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集団の〈理解〉の〈かたち〉

 20世紀後半の長野県八ヶ岳周辺に、4~5000年の時を経て相次いで出現したものがあります。長野県茅野市米沢の棚畑遺跡で1986年9月に発掘された「縄文のビーナス」と、茅野市湖東中ッ原遺跡で2000年8月に発掘された「仮面の女神」と呼ばれる二体の「縄文の女神たち」です。
 
「縄文のビーナス」はいまから5000年前の縄文時代中期、「仮面の女王」は4000年前の縄文時代後期前半につくられた土偶で、二体は1995年6月と2014年8月にそれぞれ国宝に指定されています。「縄文のビーナス」は指定された国宝としては日本最古のものでもあります。


縄文のビーナス(国宝)/棚畑遺跡 縄文中期(約5000年前)
発見時の状態(1986年9月)/茅野市尖石縄文考古館


仮面の女神(国宝)/中ッ原遺跡 縄文後期(約4000年前)
発見時の状態(2000年8月)/茅野市尖石縄文考古館

 
この二体は立像土偶と呼ばれる大型の土偶で、その特色は、それまでの板作りを基本とした全身の造形に、“分割塊製作法”が導入されたことにあります。分割塊製作法とは、数多くの土偶の発掘・調査・研究をされた小野正文さんが提唱した中期の土偶に普遍的な製作技法01で、土偶の頭部、胴体、四肢それぞれを、あらかじめ作ろうとする土偶に合わせて個別の粘土塊でパーツを作り、それを互いに組み合わせて一つの人形(ひとがた)像に作り上げるものです。この技法の導入で、土偶はそれまでの正面と背面という、二次元の造形物から、はじめて側面・上面戟も加わった立体物として完成02されたのです。
 
この変化は、縄文世界の土偶の歴史にとって、極めて象徴的なものだった、と文化庁の原田昌幸さん02は指摘します。これ以後、土偶は小形で素朴な作りの、“下位土偶”などと呼ばれる量産型の多数の土偶と、大形で立体感に富み細部の造作から外面仕上げまで極めて入念に作られた“上位土偶”とも呼ぶべき、特殊個別型のごく少数の土偶とに分化していきました。この背景には土偶祭祀の“かたち”の中に、それまでの竪穴住居単位の家族祭祀における呪具という枠を越えた集落単位、さらには複数の集落群を視野に入れた共同祭祀のための“呪具・神像”として、これらの大形・精巧な作りの土偶像が位置づけられた可能性がある、というのです。
 
たしかに「縄文のビーナス」が見つかった棚畑遺跡では、150以上の住居跡と大量の土器類が見つかっており、大規模な集落があったことがわかっています。また「縄文のビーナス」は環状につくられた集落の中心にある広場の中から見つかっていて、この土偶像の大規模な集落の中における位置づけの重要性を示唆しています。
 
発生・出現期における家族の〈理解〉の〈かたち〉としての「漠然とした女性像のイメージ」から出発した「土偶」は、集落の大規模化とともにより多くの人々の〈理解〉の〈かたち〉として発展していった、といっていいでしょう。さらには複雑で驚異的な形状を持つに至った後期の縄文土器と同じく、複数の集団(部族)間の競合を即し、ヘイデンさんが主張するように文化の駆動力として(すなわち多くの集団の〈理解〉を操作するコミュニケーション・ツールとして)機能していったのではないでしょうか。


01:土偶の分割塊製作法資料研究(1)/小野正文/丘陵-甲斐丘陵考古学研究会会報 1984年11月号
02
国宝土偶展 「土偶の造形表現と祭祀の“かたち”」/原田昌幸/NHK他/2009.12

 

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