■別冊無花果会報■

公開秘密結社無花果会活動報告

無花果会とは

2005年04月10日 13時39分11秒 | 無花果会


いちぢく-かい[無花果会]イチヂクカイ

(同)イチジク会・壱軸会、129会、一竺会、F・I・G。

起源はアレクサンドリア時代に遡るとも言われている結社組織。
鎌倉時代初期日本に伝播。後、一部技術が美濃地方において「無花流忍術」として継承される。戦国時代北条氏によりその三大秘伝書「壱軸伝」「驢馬秘事伝」「無花果集海」が関東の地に集められるが豊臣秀吉による小田原攻めの際「驢馬秘事伝」「無花果集海」二書を紛失。残る「壱軸伝」はその後、密かに天海の元に届けられたと伝えられる。
「無花果流忍術」集団は江戸時代徳川家のもと「壱軸衆」と呼ばれ主に暗殺を中心に活動を続けたが三代家光により廃止。事実上この時をもって日本における初期「無花果会」は途絶える。
しかし明治時代末期、ロシア帝国を経由し再び日本に伝わり、当時の竹田財閥当主竹田梅吉を中心に「大日本無花果會」が結成される。この第二期「無花果会」は最盛期会員数一万人を超える組織となるがその進歩的思想と秘密主義により太平洋戦争中軍部による弾圧を受け解散。竹田家の没落と相まって消滅する事となる。
現代の第三期「壱軸會」は竹田家の末裔にあたる心理学者竹田竹男氏らにより1983年に結成。その前年千葉県佐倉市の潅重寺より「壱軸伝」の写本が発見され、竹田家の蔵からも「大日本無花果會」の「憲章」が発見された事が再結成の遠因になったと考えられている。

2000年以降「古代イチジク会」の流れを汲む結社はスペインに2団体、イタリアに1団体、イギリスに1団体あると言われているがその実体は不明。
日本の「壱軸會」も会員数や成員の氏名は公表していない。
活動内容もまったく明らかにされていないが、一部情報によると「なにもしていない」らしい。

※この「別冊無花果会報」は上記「なにもしていない」らしい「第三期壱軸会」の結成時メンバーが唯一公の場で活動しているように見えるwebサイトのブログ版です。