ナーバスのベクトル

憂いと喜びのベクトルが今日もあちこち上下する

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経済産業省中小企業庁環境部企画課調査室ということ。

2006-08-31 11:50:16 | ベクトル→マイナス
経済産業省中小企業庁環境部企画課調査室から「平成18年中小企業実体基本調査」に協力のお願いのハガキが今年も来た。
全国約400万の中小企業から約11万社を抽出し、御社を今回の対象とさせていただきました、ということだが、平成16年度に創設されて3回目の調査で、なぜか毎年、うちにこの調査が来る。
1回目は、設備投資やら従業員数やら、マニュアル通りに算出した売り上げや計算など、事業的な専門用語ばかりの相当難しい質問でチンプンカンプン、分厚いアンケート用紙をほとんど白紙で郵送した。
2回目は、ほったらかしていたら、経済産業省中小企業庁環境部企画課調査室の姉ちゃんから電話があり、調査用紙を送ってくれと催促された。
で、うちは一人だけの家内事業の個人事業者で、売り上げなどないに等しく、調査対象としては違うので削除して欲しいと言うと、いえいえ、いろんな業種、形態の調査が必要なので、絶対に送り返せとひつこく言う。で、また、ほとんど白紙で郵送した。

それにしても、立派な事業をされている中小企業の方々からのデータに、うちのいいかげんな数字も統計に反映されるわけで、この調査、極めて胡散臭い。

1 で、中小企業者の定義は以下のとおりです。
業種:従業員規模・資本金規模
製造業・その他の業種:300人以下又は3億円以下
卸売業:100人以下又は1億円以下
小売業:50人以下又は5,000万円以下
サービス業:100人以下又は5,000万円以下

2 で、小規模企業者の定義は以下のとおりです。
業種:従業員規模
製造業・その他の業種:20人以下
商業(※)・サービス業:5人以下
※商業とは、卸売業、小売業(飲食店含む)を指します。

おいおい、うちは調査対象とは違うやないか! 
11万社の抽出方法から間違っている「中小企業実体基本調査」、大丈夫なんやろか?経済産業省中小企業庁環境部企画課調査室。

「やっとこさ更新したなぁ」
「でも、MIXIの日記とまったく同じ内容やないか」
「横着かまして、更新するなよなぁ」


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嫌いということ。

2006-05-08 19:12:06 | ベクトル→マイナス
嫌いだということを書いた自分が嫌いだ。
前回、“収納名人と言われる人たちの収納術が嫌いだ”と書いたが、いきなり嫌いという言葉を使ったことを反省している。
正確には、「100円ショップグッズを使った収納を、私はしない」だ。
収納名人の方々のライフスタイルは尊重してるし、その技やアイデアにはびつくりすることも多いが、ただ私はしない、ということだ。
実は前に“野球は嫌いだ”と書いたが、熱烈なトラ・ファンの方がこれを読み、私が野球嫌いなのを知ってその話題は避けるようにしていたとを教えてくれた。
その人は、私が野球嫌いであるということを、とっても尊重してくれているのに、私ときたらいい歳をして、嫌い!嫌い!のタレ流しをしたことをとっても反省している。
自分の好みやこだわりは、自分自身のものである。それを他者にアピールしたり、最重要事項のように放言したり、特別な個別化であるかのように宣うのは、自分、自分、自分しか見てない幼稚な行為であった。

20代の頃、ラーマ・クリシュナの本に「私はいつの日、救われる、それ、その、私が、消えた時」という一文があり目から鱗が落ちた。
私が、私も、私は、私やったら…と、自分のコトだけを中心に置くがために、思い通りにならないことが起こり、悶々としていた若い頃、この一文は光輝くメッセージだった。
で、できるだけ会話の中で「私」という主語を消していくという修行をした。友達が「だって、私わぁ~」とか「でも、私がぁ~」と言い出すたびに、「私はいつの日、救われる、それ、その、私が、消えた時」と言い返していた。せっかくの至極の言葉を友達への反撃に使っていたのだ。ラーマ・クリシュナ様、申し訳ございません。

さて、宗教とは対局にあるような科学の世界の大物・アインシュタインも同じようなことを言っている。
「人間の価値は、何よりもその人がどれくらい自分自身から解放されているかということで決まる」と。
この言葉に対して茂木健一郎は、「いかに自分だけの立場にとらわれないでいることができるか、異質で、ときには違和感さえ覚える他者を排除せずに、自分を耕す肥やしとして尊重できるかが、人間の価値だ」と続けている。

“嫌い”という言葉を発した時点で、そこからなにも広がらない。たぶん私は、野球にもサッカーにも、100円グッズ収納コンテストにも誘われないのだ。
私自身も、人が嫌いと言ったことは、それを避けるようにしている。うちのおバカ宴会を「合わない」と言った人はもう誘わないし、誰々が嫌いとよく言う人には、あまり人を紹介しない。
自分自身が自由でいることも難しいが、他者と共に自由でいることは、ラーマ・クリシュナやアインシュタインのレベルの大物でしかできないのかもしれない。
これからは、“嫌い”という言葉を発するのをやめて、できるだけ多くの飲み会に誘ってもらえる凡人になることにしよう。

「ラーマ・クリシュナとアインシュタインまで出してる割には、目的が軽薄やなぁ」
「その、飲みに行きたいと思う自分自身のとらわれの心を、まず解放させなあかんやろぉ」
「俺たち脳も、長い間こいつの思考に付き合ってきたけど、飲食への欲望を制御するのは疲れたわぁ」

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収納ということ。

2006-04-22 18:11:57 | ベクトル→マイナス
収納名人と言われる人たちの収納術が嫌いだ。
隙間や余白をまるで親の敵のように、収納という機能で埋め尽くしていく空間アメーバー。100円ショップ・グッズをプラモデルのように駆使して、棚の中を仕切だらけにするプラスチック・マニア。なにが楽しいのかと思う。
収納術なんて、別にすごいことでもなんでもなくて、普通に片づいていたらそれで充分ではないか。しょう油やみりんの奥に余白スペースがあっても、タンスの中にあと3つほどハンガーが掛けられるスペースがあってもいいではないか。それを偉そうにバツ!と叫ぶ収納名人たちの独断こそバツ!だ。

収納の前に片付けがあり、片付けの前に暮らしがあり、暮らしの前にライフスタイルがあり、要はどれだけ持ち物をもっているかだ。必要ないモノ・使わないモノをさんざんため込んだ“捨てられない人”の逃げのテクニックが収納なのだ。
たぶん暮らしとは衣食住のバランスなのだろう。衣食住を楽しむ余裕から“遊”というプラスαが生まれ、たぶんそれはすごく個人的な楽しみなのだと思う。で、一部の人の個人的楽しみのミニマムアイテムが収納であり、たまたま日本の狭い住宅事情にマッチしてブームになった。
テレビを見ていたらある女優さんが収納マニアで、立派は食器棚やクロゼットの中の100円ショップグッズの羅列を自慢していた。調味料や服や時計や書類や化粧品や皿やおもちゃや印鑑やCDや写真他、安モンからブランドモン、実用品から思い出モンまでのほとんどを100円ショップ・グッズに入れてしまう味噌クソ感覚にびつくりした。

100円ショップグッズを駆使した暮らしに一番ピッタリなのは、親元を離れ一人暮らしをスタートさせた学生諸君ではないだろうか。そして歳と共に、少しずつ捨てていくモノ。それが100円ショップグッズだと思う。

「ほんまに、この人、100円ショップグッズ、嫌いやなぁ」
「そのくせ、48円で買った靴下を、もう3年は、はいてはりますでぇ」
「要は、100円以下ってことやね」

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『ローハイド』ということ。

2006-04-17 17:17:46 | ベクトル→マイナス
子供の頃に夢中で見たテレビドラマ『ローハイド』が、Bsで放送されている。
お子ちゃまな当時、ロディ役のクリント・イーストウッドが大好きで、その後のマカロニウエスタン・シリーズもテレビ映画劇場で熱烈に鑑賞し、『ダーティ・ハリー』で熱が冷めた。
で、今この歳になって再び『ローハイド』を見て、発見したことがある。
ロディに恋した女子に対し、男子はフェイバーさんに男の理想像を見たのではないだろうか。

私ら昭和30年代世代が育った当時のテレビは『ローハイド』『コンバット』『ラットパトロール』『特攻ギャリソン・ゴリラ』など、アメリカドラマ一色。今考えれば、アメリカ的民主主義、ヒューマニズムのプロパガンダなのだが、幼稚園から小学低学年の単純な感性は、アメリカ文化に簡単に洗脳された。
要は、リーダーを中心にした小グループ編成で、女っ気もわずかなもん。その後のヒーローもんの主流であるランボーやシュワちゃんの1匹狼タイプとは違い、男子と対等なゴージャスな女子も登場しない。

そんな中で、特に男子が一番ハマったのが、フェイバーさんの「さぁ行くぞぉ、しゅっぱ~つ」ではないだろうか。
仕事に厳しく、正義の信念を貫き、思慮が深く、何事にも動じず、いかなる困難にも立ち向かい、常に部下のことを考え、部下に信頼されるカッコいいリーダー。それが、フェイバーさん。
で、同級生の男子たちの言動のそこあそこにフェイバーさんになりたかった片鱗、「さぁ行くぞぉ、しゅっぱ~つ」の匂いを感じるのだ。
で、お仕事ではそんな理想的なリーダーになれるわけがなく、遊びの世界でとにかくつるんだ10代の「しゅっぱ~つ」、20代のがむしゃらな「しゅっぱ~つ」、30代の開き直り「しゅっぱ~つ」を経て、もうなんかわびさびの「しゅっぱ~つ」な40代。
それでも、「さぁ行くぞぉ、しゅっぱ~つだぁ~」と、時には軽く、時にはシャレで、時にはギャグで言い続ける同級生の男子たち。歳をとっても衰えない、遊びに関してのリーダーと子分的な男子同士の結束力のルーツは、コレだったのだ。

5年ほど前に、同級生男子にえらく怒られてことがある。リーダーと子分的役割からすでに遊びがはじまっているというルール知らずに、リーダーに逆らったからだ。で、ピート的役割の子に説教され、ロディ役的な子になぐさめられもしたが、所詮私は女子。ぜんぜん丸くおさまらずに今に至る。

「女子のくせに、西部劇ごっこませてもらおうとしたのが、そもそもの失敗」
「ポパイのオリーブ役をしとけばよかったんや」
「でも本人は、可愛い魔女ジェニーになりたかったみたいやで」
違う! 峰不二子がしたかったの。

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誕生日ということ。

2006-04-13 19:51:03 | ベクトル→マイナス
大学を退官する恩師のお祝い会の案内状が来た。
教え子一同の参加を呼びかけるためか、卒業年ごとの名簿も同封されていて、それを見てたまげた。
卒業年度の上から4番目に、自分の名前があるでないか。
その後には、果てしなく果てしなく続く年代別に羅列さた知らない後輩たちの名前。
ちょうど、同級生から電話があったので、
「なぁなぁ、私らって、あそこまで上級生なわけやのぉ。あんな上の方に名前があって、カッコ悪いやん」と言うと、「おまえなぁ、自分をいくつやと思てるねん。俺らは上の方、上、上や」と恫喝。

また、10代からの友達から、仕事の件でちょっと会ってほしい人がいるという電話が。
昔に私も会ったことのあるカメラマンさんで、向こうも私のことを知っているからということだった。
で、昔の知り合いという感覚だけで、若い兄ちゃんが来るとばかり思っていた私、「お久ぶりですね、20年ぶりぐらいとちゃいますかぁ」と挨拶するオッちゃんにぶったまげた。
いつのまにやら2006年。知らない間に周辺の年代が上がっている。

おいおいおい、いつのまに世の中は、こんなにも年を進めているんだ。
私は歳をくってる自覚など、ぜんぜんないぞぉ。大人にだって、まだなってないのに。
平成がなんぼのもんじゃい。JRを国鉄って言ってもええやんか。ウエストコースト音楽が好きでもええやないか。おさいふケータイなんか、絶対しないぞぉ。老後の心配なんか100年早いわい。
私は2006年4月13日の中の“今”を生きている。ただ“今”を生きてるだけだ。
1年前も10年前も20年前も、たぶん、ただ“今”を生きてるだけだった。
これからも、ただの記号だけの年月ではなくて、その瞬間瞬間の“今”を生きるのだ。
そや、4月17日は私の誕生日。それを境に、またひとつ歳をとるなんて、私には関係ないぞぉ!

「なにをムキになってるんや、たかが歳のことで…」
「やっとこさ、自分の実年齢をちょこっとだけ自覚したんとちゃうか」
「珍しく、自分の誕生日、覚えているもんなぁ」

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スティックのりということ。

2006-04-12 15:06:10 | ベクトル→マイナス
スティックのりが最後の1本になった。
赤いキャップのスティックのりで、「紙・写真・布などにきれいに貼れる」というおなじみのアレである。
このスティックのりを使うたびに思い出すことがある。
今から15年ほど昔、それはそれは忙しい編集プロダクションをしていた頃、新人スタッフ嬢に文房具類の買い物を頼んだ。
で、そのお買い物の中にスティックのり2ダース・24本があった。
「2ダースだと大特価で、すごく安かったんですぅよぉ」と、初めてのお使いでうまい買い物をした自分をちょっと誇らしげにアピールする新人スタッフ嬢に、なぜか切れた。
「おいおい、おい! いくら安いとはいえ、たった3人のスタッフやのに、スティックのり24本は、あまりにも多いんとちゃうやろか。一人の机の引き出しの中に1本あったら充分なのがスティックのり。なくなれば、また1本買えばいいやん。残りの21個を、それでなくても狭い事務所やのに、どこかに保存しとかなあかんスペースの方がもったいないわい」と…。

案の定、パックにされた1ダース12本とバラになった9本は、なんでも入れ引き出しの中で長い長い眠りにつき、その後、2回ほどの事務所お引っ越しのたびに旅をして、また新しい場所で、その他のモノたち箱に収まり続けた。
そして、とうとう、そのスティックのりが、最後の1本になった。
15年間を経た今、“引き出しの中に1本のスティックのり”という、実用品の美しい様式となったのだ。

それよりも、初めての職場で初めての編集のお仕事に、心をワクワクドキドキさせながら仕事に向き合おうとしている新卒・新人スタッフ嬢に対して、たかがスティックのりの多量買いをしたということに切れてしまった自分自身の配慮のなさを思い出させてくれる“スティックのり呪縛”から、24本を使い切ったことでやっとこさ解放されたような気がする。

めったに怒らない私が、なぜ、あの時、切れたのか。
理由は今でも覚えている。安いときに買い置きしておくという“主婦感覚”が嫌だったのだ。
心をワクワクドキドキさせながら新しい何かを創造しようとしている期待の新卒・新人スタッフ嬢が、トイレットパーパーの買い置きと同じお買い物感覚で文房具を買ってきたことに、当時は血気盛にクリエイティブに邁進していた自分自身の気分を消沈させたからだ。

あれから15年。新卒・新人スタッフ嬢は、オーガニックカフェのオーナーになっている。
で、私は、特売・セールもんしか買わない主婦感覚フル活用の人生を送っている。

「モノと感情の因果関係を、モノがなくなることで消そうとしてるみたいやけど…」
「スティックのりを見るたびに思い出すんなら、また新しい1本を買ったら、思い出すことになるのとちゃいますか?」
そうならないために、今、ここに書いてしまって“スティックのり呪縛”を葬っているわけやないの。
「ほんなら、他にもたくさん、もっと大きな“呪縛”があるはずやでぇ」

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気持ち悪いということ。

2006-04-05 13:08:59 | ベクトル→プラス
洗濯機の脱水機能が直り、これでいつでも洗濯が出来ると幸せ一杯になったところで、気になる問題が勃発した。
脱水機能が壊れたため、洗剤にまみれたベチョベチョの衣類を水ですすぎ、力いっぱいしぼり、ベランダにほったらかして、乾くのに2日かかった衣類たちは、はたして清潔なのか…。
パリッと乾いたタオルは、洗剤の残留のせいかもしれないし、屋外に2日も掘り出されたパンツは、排気ガスの粒子でコーティングされてるかもしれないし、分厚いトレーナーには、花粉ちゃんが根を生やしてるかもしれない。
タンスに収めた衣類たちを再び取り出し、匂いをクンクン、手触りゴシゴシ、ちょっと舐めたりして、無味無臭を確認し、まっ、大丈夫やろうと、またタンスに収める。
ところが、やっぱり気になる。なんか気持ち悪い。
今なら、手洗いした洗濯ものがどれなのか分かるが、明日になればどの衣類だったのかの記憶もなくなり、たぶん、いつも、なんか、モヤモヤ感を抱きながら、衣服を装着するという、気持ち悪い感じに陥るのは明白だ。
ほんで、夜の10時から洗濯をやり直した。

暮らしの中で、なんか気持ち悪いという感じになることがある。というか、ほったらかしていたことを急に思い出し、モヤモヤした気分にあることがある。
そう感じた瞬間から、気持ち悪い因子がグズグズとふくらみ、嫌な感じになるが、気持ち悪い因子を取り除く、または解決するという行動がなかなかできない。
例えば、靴を磨かなくてはとか、エアコンのフィルターを掃除しなくてはとか、色あせすぎたカーテンを取り替えなければとか、泥棒さんの裏をかくべく隠したマンションの権利書の隠し場所はどこだったのかとか、思い立ったら吉日で、即、行動したら、即、解決できることばかりだ。
しかし、それがなかなか出来ない。

すぐ解決するか、なかなか解決しないかの原因は、下記のふたつの考え方にある。
[1]日常生活のほんのささいなことだが、そのあたりのことをきっちりやっておくと、気持ちよく生活できる。
[2]日常生活のほんのささいなことで、別にたいしたことではないのだから、今は気持ち悪くてもどうせすぐに忘れる。
そう、日常生活、暮らしとは、この相反するふたつの考え方の葛藤のうごめきなのだ。

今、昭和という時代がブームなのは、日常生活のほんのささいなことをきっちりやっていた暮らしがあるからではないだろうか。
季節ごとに障子の張り替えや建具を替え、四季おりおりに床の間を設え、食器類も季節に合わせ、そして旬のものを食べる。この『歳時記』にのっとった生活が、気持ちよく暮らす基本なのだ。

さて、気になる洗濯物をもう一度水洗いすることで得たこの気持ちよさ。これは昭和という時代を知っている世代にしかわからない清々しさかもしれない。

「おいおい、全自動洗濯機にやらせといて、なにが昭和の清々しさや」
「衣替えは毎年1ヶ月遅れで、秋もんと春もんが間に合ったことがないやないか」
「それより、マンションの権利書、はよ捜しなぁ」

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壊れるということ。

2006-04-04 18:32:01 | ベクトル→プラス
洗濯機が壊れた。脱水ができないのだ。
実は、電化製品・電気製品が壊れた場合は、それを良いきっかけとしてあまり必要ないものは排除していくというルールを決めている。
今までに排除、または使用しない、あるいは修理しないと決断された電化製品・電気製品は下記。
【玄関ホールの蛍光灯】
蛍光灯が切れたが、明るさが欲しい場所でもないので、消えたまま。
【インターフォン】
ピンポ~ンと鳴らなくなったが、ドアをノックするのに電気はいらんやろぅと思い、ノッカー(外国の家などに付いている金物で出来たドアを叩く道具)にする。
鹿の角を手で押すとコンコンと音がする。お客さんの確認はのぞき穴からする。
【冷蔵庫の中の照明】
ドアを開けると自動的に点く照明。マメ球を交換するが、点かないのでそのままに。中のモノがよく見えないので、食べ物をよく確認し、すぐ消費するようになった。
【テレビ】
5年ほど前に、パチッという音と共に映らなくなる。テレビなし生活を10ヶ月ほどしていたが、次の大河ドラマが『新撰組』だと知り、幕末オタクの私は『新撰組』見たさに修理してもらう。1万円少しで直ったが、次に壊れた場合は、修理不能ということ。よって、このテレビが壊れたら、テレビなしにする予定。
で、結局『新撰組』はあまり見なかった。
【エアコン】
うちには5台のエアコンがあるが、そのうち2台は故障している。もともとエアコンの風が嫌いなので問題なし。冬はガスファンヒーター1台で乗り切り、夏は風が通るので涼しい。
【CDコンポ】
これは、ちょい辛いが、CDはパソコンかラジカセで聴いている。誰かが「新しいの買ったから、古いのあげるわ」というのを待つかipodを買うか、時の流れにまかせている。

と、いろんなモノが壊れるが、壊れることは悪いことではない。別にそれがなくても生きていけるのなら、新製品も便利な機能も自分にとっては魅力でははいわけで、あわてて修理することも購入することもない。私はぜんぜん平気に快適に暮らしている。
というわけで、極めて省エネ、エコライフな時代の最先端の暮らしだ。

ところが、私は大丈夫なのだが、他人は違うようだ。
家に来るなり「この家、暗いなぁ」「暑いなぁ」「寒いわぁ」「テレビの端っこが、見えてへん」「冷蔵庫の中、真っ暗なんですけどぉ」「なんか、すきま風、入ってくるけど」「ここの洗面所、お湯が出へんの?」と文句をタラタラ言う。
お家は、どこもが明るくて、寒くなくて、暑くなくて、密閉されて、なんでも全自動で、トイレの便器は暖かくて、蛇口の全てからお湯が出ると思っているようだ。
でも、昼の明るさ、夜の暗闇、夏の暑さ、冬の寒さ、春の風、秋の月を楽しむのも暮らしというもの。ほんの少し前まで、日本人は、そんな生活をしていたのだ。
快適だけを求めて、逆に結露やカビやハウスダストやシックハウスやばい菌やお部屋の匂いや、よけいな災難を招いている場合もある。

しかしである。今回壊れたのが脱水機能である。洗剤にまみれたベチョベチョな衣類を水ですすぎ、力いっぱいしぼり、それでもしずくポタポタの重たい衣類は、乾くのに2日かかった。
で、修理を頼んだら、安全装置がちょっといがんだままになったせいらしく、すぐ直った。で、出張修理代が3150円。この出費は値打ちがある。
で、約17年使用している洗濯機、引き続き大切に使う予定だ。安全装置の直し方も教わったし大丈夫。次に壊れた場合は1万8千円ぐらいかかるらしいので…。
モノは長く使えば使うほど、その消費価値はどんどんアップしていく。

「どこが、エコライフ! なにが、時代の最先端の暮らしなんや」
「ケチな上に、壊れたもんをそのままにして、横着なだけやないか」
「古い電化製品を使う方が、電気代が高くつくという常識を忘れとる」

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下ネタということ。

2006-02-22 19:28:10 | ベクトル→マイナス
最近のテレビのCMを見てると保険、車、冷凍食品、美容・健康もんに負けないほど、下ネタが多い。
尿漏れ、EDに、子供用、中年用、老人用の各種おしめのCMが氾濫しいている。
その中で、女性のアンネナプキンとおりものシートのCM、ちょっと、リアルで生々しすぎるのではないか。

大変言いにくいが、女性のあそこのへこみに合わせた立体裁断を施したアンネナプキンの形状を見て、思春期の男性のほとんどが勃起しているのではないだろうか。
だいたい、思春期の男子は、おっぱい、パンツ、ブラジャーという言葉だけで勃起し、アナ、スジ、濡れる、入れるという単語だけでもあらぬ想像をするのが普通。
【参考文献 →[POP STEP JAPO~N]
あそこのへこみを再現し、それに対してピッタリおさまる白いふくらみのアンネナプキンは、そんな男性の想像力をパワフルに加速させているはずだ。

女性の立場で言えば、アンネのことはできるだけ秘密にして、「アンネっていったい何?」って男性に思わせていたいことでもある。ところが、アンネの日は、あそこにピッタリと白い紙を貼り付けているということを公共の電波を使って全ての男性に暴露しなくてもいいではないか。
おまけに、お尻のへこみ(スジとも言う)に伝わり、時々お漏らししてパンツを汚してしまうことがあるという恥ずかしいことまで、全ての男性に暴露している。
さらに、おりものシートのCM。これに関しては、とってもデリケートな女性の悩みのはずなのに、そんなに明るく宣伝しないでちょうだい、と、もう論外。

世界的に見ても、公共の電波を使ってアンネナプキンや女性下着のCMを流しているのは日本だけだという。イギリスでは、女性下着のCMはもちろん、ポスターなどが街に貼られることはないそうだ。
こうした、女性だけを対象にしたあそこのCMは、女性を対象にした媒体に限定するべきではないだろうか。
こんなあたりまえの女性のたしなみを優先することで、性犯罪が減少していくような気もする。

確かにアンネナプキンはものすごく進化した。多い日、二日目の夜、少ない日、替えられない日とあらゆる状況をカバーする商品が開発された。これは女性にとって大変ありがたいことである。
だからこそ、男性の目には触れないようにしていただき、ここだけの秘密として、サラリサラサラなアンネの日を月に1回迎えていたいと思うのである。
ところで、アンネタンポンは、どこにいったのだろう。

「おいおいおい、もう生理、あがりかけてる奴が、アンネナプキンにケチつけてるぞ」
「多い日も安心って、君には関係ない話しやおまへんか」
うるさいなぁ、あんまり関係ないから、アンネナプキンのCMが鼻につくの!
「もう、老婆心の域やな」

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禁煙ということ。

2006-01-31 18:29:20 | ベクトル→マイナス
2005年12月24日から禁煙している。これを禁煙と言えるかどうかは分からないが、1日の3箱を煙にふかしていたのが、1日1本から10本になったんだから、素晴らしい成果だ。
実は6年前ほど『禁煙セラピー』という本のおかげで、簡単に禁煙に成功し、3年ほど吸わない人だった。二度と煙草は吸わない心と身体を手に入れ、『禁煙セラピー』も人にあげた。ところが、何がきっかけだったのだろう、いつの間にかチェーンスモーカーに逆戻り。
煙草が吸いたくなると「1本ちょうだい」と人から貰い、「おまえなぁ、自分で買えよなぁ」と怒られると「だって禁煙してるもん」と言い訳していた。
ほんで、再び禁煙を思い立ち、『禁煙セラピー』を再び購入した。ところが初回のような禁煙に関しての心にしみ入る説得力がない。禁煙を断行させるパワーもない。禁煙の魔法が効かない。読み終わった後でも1本ふかしている。
読んでみてわかったことだが、私が最初に読んだ『禁煙セラピー』(初版平成8年)から大きく内容が変わっている。内容が整理され、離婚したバーバラは、家に帰って吸う1本の煙草がどうしてもやめられなかった的なエピソード挿入がなくなってる。要は別の本になっているのだ。
おまけに『禁煙セラピー』に書かれている説得に対し、いちいち反論できる智恵と見事な言い訳と様々な理屈を構築している自分がいるではないか。これじゃ禁煙ができるわけない。
先日も久々の友達とお昼ごはんを食べた後、煙草が吸いたくなり、黙ってればいいのに「本当は禁煙してるんやけど、煙草、買ってくるわ」と言ったら「アホやなぁ~」とため息つかれた。
少し前は、バーでお酒飲んでたら煙草が吸いたくなり、銘柄を「禁煙してるから、一番軽いのちょうだい」と言うと「その日本語の使い方、まちがっちょる」と指摘された。
こうして、ニセ禁煙のおかげで、人生そのものを否定されるような屈辱と自己嫌悪を味わっている。
平成17年版の『禁煙セラピー』では禁煙はできていないが、過去の実績がある初版平成8年版『禁煙セラピー』では禁煙できるような気がするのだが、どなたか初版本をお持ちならおゆずりいただけないだろうか。
よく考えると初版『禁煙セラピー』には、「この本で禁煙に成功した後、再び吸いはじめた場合はもう二度と禁煙はできない」とかのおどし文句が書かれていたような気がする。このおぞましい一文が、初版『禁煙セラピー』に本当に書かれていたのか、確認をしてみたい。
「これ書いてる10分ほどに5本も吸ってるぞ、こいつ」
「煙草のおかげで、どんなけ俺たち脳の記憶力と集中力が激減しているか、わかってんのか」
煙草があったから、スラスラ書けてるわけやないの。
「違うって! 脳は確実に退化してるっ! だから禁煙の意味を理解できとらん」
「要は、やめる気、ないってわけね」

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怨恨ということ。

2006-01-10 14:28:05 | ベクトル→プラス
正月の1日、マンションの前に車を路駐した次の日、運転席の窓と後部席の三角窓が無惨に割られた無惨な姿の愛車が…。新年早々、車上荒らしという事件に巻き込まれたようで、早速警察の方に来ていただいた。
盗難されたものはなく、というか貴重品が全く置いてないんで、盗るものなどはじめからなく、 車検書などもあり、ダッシュボードも荒らされた形跡がない。
おまわりさんは、何か盗られてモノがあれば被害届けを今すぐ出せるが、それがないなら器物損害になり、割られた窓ガラスの修理費がわかってからの手続きになると説明してくれた。
で、モノは盗られてない、荒らされた形跡はない、盗難されるようなタイプの車でもない、ということは、怨恨ではないかと、おっしゃる。
「誰かに恨まれていないか」「仲がこじれている隣人などいないか」などと事情聴取されて、怨み? 憎まれる? と一生懸命考えたが、全然、思い当たらない。すると、「本人は気づかなくても、知らない間に恨まれている場合もありますからねぇ」と、おっしゃるが、本人が気づいてない怨恨を、どうやって本人が知るすべがあるというのか。で、頭クラクラ。
本人が気づいていない怨恨…? 知らない間に嫌われている…? 窓ガラスを割られたことより、誰か知らない人に怨恨されているかも知れない事実の方が、気が悪い、気色悪い、不安になる、恐ろしい。
おまわりさんが帰った後、誰かに恨まれたり、嫌われているかもしれない可能性を一生懸命考えるが、これって、今まで良好におつき合いをしてるご近所さんを疑うことではないか。
正月なんで、会社関係の人はいないし、住んでる人も留守が多いし、残留組の住人もお年寄りが多く、深夜にハンマー持ってガラスを割るようなアクティブ派がいるとは思えない。
で、車内飛び散ったバラバラのガラス片を集めていたら、ハッと気がついた。
マフラーがないぞぉ。昨日、後部座席にコートとマフラーを積んでいたが、明日も乗るしと思い、コートだけを持って出たのだ。ほんで荷台に置きっぱなしにしていた布カバンがない。キャンプグッズ入れたバスケットの横に、車でお泊まり用の毛布を布カバンに入れて積んでいたはずだがそれがない。
やったぁ! 盗られたもんがあったぞぉ! 防寒グッズがないぞぉ! 私は恨まれていない! これは盗難だぁ~! ラッキー!
「盗難でよかったね。恨まれてなくてよかったね。ホントによかったね」
「でもなぁ、元旦に盗難にあうということが、日頃の行いの報いやなぁ」
「まぁええやん、盗られたモンがあって、本人、喜んでるんやさかい」

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継続ということ。

2005-12-16 18:00:51 | ベクトル→プラス
先日、家で鍋会をした。素材はすっぽんである。
天神大吉の大将に頼んで、処理済みスッポン、雄雌2匹を原価で購入させてもらった。
メンバーの6人は誰もスッポンを食べたことがなく、大将から教えてもらったあく抜きに1時間、ショウガ汁を入れる、ネギと豆腐をメインになどなどの手順を忠実にこなしながらも、スッポンの可愛いお手々、グロな甲羅、内臓などが煮たっていく。たっぷりの水で煮込むということだったので2つの鍋を用意する。
で、美味い、素晴らしいスープ。身もポロポロとはずれ鳥肉のようだ。
で、メンバー全員が揃ったとこで、スッポンの血にワインをそそぎ、ドラキュラの儀式を行う。貴重な肝と卵は、生でゴマ油と塩に付け、全員に皿が回される。
鍋から箸につまんだ部位を見るたびに、「これ、どこ?」などと話題もはずむ。ややこしい部位に食べるのを躊躇していた子も「お肌、ツルツルになるでぇ」の一言で口にほりこむ。鍋物を超えて、エンタテインメントな趣さえ加味したスッポン様は、大成功で終わったそうだ。
そう、みんなハッピーエンドで帰って行ったそうだ。
しかし、私はぞうすいを食べてない。次の日、朝起きて、洗いものをしてくれてるし、ケーキの残りやコーヒーカップもあり、ごはんも減っていたし、精算したのか、お金がテーブルの上にある。しかし、私は、ぞうすいを食べていない。というか、後半の記憶が、全くない。
「なぁ、ぞうすい食べたぁ?」とメールをすると
「食ったっちゅうねん(>_<)2杯も…」と返事が来た。
食ったのに、記憶がない。
記憶がないのが恐ろしくて、なんかへんな言動や迷惑なことしてないかと別の子にメールしたら、
「次回も楽しみにしてま~すって、みんな喜んで帰って行きましたよ」と返事が。
というわけで、一人3000円のすっぽん鍋のみ放題イベントは大成功したようなのだ。
しかし、次の日、期待したほどお肌ツルツルには、ならなかったそうだ。
あれから、3日、私は朝晩、残ったすっぽん鍋でみそ汁や吸い物をしている。そしたら、なんと、まぁ、お肌はしっとり、プリプリになってるではないか。口元のシワも薄くなっている。
ぞうすいの記憶はないが、最後に残ったコラーゲンのエキスは、私が吸い尽くしているようだ。
「酒も焼酎も、たくさんあまってるしなぁ」
「ネギも白菜あまって、1週間は食べていけるなぁ」
「自分だけ、3日連続でスッポン鍋してるようなもんや」
お肌ツルツルは、1日にしてならず。ということで、なんでも継続は力なりよ。
「ほんなら、ぞうすいでガタガタ言うなや! 食べてるんやから!」

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騒音ということ。

2005-12-09 19:34:21 | ベクトル→マイナス
理想の居住環境のひとつとして「静かな場所」というのがある。
静かな場所と言えば、郊外の住宅街や田舎など、都会から離れたところになるのだろうが、実家のある典型的な住宅街は、遠くからへたくそなピアノや犬の鳴き声、道路を歩く足跡や車やバイクの音、夏は隣の家から洗い物やお風呂で湯をかけてる生活音、はてはトイレでのオナラの音までが聞こえる。
朝6時に起きる母は、雨戸をガラガラと開ける音がうるさいと、隣から苦情がきたそうだ。夜遅くまで勉強してる息子がその音で目が覚めるそうで「受験生ならしかたがないやん」と母のグチを聞き流していたら、なんとその息子、京都大学4年生だそう。
22歳の大人が、勉学とはいえ自分の夜更かしのツケを、年寄りの早起きとはいえ、まぁ常識的な6時起床に苦情を言うのである。それも、文句を言いに来たのはママ。これを育て方を間違えちょると言うのだろう。
さて、私はビジネス街の真ん中に住んでいるが、けっこう静かである。というか生活音があまり際だたない。時々、夜遅くまでドンチャン騒ぎをして、階下の人から「楽しそうにやってはるね、私らは寝られへんかったわぁ」と言われるが、「いつもご迷惑をかけて」と駿河屋の羊羹をお持ちして、ちゃらにしている。
管理人さんに聞くと、夜遅く、洗濯機の音がする、掃除機の音が聞こえるなど、苦情を言いに来るお年寄りが数名いるそうだが「朝の6時から夜の10時は、それぞれの家の活動時間で生活音はお互い様。昼に働いてる人に、夜に洗濯や掃除をするなとは言えない」ときっぱり言うそうだ。
都心のマンションには、権利と義務の正当なルールがあり、これを都会的と言うのだろう。
で、「静かな場所」なんて、都会も郊外もどっちもどっち。人が住む以上、生活音は出る。
しかしである。ここ最近、北浜の街に得体の知れない音が聞こえるのだ。特に夜になると、空の上を電車が走っているような不気味なゴワァァァ~ンという音とケータイの呼び出し音でなはいが、なんか電波のようなノイズ系のピィ~チィ~という音が聞こえる。
だいぶ前にスティーヴン・キングのドラマで、飛行機が上客ごと違う世界に入ってしまい、飛行場も施設もそのままなのに無人で、遠くの山からウシャウシャとした音だけが聞こえて、それがこちらに近づいてきて、その音が何なのかは分からないが、その音から逃げなくてはいけないことはみんなが分かっている…というシーンがあった。
今、北浜の夜に聞こえる音も、違う世界の音、何なのかは分からないが、その音から逃げなくてはいけないような音なのだ。
想像するに、最近ニョキニョキと建ってきた超高層マンションが、大阪城を中心とした風の流れを変えてしまい、さびれたとはいえ歴史的なパワーを温存している北船場の地場のエネルギーとのズレが生じ、あの地震とも雷とも違う空間音を鳴らしているのではないだろうか。
今年つぶれた三越の跡には、50階建ての高層マンションが建つそうだが、また、自然のものではない風との摩擦が激化することは間違いない。
もうひとつの得体の知れない音、電波のようなノイズ系の音は、北浜だけで700あると言われているITのベンチャー会社や新薬の開発にスーパーコンピュータを酷使してる製薬会社、無数にある銀行・証券会社のネットなどの有線・無線の電波ノイズといえる微粒子が塵も積もれば山となった音ではないだろうか。耳にダイレクトに聞こえる音ではないが、空気の中に混ざった嫌な感じの音だ。
ビル風と電波ノイズは、人間の欲の音でもあるような気がする。
そう考えれば、生活音なんか可愛いもんよ。
「おいおい、空気の騒音にごねるなら、自分とこの宴会騒音はどうなるねん」
「生活音の正当なルールやなくて、隣近所は人災やわね」
「また、年末年始は鍋会やる気満々やぞ、こいつ」

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カッコ悪いということ。

2005-10-24 19:16:54 | ベクトル→マイナス
デザイナーさんと打ち合わせした後、20年通ってる南森町の「串幸」に寄った。
日曜日に働いたし、2000円しか持ってなかったけど、ちょっとビール飲みたかったわけで。
で、店は菊花賞の話しでテンション高し。鳥取から来たおっちゃん、雨の中、絵袋で徹夜した男の子、ほか青年2人で、みんな、まさに、今日、あの歴史的瞬間の、14万人の中に、いた、人たちだ。
もう、男の子の会話全開で、なかなか楽しい。競馬素人の私にも、わかりやすく、今日の歴史的瞬間を説明してくれた。
はじめから「今日、2000円しかないから」と言って飲んでいたが、ひじきや甘鯛の干物などをサービスしてくれるので、生ビール大を4杯、飲んでしまった。
ほんで、競馬好きなせいか、みんな彼女なしだそうだ。ジャニーズの岡田なにがし似、シャンプーハットの右の子似、それぞれに男前なのにもったいない。
「女の子は、競馬好きな男を好きになりませんよ」
「女の子と遊ぶより、ずっと面白いし」
だそうだ。
で、鳥取のおっちゃんが深夜バスに乗るため退散となったが、「これでみんなで飲んで」と言って1万円置いていった。いい男ぶりだ。
ほんで、私もそろそろ帰えろうと「おいくらですか」と聞くと「2000円ね」とジャスト所持金クリアのはずが、財布には1000円ちょいしかない。
あっ、痛い!「ゴメン、1000円、つけといて」と、めちゃカッコ悪い女ぶりであった。

「いやいや、2000円もないことは知ってたはずや」
「はじめからつけで飲む気の、確信犯やな」
「はいはい、その通りでございます」
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未成年ということ。

2005-08-22 12:05:55 | ベクトル→プラス
小雨降る日曜日、天満市場で買い物をした帰り道、タバコ屋でタバコを買うことに。
が、自転車のかごには荷物がいっぱいで、傘までさしているので、自動販売機でタバコを買うという動作がいちいちじゃまくさい。
ちょうど、タバコの補充をするために店のじいちゃんが出てきて「なんですか」と聞いてくれるので、てっきり買ってくれるのかと思い「あっ、マイルドセブンの8番お願いします」と、さいふからジャスト270円を出し、自転車にまたがったまま、じいちゃんに渡そうとしたら、じいちゃんは自動販売機のフタをバタンと閉めて「はい、どうぞ」と言って店に入ろうとしたその瞬間、口にした言葉に耳を疑った。
「若い格好してるから、未成年やと思ったわ」
未成年? 未成年! タバコは20歳になってから? 20歳未満! 10代ってこと?
じいちゃんの「なんですか」ってのは、「未成年のくせにタバコの自動販売機に用があるわけないよな」という叱咤の言葉だったのだ。
老眼もばっちり、思考能力も低下してるであろうじいちゃんであっても、46歳の女を未成年と見間違うとはうれしいやないの、すごいやないの、若く♪見えすぎちゃってゴメンねぇ~♪♪、である。
髪の毛、染めといてよかった。白髪が目立ちだすと10歳老けるもんなぁ。
20年前のキュロットパンツ、まだまだファッショナブルってことね。
すっぴんだと、ガキんちょみたいな顔になるもんなぁ。もう化粧やめとこ。
と、いろんな思惑も交差して、思いっきり手を抜いた姿でも、なんとなくお天道様の下を生きていけるような勇気がわいた日曜日の雨の午後。ベクトル、超プラス。
「歳相応という感覚が、欠落してるからなぁ」
「若く見えたんやなくて、世間をなめた格好してたからガキに思われただけやて」
「ますます、若作りに拍車がかかるで。というか、10代の頃と同じもん、着てるもんなぁ」
「その、モノ持ちの良さだけは、ほめたる」

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