萌黄の鳥

短歌を通しての交流

野口久光が駆け抜けた時代

2014-11-27 21:22:47 | Weblog



 スターバックスの喫煙室に立ち込むる煙草の煙に昭和が匂う

 野口久光のポスター展を見終えて三条通りをシネマのつづき

 ばしっと男のほお打つキムノヴァクの余韻のままに人と真向かう

 噛みあわぬ会話のつづく喫茶店螺旋の階段の先のくぐもり

 京風にはほど遠き出し巻きたまごの違和感のまま会話のつづく 

 とりあえず六角堂に家内安全祈りうつつより現実にもどる

 女三人それぞれの事情抱えつつ散らばる夕の銀杏のあかるさ


数々の映画のポスターを手掛けた野口久光の作品が京都文化博物館で展示された。
作品は戦前の無声映画時代から戦後にかけての作品が一堂に公開。
無声映画時代、父が大阪の辻演歌師や弁士に憧れ少ない給金の中からヴァイオリン
買って自己流に弾いていた時代と重なる。昭和3年、大恐慌が始まる前の大正デモクラシーの
のびやかな時代が、野口の手掛けた1000の内の代表作品26の断片的映像からも世界の
時代の変容が読みとれて興味深かった。
ついでだがこの時期の大阪時代、俳優気取り父の写真館での水着姿や伊達眼鏡で気取った
写真をいっぱい残っている。まさに父の青春まっただ中である。
このあと父は二度の戦争で大陸に召集されている。その間母との結婚もある。
映画と父と私の記憶は私の覚えでは生活一辺倒からようやくすこし余裕がでて出てきた
私が8歳位からだったろうか。映画が欧州からアメリカ映画にとって代わられた時代で
ある。夕食が済むと家族を車に乗せ隣街まででかける。
一杯飲んでほろ酔い機嫌の飲酒運転。恐ろしい話であるが当時は自動車は町内には
ほとんど数えるくらいめったに車と出会うこともない。

映画館に掲げる大きい看板はリアルに描かれ生き生きとした外国俳優。
野口の作品化された芸術作品のポスターのそれとは違うなまなましさがあった。
よくこんなにうまく描けるものだとただただ圧倒された。
映画は途中から見るので筋もいまいち。弟に至っては二階の座敷でい眠っている。
やたら西部劇多くてこのころはアパッチが悪という単純設定。日本物はチャンバラもの
が多かった。この辺までが父との映画の記憶の最後。その後は自分で見たいものを
見ることとなる。

その後、野口久光が駆け抜けた時代を追う形で戦前戦後の映画やDVDを追いかけた。
白黒作品の女優は何故か今よりずっと輝いていた。



       ありさ ・佐々木則子





HP「萌黄の鳥」
http://www.eonet.ne.jp/~arisa118/





最新の画像もっと見る