムの海は波が高く、昨日タモンビーチでボートに乗っていたロコの少年達5名が波に飲み込まれたそうである。
3名が自力で岸まで泳ぎ着いたが、1名が死亡、行方不明になっていた1名も水死体で翌日発見されたという。
昨日までタモンビーチは立ち入り禁止であったが、ようやく封鎖は解除された。
どうも今年のグアムの天候はおかしい…。
今日も結局一日中スコールが降ったり止んだり…、仕方がないので7名乗りのレンタカーを借り2家族でドライブに出かけた。
景色が素晴らしい恋人岬(TWO LOVERS POINT)に寄った後は、第二次世界大戦で命を失った方の慰霊塔がある我無山平和寺へ向かう。

一度も行ったことがないグアム島北部にあるので、マップを見ながら車を走らせる。
「あれ?地図ではこの辺なんですけど…」助手席のお父さんがナビをしてくれたが、慰霊塔の看板は全く見当たらない。
案内板を見落としてしまったのかな…。
もう少し車を走らせてみて、見付からなかったらUターンさせれば良いと思い、小生が「この辺で戻りますか。」と言いながら左にウィンカーを点灯した所が正に慰霊塔へと続く道だったのである。
何だか見えない力に導かれているようで、ゾクッと鳥肌が立つ。
住宅街を抜けた緑に包まれた山裾に、我無山平和寺と慰霊塔が見えてきた。
平和寺でお線香を上げ、慰霊塔で合掌する。

ここの叉木山と呼ばれる場所もグアム島を死守していた旧日本軍と米軍が激しく戦い、多くの尊い命が散ったところでもある。
平和寺の御堂の中には無造作に旧日本軍兵士の錆びて朽ちかけたヘルメットなどが置かれていたが、数万もの日本人が南洋の島々で命を失ったという事実だけは忘れてはいけない。
南の島、リゾート、青い海、青い空、マリンスポーツ…グアムと聞くと明るいイメージばかりが先行するが、まぎれもなくここは激戦の地であったのだ。
親から子へ、子から孫へ、こうした悲しい歴史も語り継いでいかなければならない、そう思った。

画像(1)、南太平洋戦没者慰霊協会が建てた慰霊塔。両手を合わせ合掌した形をしている。その瞬間、突然のスコールが!これは涙雨だったのであろうか…。
画像(2)、みんなで訪れた「ジャマイカン・グリル」。ジャマイカといえばやはりジャーク・チキンであろう。ヤーマン!
画像(3)、TWO LOVERS POINTと書かれた前で記念撮影。札幌チームのチビッコ。本当は手前のハート型のところに立てば良いのだが、何故かハチが数匹止まっていた。
画像(4)、我無山平和寺の御堂。ここで同行のお父さんにお経をあげていただき感無量であった。何故かこの御堂にもハチがたくさんいた。
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トローリングに挑戦(パラオ)

2011-01-04 17:10:28 | その他海外
前回のブログにも書いたが、パラオでは現地ツアーに申し込まなければ、プールでゴロゴロしているしかない。
ショッピングといってもコロール一番の繁華街にTシャツや民芸品を売る店がちらりほらり。
息子が手釣りに行くツアーに参加したいと言い出し、どうしようか考えた末、どうせ釣りをするならトローリングに行こうと決断した。
早速、「IMPAC」という現地ツアー会社に電話し、トローリングをお願いすると幸運なことにトローリング用のボートが1隻空いているという。
前日「アイライ・ウォーター・パラダイス・ホテル」から「パラオ・ロイヤル・リゾート」というJAL系のホテルに移動して来ていたので、そこにピックアップを頼んだ。
ボートのチャーター代は、お弁当と飲み物代、それにトローリング用の釣竿2本が付いて500ドル。
この代金の他フィッシングの許可証料金として1人20ドルを支払い、早速ボートに案内される。
ボートには、パラオ人のキャプテンとアシスタントのシスコさんの2人が準備をしながら待っていてくれた。
2人ともラガーマンのようながっしりとした体躯にタトゥーを纏ったいかにも海の男という風貌で、非常に頼り甲斐がありそうだ。
日本語は通じないが、英語でのコミュニケーションは問題がなさそうだ。
トローリングをするエリアは、大物を狙うため水深が深い大海原。
外洋のため波は、すこぶる高い。
大洋の荒波に右に左に上に下にボートが揺られ、人間のちっぽけさを実感した。
パラオの島々が遠くに見えるところまで航海し、いよいよトローリング開始。
大きなイカの形をした疑似餌(ルアー)を自分でセットすることもなく、全ての作業をシスコがやってくれる。
キャスティングの先から2本のラインがピーンと張り、後は大物が食いつくのをじっと待つ。
ふと、息子に目をやると何だか元気が無い…。
小学3年生なりに精一杯我慢はしているようだが、完全に船酔いの状況だ。
この揺れでは無理もないか…。
小生も油断をするとダウンしそうなので、必死に己の精神をキャスティングの先端に集中した。
その時、ラインが走り出しリールが唸った。
「HIT!」というシスコの声。
どんな魚がヒットしたのかどきどきしながらリールを必死に巻き上げた。
荒波の間に姿を現したのは5キロほどのバラクーダ(オニカマス)であった。

次にヒットしたら息子に釣り上げさせるから、とシスコに伝え、また暫く待つ。
そして、2度目のヒット、ダウンしている息子にリールを巻け!と指示する。
シスコは釣りの準備はしてくれるが、ヒットしてからは絶対に手は貸してくれない。
何故なら最初から最後まで自分で釣り上げなければ、釣り人のルールとして自分の獲物と認められないからだ。

やっとのことで息子が釣り上げた記念すべき一匹目もやはり小型のバラクーダであった。
ランチタイムになったので無人島にアンカーを下ろし、白い砂浜で弁当を食べる。

シスコが息子の釣った小型のバラクーダを刺身にしてくれた。
刺身には醤油がかけられ、レモンを搾り、ワサビを乗せて食す…白身でコリコリとした歯ごたえ、どことなく平目のような味でもある。
息子は弁当にはほとんど手を付けず、バラクーダの刺身を美味しい美味しいと言って食べていた。
自分で釣り上げた獲物は、格別のようだ。

午後からのトローリングに向う途中、「シンフォニー」と呼ばれるスノーケリング・スポットに寄ってくれ、束の間のリラックスタイム。
シスコも一緒に泳いでくれ、大きな魚を見つけては教えてくれる。
珍しい色のヒトデなんかも潜って取ってきてくれ、息子に手渡してくれた。
リラックスした後は、また大海原へと船首を向けた。
シスコは、帰るまでにもう2匹釣り上げようと言ってくれたが、果たして釣れるだろうかと心配になる。
その矢先、今までとは違う勢いでラインが飛び出し、リールが激しく唸った。
キャプテンの「HIT!」の大声。
バラクーダの時とは、全く違う重さが右腕に伝わってくる。
リールを巻いても巻いても魚の姿は見えてこない。
暫くすると、キャプテンとシスコが同時に叫んだ、「GT(ジィーティー)!GT!」。
何の単語か全く理解できず、ただただ全身の力を右腕に注ぎこむ。
その時、銀色に輝く魚体が、シスコによって船上に引き上げられた。
キャプテンもシスコも満面の笑みで、歓声を上げている。
その魚は、釣り人憧れのGTと呼ばれる「ロウニンアジ」という大魚で、重さは10キロもあった。

結局この一匹で最後となったが、シスコとハイタッチを交わし、「パラオ・ロイヤル・リゾート」の桟橋で2人に別れを告げた。

初めてのトローリングでGTをゲットするとは、今年は幸先が良い。
一生忘れられない年の幕が今切って落とされた。

画像(1)、南太平洋の大海原に向けていざ出航!この時は、あんなに波が高いなんて想像していなかった…。思わず「兄弟船」を口ずさみたくなったおやじ(小生)であった。
画像(2)、これでも結構な手ごたえ。バラクーダの歯は鋭くまるで肉食獣のようであった。顔つきもワニみたいで、これを食すなんて…。息子も「ニモのお母さんを食べたやつだ…。」(映画「ファインディング・ニモ」の冒頭のシーンです。分かる人だけ理解して下さい。)とつぶやいていた。
画像(3)、船酔いを我慢し、必死にリールを巻くジュニア。自分一人で釣り上げたバラクーダは一生忘れられない思い出となったことであろう。
画像(4)、ゴミ一つ落ちていない白砂のビーチ。この砂浜に日本のシジミ貝位の大きさの白い二枚貝がおり、潮干狩りさながらに貝を拾い集めた。パラワン(パラオ人)は、スープにして食べるそうだ。ちなみに名も無き貝は全部シスコにプレゼントした。今晩の彼のおかずだ。
画像(5)、シスコが船の上で作ってくれたバラクーダの刺し身。バラクーダの姿を見なければそれなりに美味しいのだが…。少し微妙な感じである。贅沢を言えば、もう少し薄く切ってくれたらベターなんですけど…。
画像(6)、キター!ロウニンアジをゲットー!ホテルに持って行けと言われたが、この日パラオからグアムに移動しなければならなかったので、キャプテンに持って帰ってもらった。GTは、大物になると180センチ、80キロにもなるらしい。大きくなると銀色から黒色になるそうだ。
画像(7)、最後に記念写真、左がキャプテン、右がシスコ。まるでパラワン三人衆のよう?!ちなみにシスコは32歳、独身だそうだ。誰かいないかなー。おーい、独身のそこの貴女!君たちパラオに行かないかい?
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ナポレオンと泳いだ日(パラオ)

2011-01-03 07:41:28 | その他海外
パラオ共和国は586もの島々からなっているが、そのほとんどが無人島である。
人が住んでいる島は9島しかないらしい。
プロレスファンならご存知と思うが、無人島の中には、かの有名な「イノキ・アイランド」という島もある。
この国の観光資源は、珊瑚礁の海に尽きる。
ダイバーの聖地でもあり、太公望憧れの地でもある。
この国は、交通網が発達していないので、観光をするには現地のツアー会社に申し込むのがベスト。
小生も「IMPAC」という日本人が経営しているツアー会社にスノーケリング・ツアーを申し込んだ。
ホテルでピックアップしてもらった後、小型船で向った先はロックアイランドと呼ばれる大小200もの島からなる景勝地。
小さな島が多く点在し、海水に浸食されマッシュルームのような可愛い形をした島が目に付く。

最初に到着した場所は、有名な「ミルキーウェイ」。
珊瑚のかけらが長い年月をかけ細かい粒子になり、それが発酵し泥になったものが海底に沈殿しているポイントだ。
この場所だけは海の色が、入浴剤を溶かしたような乳白色を帯びたライトブルーになっている…何とも幻想的だ。
ツアーガイドのオオサカさんとアシスタントのパラオ人が、船から海に飛び込み海底から美肌効果抜群と言われる白い粘土の塊を持ってきてくれた。
潜ること3度…白い泥をバケツに入れてくれ、ツアー参加者がそれを船の上で身体に塗るのだ。
「ミルキーウェイ」の美肌効果は、市販のものより100倍も効果があるそうだ。
そのことをツアーガイドから聞いた参加者(特に女性)は、顔から手足の先まで前身に塗りたくっていた。
息子も、北海道函館市出身のツアーガイドのオオサカさんに可愛がってもらい、泥で髪を固めてもらったり、背中に字を書いてもらって喜んでいた。

5分ほどで泥パックは乾いてくるので、その後は全員で乳白色の海へダイブ!
そこで泥を洗い流すのである。
水深は3メートルほどらしく、潜りに自身のある人は、泥を採ってみて下さい、とツアーガイドは簡単に言うが、白濁して視界がほとんど無い水中に潜るのはとても難しい。
空を見上げると、今まで見たこともないほど綺麗な白い鳥が滑空していた。
ミルキーウェイの海の色と青い空と白い鳥…世界にはこんな素晴らしい景色もあるのかと思えるような瞬間であった。
「やっぱり、パラオに来て良かった…。」と思わずつぶやいている自分がいた。
この白く美しい鳥は、近くに営巣しているシラオネッタイチョウという珍しい鳥とのこと。
その名の通り、尾に30センチほどの長い2本の羽を持っている。
この鳥が落とした羽を手にした人には幸運が舞い降りてくるとパラオでは言われているらしい。
全てツアーガイドのオオサカさんが教えてくれた。
彼は若いのに実に知識が豊富である…尊敬。
さて、無人島で幕の内弁当(パラオ語でもベントーと言う)を食べた後に向った先が、「パラダイス」という名前が付けられているスノーケリング・ポイントだ。
オオサカさんの話では、世界有数のバラサンゴが生息しているポイントで、ナポレオンフィッシュも見ることができるかもしれないという。
マスク、スノーケル、フィンそしてライフジャケットを装備して海にドボン!

そこには、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃の光景が待っていた。
巨大な珊瑚の上で乱舞する熱帯魚、そして夢にまで見たナポレオンフィッシュが威風堂々と泳いでいるではないか。
それも1メートルを超す大中小3匹のナポレオンが一緒にである。
一番大きなナポレオンは、小生の足元まで泳いできて、大きな目でギロリと睨みをきかせて泳ぎ去って行った。

恐るべしパラオ…こんなにも自然が豊かだとは想像すらしていなかった。
ナポレオンやマンタなどの大型魚を見ることは、ダイバーにだけ許された特権だと思っていたのだ。
大晦日に逆噴射までしてパラオに来た甲斐があったというものだ。(前回のブログ『パラオで年越』参照)
今までグアムやハワイの海で小さな熱帯魚を見て喜んでいたことを思うと、青天の霹靂である。
スノーケリング・ポイントの名の通り、まさにここは「パラダイス(楽園)」だった。
そして、再びつぶやいていた「パラオに来て良かった…。」と。


画像(1)、ミルキーウェイで撮った一枚。『パラオ・正月』と書いてある。パラオ担当が息子、正月担当がオオサカさん。素潜りが超人的に上手なオオサカさんは、ナイスガイ!息子もオオサカさんに自分の名前を褒められ喜んでいた。
画像(2)、まるでキノコのような形をした小さな島。この周りでもスノーケリングをしたが、美しいサンゴに熱帯魚がうじゃうじゃ。シャコ貝(ジャイアント・クラム)も多く見ることができる。
画像(3)、美肌効果抜群といっても子供は最初から肌がスベスベ!泥パックをして洗い流してもやはり肌はスベスベ。羨ましい限り。
画像(4)、パラオには、ダイビングスポットとスノーケリングスポットがたくさんある。水恐怖症で泳ぎが得意でない小生には、ダイビングはさすがに無理かナ…。きっと大きなマンタなんか見れたら最高なんだろうなー。
画像(5)、イメージ画像。こんな感じのナポレオンが、3匹も一緒に泳いでいた。オスとメス1号とメス2号か…。瘤状の額がナポレオンの軍帽に似ていることからナポレオンという名がついたらしい。日本名は「メガネモチノウオ」、オスは2メートルにもなるという。絶滅危惧種なので食べてはいけません!
画像(6)、旧日本軍の大砲。パラオ共和国では、第二次世界大戦時の遺構、遺物を動かすことは法律で禁止されている。海中にも多くの御霊が眠っている。小生も皇国日本のために戦って命を落とした御霊に黙祷を捧げ、敬礼した。
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パラオでの年越

2011-01-01 08:52:08 | その他海外
人生初となる海外での年越しである。
30日で仕事を終え、大晦日に向った先はパラオ共和国。
昔から一度は訪れてみたかった南の島国である。
まずは、新千歳空港からコンチネンタル航空893便でグアムへ4時間20分のフライト、グアムでトランジットしパラオへは約2時間のフライトだ。
乗り換えの時間を入れると新千歳空港からちょうど8時間かかった。
近いようで遠い国、それがパラオだ。
新千歳空港からの便がお昼時だったので、鮭と蟹とイクラが乗った有名な空弁を購入し、機内へ。
飛行機の中では、缶ビールを3本飲み、その後空弁を胃袋に収める。
すると食べ合わせが悪かったのか、だんだん胃がムカムカして気持ちが悪くなってしまった。
トランジットするのにグアムでは一度イミグレーションでパスポートにスタンプを押してもらってから再び手荷物検査場へ案内される。
乗り換え便まで1時間半ほどもあったのでコンチネンタル航空のラウンジに向った。
そして、そこのトイレで2010年をしめくくる究極の大逆噴射…。
胃の中を空っぽにし、胃薬をミネラルウォーターでガブ飲みすると少しだけ楽になった。
旅の初めに体調を悪くすると、旅行が台無しになってしまうので一安心。
パラオのコロール空港に向う便の中で出された軽食には一切手を付けず、デザートのカットされたパイナップルだけを口に運んだ。
コロール空港に到着したのは、午後8時30分。
日本とは時差がないので、大変分かりやすい。
今頃、日本ではNHKの紅白歌合戦が放送されているだろうな、と日本に思いを馳せた。
父が元気だった昨年の大晦日までは、毎年ホテルの鉄板焼きを食べに行っていたのだが、今年はパラオでの年越しとなった。
夜でも暖かい南国の風が頬を撫でていく…。
まったくと言って良いほどお正月の雰囲気は感じられない。
パラオでの最初の宿は、空港から程近い高台にある「アイライ・ウォーター・パラダイス・ホテル」という中級ホテル。

ホテルのスタッフは皆フレンドリーでホスピタリティに溢れている。
部屋に案内されると清潔なベッドがきちんとサーブされていた。
バスルームはどうなっているのかとドアを開けると、バスタブは無く、シャワーブースのみ。
クローゼットの扉を開けると、日本ではクリーニング店でお馴染みの針金ハンガーがぶら下がっていた。
思わず息子と顔を見合わせプッと噴出してしまった。

プールサイドではパーティーが行われており、ホテルの人の話では誰でも参加できるとのことであった。
何でこんな夜分にパーティーなんだ?、と怪訝に思ったが、そうか!今日は大晦日なのだ!
今日が年越だという事をやっと思い出した。
カウントダウンパーティーには参加できなかったが、スーツケースに忍ばせて日本から持ってきたインスタントの天ぷらそばをズルズルすすったのであった。
パラオは現在独立国であるが、第二次世界大戦前までは日本が31年間も統治してきたところである。
年老いたパラオの人は、日本語を話す人も多い。
その影響からかパラオは親日家が多く、日本語がパラオ語と融合して数多く現在も残っている。
因みにラーメンといえばインスタントの「サッポロイチバン」のことだし、女性が身につけるブラジャーは「チチバンド」と言われているそうである。
青地に黄色のパラオの国旗もどこか日本の日の丸と類似しており、青は珊瑚礁の海を表し、黄色の丸は満月を表している。
日本人としては、しめ縄やお供え餅を見ないと正月気分は味わえないが、パラオでの束の間のお正月を楽しもうと思っている。


画像(1)、パラオの見どころのひとつ「ナチュラル・ブリッジ」。ロックアイランドは、珊瑚が隆起して出来た島々なので、海水によって侵食されこのような形が作られたらしい。
画像(2)、アイライ州にある「アイライ・ウォーター・パラダイス・ホテル」は、台湾系のホテルでゲストも中国系の観光客が多い。施設は老朽化しているが、満足度は高かった。
画像(3)、クローゼットの中にはどこかで見たことのあるようなハンガーがズラリ!リサイクルに拍手!
画像(4)、今年の初笑いとなった「きいろーろ」と書かれた「九州居酒屋」という名の中華料理屋で発見した壁に貼られたメニュー表。「ホイコーロ」と書きたかったに違いない。実にオシイ!ここの焼き餃子は、実にオイシかった!
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