
今夜のBSハイビジョン特集『漂白のピアニスト アファナシエフもののあはれを弾く』は非常に興味深かった。アファナシエフについてはかつてギドン・クレメルの伴奏者であり、哲学的思索を持つ鬼才ピアニストというイメージを漠然を持っている程度で殆ど全く知らなかったのだが、凄い人だ。
番組の解説文「超スローテンポな演奏などで知られる”漂泊のピアニスト”ワレリー・アファナシエフの芸術に迫る。鬼才と呼ばれる彼の美学の原点には、日本の「もののあはれ」との出合いがあった。国が芸術家を支配することに絶望し、アファナシエフは母国・旧ソ連から西側に亡命した。その際、彼の脳裏には「自分は敗者である」という観念が浮上していた。そこで共感を寄せたのが敗者を慈しみ、時の移ろいをめでる「もののあはれ」の美学だった。「徒然草」や「源氏物語」を読みふけり、能の世界に入る中から、アファナシエフは極端に遅いテンポを通して、曲に潜むドラマをあぶり出す独自のスタイルを確立した。現在、フランス・ベルサイユで古書とワインに囲まれて暮らすアファナシエフの創作の秘密を、モスクワ、京都などに探る。秋の古寺で行った特別演奏も送る。」
アファナシエフはピアノの巨匠であり、かつ作家、詩人、戯曲家等、その芸術の領域は計り知れない。ソビエト体制下の60年代、徒然草の翻訳を読んで「もののあはれ」を知ったという。芸術が国家に支配されるソ連を地獄と感じ、西側に亡命したのだが、西側の芸術派商業主義に支配されており天国ではなかった。現代は天才的芸術家を必要としておらず、ほんの少し注目を集めるスターが入ればいい。現代社会は芸術を生み出す力を失っていると語っていた。そしてアファナシエフは時代の流れから一歩身を引き、自分の芸術に生涯を捧げる覚悟を決めたという。「音楽は静寂から生み出される」という言葉が印象的だった。
ところでアファナシエフが亡命前の親友ウラジミール・マルチノフの家を訪ね、語り合うシーンがあるが、マルチノフとは私が愛聴する“Come in!”の作曲者ではないか!この曲はギドン・クレメルの“SILENCIO”に収められている
番組の解説文「超スローテンポな演奏などで知られる”漂泊のピアニスト”ワレリー・アファナシエフの芸術に迫る。鬼才と呼ばれる彼の美学の原点には、日本の「もののあはれ」との出合いがあった。国が芸術家を支配することに絶望し、アファナシエフは母国・旧ソ連から西側に亡命した。その際、彼の脳裏には「自分は敗者である」という観念が浮上していた。そこで共感を寄せたのが敗者を慈しみ、時の移ろいをめでる「もののあはれ」の美学だった。「徒然草」や「源氏物語」を読みふけり、能の世界に入る中から、アファナシエフは極端に遅いテンポを通して、曲に潜むドラマをあぶり出す独自のスタイルを確立した。現在、フランス・ベルサイユで古書とワインに囲まれて暮らすアファナシエフの創作の秘密を、モスクワ、京都などに探る。秋の古寺で行った特別演奏も送る。」
アファナシエフはピアノの巨匠であり、かつ作家、詩人、戯曲家等、その芸術の領域は計り知れない。ソビエト体制下の60年代、徒然草の翻訳を読んで「もののあはれ」を知ったという。芸術が国家に支配されるソ連を地獄と感じ、西側に亡命したのだが、西側の芸術派商業主義に支配されており天国ではなかった。現代は天才的芸術家を必要としておらず、ほんの少し注目を集めるスターが入ればいい。現代社会は芸術を生み出す力を失っていると語っていた。そしてアファナシエフは時代の流れから一歩身を引き、自分の芸術に生涯を捧げる覚悟を決めたという。「音楽は静寂から生み出される」という言葉が印象的だった。
ところでアファナシエフが亡命前の親友ウラジミール・マルチノフの家を訪ね、語り合うシーンがあるが、マルチノフとは私が愛聴する“Come in!”の作曲者ではないか!この曲はギドン・クレメルの“SILENCIO”に収められている









平均律も是非聴いてみたいと思います。