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ブラタモリ龍馬を生んだ高知の町の旅

2017-10-02 08:56:14 | 問題
ブラタモリ土佐の高知へ、1836年土佐生まれの坂本龍馬は江戸時代末期、 諱は直陰、のちに直柔、通称は龍馬は土佐郷士株を持つ裕福な商家の生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中を結成し1867年暗殺された。

潮吹く魚が泳ぐ桂浜からスタート、13mの龍馬の銅像を見て、明治維新の礎を築いた龍馬の偉業のルーツは何と高知の地形と町にあったと「土佐史談会」吉沢文次郎高知痕跡会長のこじつけとも思える案内で展開。

太平洋のイメージが強い高知市の城下町は、海から少し離れて山に囲まれ「つちばし」の名が残る南北に流れる堀の下級武士の住む外側に龍馬が生まれたのも、海の見えない城下町の一角だった。高知城の天守にのぼったタモリさんは桂浜や竜馬の生家と山に囲まれた町並みを見て降り、繁華街の「道の盛り上がり」と「つちばし」の名の残る堀の下級武士と上級武士の位置を確かめ、待遇の差から竜馬のエネルギーが彷彿していった。過去に見ている東西に流れる川にかかる「はりまや橋」は意外に狭く感じた。

続いて太平洋をのぞむ海岸では、十数mにいろんな岩がプレートで押上げられ山に囲まれた町を生んだ秘密がわかった。さらに少年時代の龍馬は船大工や海鮮問屋が栄えた種﨑で世界地図を見たり、海の向こうに目をはせた。そして、31才で暗殺される1か月前に滞在した部屋を見て、竜馬を駆り立てた謎が歴史と地形からも解けた。


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