舞い上がる。

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『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』で朗読させていただいた文章を公開します!その二『もやもやした状態のまま何だかんだ歩いていくのだ』

2016-10-24 23:35:12 | Weblog
あらためまして、10/22(土)に松本市 Give me little moreで開催された『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』終了しました!
お越しいただいた皆さんありがとうございました!

ざっくりとした感想などは昨日のブログに書きました。
『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』、無事に終了しました!ひとまずご報告!



そして、このイベントで僕は朗読をさせていただきました。
そこで朗読させていただいた文章を、ブログでも公開していこうと思います。

二つの文章を読んだのですが、最初の文章はさっそくこちらで公開しています。
『生きづらさを抱えた人間讃歌~Painting vol.1~』で朗読させていただいた文章を公開します!その一『僕は忘れない』



と言うわけで、後半の文章も公開させていただこうと思います!



ところで、この文章には、何人かの実在する人物が登場するのですが、その人物がこのブログを見る可能性もないとは言い切れないので、面倒なことになるかも知れないから、文章の一部を省略しようかなあ・・・
・・・と思ったのですが、そこを省略すると、伝えたいことがうまく伝わらない気がしたので、「まあ、大丈夫っしょ!」の精神で、全文を掲載させていただくことにしました。



これからご覧いただく文章は、東京オリンピックの開会式で読むために書いたものです。



以下、本文です。





『もやもやした状態のまま何だかんだ歩いていくのだ』
(タイトルは今つけました。)

本当は、オリンピックになんて大して興味はないんです。
それでもその日、8月22日はたまたまアルバイトが休みだったから、朝から母とテレビでリオリンピックの閉会式を見ていました。
閉会式では、4年後の東京オリンピックに向けた盛大なセレモニーに大勢の観客達が熱狂していました。
Twitterでも熱狂している人達のツイートが平日の昼間にもかかわらず大量に流れてきました。

しかし僕は、その状況を目の当たりにして、言葉に出来ないもやもやを抱えていました。
気持ちが悪かったので、もやもやを強引に言葉にして、Twitterに投稿しました。
ひとまず、その時の3つのツイートをそのまま読み上げることにします。

「僕が東京五輪を素直に喜べないのは安倍首相が「福島について~状況は、統御されています」なんていうふざけたプレゼンで招致したのが3年経っても未だにトラウマで許せないのです。五輪に向けて頑張るスポーツ選手もあのセレモニーも本当に素晴らしいと思うので本当はこんなこと言いたくないのですが。」

「あの時ふざけんなって思ったし実際は汚染水漏れててふざけんなって思ったしそう思った人は大勢いたと思うのに気付けば東京五輪最高みたいな雰囲気一色になっちゃってるのが、時間が経てば国民は忘れるの典型みたいな感じがしてすごくもやもやする。こんなこと言っても仕方ないのかも知れないけど。」

「ずっと今日このことでもやもやして両親からもそんなに悩むなよって言われたくらいなんだけどかなり精神的にきてる。俺は椎名林檎も中田ヤスタカも大好きなんだ。なのに素直に喜べなくてつらいんだ。」

なんだか痛々しいツイートだなあと思います。
僕がこれを投稿すると、すぐに二人の友人からリプライがありました。

一人は小学校から高校にかけての友人からで、どうしてそんなに安倍首相ばかりを批判するのだ、といった内容でした。
だから僕は答えました。僕は安倍政権を批判したいのではないのだと。
単純に、3年前の安倍首相のプレゼンを思い出すとなんだかつらいなあと、ただそういうことが言いたかっただけなのです。
彼は僕の話を聞いて納得してくれたようでした。

しかし、もう一人からのリプライは、彼とはまったく違うものでした。
彼女はTwtterで連絡を取り合っている数少ない大学の友人でした。
140文字ギリギリの彼女のリプライにはこう書いてありました。

「君が現行野党を推すというのなら、私は君を軽蔑する。」

待て待て待て!どうしてそうなるんだ!
俺は安倍首相の名前こそ出したものの、現行野党の話なんて一言もしてないぞ!
どうして軽蔑されなければいけないのか!
僕は混乱しました。

ひとまず誤解を解こうとしましたが、それよりも速く、彼女から同じように140文字ギリギリのツイートが続けざまに4つも送られてきました。
あまりの勢いにツイートの中身も頭に入ってこないほどでしたが、どうやらそれは、僕の政治的思想は間違っているという主張のようでした。

「そういう話がしたいわけじゃないんだよ」

なんとかそれだけ、僕は彼女に送りました。
しかし、彼女がその言葉を聞いてくれることはなく、同じような内容のリプライを送り続けてくるのでした。

だから何でそうなるんだよ!
俺は最初からそんな主張はしてないし勝手に勘違いして怒ってるだけじゃないか!
百歩譲って、もし俺が本当にそうだったとして、どうして軽蔑する必要があるのか!
考え方なんてみんな違って当たり前だろうに!

物凄い苛立ちが僕の中に発生しました。
けれど、その気持ちは上手く言葉に出来ずに、僕は結局、「だからそんなこと言ってないって言ってるだろ。もう勝手にしろよ」と投げやりなリプライを彼女に送りました。
すると彼女は「そうか、さよなら」とだけリプライを送ると、すぐに僕をブロックして僕のタイムラインから消えていったのでした。

ところで、今の自分にとってとても大切な活動に、ブログと演劇があります。
実はその二つは、どちらも大学四年生のときに彼女から勧められて始めたものです。
はっきり言って、彼女がいなかったら今の自分は絶対に存在しません。
だから彼女と連絡を取る手段がTwitterだけになってしまったとしても、大切な友人だったのです。
そうだったのです。

そんな友人と、どうしてこんなに悲しい別れ方をしなければいけなかったのでしょう。
僕は彼女とこんなふうに傷付け合いたくなどありませんでした。

僕はただ単純に「つらいなあ」と言いたかったのです。つぶやきですからね。
面倒くさかったら無視してくれればいいだけの、ただの下らないつぶやきのつもりでした。

そんな一言が、まさか人間関係を破壊してしまうとは。
これでは、恐ろしくて愚痴の一つも言えなくなってしまうではないか。
「つらいなあ」くらい、自由に言える世界であってくれよ。

そんなことを考えれば考えるほど、僕の中に苛立ちは募る一方で、その発端となった東京オリンピックに対する印象はどんどん僕の中で悪くなっていきました。
東京オリンピックに向けて、どんどん自分達の自由が奪われていく、なんだかそんな恐ろしい予感がしてしまったのです。

それから数日間、もやもやしながら過ごしました。
30歳になって親子の会話が増えてきた僕は、両親に相談しました。
両親からは、そんなに悩むなよと言われました。

すると母が言いました。「でも私は東京オリンピックが実現したら見に行きたい」
そして父も「生きてるうちにオリンピックが見に行けるとは!」と言って喜んでいました。

何度も言いますが、僕は東京オリンピックに対していい印象は持っていません。
それでも僕はその時、両親には東京オリンピックを見に行って欲しいなあと、素直に思いました。
東京オリンピックでも何でもいいけど、両親が楽しみにしてるならそれでいいよ、と思いました
はっきり言いますが、僕は両親のことが好きです。

小さい時から、何かと問題ばかりを起こす子供でした。
小学生のときはよく意味もなく学校の備品を破壊しては担任の先生に怒られ、帰ってから両親にそのことを告げ、両親は学校に謝罪の言葉を送るということが、何度もありました。
今思えば、発達障害の傾向はその頃からあったのだと思います。

両親は共働きで忙しかったのですが、よくこんな子供を育てているなあと、小さい頃からずっと思っていました。
そんなことを考えるたびに、両親に対して感謝と罪悪感の中心のような不思議な気持ちになります。
この変な感覚はきっと一生消えることはありません。きっと一生子供なのでしょう。

自分に障害があることが発覚したのは、大学三年生から四年生にかけての時期です。
春休み、両親と就職活動の話題になったとき、初めて障害のことを打ち明けました。
それまで当たり前のように大学まで進学していた息子が、二十代になって突然当たり前だと思っていたことが出来なくなり、両親は随分困惑したことだろうと思います。

僕の通う大学は、松本から車で一時間以上南に移動したところにある、伊那という場所にありました。
大学四年生の頃、僕はよく、大学の保健室の相談を利用していました。
その日はゼミだったのですが、僕はゼミをサボって大学の保健室に向かいました。
すると、そこには研究室の教授と、母の姿がありました。
教授は、卒論も書かずに大学にも顔を出さない教え子を心配して、実家に連絡していたのでした。
母は、新潟から車で高速で5時間ほどもかけて大学を訪れ、教授はゼミを中断してまで会う時間を作ってくれていました。
こうして僕は22歳にもなって、三者面談を体験しました。

それから、母は卒業まで何度も僕のアパートを訪れ、生活をともにしました。
そして教授からの働きかけもあり、僕はなんとか卒論を提出しました。
はっきり断言します。あの卒論は、僕と母と教授の共同研究です。

卒業後、松本で一人暮らしをしていた僕が、最初に頼ったのも両親でした。
仕送りをもらうとしばらくはまた新しいアルバイトを探すのですが、数ヵ月後には再びニートになっているような生活の繰り返しでした。
ある日、両親が松本を訪れ、新潟に帰って来なさいと言いました。

新潟に帰ってからも、最初は久しぶりの実家で両親と衝突することもありました。
けれど今では、親子の会話も増えてきています。

もう一度言いますが、僕は両親のことが好きです。
そんな両親が東京オリンピックを楽しみにしているなら、素直に楽しんできて欲しいなと僕は思います。
還暦を過ぎた両親が東京オリンピックを見に行っている間、僕は新潟で留守番をしながら、テレビで東京オリンピックの中継を見るかも知れません。

東京オリンピックのことを考えると未だにもやもやします。けれど、悪いことばかりではない。
不満ばかり言ってても何も始まらないし、時間も戻らない。
それなら、もやしたままでも今の状況をちょっとでも良くして行くことを考えた方が、ずっと建設的です。
解決できないたくさんのもやもやを抱えたまま、先に進むしかなくなってしまった東京オリンピックは、自分の人生によく似ています。
もやもやした状態のまま何だかんだ歩いていく、それが僕の人生です。






以上です!



いやー、いい話ですねえ・・・!(やっぱり自分で言う)




と言うわけで、二つの文章を公開させていただきました、いかがでしたでしょうか。
せっかくなので、またしても補足的な話をさせていただこうと思いますが、今回の朗読は成宮アイコリスペクトな部分がかなりありました。

要するに自分のダサい部分を積極的に出して行こうと思ったのです。
人間のダサくて恥ずかしくてどうしようもない部分を出していくことは、何の解決にもならないんだけど、でもそうすることで何か伝わるものもあるし、少しだけ気持ちが楽になることもあるということは、成宮アイコさんから学んだことです。

また、成宮アイコさんの朗読で僕が好きなところは、自分と全然違う人間のはずなのに何故かふと共感してしまうところです。
本当に、聞けば聞くほど自分とは生い立ちも考え方も自分とは全然違う人間だってはっきり分かるのに、でも何故か「すごく分かる!」みたいなポイントが必ずどこかにあって、そこに触れるとぐっときてしまうのです。

だから、僕もどうせ朗読するなら、誰かに合わせたりしないで、自分にしか分からない部分をガンガン出していこうと思いました。
例えば、成宮アイコさんと自分が全然違うなって思う部分に、家庭環境があります。本当に全然違います。だからこそ、敢えてその全然違う部分を出していこうと思いました。

別に成宮アイコさんの何かをオマージュとかパロディとか全然したわけではないんですけど、全力で自分を表現したことが、自分なりの成宮アイコリスペクトなつもりです。
成宮アイコさんはいつも全力で成宮アイコをやっている、それなら俺も全力で俺をやろうと思ったのです。

具体的に言うと、成宮アイコさんの「あなたのドキュメンタリー」という朗読からかなり影響を受けています。
(そんなことを思っていたら、なんとこの日、成宮アイコさんが「あなたのドキュメンタリー」の中で僕の名前を登場させてくれて最高に嬉しかったんですが、この話はまた後ほどします。)



そんな朗読でしたが、果たして聞いてくれた人達はどう思ったのだろうか・・・?
正直、本番まで全然余裕がなくて練習とかほとんど出来なかったし、ここはもうちょっとこう読んだ方がいいっていう改善点はたくさんあったんだと思いますが・・・



ふと、成宮アイコさんのツイートを見てみると・・・





ああ!成宮アイコさんが俺の朗読についてすごく嬉しいことを書いてくれている!





やったぜ!!



以上、朗読した文章と、その思い出でした。







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