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家族集団の〈理解〉の〈かたち〉

 日本列島に住む人々が、古来、化学変化を支配し、利用する術を駆使し、他の人々の〈理解〉を操作する〈表現〉力ある〈かたち〉として作り出してきたものは、燃え上がる火焔のように複雑で驚異的な形状をもつまでに至った縄文土器だけではありませんでした。同じく土をこねて焼き上げたものの中に、人間の形をまねて創られたものがありました。それが「土偶」です。
 
土偶の出現は、縄文時代の草創期(約1万2000年~1万1000年前)まで遡ります。現在最古の土偶は、三重県粥見井尻(かゆみいじり)遺跡の竪穴式住居跡から出土した、女性の上半身(頭部、胸、腹部)を形どった、全長6.8cm、幅4.2cm、厚さ2.6cmの小型の土偶と、同様の形状をした頭部のみの土偶の二体です。この時期は「土器」では草創期後半の無文土器から多縄文土器が作られていた時期で、装飾性は少なくまだ実用本位で作られていた段階でした。したがって他の人の〈理解〉を操作する〈表現〉力の獲得という点ではこの「土偶」が先行していた、といえるかもしれません。
 
続く縄文時代早期までの発生・出現期の土偶の特徴は、素朴ながらも女性を表象した豊饒なトルソー(胴体)を表現要素の唯一、必要要素にしている点にある01と文化庁文化財主任調査官の原田昌幸さんは指摘します。ただしこの段階では顔面や四肢の表現が明瞭なものは皆無で、あくまでもその造形意識には、漠然とした女性像のイメージしか働いていなかった*01のです。


日本最古の土偶/三重県粥見井尻遺跡/1996
三重県文化財情報データベース/三重県教育委員会より

 
このような女性像は古代から世界各地で見つかっています。世界最古の女性像といわれるものは35000年前のドイツ、ホーレ・フェルスで見つかったマンモスの牙に彫られたもので、同じくマンモスの牙で作られた女性像(16000年前、ロシア、マリタ)、16000~13000年前の土製人形像(ロシア、マイニンスカヤ)などがあります。またいわゆる「器」形状でないものを含めた、それこそ人類最古の焼成されたと思われる土製女性像(26000年前?)がチェコのドルニ・ヴェストニッツェ遺跡で見つかっています。
 
これらに共通する点は、原田さんが指摘するように「漠然とした女性像のイメージ」にある、といっていいでしょう。原田さんは発生・出現期の土偶の製作目的を、竪穴式住居を単位とした家族集団内部の祭祀(子孫繁栄や安産等)のためだったのではないか、と推察しています。
 
今から31000年前の現生人類たちが、ショーヴェ洞窟で岩の壁に動物たちのイメージをペイントした時、彼らはペイントする手の運動指令が描き出す〈心的イメージ〉を“見”て“考え”、もっとも望ましい仲間に伝えたい〈かたち〉を導き出す運動指令群を選びだし、それによって実際に岩肌に絵を描き出しました。
 
このときと同じプロセスが家族単位の集団の中で、手軽に手に取り、加工することのできる粘土や動物の骨を利用して行われてきたのではないでしょうか。その対象は家族の一員である女性。妊娠、出産という出来事は常に注目される出来事であり、その中心である女性のイメージを〈かたち〉にして再現し、家族の〈理解〉を自らと同一のものへと導くことが試みられたのです。人々が環境との相互作用の中で生み出した〈意味〉を、心の中のイメージの再現として〈理解〉し、それを仲間と共有するために、その〈理解〉に〈かたち〉が与えられました。それがまず最初に「土偶」が作り出されたプロセスだった、といっていいのではないでしょうか。そしてそれは原田さんも指摘するように、竪穴式住居を単位とした、限定された〈内なる空間〉の中における、家族集団内部での出来事だったのです。
 
ところが縄文時代中期(5000年前)以降その状況が一変します。縄文の女神たちが出現したのです。

*01:国宝土偶展 「土偶の造形表現と祭祀の“かたち”」/原田昌幸/NHK他/2009.12

 

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