アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#2123 中学クラス会 ③ 故郷の様子(上)

2016年11月07日 | 昔の思い出
大広間で宴会が始まりました。
3年前にクラス会が開かれていますが、この3年間に2名の同級生が亡くなっていることが知らされました。

うち一人は前回のクラス会に車椅子で参加をしていて、当時ボクが札幌の病院の眼科に通っていると言うと、「私もそこの眼科で診てもらっているの。病院で会っていたのかもしれないねー」と話をしました。
クラス会の案内状を出したところ彼女のご主人から「今年の1月に糖尿病で亡くなりました。同窓会に出席するのを楽しみにしていたのに残念です。遺影に全員で写った写真を使わせてもらいました」と返信があったそうです。
糖尿病で脚や眼が不自由だったのだと知らされるのと同時に、彼女がよい伴侶に恵まれていたのが偲(しの)ばれて温かい気持ちになりました。

亡くなったのが2名とも女性で、この高齢化時代、特に女性は90歳くらいまで生きているのが普通になっているのに、60代前半での死は早すぎるように感じます。
みなで黙祷をささげた後、歓談開始です。

2次会は隣の部屋で行い、その部屋も大広間でしたので、みなで移動し、多くの同級生といっぱい話をすることができました。

日高の地元に住んでいる同級生が何人も来ていました。
まず、8月の台風の被害です。
全道に大きな被害をもたらした4個の台風の襲来は、三石町にも大きな被害が出ていたのです。
地元に住む皆が、生まれて初めての洪水だった、と口を揃えて言うのです。
日高は日高山脈を源とする川が一直線に太平洋に流れ込むため、内陸で起きるような水害など起きるはずが無い、と思っていたんだけど、今回のは内水の排除ができなくて、海岸から2kmも離れたところにあるJR線路まで流されてしまった、というのですから壮絶です。

家屋や農地への浸水は各所で起こり、被害は甚大なようです。
しかしボクが接することができた報道では、南富良野町や小清水町の被災ばかりで日高では太平洋沿岸のJR線路の映像が記憶に残っているだけでした。
地元で町議をしている同級生が災害時に役場支所を訪れると、電話が鳴りっぱなしでパニック状態だったと、言っていました。
今回の災害で大きな被害をまたまた蒙(こうむ)ったJR日高線、存続に向け運動をしてきた人たちもさすがにあきらめ顔です。
寂しい思いはありますが、致し方なく思います。

地元で町議をしている同級生の妻も同級生なのです。
その妻は今回用事があって欠席しましたが、その妻の父親はボクの父の同級生なのです。
奥さんの父親の話しをしました。
ボクは同級生の奥さんの父親は亡くなってしまっていると思い込んで話をしていたんです。
「住んでた家はどうなったの?」とかって。
そのうち彼はボクの勘違(かんちが)いに気が付いたのでしょう、「あのね、まだ生きているのよね」って。

ボクの父は18年前に亡くなっています。
でも今は男も長生きです。
90歳を過ぎて生きている人はたくさんいます。
古い先入観でモノを言っちゃ~いけません。
大変失礼をいたしました。
彼に、奥さんにこのことは言わないでね、って言うのを忘れてしまいました。

続きます。
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