斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

愚人(=斉東野人)による愚論愚説(=斉東野語)。その中からコトノハ(言葉)に関するものを選んでみました。

1  【ガラケー】

2016年10月17日 | 言葉
 1 【ガラケー】


 がらけえ
 ある日曜日の午後、小学生になったばかりのカズキクンが、筆者の机の上に置いてあるケータイを見て、ため息まじりに言った。
「ジイジのは、がらけえだねえ……」
「何のこと、がらけえって?」
「ガラパゴス島のゾウウミガメや、大きなウミイグアナが使うケータイのことだよ!」
「へえー、イグアナもケータイを使うのか」
「ウーン、そうらしいよ……」
 カズキクンは、ハイハイしていた頃から怪獣やウルトラマンが大好きだった。恐竜も好きで、ガラパゴス諸島の大イグアナにも詳しい。保育園でウルトラマン遊びが流行っていた頃、女の子に股間を蹴られて帰って来たことがあった。
「痛かったろ! でも蹴られて、よかったンだぞ。もし女の子のそんなところを蹴っていたら、いまごろ大変だったぞ!」
「でもボク、痛くなかったよ、気持よかった!」
 うっとりした顔で言うので、ジイジは慌ててしまった。一瞬、孫の行く末を思ったからだ。だがすぐに「痛くなかった」を強調しただけ、と思い直した。言葉足らずなのだ。ともかくも以来ジイジは大イグアナと電話し合っている化石のような老人――という評価が、カズキクンの中で定まったらしい。当たらずとも遠からず、ではあるけれど。

 ガラケーとスマホ
 ガラパゴスケータイとスマートフォンあるいはスマホ。対照的な印象に苦笑させられる。ガラケーの「ガラ」は生ける化石生物の島ガラパゴス島のことで、語感は「ガラクタ」にも通じる。流行に敏感な若い人にスマホへの移行を促すにはイメージが勝負で、商戦に言葉のトリックが生きた好例だろう。国内でのスマートフォン発売開始は2004年。11年に販売台数は半々、15年にはスマートフォンが8割を占め、最近はガラケー製造中止の声さえ出ている。

 総務省の懇談会から広まる
 ガラケーには、もともと別の意味があった。先行した言葉は「ガラパゴス化」ないしは「ガラパゴス現象」というビジネス用語。日本の技術が世界に先行し過ぎると、遅れた外国製品と機能や規格、操作法などで共通性をなくし、結果的に世界市場から取り残される。この場合、対する語は「グローバル化」で、携帯電話であれば、あえて技術を世界レベルに抑えて互換性を保ち、世界市場での競争力を重視する。つまり「ガラパゴス島」は最新技術の国・日本に準(なぞら)えた語であり、「時代遅れ」とは逆に「進歩し過ぎた」の意味だ。
 2006年に総務省が主催した国際競争力懇談会や、翌7年の野村総研の研究で「ガラパゴス化」が取り上げられ、とりわけ「携帯電話のガラパゴス化」に焦点が当てられた。海部美知さんの著『パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本』でも、同様の意味で「パラダイス鎖国」の語が使われている。技術開発を生命線とした戦後日本の方向性と、待ち受けていた落とし穴。示唆に富むビジネス用語である。
 一方のスマートフォンは、日本での造語ではない。高機能の日本製ケータイに対する後発商品だから、まあまあの無難なネーミングだった。当初は携帯電話とPCの中間的存在でカメラも内蔵せず、機能はガラケーに見劣りした。

  英語ではフィーチャーフォン
 ガラケーは、もちろん日本語である。欧米ではフィーチャーフォン(feature phone)と呼ばれた。「feature」は「特色、特徴」の意味で、通話以外に多くの機能を併せ持つ携帯電話器を指した。当初はガラケー=高機能、スマートフォン=低機能かつ低料金だったから、ガラケーは多機能かつ高機能ゆえに価格も高く、欧米ではこれらがネックとなって最初から売れなかった。一方のスマートフォンは売れ始めると次第に多機能化し、高機能化する。気がつけば国内市場でも両器の位置関係は入れ替わり、スマートフォンはますます「スマート」に、ガラケーはますます「ガラ」になった。
 ただし現在でも国内のガラケー人気は根強く、特に大口の法人契約が多い。2014年にはガラケーの出荷台数が微増した。ガラケーとスマートフォンの中間的な位置付けで「ガラスマ」や「ガラホ」と呼ばれる新機種も出て、人気らしい。メーカーや販売店の中には「ガラケー」の呼称をやめて「フィーチャーフォン」で統一する動きもあるようだ。

 気になる「ガラパゴス化」の変質
 なぜ「フィーチャーフォン」や「ケータイ」でなく「ガラパゴス携帯」の呼称が定着したのか。スマホと区別するためなら「ケータイ」でも十分で、わざわざ「ガラ」を加える必要もない。広告宣伝サイドが発火点だとしても、言葉を流行らせた、いちばんの“功労者”は若い人たちだろう。「ガラパゴス携帯」を「ガラケー」と縮めたところなど、若者らしい言葉の使い方だ。
 気になるのは「ガラパゴス化」から「高度な発達」の意味合いが薄れたまま、単に日本の独自性や反グローバル化、ときに後進性を指して使われ始めていること。日本だけの慣行としての自転車の歩道走行や「止まれ」の交通標識。また軽自動車、スポーツでは駅伝競走など。最近は、コーヒーカップに見える温泉マークが話題になった。
 市街地道路の狭い日本では、小さめの軽自動車は便利で、生まれるべくして生まれた工業製品だといえる。燃費の良さもあって近年はインドでも人気だから、むしろグローバル化の一例だろう。温泉マークを見間違えるとしても、日本人ならコーヒー茶碗でなく湯呑み茶碗を連想しそうだ。だいたいコーヒー茶碗を標識にする国などあるはずもない。温泉がない国の外国人には、丸い湯船から立ち上る湯気の心地よさと、それを愛する日本の伝統文化を理解してもらいたい。異文化間の相互理解とは、そういうことだ。「ガラパゴス化」から「高度な発達」の意味あいが抜けると、個性的な文化文明はみなガラパゴス島の遺物ということになってしまう。

「そうか、ジイジは高度で個性的な人だったンだ!」
  いつかカズキクンがそう言うかどうかは、わからない。



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