「 花丸 あげるっ♪♪♪ 」

自分の幸せは自分で決める!もう他人の猿真似はやめます。真の自分の音を奏でていきます。

変化

2018-11-03 10:18:41 | 日記

私、もう何もかも 

 

以前のようにパワフルにできなくなったよ。

 

気力もパワーもない。

 

これが更年期というものなのだなと、

 

今しみじみと実感している。

 

だけど....

 

決して今の自分に抗うことなく

 

このまんまの枯れゆく私を、

 

私はそのままに表わすよ。

 

世界一人気の無いブログをはじめるんだ。

 

んで、

 

世界一のキチガイババアになって 

 

世界一 厄介者として嫌われて、

 

それで....

 

最後にあたし、

 

世界一 自分で自分を愛するの。

 

愛し尽くすの。

 

人間ひとり生きることって 

 

そんなかっこのいいもんじゃない。

 

ようするに、

 

お姫さまみたいに すまして きどってちゃー

 

何にもできやしないんだってこと。

 

あたしは今

 

てめえの見栄を全部全部脱ぎ捨てたい。

 

垂れた萎んだパイパイで 

 

くっせー加齢臭放ちながら、

 

あたしはあたしを表わしたい。

 

誰のためにでもないよ。

 

せっかく生れてきた

 

「 神聖なる自分の命 」のために、だよ。

 

若い頃は、

 

自分もかなりいい気になってたな。

 

歳くったヒトは全部、

 

「おばはん」というカテゴリーでくくってたし。

 

おばはんには 人格なんてモンはなくって

 

十把一絡げに

 

「おばはん」で済ませやいい..と思ってた。

 

でもよー、

 

実際自分がババアになってみたら、

 

ババアの目から見える世界はまるで違ってた。

 

やっかいなことに

 

個として生きる自分は 全く無くなっていないわけよ。

 

感情なんて、

 

更に 厚み 深みを増しちゃってるのよ。

 

もう、生きとし生ける何を見てもアンタ、

 

愛おしくてカワイそうで慈しみがこみあげてきちまって

 

涙と鼻水がとまんなくなって大変よ。

 

でもね、若いヒトにはわかんない。

 

若いってだけで 

 

全てに勝ってるような気になっている真っ最中だからね。

 

特に女は、ね。

 

わたしもそうだったから わかる。

 

だけどあたし

 

もう そういう人民たちとは 

 

決して同じ戦いのリングに立たないよ。

 

立ちたくても立てやしない。

 

あたしに出来ることは、

 

歳をとることが

 

どんなに虚しくて醜くてみっともないことか....

 

だけど一方で

 

どんなに美しく豊かで奥行きのあることか.......

 

そのまんまを表わしてゆくことだけ。

 

それだけだよ。

 

で、息の根が止まる最期の最期にあたし、

 

抱腹絶倒で

 

しっこウンコ垂れ流しながら

 

「 あぁ楽しかった~。人生ブラボー♪ 」と叫びながら

 

すうーっと気持ちよくあの世に逝くの。

 

魂で笑い転げながら。

 

ねえ....

 

これって さいこーじゃね?!

 

 


やります。

2018-10-21 04:40:14 | 日記

途中まで泣き言書いたけど、

全部消した。

そんな愚痴書いたところで 

...

何も変わらないもの。

ハーブティーでも飲むか...。

私は今 やれることをコツコツやる。

さえこ、力み過ぎ。

焦りすぎ。

自分にプレッシャーかけ過ぎ。

新しいことに一歩踏み出すって

こんなにも怖いことだったけ?

でも今回ばかりは、準備が出来ていなくても

実力や才能がまるでなくても 

私はやる!!

やる!!

やる!!

中途半端な私のままでいい。 

虚栄心を全て捨て去って 

私は私を表わしてみたい。

不完全な、落ち度だらけの私のままで。

そうしたい。

自分がそうしたい。

大切な自分の個性を

もう、ヒトとなんか比べない。

今までどれだけ 自分にダメだししてきたことか。

本当は、どんな時も私は輝いていた。

たとえ ヒトから軽んじられ馬鹿にされ、

惨めなどん底にいるときでさえ....

無能で役立たずでデブでブスでババアで

イボガエルみたいに

肌が荒れているときでさえ

本当は私は美しかった。

そのことに、自分自身が気が付くために

本気で自分が自分を愛してゆくために

いびつで 落ち度だらけで 不完全な

だけど どこまでも自由な私が

これから生れるのだ。


「 花丸あげる♪ 」生れました。

2018-10-17 23:56:31 | 日記
秋風が心地良く吹くある日
 
 
私は電車に乗って用事に出かけました。
 
 
そしてしばらく 電車に揺られてぼんやりしていると、
 
 
車窓から 
 
 
あるものばかりが私の瞳に飛び込んできました。
 
 
それは ひっそりと日常を生きている「 ヒト 」の姿でした。
 
 
それは あらゆる景色に溶け込むようにして佇んでいる
 
 
何気ない「 ヒト 」の姿でした。
 
 
たとえばそれは
 
 
踏み切りで 列車の通過を待っている営業周りの男性だったりしました。
 
 
一方でそれは 
 
 
ベビーカーを押しながら歩く
 
 
若いお母さんだったりもしました。
 
 
また違うところへ場面が流れると、
 
 
小さなマンションのベランダで
 
 
「 よいこらしょ!!」と 
 
 
布団を干しに掛かっている中年主婦の姿も見えたりしました。
 
 
電車の窓の向こう側には確かに、
 
 
個々の人生を 直向に生きる人々の姿が在りました。
 
 
私の目に映る彼らは 
 
 
誰一人として
 
 
有名人でも何でもありません。
 
 
私にとっては 
 
 
どこの誰だかさえわかりません。
 
 
それでもその時その瞬間 私は、
 
 
この上ない尊さを
 
 
覗き見しているような気持ちでいっぱいになりました。
 
 
私は自然に 
 
 
奥の奥から、言い知れぬ涙が溢れてきそうになりました。
 
 
私を乗せた「 ただの快速電車 」は
 
 
この時ばかりはすっかりと、
 
 
多くの命の煌きの中をかい潜って走りぬける
 
 
「 銀河鉄道 」のようでした。
 
 
皆々 自分の人生という持ち場の中で
 
 
逃げも隠れもせずに生きているのです。
 
 
誰もが無意識にしている息遣いでさえ
 
 
私には
 
 
「 しっかりと自分を生きてやるっ!!生ききってやるっ! 」という、
 
 
何よりの覚悟のように響いてきます。
 
 
私はたまらなくなって こう叫びたくなりました。
 
 
「 もうそれだけで十分じゃないかっ!! 」と。
 
 
「 もうそれだけで素晴らしいじゃないかっ!!」と。
 
 
これまでの私の腐った目ん玉は 
 
 
世の中のトップに立つ人や売れっ子芸能人など
 
 
有名なヒトばかりを追い続けていました。
 
 
ヒトに持てはやされる人々を まるで神様にみたいに仰いでは
 
 
その都度 世のスターたちに羨望の眼差しを投げかけ 
 
 
ため息をついてきました。
 
 
そしてふと我に返り 
 
 
スターたちの存在感とちっぽけな自分との落差を
 
 
殴られるように身に受け 
 
 
小さく小さく縮こまりながら
 
 
小さく小さく暮らしてきました。
 
 
しかしやがて時期がきて
 
 
私の心の目は 俄かに生まれ変わることができました。
 
 
その上で、
 
 
やっと本当に大切なことを
 
 
まっすぐに捉えはじめることができてきたように思います。
 
 
もしかしたら私が感じたこの「泣きたくなるような震え」は
 
 
「 新しいはじまり 」を示す
 
 
出発の合図だったのかもしれません。
 
 
多くのことが数字で判断される現代社会、
 
 
ヒトがヒトを認めさせるには
 
 
平生から「 数 」という明確な証拠が必要です。
 
 
それはシチュエーションによって
 
 
年収だったり、視聴率だったり、偏差値だったり、人気投票だったりします。
 
 
そんな中、
 
 
数を稼げない不器用な私は 
 
 
真に世知辛い人生の連続でした。
 
 
どんなに歯を食いしばっても
 
 
何の数字も出せない無能な私....
 
 
そのたびに
 
 
自分が精一杯守ってきた自尊心は
 
 
荒々しく剥ぎ取られていくばかりでした。
 
 
しかし私はたった今、決めました。
 
 
「 こんな乱暴な判断をする点数や多数決は 
 
 
私の人生には、もう一切必要ありませんっ!! 」と。
 
 
そもそも命の尊厳に 格差などあるわけがないのです。
 
 
ふと私は 
 
 
点数ではなくて 「真っ赤な花丸」を....
 
 
「大きくて温かい花丸」を.....
 
 
世を生きるすべての人たちへ そっと捧げたくなりました。
 
 
生きにくい世を 
 
 
それでも懸命に生きている健気な命たちへ....
 
 
一際目立つ、パワー漲る花丸を....。
 
 
だって本当は みんな覚えているはずでしょう?
 
 
実は花丸が とってもとっても大好きだったということを♪
 
 
小学生の時先生が
 
 
赤いサインペンをきゅっきゅと鳴らしながら
 
 
書いてくれた優しい優しい花丸....。
 
 
そんな花丸はいつだって 
 
 
自分の作文やノートやテストの回答を
 
 
華やかに誇らしく讃えてくれました。
 
 
そのバイブレーションは、
 
 
切りかかってくるような数字の点数とはまるで違います。
 
 
そうなのです。
 
 
子供たちにとって花丸は
 
 
どんな個性だって尊重してくれて、
 
 
「 あなたのままでいいんだよ。」と大らかに励ましてくれて、
 
 
常に最高のウキウキを齎してくれる、
 
 
一等輝かしい紋章だったんです。
 
 
だからこそこれからの人生、 私は常に
 
 
心に赤いサインペンをそっと隠し持ちたいと思います。
 
 
そして 感動に触れるたびに
 
 
その赤いペンを胸ポケットから颯爽と取り出し
 
 
晴れ晴れと 
 
 
でっかいでっかい花丸を描きたいのです。
 
 
お日様みたいにポカポカな花丸を、
 
 
ユニークな個性だけに贈られる とっておきな花丸を、
 
 
きゅっきゅっきゅって
 
 
高らかな明るい音をかき鳴らしながら
 
 
私は描いてゆきたいのです。
 
 
そんなささやかな宣言のために
 
 
このブログはたった今 
 
 
初々しい産声をあげました。
 
 
私はいつでもここで待っています。
 
 
大きな花丸を携えて....。 
 
 
自身にしかない美しい持ち味を
 
 
素直に生き選ぶ愛おしい命たちを....。
 
 
「花丸 あげる♪ 」
 
 
このブログに私は 私の新しいエナジーを注ぎます。