信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

元気をもらった老人力

2014年02月02日 18時29分53秒 | Weblog
自分が年を取るに連れ興味のある言葉や行動が変化していく。
その年になってから気づくことが増えていく。

先日朝日新聞の記事で、好好爺いずこ とのタイトルで会社勤務を終えた男性が家庭に戻り
家庭や周囲から疎まれずに老後を過ごしたいと願うがあなたはいかがですか?
といった問いに対し3人の違った職業のヒトが答えているのを読んだ。

尽くさなきゃ捨てられるは臨床心理士の言葉。
高齢男性からの相談が増えこれからも更に増えるであろうという。
家族が離れていっても自分がどうしてそうなったのか考えようともせず
悪口を言うだけで、まあ変わりはしないであろう。

過去の自慢をするな。
社会的な地位は捨てろ。
人の話を聞け。
と口を酸っぱく言うそうだ。
これは今に及んだことではないが団塊の世代が高齢化すると暴力的な老人が増えるという。

NPOの企業家は笑顔で見守るイクジイになれと。
自分のマゴや地域の子供の世話に関わる老人が増えて欲しい。
定年後に何をして良いかわからない。
海外旅行やカメラ、ゴルフだけでは先細りだ。

最後に菅原文太が自分の職業と病気を経験して老後の生き方を変える
事になり、衰えてきたら安静と保養に勤めるより荒療治が必要だと。原発も含め
政治家たちのナルシズムに警鐘を鳴らすのも老いぼれの役目だといっている。

3人3様納得のいく言葉である。
その後、NHK の小さな旅で銀座を取材した番組を視た。
銀座の築地周辺の一日を描くが、そろそろ85歳になる石山文子さんを紹介した。
茨城県の利根町から朝の5時に40キロの野菜や食品を背負って電車の乗り継ぎをして
7時に銀座に到着し1坪ほどの土地で商売をする。
これで61年間続いている。
23歳の時から義理の母と共に荷物を背負って3人の子供を育てながら
通い続けた。
自分の高校生の頃、東北線の列車でかつぎやさんと呼んでいたおばさんたちを見てきた。
当たり前の光景だったがいつの間にかその姿は見られなくなった。
常磐線でも当時は3000人もの担ぎやさんが毎日東京へ食料品を売りに来ていたそうだ。
銀座で一日30人のお客に売った後自宅に戻っていくが、愚痴をひとつも言わず
目標は毎日みんなが待っているからとそれだけで重い荷物を背負って通ってくる。

これは誰も真似が出来ないことだし、61年間続いているプロの仕事だ。
お客さんが帽子を編んでくれたり周囲に助けられ、感謝され人々の輪の中で
遠くから朝早く起きて仕事にやって来る。
その笑顔に胸が一杯になった。
尊い仕事をしているその姿に感動をもらい有り難い番組を視た。
石山文子さん出来るだけ長く元気でお仕事を続けてと願わずにはいられない。

   

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