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背負う生き方

2014年07月15日 | 百伝。
「がん哲学外来市民学会」への感想を書こうと思いながら、今日の早朝、ワールドカップ・サッカー決勝ドイツ対アルゼンチン戦をテレビ観戦。

ドイツが、24年ぶりのワールドカップ優勝・・テディベアも、さぞ喜んでいるのでしょう。

24年昔当時、ぼくはイングランドに居て、ドイツに負けたイングランドは、イングランド在住のドイツ人を襲ったり大暴れ。

その年に、ぼくは、ドイツの外資系企業に就職しました。

どれぐらい、まくしたてられるような英語で、ドイツ人上司に叱られたことやら・・「ショートセンテンス イズ ベスト」。

「日本のJIS(工業規格)は、殆どのネジを時計方向の右に回したら締まる。変だと思わないか?」

「ドイツ人の思考規格は、車の右サイドのタイヤは、時計方向に。左サイドのタイヤには、反時計方向に回すんだ。設計思想の問題だ」

設計思想と言われてもね・・日本人は、同じく島国の英国人と情緒が似通っている。

友人の英国人から「ほんとうにドイツ企業で働いているのか?」と何度訊かれたことか?

ぼく自身、あの頃、どうやって仕事をしていたのか?・・今では、不思議でなりません。

・・たぶん、今は太りすぎて、頭の血行が、よくないのでしょう。

さて、昨日の続き・・。



「がん哲学外来市民学会」に参加された医学界からのパネリストのメッセージです。
樋野興夫氏 順天堂大学 病理・腫瘍内科教授
「人間の目的は、品性の完成。偉大なるお節介。日本は先頭を走る必要はない。一周遅れで堂々と走ればいい」

山口 健氏 静岡県立静岡がんセンター総長
「心通う対話。暮らしの質を重視。死の質の向上を目指す。がんよろず相談。がんの社会学を提唱」

柏木哲夫氏 淀川キリスト教病院理事長、金城学院学院長、ホスピス財団理事長
著書多数。「励ますよりも、支えるよりも、寄り添うが大事。使命、運命、懸命、宿命」

とても素晴らしいメッセージを拝聴することができました。

感謝です。

そして・・。



一般からパネリストとして、多喜義彦氏と多田千尋氏がシンポジウム講演、パネルディスカッションで発言されました。

この御二人の人生に想いを巡らせると、今回の不思議な巡り合わせに、胸が熱くなりました。

多喜義彦さん・・知る人ぞ知る「開発の鉄人」。

全国の企業の新商品・新事業に携わり、その企業数800社以上、その実績・開発件数は約3000件。
講演内容で、自分の生き様を述べておられました。
18歳か19歳で発明、財を得るも、人から疎まれぬよう「顧問料」だけを頂くことにした。
その後、父の事業を継ぐが、負債2億円が判明。借金取りに追われ、九十九里浜まで連れて行かれたこともあるとか。
その講演内容で、剣道をしていたことを話されていました。
道場荒らしではないが、その道場へ行くと「剣のレベル」が判るとおっしゃっていました。
綺麗な整理整頓している道場ほどに、その剣道のレベルが高いとのこと。
かなりの剣道の達人です。
現在、「がん哲学外来事務局長」でもあり、がん哲学外来カフェを全国7000箇所設置を目標に活動。

今日、この話を、ぼくの長兄に話すと・・ただただ、驚く発見がありました。

多喜さんという人物・・ぼくが中学生の頃に、大学生だった兄から既に聞いていた「とてもかっこいい人」だったのです。

兄と多喜さんは、日本でも有数の強さを誇る某大学の剣道部の同学年として所属。

部員百数十人いた中で、多喜さんは、1年生の時から5人のレギュラーに入っていたとのこと。

当時の体育会は、1年生は奴隷、2年生は家来?、3年生は殿様?、4年生は神様と呼ばれるぐらい「縦社会」で剣修行も「しごきのような地獄の特訓」だったとか・・その後、兄は、我が家の経済状況を考えて、剣道部を退部。

続いて、多喜さんも剣道部を退部したとか。

兄の話によれば、「1年生なのに剣道部で一番上手いのに、しごきなんかで嫌になったんだろう。ボンボンで白いジープに乗っていた。頭もよかった。優しい男だった。あのまま剣道を続けていれば、間違いなく日本一の剣士になっていた」と今でも断言します。

昨日、帰りがけに、出入り口で、多田さんを待っていると、多喜さんが、独りで立っておられました。

「とても、よいお話を聞かせていただきました。ありがとうございます」と挨拶させていただきました。

もし、今日ならば、付け加えて「40年以上昔の中学生の頃から、存じ上げておりました」・・と、ご挨拶出来たのに残念です。

そして、天命を背負う多田千尋さん。

ぼくよりも若いのですが、ほんとうに「多田先生」と呼びたくなるような「逞しさ、マネジメントのアイデア」と、千尋さんと呼びかけたくなる「繊細な優しさ」が同居しています。

背負っているものが・・とても大きいのです。

日本で(早稲田大学とお茶ノ水大学で)、老人と幼児に関わる社会福祉学を教えている人物は、まず二人といないでしょう。

さらに、木育によるウッドスタート宣言・・実に興味深い人物なのです。

ましてや、御祖父様が、百島出身となれば、とても身近な人に映ります。

シンポジウム終了後、喫茶店で1時間弱、お話する機会がありました。

百島に、また行きたいとのこと。

前回の百島訪問が、鮮烈な衝撃的な思い出になったようです。

ぼくは、百島という枠組みというよりも、多田さんの故郷である地元新宿区と尾道市を作家の林芙美子記念館がらみ、映画「東京物語」と「東京おもちゃ美術館物語」として結びつけた方がよいのかな?・・と思ったりしました。

それにしても、多田さんの講演内容の面白さと興味深さとマネジメントの鋭さに関しては、また別の日に感想を書かせていただきます。

多田さんと建物を出ようとする際、我々が喫茶店から出て来るのを待っていたのでしょう。

東京の東久留米から来られていた「がん哲学市民学会」の会員さんの親子の方から声をかけらました。

「実にすばらしかった・・今度、東京おもちゃ美術館に遊びに行きます」とおっしゃっていました。



多田さん、お疲れ様でした。

小松空港へ、一路東京へと別れました。



この不思議な巡り合わせに感謝。

では、また。

ごきげんよう♪


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