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2017-07-23 17:16:26 | 日記

2015年、女子サッカー、日本-イングランドの観戦時に気分を害し聖路加で検査した結果、心房細動が発見された[12]。以降は力を込めて応援したくなる試合は生放送ではなく、結果を知ってから録画鑑賞することになった[12]。
2017年7月18日、東京都世田谷区の自宅で呼吸不全により死去。105歳没[1][13]。
日野原は日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き終末期医療の普及にも尽くすなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた功績が文化功労者と文化勲章の受章理由として挙げられた。従来は「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたのも彼である[14]。
2001年(平成13年)12月に出版した著書『生きかた上手』は120万部以上を売り上げた。高齢者の希望の星的存在となっている。2012年現在は聖路加国際病院名誉院長であり、数多くの著書でも知られている。レオ・ブスカーリア作の絵本「葉っぱのフレディ〜いのちの旅〜」のミュージカル化に当たっては、日野原が企画・原案に携わった。
マスコミへの出演多数。
晩年の日野原は100歳を超えてスケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送っていた。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしたという[15]。命の続く限り現場に立ち続けるという信念をあくまで貫いており、生前には少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしていると語るほどであった。
2009年7月6日にNHKのスタジオパークからこんにちはに初出演、100歳を迎えて半年を経過した2012年5月31日に2回目の出演を果たしていた。
エピソード[編集]

2013年5月15日、日本駐箚アメリカ合衆国特命全権大使ジョン・ルース(左)と

2013年5月15日、日本駐箚アメリカ合衆国特命全権大使ジョン・ルース(左)と
保守思想を持ち、皇室を崇敬。度々皇室行事に招かれている。新日本国憲法に勤皇奉仕義務を明記するよう求めている。一方で、朝日新聞で執筆中のコラム「95歳の私 あるがまま行く[注 2]」において、君が代に代わる新国歌の制定も提案した。因みに名誉院長であった聖路加国際病院は聖公会系だが、自身は日本基督教団所属である。
医療行為を医師のみに行わせることを主張する日本医師会の立場に対し、新米の医師よりも治療に精通した看護師もいるとして、医療行為を広く医療従事者に行わせることを認めるスタンスを取る。
2005年に行った講演の中で「アメリカの大学教授選考では、最近は年齢は不問です。つまり、業績、仕事をやる人は、年齢に関係なく教授を続けられるようになった。それに引き替え日本では、大学に定年制が引かれ、アメリカとは逆ですよ。」と発言。
以前、マスコミのインタビューを受けた際に、病院ではエレベーターを使わないと発言してしまったため、その後はどんなに疲れていても公衆の前ではエレベーターを使えなくなってしまったという。
日野原は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験から、「過剰投資ではないか」という批判を抑えて、大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を1992年(平成4年)に建設した。この備えは1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の際に遺憾なく発揮され、通常時の機能に対して広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は緊急応急処置場として機能した。院長であった日野原の判断により、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施し、同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、犠牲者を最少限に抑えることに繋がった。この時の顛末はNHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』などでも取り上げられている。
自身について[編集]
小学生時代「金時さん」と同級生から渾名がつけられるほど、赤面恐怖症である[4]。上記の関西学院中等部の弁論部以外に、演劇、ピアノ演奏、合唱の指揮などで人前に出る事で克服をしたと語っている[4]。
2015年10月末、左手の薬指と小指が曲がらなくなり、尺骨神経麻痺、等の異常かと思い、整形外科で診察した結果、指の筋肉に原因があり、軽くマッサージをすれば解決するものだった[16]。この件で、自身が専門にしている、内科、循環器以外の病気に対して素人だったと語っている[16]。
座右の銘は、ウィリアム・オスラーの「医学は科学に基づくアートである」[17]。
戦争について[編集]
戦時中、『聖路加』は政府に「大東亜中央病院」という名称に改名された[18]。特高警察がやってきてスパイの嫌疑で自身や同僚が取り調べられたり、患者を装って病院に出入りし、監視をしていた[18]。十字架の高い塔は宿直が出来る小部屋にあったが憲兵隊に押し入られた上に塔の十字架が切り取られた[18]。「神の栄光と人類奉仕のため」という病院の理念が刻まれた石碑を御影石の板で覆い隠さなければならなかったという[18]。その時の釘の跡が、今でも生々しく残っていると語っている[18]。
各地の高齢者に戦争を語り継ぐ活動の一環として、フォーラムの講演で「1人1人が持っている命を大切に」「その為にも平和な社会を築く努力を」と訴えかけている[19]。『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』出版会見で「武器には武器、暴力には暴力で応じる悪循環を断ち切り、戦争ではなく話し合いで物事を解決する、根強い精神が必要」「知性こそ人間の授かった宝である」と訴えている[20]。10年以上行っている「いのちの授業」においては「虐めは暴力」という、不毛を訴えている上に、2015年発売した『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』の帯宣伝にも「戦争はいじめと同じです」と明記されている[20]。95歳の時、書籍において子供達にも「争いの根っこにある苦しみの感情。それをコントロールできるのは自分だけである[21]」「憎い相手を許す、その勇気で戦いを終わらす事が出来る[22]」「『知る』と言う事をもっと大事にして下さい[23]」という記述もあった。
いのちの器[編集]
アドベントが始まった2015年11月29日、多数の聴衆に「いのちの器」について語りかけた[24][注 3]。命は私に与えられた時間です[24]。それを何の為に使うのか、もし助けを求めている者の為に有効に使うのなら、自分達の生き方は、これからの時代を生きる子供たちの手本になる事を訴えている[24]。
趣味・嗜好[編集]
趣味[編集]
趣味の一つにピアノがある。日野原は結核を患い、闘病生活を送っていた当時、「ノクターン」を作曲した。この曲は、2008年2月17日放送の「N響アワー」(NHK教育テレビ)で日野原がゲスト出演した際、池辺晋一郎によってごく一部ではあるが披露された。2015年には全国学校音楽コンクール(小学校の部)課題曲『地球をつつむ歌声』の作詞を担当した。他に小学生の頃から同人誌などの物書きも嗜み、筆名は「日野原重秋」「日野原詩郷明」[25]。
箱根駅伝やサッカー観戦を好み、2015年のなでしこジャパンのイレブンでは海堀あゆみの大ファンでもある[26]。
御洒落は人前に出る前のお守りの役割で、ジャケットやネクタイを季節毎に合わせて選び、更に長嶋一茂が褒めてくれたと耳にした以降、ポケットチーフに力を入れ、出かける前に同居していた家内から数枚渡される中から1つ選択していたという[4]。
嗜好[編集]
食事は夕食をメインにしたものである。朝食はジュースにオリーブオイルをかけて飲み、昼食は牛乳、胚芽クッキー、林檎だけで済ませる。夕食は週2回は肉、他は魚と少し多めに食べ[27]、その日の体調に合わせて食べ物を変えるという。本人曰く「集中していれば空腹にならない」とのこと。反面、1951年のアメリカ留学時に1ドルが360円時に金銭面の規制が大きかった事により、現地で支給される1ヶ月60ドルで、全てを賄わければならなかった事が要因で、仕事仲間からの昼食を断り、1人でコーラ、フライドチキン、ハンバーガーを食していた[7]。そのせいか現在でも無性に前述のファーストフードを食べたくなると言う[7]。好物は、母親が作ってくれた、落花生と砂糖と味噌をすり合わせて出来た、ピーナッツバターを模した「ピーナッツ味噌」とアメリカ留学時に食したビーナッツバター付きのパン[28]。
よど号ハイジャック事件[編集]
内科部長時代の1970年3月31日、日野原は福岡で行われる日本内科学会総会へ出席のために搭乗した旅客機にてよど号ハイジャック事件に遭遇し、人質となった。日本初のハイジャック事件ということもあり、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャック」の意味を知らなかった日本人乗客の為に自ら手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と機内で説明している。高齢のため福岡で下ろされた虎の門病院院長の沖中重雄とは異なり、韓国の金浦空港で下ろされ解放された。ハイジャック中に犯人グループから人質へ本が提供されたが、応じたのは日野原だけで、『カラマーゾフの兄弟』を借りたという[29]。4日間拘束され死も覚悟した[30]が、解放される。解放後は内科医としての名声を求めるよりも、事件以後は命を与えられたと人生観を変えるきっかけになったことを述懐している[31]。
著書[編集]
『2)心音並に心雜音の一新記録法』[32] 日本循環器病學 1940
『オスラー博士の生涯:アメリカ醫學の開拓者』 中央醫學社 1948
『医学するこころ』岩波書店 1991
『看護学講座:第1解剖・生理学』 学術書院 1949
『看護学講座:第5薬理学』 学術書院 1949
『性と結婚の科学』 医学書院 1951
『解剖・生理学の要点』 医学書院 1951
『高等看護学講座:第1医学概論』 医学書院 1952
『水と電解質の臨床』 医学書院 1955
『看護学教科書:第3解剖生理』 医学書院 1957
『病む心とからだ』 日本YMCA同盟出版部 1958
『解剖生理の要点』 金原出版 1959
『人間ドック:もの言わぬ臓器との対話』 中公新書 1965
『POS医療と医学教育の革新のための新しいシステム』 医学書院 1973
『医療と教育の刷新を求めて』 医学書院 1979.2
『心臓病とともに生きる』 協和企画 1979.7
『女の一生と健康:各年代の充実をめざして』 婦人之友社 1979.10
『プライマリ・ケア入門』 金原出版 1979.6
『生の選択:水平の世界・垂直の世界』 日本YMCA同盟出版部 1981.1
『死をどう生きたか:私の心に残る人びと』 中公新書 1983.3
『医療と医学教育の新しい展開:日野原重明座談集』 医学書院 1983.4
『延命の医学から生命を与えるケアへ』 医学書院 1983.6
『老いを創める』 朝日新聞社 1985.3 のち文庫
『健やかないのちのデザイン』 春秋社 1986.10
『老いと死の受容』 春秋社 1987.3
『人生の四季に生きる』 岩波書店 1987.6 のち現代文庫
『いのちの終末をどう生きるか』 春秋社 1987.7
『日野原重明著作集』 全5巻 中央法規出版 1987-1988
『名医が答える血圧なんでもQ&A』 中央法規出版 1987.10
『狭心症と心筋こうそく:心臓病に克つ』 講談社 1988.4
『「いやし」の技のパフォーマンス』 春秋社 1989.7
『いのちの器:人生を自分らしく生きる』 主婦の友社 1989.10 のちPHP文庫
『老いへの挑戦』 1989.12 岩波ブックレット
『日野原重明著作・講演集』 1-2 医学書院 1991.6
『病むことみとること』 日本基督教団出版局 1991.10
『医と生命のいしずえ:医療をめざす、若き友へ』 同文書院 1991.6
『健康行動の提言:新しい健康教育をめざして』 中央法規出版 1991.1
『生と死に希望と支えを:全人的医療五十年に想う』 婦人画報社 1991.1
『命をみつめて』 岩波書店 1991.2 のち現代文庫
『心とからだの健康設計:人生の午後に立って』日本経済新聞社 1991.3
『心臓病にかかりやすい人かかりにくい人』 ごま書房 1992.7 (Goma books)
『生きることの質』 岩波書店 1993.5 のち現代文庫
『医の道を求めて:ウィリアム・オスラー博士の生涯に学ぶ』 医学書院 1993.9
『六十歳は二度目の成人式:親、社会に代わって、自分で自分を育てる時がはじまる』 ごま書房 1994.6
『看とりの愛』 春秋社 1994.4
『健康を創るヒント』 時事通信社 1994.6
『ボランティアを生きる:<いのちの泉>はつきることなく』 PHP研究所 1995.8
『豊かに老いを生きる』 春秋社 1995.10
『人間ドック・健康診断を受ける方、受けた方へ』 主婦の友社 1995.11
『音楽の癒しのちから』 春秋社 1996.12
『出会いに学び、老いに成長する』 講談社 1996.5のち+α文庫
『「生活習慣病」がわかる本:あなたがつくり、あなたが治す病気』 ごま書房 1997.2
『六十歳の新人宣言』 ごま書房 1997.5(ゴマブックス)
『現代医学と宗教』 岩波書店 1997.8(叢書現代の宗教)
『老いに成熟する』 春秋社 1997.12
『<ケア>の新しい考えと展開』 春秋社 1999.2
『医のアート、看護のアート』 中央法規出版 1999.8(日野原重明著作選集 上)
『死と、老いと、生と』 中央法規出版 1999.9(日野原重明著作選集 下)
『道をてらす光:私が学んだ人と言葉』 春秋社 2000.1
『院内ルールと医師のマナー』 エルゼビア・ジャパン 2000.4
『「フレディ」から学んだこと:音楽劇と哲学随想』 童話屋 2000.10
『生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2001 のち文庫
『生きかた上手:新訂版』 いきいき(現ハルメク) 2013.4
『「新老人」を生きる:知恵と身体情報を後世に遺す』 光文社 2001.5
『50歳からの「生きる」技術:75歳以上の新老人を目指して』 朝日出版社 2001.12
『いのちを創る:生き方・生命力・安らぎ・からだ』 2002.2 講談社+α文庫
『人生百年私の工夫』 幻冬舎 2002.7 のち文庫
『刷新してほしいナースのバイタルサイン技法:古い看護から新しい臨床看護へ』 日本看護協会出版会 2002.8
『いのちの言葉』 春秋社 2002.8
『いのちの言葉〔増補版〕』 春秋社 2013.9
『日野原重明の生き方哲学:よく生き、よく老い、よく病み、よく死ぬ』(中央法規出版、2002年9月/PHP文庫、2006年6月、ISBN 4569666175)
『こころ上手に生きる:病むことみとること人の生から学ぶこと』 2002.10 講談社+α文庫
『生きかたの選択』河出書房新社、2002
『生きるのが楽しくなる15の習慣』 講談社 2002.10 のち+α文庫
『満たされる人生のつくり方:CD・book』 講談社 2002.10
『生きかた上手:対話篇』 ユーリーグ(現ハルメク) 2002.10
『生きかたの可能性』 河出書房新社 2002.11
『人生改造生活習慣病を防ぐ本』 幻冬舎 2002.11
『日野原重明のいのちと生きがい』 青春出版社 2003.1
『機嫌よく元気よく:日野原重明のいのちと生きがい』(青春文庫、2007年1月)
『生きかたの処方箋』 河出書房新社 2003.2
『続・生きかた上手』ユーリーグ(現ハルメク)、2003 のち文庫
『100歳になるための100の方法:未来への勇気ある挑戦』 文藝春秋 2004.1 のち文庫
『テンダー・ラブ:それは愛の最高の表現です。』 ユーリーグ(現ハルメク) 2004.10
『日野原重明アートでいきいき』 実業之日本社 2004.12
『あるがまま行く』(朝日新聞社、2005年1月)
『長さではない命の豊かさ』(朝日文庫、2007年8月、ISBN 4022615397)
『私が人生の旅で学んだこと』 集英社 2005.3 のち文庫
『「幸福な偶然」をつかまえる』 光文社 2005.6
『新・生きかた上手』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10 のち文庫
『いのちの哲学詩:水のように形なく風のように姿が見えない』 ユーリーグ(現ハルメク) 2005.10
『私の幸福論「しあわせ」を感じる生き方』 大和書房 2005.11
『どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか』(だいわ文庫、2009年5月、ISBN 4479302344)
『わたしが経験した魂のストーリー』 キリスト教視聴覚センター 2005.12
『人生、これからが本番:私の履歴書』 日本経済新聞社 2006.4
『十歳のきみへ:九十五歳のわたしから』 冨山房インターナショナル 2006.4
『私のすすめる健康の秘義:ライフプランニング実践への誘い』 中央法規出版 2006.9
『いのちの授業』 ユーリーグ(現ハルメク) 2006.10
『いのちのおはなし』 村上康成絵 講談社 2007.1
『95歳からの勇気ある生き方』(朝日新聞社、2007年/「あるがまゝ行く」文庫)
『ササッとわかる「長生き人生」の優先順位』 講談社 2007.5
『日野原重明 いのちと勇気のことば:いかに生きるか・何を残すか』(こう書房、2007年/ぶんか社文庫)
『看護の知識と技を革新する:古い看護から新しい看護へ:science and art』 日本看護協会出版会 2007.6
『子どもを輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12
『人生を輝かせる10のお話』 実業之日本社 2007.12
『いま伝えたい大切なこと:いのち・時・平和』 日本放送出版協会 2008.1
『今日の「いのち」のつかい方:ペイフォワードな生活のすすめ』 主婦の友インフォス情報社 2008.5
『いのちのバトン:97歳のぼくから君たちへ』 いわさきちひろ絵 ダイヤモンド社 2008.11
『道は必ずどこかに続く』 講談社 2009.3
『臨床看護の基礎となる新看護学テキスト:看護の革新を目指して』 日本看護協会出版会 2009.5
『いのちのメッセージ』 三笠書房 2009.6
『いのちの絆:ストレスに負けない日野原流生き方』 ダイヤモンド社 2009.8
『旅での人と自然との出会い:紀行詩』 集英社 2009.9
『メメント・モリ:死を見つめ、今を生きる:死を想え』 海竜社 2009.12
『日野原先生からナースに贈る35のメッセージ』 日本看護協会出版会 2009.10
『子どもを育てる聖書のことば』 いのちのことば社フォレストブックス 2009.11
『日野原重明の「こころ」と「からだ」の相談室』 日本放送出版協会 2010.1
『日野原体操で健康長寿』 日本放送出版協会 2010.1
『働く。:社会で羽ばたくあなたへ』 冨山房インターナショナル 2010.4
『生きてるだけで100点満点:99歳のぼくから君たちへ』 ダイヤモンド社 2010.9
『百歳は次のスタートライン:祝百歳記念!悩めるあなたに贈る「至福の百話」』 光文社 2010.10
『愛とゆるし』 教文社 2010.11
『いのちを育む:百歳の私から人生を楽しむための「道しるべ」』 中央法規出版 2011.9
『100歳のことば100選』 PHP文庫 2011.10
『100歳の金言』 ダイヤモンド社 2012.2
『「いのち」の使命:3.11後を生きる』 日本キリスト教団出版局 2012.8
『いのちの使い方』 小学館 2012.10
『生きかた上手手帳:2013年版』 いきいき 2012.10
『日野原重明ダイアローグ』 医学書院 2012.10
『生きがいを感じて生きる:福祉の役わり・福祉のこころ』 聖学院大学出版会 2012.11
『「与」命:団塊世代よ、あなたの晩年は40年間ある』 小学館 2013.2
『長寿の道しるべ』 中央公論新社 2013.3
『101歳の金言』 ダイヤモンド社 2013.3
『日野原重明の「わくわくフェイスブックのすすめ」』小学館 2013.4
『永久保存版 健康&長寿の秘訣 生き方バイブル:DVD2枚組+ブックレットで繋ぐ、日野原重明101年の集大成』 小学館 2013.5
『いのちのギフト:犬たちと私から送る勇気のエール』 小学館 2013.9
『だから医学は面白い:幻(ビジョン)を追い続けた私の軌跡』 日本医事新報社 2014.9
『戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり』小学館 2015.9
『10月4日 104歳に 104句』ブックマン社 2015.10.2
共編著[編集]
遷延性心内膜炎の一例[33] 新村正幸共著 日本循環器病學 1939
最新簡明看護学 川畑愛義共編 学術書院 1949
家庭医学宝典 松田心一共編 社会保険法規研究会 1955
准看護婦試驗の總仕上げ 問題と解答 平野みどり共編 医学書院 1955
看護必携 医学書院 1956
人間ドック その企画・検査から生活指導まで 橘敏也共著 中外医学社 1960
臨床検査の知識と介助 柴田進、小酒井望共編 医学書院 1961
心臓病・高血圧の治療と食事 羽田明子共著 柴田書店 1963
対症検査 鑑別診断のすすめ方 小酒井望、阿部正和共編 医学書院 1963
成人病の発見から管理まで 医学書院 1963
医学の歩みにおくれない心臓病診療の良識 橋本寛敏共著 改訂版 金原出版 1965
高校看護学 阿部正和、金子光共編 医学書院 1966
慢性疾患の新しい理解とリハビリテーション看護 医学書院 1966
内科系統診断学 新しい診察技術と診断のポイント 中外医学社 1968
老人患者の理解と看護 村地悌二共編 医学書院 1968
心臓病 予防と回復に役立つ 香川綾共著 女子栄養大学出版部 1969
私の処方 184人の専門医による 中外医学社 1970
正常値と異常値の間 その判定と対策 河合忠共編 中外医学社 1972
心筋梗塞 その新しい理解と診断・治療・生活管理 太田怜共著 医学書院 1972
看護のための水と電解質の知識 柴垣昌功、山本高治郎共著 医学書院 1974
心緊急症をどう診るか 加藤和三共著 金原出版 1975
打聴診のコツ 佐々貫之、安部英共著 金原出版 1975
栄養指導必携 堀内光共編著 医歯薬出版 1979.10
POSによる高血圧のマネジメント プライマリ・ケアへの新しいアプローチ 道場信孝共著 医学書院 1980.7
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