第八芸術鑑賞日記

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泥の河(1981)[旧作映画]

2009-01-31 13:02:54 | 旧作映画
 08/3/31、ポレポレ東中野にて鑑賞。7.0点。
 まさに「名作」としか言いようがない。小栗康平はこれが映画監督デビュー作だが、とてもそうは思えない完成度である。テレビ番組の助監督などは長くしてきたらしく、やはりそういった経歴は侮れないものとよくわかる。宮本輝の同名小説を原作に、昭和30年代初期の日本の一風景を切り取ってみせた秀作だ。
 原作は未読だが、少なくとも本作にはあえて映画化して活字を離れただけの意義がある、ということは確言できる。物語は大阪の川べりを舞台とし、一方に食堂を営む庶民の一家を、一方に船を住居に暮らす貧しい一家を配置するのだが、その間に流れる暗い川を活かした空間の使い方はまさに映像芸術ならではのものである(川島雄三の『洲崎パラダイス 赤信号』('56)などにも通じる)。また、モノクロームの画面作りは、一見すると公開当時すでに四半世紀前となっていた時代を舞台にしたがゆえの安直な昭和回帰と捉えられかねないものでもあるが、「色彩」よりも「陰影」を強調した意図に支えられていることを読み取りたいと思う。特にそれを象徴するのがクライマックスの場面で、「お祭りの人ごみの中、這いつくばる子供」→「蟹」→「秘密」と続く一連のシークエンスは映画的刺激に満ちている。
 もう一つ忘れがたいシークエンスとして、主人公の少年がひたすら船を追い続けるラストの場面が挙げられる。これは、その執拗さにおいて『血煙高田の馬場』('37)の阪妻をも彷彿とさせる演出である。しつこいといえばしつこいが、理屈に還元できる台詞などの演出に頼らず、ひたすら「走って追う」というアクションの力を信じた点は正しいと思う。小栗という人はやはり生粋の映像作家なのだろう。これらの場面は、もう少しで作為性が強くなりすぎるところだが、あざとさの一歩手前で踏みとどまって素直に叙情を感じさせてくれる。
 物語の語り方としては、視点を少年の目線に置いていることが何よりも肝心である。二つの家を隔てる「泥の河」を越えてドラマを作りだしてゆくのは両家の子供たちの交流なのだが、ストーリーテリングの上で主人公となる食堂の息子にとっては、対岸の船で暮らす一家を訪れることは、まさに未知の世界への訪問に他ならない(この説話上の構図があるからこそ、河を挟んだ空間配置が効いてくる)。本作の全編を貫いている哀しいトーンは、単にある境遇の人々に向けられるようなものではなく、誰もが通過しなければならない、幸福な(無知な)少年時代の終わりへの哀愁なのだと思う。
 キャストも素晴らしく、自然な演技を見せる二人の子役のほか、父役の田村高廣、母役の藤田弓子、そして短い登場シーンでしっかり印象を残す加賀まりこと、みな文句なしの働き。ある意味では、完成度が高すぎることが(つまりまとまりすぎていることが)最大の欠点とすら言えるかもしれない。名作。


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