ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

ジャグジーということ。

2005-08-18 15:31:12 | ベクトル→プラス
『オーテル・ド・摩耶』に行って来た。下界より3度涼しいという摩耶山の清々しい風にに吹かれながら、神戸の街を一望できる巨大なジャグジーがすばらしい。絶景と風から得られる贅沢な時間。
ホテルは満室にもかかわらずジャグジーは無人で、女4人で貸し切り状態。その後、老夫婦が見学だけに現れて、しばし談笑。その後、ママに連れられた子供のヨシ君が海パン姿でやる気満々にジャグジーに登場。ぐるりと取り囲む女どもの長い足8本の真ん中で、ジャンプするわ潜るわはしゃぐわで、男気を見せてくれる。最後は記念写真まで一緒に撮って、楽しく交流してバ〜イバイ。
次に、タオルを抱えた中年の男性2人がジャグジーに近づいてきたが、サングラスにビールを飲んでる女4人がビバリーヒルズ的ヤンキーな不良に見えたのか、遠目に観察して、そのまま後戻りしたぞぉ。
続いて登場した、これまた中年の男性2人は、ジャグジーの水圧を腰や腹や足の裏に当ててるおばはん軍団を目の当たりにして、無言で退散しはった。
おいおい、おいっ!40歳は超えたとはいえ、美貌とスタイルをギリギリキープしてる私たちに失礼やないのと思いつつ、こちらもできれば若い男性との混浴の方がいいので、内心ラッキーな夏の午後の出来事。
さて、次に登場は、熟年夫婦。奥様は平気なようだったが、ちょぴっとお腹が出たダンナ様は、見た目も鮮やかな照れのしぐさをして、照れ隠しに話しかけてくる。
「ご一緒してもいいですか」
「もちろん、どうぞ、ぞうぞ、すごく気持ちいいですよ」と、ちょっとした会話でうち解けて、女5人と男1人の夏物語。ダンナ様がやけにおしゃべりになってたなぁ。
ここから得られた教訓は、中年男性、特に男同士はからきしダメって言うことか。せっかくホテルに泊まって、ホテルの超目玉である神戸の街を一望できるジャグジーを、女4人の先客がいるだけで諦めるという思考回路は、いったいどうなっているのだろうか。というか、一言かけてくれれば、私達も40歳を超えた大人。巨大ジャグジーの一角は、あけてさしあげてよ。まずは、コミュニケーションが大事ってことよ。
外国のプールのジャグジーなんて、老若男女がギューギューで入っておしゃべりして、それでも、次々人が入ってきて、キャキャ騒いでいるのに。自分がやりたいことは、好きなようにやればいいのだ。
「ジャグジーは巨大でも、あんたらの態度もでかかったぞぉ」
「中年の男性コンビが来たとき、女4人、目で合図して、来るな!オーラ、ビンビンに発してたやないか」
そんなこと、ありませんことよ。私達、いつものようにしおらしかったはずよ。
「そうやなぁ、巨大ジャグジーで、大の字になって浮いとったもんなぁ」

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食べ尽くすということ。

2005-08-13 16:51:32 | ベクトル→プラス
ちょっと前から、冷蔵庫の中に食材がほとんどない状態だ。冷蔵庫が空っぽというわけではなく、ビール、ワイン、氷、水などの飲み物系がぎっしり入っていて、食材系が入らないのだ。
夜にちょこっと酒のあてが欲しい、なんか小腹を満たしたいと思っても、コンビニ系はイヤだし、玄米を焚くには90分かかるし、すぐに食べられるものがない。
そこで、今ある台所の残り物、余り物、ストックもんを駆使して、食いつなぐことができるかどうか試してみることにした。いや、どうにか食べてみせようという、挑戦、だ。
最初は、茹でたマカロニにタマネギとジャガイモと缶詰のイワシを炒めたもをグラタン皿3つに分け、これにチーズやら、卵やら、バジルやらトッピングを変えて3食分とした。
次は、ニンニクとクリームチーズのパスタ。次は、忘れていた冷凍シューマイにピザ用チーズと枝豆を振りかけてチンしたもの。コショウたっぷりがポイントだ。 次は、シュウマイをみじん切りにして肉とみなし、缶詰のトマトとタマネギを混ぜ合わせたミートソース・スパゲティ。次は、マカロニと缶詰トマトとパン粉とクリームチーズとバジルのグラタン。 次は、瓶詰めの粒ウニとパスタを混ぜ合わせ、枝豆を10粒ほど振りかけたもの。
で、ありモンでどうにかなっている。で、そこそこ美味しい。さらに、残り野菜を腐らすこともなく、封をあけた乾物系、忘れていた缶詰系がきれいにかたづけていく。
しかし、今日はもうダメだよなぁ。もう限界だよなぁ。缶詰類が底をついたなぁ。タマネギが切れたのが痛いよなぁ。あぁぁ〜、冷蔵庫の中は、あと梅干しにキムチに豚味噌かぁ。パスタ、飽きたよなぁ。玄米、噛みたいよなぁ。お豆腐、食べたいよなぁ。バジル、むしりすぎたよなぁ。お魚、焼きたいよなぁ。お箸、持ちたいよなぁ。で、そろそろ限界かなぁ。
そうだ、終わりにしよう。市場に行って、新鮮な野菜類を仕入れよう。豚細切れとか鰹のたたきとか厚揚げとかを買おう。ゼロからの買い物って、とってもゴージャス。
冷蔵庫のビールやらワインやらも片づいたので、貯蔵スペースも充分で、何でも入る。
消費と貯蔵のベクトルがニュートラルになった瞬間。ブラボー!
「よくがんばって作りましたね、と、ほめてあげたいところやけど、ようくもまぁ、飲みましたね、残念!って感じやな」
「晩ご飯やなくて、酒のあて、作ってただけやないか」
「もう、酒類も底をついたようやし、今日からは、玄米、50回、噛んどき」

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ハマるということ。

2005-08-09 14:10:37 | ベクトル→マイナス
昨日は深夜3時までテレビを見てしまった。いつもは12時前にはお眠になるので、酒も飲まずに深夜まで起きていたのは、去年、NHK・BSで放送していたアニメ『十二国記』にハマった以来だ。
で、今回もアニメ『SAMURAI 7』にハマった。
1話を見て寝ようと思ったら、2話がはじまり、続きが見たいと思ったら3話がはじまり、今、何時やねんと時計を見たら4話がはじまり、おいおい、どこまでやるんやと思ったら5話がはじまり、もうやめないでぇと願ったら6話がはじまり、 ほんでほんで、次はどんなんとお目々パッチリで7話がはじまり、永遠に見られるかもと期待したら、「次回に続く」だ。ガックリ。
『十二国記』の時は、BSだったり総合チャンネルだったり、放送日時や時間や帯がバラバラで、けっこう見逃した。というか、番組表を確認しないで、勘に頼ったので失敗した。
で、今回はインターネットで調べたら、『SAMURAI 7』全26話を、昨日から金曜日の4日間で一挙放送する、という情報をゲッチュできた。これで、絶対見られるかというと、それは不明だ。
今日は家で、持ち込み宴会の予定があり、ほかにもお眠になって早寝するかもしれないし、どこかに飲みに出かけるかもしれないし、『SAMURAI 7』を見ることを阻む因子がたくさんある。その時、その気分、その状況になってみなければ分からないのだ。
昔、デビッド・リンチの『ツイン・ピークス』全編のビデオを友達から借りた。見はじめたら、やめられなくなり会社を休んで完観した。
昔、『シミ・シティ』というゲームを買った。面白くて、やめられなくなり、ペンも持てないほど肩をパンパンに凝らして会社を休んだ。
そんな昔の、ハマる情熱のようなものが、今は薄くなっているような気がする。「なにがなんでも」「どんなことがあっても」というエネルギーをひとつに集中できない。「絶対に・・・したい」ということがないのだ。
昨日は、確かに『SAMURAI 7』にハマった。しかし、今日は、『世界陸上』にハマるかもしれない。または、友達と飲んで、しょうもない笑いのツボにハマるかもしれない。その時、その気分、その状況で、ハマることも変化する。そのぐらいの感覚がちょうど良い。
こんな気分にさせた、全26話を連続放送しなかったNHKの失態は大きい。
「どんどん、人間が身勝手、ええかげんになってきとる。見たいならビデオにとったらええんや」
「どうせ、夜になったら、『SAMURAI 7』のことは忘れてるもんなぁ。その程度の記憶力やもんなぁ」
「こら! こいつ、今から昼寝する気やぞ。こら!怠けもん! 寝るな!」

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ウンチということ。

2005-08-08 17:54:51 | ベクトル→プラス
なんとなくマクロビオテック、なんちゃって菜食主義から一転、一食800カロリーぐらいであろう肉食料理を食べている。と、体に変化が現れた。
それほどしんどくないのである。ちょっとした用事を思いつくと、すくっと立ち上がり、ささっと動いて、お尻が軽い軽い。やっぱり、体の「肉、食わせろ!」は正しかったようだ。
それに従い、ウンチが激変した。今までは、薄い茶色で、お水を流せばサラリと溶ける、カステラのようなソフトなものだったが、お肉を食べ出してから、濃い茶色で堅め、大きめのマカダミアンナッツのような固形物になった。で、一番の違いは、重くなったということだ。マクロビオテックで菜食主義の時は、プカプカ浮いていたのだが、「水に浮く物質」と「水に沈む物質」は、子供の頃に習った理科の授業では、「全く違う物質」と定義されていたはずである。素材(食べ物)が変わると、作品(ウンチ)も違ってくるという、貴重な体験を得た。
4年ほど前、お尻の手術をしたのを機に「ウンコちゃん日記」を半年間つけていた。その日食べたモノと出たモノの質と量を克明に記録したもので、そこから導き出された結論は、良質な作品のために必要な素材とは、繊維質でもネバネバ食材でも乳酸菌系でもなく、水分量であるという、しょうもない結果だった。
今考えると、この時は、けっこう規則正しく栄養バランスの良いモノを食べていたので、個性的な作品が創造されにくかったのだろう。
しかし今回は、マクロビオテックで菜食主義から、いきなりの肉食である。胃と腸たちも、新しい素材との出会いに、ドキドキワクワクしながら作品を創り上げていったのだろう。
ところが、早くも肉食に飽きてきた。おさしみ系が食べたい。アジのたたきとか、タイとかヒラメとか、カルパッチョ系にするのもいいな。次の作品は、トイレの中を泳いでくれるかもしれない。
「そんな、ウンチに芸術心を燃やさんでも、違うことがあるやろ」
「ほんま、エネルギーをかけるところが、いつもズレてる」
「体の欲するモノを食べるて言うといて、自分の好きなモン、食うとるやないか」

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食べないということ。

2005-08-06 17:54:15 | ベクトル→マイナス

『不食〜人は食べなくても生きられる』という本を読んだ。帯には「そのうえ、疲れず、病気にならず、若返る!3年間、不食の男がここにいる!」とある。
私が、体が欲するものを、好きな時に好きなように食べる(栄養バランスがよく、規則正しい食生活を完全無視)をしているので、友達が貸してくれた。
でも、この男、全く食べ物を食べてないわけでない。母が作る料理を愛情のために食べ、おつきあいの場でバーベキューなんかも食べてる。どれぐらい食べてないかは、詳しく(データ的)書いてないが、ほんとに少ない量で、体を維持しているようだ。
私の好きな食べ物は、お豆腐にスライスしたタマネギとゴマとポン酢をかけた一品があれば幸せで、あと1〜2品、お魚系か野菜系のおかずを作っている。主食は6年ぐらい前から玄米で、これは能勢で無農薬米を作ってる猫の手倶楽部という会に入って、田んぼの草抜きをして、1年分の玄米30キロを1万4000円ぐらいでゲッチュしている。
で、知らず知らずに、最近流行のマクロビオテックってのをやってるやないのぉ、なんとなく菜食主義って雰囲気もあるやないのぉ、という感じである。
テレビのCMでは、栄養補給や健康維持のためのケミカルがバンバン宣伝されている。レタス10個分、いわし20匹分、ゴマお茶碗1杯分のなんやら栄養を抽出したいろんな錠剤たち。そんな普通の食事では常軌を逸した量の栄養を、簡単に口にほりこんだりしたら、体がビックリするのにと思う。
軽自動車にジェット燃料を入れるようなもので、最初は新鮮な刺激で体が活性化されたような気がするかもしれないが、長い目で見たら、燃料にマッチしてない体というメカに負担をかけているはずだ。
全体を食べないで、抽出した物質のみを体に与えるという栄養補給という方法は、人類がはじまって以来のチャレンジであり、私はそんな実験対象になりたくない。
なにかの本で、食べ物は全体を食べなければ意味がないことを書いてあった。豆の中に含まれる、体にいいなんやら物質だけを摂るより、豆そのもを食べる方がずっと体にいいそうだ。豆全体に、なんやら物質をより効果的にしてくれる助っ人たちがちゃんといて、野球で言うと、エースのピッチャーだけでなく、9人みんなでがんばろうねって感じなんだろう。
で、主食の心配はないし、野菜や魚なら、食材費はあまりかからない。 『不金〜都会の真ん中でお金を使わずに生きられる〜 』という付加価値もある。すごく気に入ってる。
ところが、最近、体が欲する好きなものが、肉になってきた。私の口は、あんな脂っこいものイヤだと主張するが、体が「肉を食わせろ!」とわめく。で、私のさいふも、肉は高いからイヤだと困り果てているが、体は「ほんなら肉だけ食わせろ!」とわめく。おかげで、プルコギやら黒豚のショウガ焼きやらステーキを「美味しい、美味しい」と食べている。さらに、喉が「ビールも飲ませろ!」をわめきだす。舌が「甘いもんも食いたい」と調子にのる。ワガママな体たち。
思うに、ここ最近の暑さに、体が夏バテ予防のために高エネルギー食べ物を欲しだしたのだろう。体の言うことにはかないまへん。肉でもビールでもまんじゅうでも、やってやろうやないの。
「そうそう、動物性タンパク質は、俺たち脳も大好き。肉は歓迎やっ」
「でもなぁ〜、ビール飲ませろとは言ってへんでぇ〜」
「体の欲してる栄養と自分の本能をゴッチャにしとる」

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浴衣ということ。

2005-08-01 18:42:22 | ベクトル→プラス
お盆に『オーテル・ド・摩耶』に泊まりに行くことになった。本格イタリアンと神戸の夜景を見ながらのジャグジーにハーブバスの1泊2日が「割引になるでぇ〜」という友達のプランにノッた。
実は、先月行った高知旅行の最後の宿泊地が『体験の宿 くらうど』で、ここの晩ご飯が、第21回世界料理オリンピックメダリストの永野シェフが創作する土佐の食材を生かしたフランス料理だった。
温泉に入ってからの食事なので、「食事は浴衣でもいいんですか?」とエントランスのお姉ちゃんに確認すると「かまいませんよ」と答えた。だから、宿に付いてる浴衣を着て、髪が乾かなかったので宿の黄色いタオルを首にぶら下げてレストランに出かけたわけだ。
ところがどっこい、テーブルは純白のテーブルクロスの2枚重ねにナイフやフォークやグラスが並び、別テーブルではスーツにネクタイの3人の紳士が食事をしてるではないか。おまけに同行者の2人は、ちゃっかり洋服なんかを着ている。
おいおい、濡れ髪に宿の浴衣にぞうり履きの私って、超場違いやないの。と、思ったが「浴衣でもいいって言ってたもんね」と、すぐに開き直り、自分では自分の姿が見えないという死角のおかげで、普通に食事した。素晴らしく美味しかったわ。
最後に蝶ネクタイのウエイターが「こんな田舎でと思われるかもしれませんが、なかなか素晴らしい料理でしょう」と一言添えたが、私には「田舎と思って浴衣をお召しのようですが、料理にふさわしい格好でお越し願いたかったです。はい」と、聞こえた。
ほんならはじめから、「できれば、お洋服で」と言えば、私も汗臭いTシャツと短パンの中から、センスを駆使してドレスコードをクリアしたものを。
というわけで、フランス料理をヨレヨレ浴衣で食すというアバンギャルドな体験をした。
ところで、次は、『オーテル・ド・摩耶』でイタリア料理である。今度も「食事は浴衣でもいいんですか?」とエントランスのお姉ちゃんに確認するつもりだ。
「凝りへん奴やなぁ。あんた、女の子やろぉ〜」
「ナイフとフォークの食事に、浴衣は似合わへん」
だから、自分の浴衣と帯を持って行くの。
「なんか、浴衣に意地になっとるな」
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雑費ということ。

2005-07-25 21:05:17 | ベクトル→マイナス
ちょっと前のblogで、「酒とタバコと食べ物以外は、お金を使わなくてもいいかも」なんて書いたが、とんでもない間違いだった。
ここ1週間ほど、家を徘徊する蚊が1匹いて、毎日、ちょこちょこと噛まれる。引き出しのガラクタの中から発見した数十年前の香港旅行で買ったマンキンタンを噛まれたら付けていたのだが、ぜんぜん効かない。
たった1匹の蚊を抹殺して、平和な日々を取り戻すか、刺されることを考慮して液体ムヒを買うか迷った。蚊の撲滅が成功すれば、液体ムヒを買わなくてすむのだ。
ほんで、見つけた。お風呂に入ったら、あのブヨ〜ンという不愉快な音が。ドアを閉めて完全密室の中でじっくりと探し、パチンとやっつけた。
ところが、こいつではないみたいなのだ。パチンとやった蚊の残骸から血らしきものが出ない。あんなけ毎日、人の血を吸ってるんだから、赤い血のりがつくはずなのに。「ジョーズ」と同様に、腹を割いてみなければ、真実はわからないものである。
ほんで、ダイコクで430円の液体ムヒを購入してしまった。
さらに、電車賃を惜しんで車で出かけたら、ガソリンが空っぽで、40リッターで5250円も取られる。高速道路をぶっ飛ばした方がガソリンの消費が抑えられるのではという判断の元、高速代1400円使うが、どちらが得だったのか、本当のとこはわからない。普段はほとんど自転車で、交通費ゼロだったのに。
ほんで、今日、マンションの管理費を振り込んだら315円、手数料でとられた。手から手の現金徴収にして欲しいものである。
というわけで、酒とタバコと食べ物以外でも、お金、使ってるやないのぉ。けっこうあるやないのぉ。これらが、雑費・交通費と呼ばれている消費なわけだ。
とっても誤算。とっても悔しい。
「それより、タバコ、やめたらええんや。将来的な医療費が節約できるでぇ」
「ついでに、酒もやめたらええんや。忘れ物と恥かくのが減るし、一石二鳥や」

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※ジュンイチ君のbblog『Vietnam-sketch.com』を更新しました。
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ブームということ。

2005-07-21 16:45:41 | ベクトル→プラス
7月1日から5日まで、高知県の西の端・柏島をめぐる4泊5日の旅行に出かけた。
初日は、朝の5時に出発し、山陽自動車道→瀬戸大橋→高松自動車道→松山自動車道をひた走り、面河渓谷を目指すハードドライブ。ほんで日程は下記。宿泊代、交通費・飲み代・昼食合わせてお一人5万3000円なり。
7月1日(金) 国民宿舎面河 TEL 0892-58-2211  一人 6,800円
http://www.town.kumakogen.ehime.jp/nature/damu/index.html
7月2日(土) 徳田旅館(柏島) TEL 0880-76-0040  一人 6,800円
http://66.102.7.104/search?q=cache:rnjQ4GuCJT4J:www.d9.dion.ne.jp/~aquas/sta
y.htm
7月3日(日) 民宿「司」(柏島) TEL 0880-76-0203  一人 6,500円
7月4日(月) 体験の宿 くらうど (清流仁淀川流域) TEL 088-892-1001 一人 7,800円
http://www.orienthotel.jp/kuraudo/hotel_syuku.htm

で、柏島が素晴らしかった。天気予報は集中豪雨注意報まで出ていたが、ギリギリ曇りでちょい晴れ間の天候をキープできたスーパーウルトラ晴れ女の強運のおかげで、スノーケリングに磯遊びと日に2回は海に入り、とれたてピチピチのサバや鯛のさしみを食べ、ガキのように遊びたおしたのだが、
「柏島の海の美しさはこんなもんやないきにぃ〜。透明度50メートルやきぃ〜。晴れてたらよかったのに〜な〜。またおいでやぁ〜」と島の人たちは残念がってくれる。ほんでも都会もんは、熱帯魚が泳ぐ紺色の海に体を沈められただけでも、ハラリハラリと気分が浄化するのであった。
で、柏島の名物がところてんである。黒蜜でも酢でもなく、ダシで食べる。
このあたりでは、ところてんはおやつや間食ではなく、おかず。食卓に納豆やみそ汁やキムチが出るように、ところてんがあたりまえにおかずの一品として毎日出されるそうだ。民宿の晩ご飯にもこれが出て、食堂にはところてん定食まである。大阪で言うとうどん定食のようなもんだ。
島を散歩すると、どの家の軒先に七輪やコンロの上に大きなお釜が置かれていて、テングサを湯だてて自家製ところてんを作るそうだ。
今朝見たテレビで、ところてん・かんてんが空前のブームで、売り切れ続出、このままではてテングサが足らなくなるというニュースをやっていた。たぶん、テレビで「ところてんが体に良い」という番組が放送されたはずだ。
柏島の人たちは、テングサがなくなり、ところてんが食べられなくなる、なんて心配はぜんぜんしてないだろう。目の前の海からテングサを取り、自分で湯だててところてんを作るのだから。
そして、ロンドンの同時多発テロの事件で、潜在的な不安や心配のようなものがわき上がることもないだろう。遠い遠い異国での出来事なのだから。
田舎に暮らすということは、こういうことなのだろう。目の前に、美しい海と自然があり、新鮮な野菜と魚を食べ、清らかな水があり、みんな仲良く助け合って暮らす人々・・・。
なにかすごく素晴らしいモノに囲まれていると、テレビから流れてくる悪意のニュースや意地悪なネタ、お得な情報やブームなどで、生活を変えたり、振り回されたり、おびやかされたりはしない。
しっかしである。柏島の人たちはテレビ好きである。お店も民家も必ずテレビを付けている。3つしかチャンネルはないのに。きっと、テレビを付けっぱなしにするのが、柏島のブームなんだろう。
で、私は、高知から帰ってきてから、短パンとTシャツで過ごしてる。ちょっと海に接すると、服を着たくないのが、いつものブームだ。
「北浜で、短パンとTシャツやでぇ。なめとんか、ほんまに」
「ご近所さんに、涼しい格好してはるねぇって言われまくってニコニコしてるけど、それ嫌みやぞぉ」
ええの、ええの、ちょうど大掃除もしてたし。
「ほんなら、ブラジャーくらいは着けろよなぁ。シャラポアやないんやから」

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持ってるということ。

2005-07-20 19:33:32 | ベクトル→プラス
いらないモノを捨て、必要なものを整理することは、なにがどこにあるか、全てを把握することでもあった。約1ヶ月にわたる部屋のガラクタとの壮絶な戦いの中で、自分とモノとの交渉と和解と断絶、自分の生きてきた過去の整理、自分の思いのええかげんさ、中途半端さの現状などが、少しずつパズルを解くように収拾されていく。
ほんで、大きな成果を得た。『私は、全てを、持っている』
今後工夫すれば、食べ物と酒とたばこ以外、モノは買わなくてもすむという事実。これは定期収入もなく、お金がいつも乏しい生活をしている身にとって、金にまさる収穫だった。
Tシャツ、タオル、服類は、一生分あった。押しピン、電池、釘、シャーペンの芯、糊、ノート、ファイル類は、ストック充分。もらいモノや粗品の、石けん、シャンプー、洗剤、クリーナーなども、3年は持つだろう。
電気のこぎりに、電動ドリル、板きれ、パイプ、ペンキ、網戸の網ほか、大工道具一式、絵の具、筆、キャンパスなど絵の道具に習字道具、端切れなどを含む裁縫道具もあるので、壊れたり、破れたりしたら修繕・修理すれがいいし、発作的に芸術したくなっても、出費は不要だ。
こうして、確実に使うモノと、未来への可能性を秘めたモノたちが、それぞれ仲間同志に結束し、それぞれの所定の位置に待機してくれているという安心感は絶大だ。
今は、モノを持たないシンプルライフが高等なライフスタイルとして取り上げられているが、持ってるということから得られる精神的なやすらぎもあるのだ。
たぶん、みんないろんなモノを持っている。ただ、何を持っているかを把握できていないのだ。あっちの引き出し、こっちの引き出しから意味もなく出てきた電池たちとペン類。1ヶ月の旅行にも対応できる化粧品・シャンプーなどのお試しキッド。買ったことを忘れていたアロマ・キャンドル、読んでない本・読み忘れてる本、衝動買いしたポストカードに外国製の香辛料、いろんなお茶ッ葉・・・。
今までは存在していても忘れられていたモノたちを、しっかり使って消費して、楽しんで味わって、モノたちの人生に華を持たせたあげるのが、持ち主の天命なのである。
持っているモノたちとの楽しい相互依存が、モノを持つという生活の醍醐味なのだ。
「ほんなら、トイレの水漏れ、修繕しろよな。皿を置いてるけど、カッコ悪いでぇ」
「西側のエアコンも壊れているし、CDコンポはCDが聴かれへん」
「小さいモノを大切にする以前に、この家はインフラがなっとらん」

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かたずけるということ。

2005-07-19 17:56:53 | ベクトル→プラス
『ガラクタ捨てれば自分が見える〜風水整理術入門』という本に夢中になった。タイトルはベタだが、カレン・キングストンという英国女性の著書で、風水以前に、家の中のいらないモノを捨てなさいというスペース・クリアリングの話である。
実はだいぶ前から、片付けなければというスペースがいくつかあった。なんとなくモノを積み上げてしまうスペース、使用不可なものまで収納している引き出し、押入の奥の開かずの段ボール・・・。
そんな乱雑で無駄が多く、片づいてないスペースやエリアが、エネルギーを停滞させ、どんどん澱をため込み、人生にまで影響を及ぼすという実は恐ろしい話なのだ。
自分ではどこか許して、見て見ないふりしてたが、心のどこかで「かたずけなければ」という脅迫観念からおさらばするべく、6月10日からはじめた、大掃除と整理整頓がやっとこさ完了。
トラック1杯分ぐらいのガラクタを捨て、目的・アイテム・用途・ジャンル別にモノをかため、ホコリの溜まったデッドスペースをクリアにし、インテリアも大変更した。
ほんで、ものすごぉ〜く、頭使った、体使った、精神使ったぞぉ。想像以上の大変な作業で、収拾不可能な呆然状態、思い出にしたるセンチメンタル状態、自分のバカぶりが露見した自暴自棄状態、うまくまとめて自画自賛状態・・・、と、いろんな紆余曲折を体験して、おさまる所に全ておさまった。
すると、すると、なんとも気持ちいい。風も光も空気も通り、人間で言うところの、便秘と中耳炎とむくみと肌荒れが直ったという感じだろうか。
今考えると、よくもまぁ、ガラクタと無駄なもので空間を圧迫していた所に住んでいたものだと思う。これからは、なにもかも風通しよくうまく運ぶはずだ。
「たしかに家はきれいになったけど、人間がかたずいとらん」
「1ヶ月以上もドタバタしとったから、今は腑抜けやなぁ」
「この1週間、あっちこっちの椅子に座って、本読んでるだけやないか」
ええやん、ずっと肉体労働やったんで、優雅に疲れをとってるの!
「それにしても、家からほとんど出ぇへんと、それ、引きこもりやでぇ」

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またやってしまったということ。

2005-06-08 16:36:53 | ベクトル→マイナス
また、やってしまった。
ここ最近、お金が乏しいこともあり、外で外食する時は、ほどほどのお店で、ほどほどの美味しさで、ほどほどの酒量を心がけていた。しかし、ほどほどとは、所詮ほどほど。こんなことなら、ほどほどを5回我慢して、美味しいものを美味しいお酒で、行けるとこまで楽しんだ方が値打ちがある。と、思っていたところ、近所の一押し店で、3周年記念スペシャルコース4500円を奮発した。美味しいものと美味しいお酒を下世話な会話をアテにして至福な時を過ごした。
やっぱり、ほどほど作戦より、小銭を貯めて一発スペシャルやなと方針を変え、再び、3周年記念スペシャルコースに行きたいのだが、まだやってるのだろうか。あと1回!スペシャル!アゲイン!したい!
で、またまたスペシャルのお誘いがやって来た。この人たちは、日常的にスペシャルなので、連れて行ってくれる店ではいつもスペシャルさせてもらっているので、期待は大だ。
その店は、すでに常連になっているようで、おすすめメニューやお酒やなんぞを、全て決めてくれる。で、美味しくて、酔っぱらって、しゃべって、笑って、ご機嫌さんになり、おまけに一緒に飲んでいたお花作家の人に、テッセンと笹ユリのお花のお土産を頂いた。
朝、目が醒めたら、テーブルの上に美しくテッセンとユリが活けられていた。トイレに行くと、ユリの花の一輪挿しまである。で、棚の上には、ネコヤナギとトウモロコシの花のようなものも活けられている。
梅田から北浜まで自転車で帰って来た記憶は全くないが、流しの上にある花びん類を椅子に登って取り、ちゃんと水切りして活けて、その過程で落ちてしまったユリのつぼみを一輪挿しの花器に2枚の葉を添えて活けるという、なかなかそつのないお手前を、ベロベロでしたようだ。
ところが、ネコヤナギとトウモロコシが分からない。ネコヤナギは、正月に活けていたのに根が出てきたのでそのまま花器にほりこんでいたものだ。だが、このトウモロコシのような植物はなんだ。帰ってくる途中で、捨てられていたものを拾ったのだろうか。それとも、もう、ずっと前から活けていたのだろうか。でも、トウモロコシを食べた記憶はないぞ。
記憶をさらっていくと、ジージャンをお店に忘れていたことに気づき、次の日に取りにいったら、なかったという。ということは、どこかで落としてしまったのか。お気に入りのジージャンを落として、トウモロコシのさきっちょを拾っていたのか。記憶と実存が一致しない状況。 謎だらけだ。
「なにが、謎だらけや。記憶喪失まで飲むなよなぁ」
せめて、記憶の断片ぐらい残しておくのが脳の役目でしょ。この役たたず。
「アルコールでマヒしたら、脳は本能に任せるもんやの」
「そうや、記憶ないのに、家まで帰れたんは、誰のおかげやと思ってるねん」
笹ユリが、清々とした香りで、落ち込みを癒してくれる。花に感謝。

【参照】
写真は、ネコヤナギとトウモロコシの正体不明の生け花。
テッセンとユリの素性が明確な生け花は、blogの6月5日をご覧ください。


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やる気ということ。

2005-05-31 19:12:15 | ベクトル→マイナス
かねてから不思議に思っているのだが、やる気とは、いったいなんなんだ。
あれもこれもやらなくてはいけなくて、時間はわずか1日24時間、考えも底をつきかけ、締め切りやケツがある仕事で、こりゃ物理的にムリだと思うことも、獅子奮迅の活躍と火事場の馬鹿力で奇跡的にこなしてしまうことがある。
ところが、あと少し整理するだけ、事務的に処理するだけ、決まったことを清書するだけの余裕のよっちゃんの楽ちん仕事ができない。たぶん半日ほどで片づく仕事なのに、やる気が起こらない。
午後からしよう、明日やろう、週あけにやろうと、ズルズルと伸ばしている。電話1本で済むことをやれない。メールでちょいと確認することがやれない。シャーペン持って、ちゃちゃと書くことがやれない。
これを世間一般の「やる気がない」という状況だと定義すれば、社員教育の厳しい会社の「今よりもっと、自分の力以上にもっと、新しい仕事を見つけてもっと…、やる気にない奴は、やめてもらいやす!」と激を飛ばす猛烈社長に怒られてしまうだろう。そう、やる気とは、長い間、経営者の立場の人が、雇った人たちを必要以上に働かせるための呪文として使われていた。よって、私の場合は、やる気依然の問題、単なる怠け心やと言われてもしかたないが、でも、やれないのである。自分ではやりたいけど、体がやりたくないと言う。
こんな状況は自分で自分の首を絞めているのは明白で、もう少ししたら、周りから怒られるだろう。でも、どんなに周りから責められても、やる気とは自分の中から沸いてくるものだ。あと少し、怠けさせていただいたら、体の奥からやる気の炎がメラメラを燃え上がり、最速スピード1時間で仕上げてしまうだろう。ということはわかっているのだが、このダラダラとした今の状況はなんなんだ。時間を無駄にしてるというのが正論だろうが、こんな時もあるさという人生論を私はとりたい。
「なにもしない時間を楽しむほどには、人間ができてないなぁ。有閑の優雅さに欠けとる」
「内心あせってるのが、中途半端なんや。正々堂々と怠けるか、根性出してやるのか、はっきりせぇ、ちゅうねん」
「やる気がないのを体のせいにしてるけど、どう考えても、ただのダラダラ、だらけとるだけや」
だ〜か〜らぁ〜、このだらけ気分をどうにかしたいわけよ。急に暑くなったせいかなぁ〜。
「おやおや、こんどは気候のせいにしとるぞ」
「その、だらけたダラダラ時間も、あんたの人生ざんしょ」

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泣くということ。

2005-05-29 13:08:24 | ベクトル→プラス
奈良に住む母が法事に参加するため、九州に旅行することになった。
母が飼っている猫を旅行中あずかるために、前日に母と猫と猫の私物(トイレやお気に入りのエサなど)を車で取りに行き、母は私の家で一泊。次の日に私が新大阪まで母を見送りに行き、新幹線の小倉の駅ホームで、九州の親戚が母を出迎える段取りをした。
それから毎日、大ボケの電話がかかってくる。
「あんた、いつ迎えに来てくれるの」「だから、26日って言うたやん」「新幹線のきっぷ、いつ持って来てくれるの」「だから、新大阪まで一緒に行くから、私が指摘席に替えるから」「ジェフ(猫の名)、2泊ぐらい大丈夫かなぁ」「だから、私が預かる言うてるやん」「あんた、迎えまだやのん」「だから、明日、行くから」・・・。
うちに泊まりに来ても「きっぷ、買ってくれたん」「明日やったら法事に間に合わんのちゃうの」と、ボケばかりかます。いつもの日常とは違うことをしなければならない緊張と責任で、確認ばかりしている78歳の母。
新幹線の指定席に乗せ、私がホームからバイバイしたら、泣いている。小倉駅でも、迎えの親戚の顔を見て泣いていたそうだ。ほんで、懐かしい親戚の人たちに会い、ずっと泣いているそうだ。
テレビを見ていると、ちょっとしたドキュメントや体験話に、ゲストのタレントがすぐ涙ぐんでいる。演歌歌手の人は、昔話ですぐ涙ぐんでいる。
昔、モスクワのオールドサーカスの取材に行き、1週間ほど練習風景なども密着して見ていたことがある。演技に失敗すると、ボロボロと涙を出し、ひと泣きすると、また演技の練習をしていた。誰に怒られるわけでもない一人での練習なのに、失敗するたびにひと泣きするのだ。
泣くということは感情の噴出だ。喜怒哀楽の全ての感情のさきっちょや隙間に、泣くという生理現象を誘発するツボがあるのだろう。
母は、新幹線に一人で乗って、急に心細くなりひと泣きし、親戚の顔を見て安心してひと泣きし、懐かしい人たちに会えて嬉し泣きしぃと、喜独哀楽のオンパレード泣きをしている。
テレビのタレントは、ドキュメントの主人公たちの泣きに、もらい泣きし、自分の苦労話にを思い出し泣きしている。
サーカスのプロのアーティストは、失敗した自分に悔し泣きし、新しい挑戦のために気分を沈静するために涙を利用している。
それでは、自分は最近、どんなことで泣いただろう。尼崎のJRの列車事故のニュースと、中国映画の『初恋が来た道』を見て泣いた。
実は子供の頃から「私は泣いたことがない〜♪♪」のタイプだった。泣くことは恥だと思っていた。しかし、自分のことに夢中で、他者へ感情移入する余裕がなかった若い頃の「私は泣かない」という意地のようなものが溶けて、自然に涙が出るようになったのかもしれない。それは感情が豊になったのか、ただ、涙腺がゆるくなったのか、謎だ。
「ちょっと前は、ハッピーエンドの『風をあつめて』聴いて泣いとったな」
「ニール・ヤングやイーグルス聴いても涙ぐんでたぞ」
「若い頃の郷愁で、涙腺がゆるむタイプなわけやね」
「要は、歳をとったというこっちゃな」

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書魂ということ。

2005-05-27 17:30:32 | ベクトル→マイナス
一仕事終えて、あまりにも天気が気持ちいいので、昼からビールが飲みたくなり、暇そうな友達に「ビール、飲まへん」とメールしたら「今、釣りに来てるねん」と返信が…。
げっ、こないだは誘ってくれたのに、今日は仲間はずれなわけと、ムッときて「さそてくれへんかったんや。ひどいなぁ」とメールしたら、「お前来たら釣れへんて、みなが言うねん。また今度ね」と返信が。
「ほんなら、今日は釣れてるんかいな、プリプリ」とメールしたら、「ボウスでは無いよ。(^_^;)」と返信が。
「前回のボウズを全面、私のせいにするのは、間違ってる!」とメールしたら、「だから、それを確かめに来たんやがな。今度お前来てその時、またボウスやったら決まりやね(^O^)」。
げっ! 5月7日のblogの「通じるということ」で書いたことが、現実になってるやないの。
だいたい、たった1人の人間が来たぐらいで、海釣り公園の人ほとんどがボウズになるわけがない。潮の加減とか、温度とか、風とか、魚ちゃんたちの気分とか、その日の状態が悪かっただけなのだ。
現実的に考えて、状況が悪かったというのが、賢い大人の判断である。その悪い状況を観察し分析すれば、次回への布石にもなろうと言うものを、たった一人の人間が来たか来ないかで釣果を判断するという、丁か半かのような博打的決断方法と、誰かが来たら釣れないというゲンかつぎな因習には断固、抗議したい。
「またまた、そんな理屈こぐからネタにされるんや」
「言霊やなくて、書魂やな。お〜、こわっ。あんまりええ加減なこと書いてたら、ほんまにインケツ大王にされるでぇ」
その、インケツ大王、やめてくれる。書いたことが現実になるんなら、これからは、ネガティブなことは書くのやめよっと…宝くじが当たったことなんか、書こっかな。
「おやまっ、自分もゲンかつぎしてるやなないの」

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ダイエットということ。

2005-05-08 21:10:32 | ベクトル→プラス
たぶん自分は健康なんだろうと思う。
便秘、生理痛、頭痛知らずで、風邪もひかないし、BMI指数は19.7でダイエットの必要もない。
タバコは1日に2箱以上吸い、お酒もほぼ毎日飲み、食事も運動も寝るのも起きるのも気分で、どか食い、バカ飲み、深夜飲みやほとんど食べない日もある。でも、たぶん健康である。
本に、北メキシコのインディアンはカップ半杯のとうもろこしともろこしビールで、イヌイットは肉と脂肪が中心の食事で健康であり、この人たちが健康に良いと言われるバランスのよい食事を摂ると、病気になってしまうと書いてあった。さらにテレビでジャムパンだけ食べている男の子と、何も食べないロシアのおばちゃんが紹介されていた。また、アメリカで100歳まで健康に生きた5000人の食生活を調査したところ、なにひとつ共通点がなかったという。
要は自分が欲するままに食事を摂れば、それが一番バランスに良い食事になるのだろう。「1日3食規則正しくバランスの良い食事」という常識は、体の機能や効率を顕微鏡や数値や物質や栄養を個別に実験した結果の凝縮で、「とにかく全てを網羅しといたでぇ」という感じの広く浅い基準なのだ。ダイエット・健康食品が全ての人に効果がないのは、人それぞれに自分が欲する食事、体が欲している栄養のバランスが違う証拠だと思う。
「ちゃんとごはんを食べないと体に悪い」というが、実は4年ほど前、3食規則正しくバランスのよい食事を食べていたら12キロも太ってしまった。それから、お腹がすいた時に食べたいものを食べていたら12キロ痩せた。思うに、「バランスの良い食事」を維持するために、脂肪を燃やす、糖質を押さえる、抵抗力をつける、サラサラ血液にするなどの余分なモノ(情報)摂ってしまい、本来の自分の体の本能的バランスを崩しているのではないだろうか。
映画、音楽、演劇、食べ物屋情報を網羅した『情報誌』のような食事で、体が栄養の情報セレクトに振り回されるか、山岡荘八の『徳川家康』全26巻のような食事で、体が求めるシンプルな栄養をじっくりと熟成させるか。食生活、食習慣というものは、生き方に近いのかもしれない。
「今日は見事に、本とテレビの受け売りばかりやなぁ」
「でも、ある意味、当たってるわ。受け売りやけど…」
「『徳川家康』全26巻を食事に例えるあたりが、オリジナルといば、オリジナルかぁ」
「無茶苦茶な例えやけどな」
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