第八芸術鑑賞日記

評価は0.5点刻みの10点満点で6.0点が標準。意見の異なるコメントTBも歓迎。過去の記事は「index」カテゴリで。

私事、第81回アカデミー賞、そして今さらながら2008年を振り返って

2009-04-04 07:13:59 | 雑記
 またまた長期にわたって更新を停止してしまっていましたが、再開したいと思います。
 今年度から大学院に進むことになったため、少なくとももうしばらくは社会に出ることもなく学生を続けることになりました。学部では哲学を専門にしていたのですが、今度は表象文化系の研究室に行くことにしたため、今後は映画を観ることもある意味で勉強の一環のようなものになるわけです。世の中には「好きなことを義務にしたくない」という考え方もありますが、個人的には「好きでもないことを義務にする」よりは「好きなことを義務にする」方がいいので、大いに励みたいと思います。
 しかしながら、院試の合格発表の日に、たまたまポン・ジュノの『ほえる犬は噛まない』('00)を観ていたところ、登場人物の大学院生たちが自分のことを自嘲して、「結婚したくない男ランキングってのを見たんだが、48位が鉱夫、49位が農夫、最下位の50位が文系の大学院生だってよ」というような台詞を発するシーンにぶつかり、何とも幸先の悪いスタートとなりました。


 以下、アカデミー賞についての感想と、豊作だった昨年の総評とを、それぞれ簡単に。


 第81回アカデミー賞はダニー・ボイルの『スラムドッグ$ミリオネア』が獲ったとのことで、作品そのものはまだ目に出来ていないとはいえ、何だか感慨深いものがある。対抗馬がデヴィッド・フィンチャーの『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』だというのだから尚更だ。ほんの十年前は、というか俺が映画を観始めた高校生の頃にはまだ確実に、「『トレインスポッティング』のダニー・ボイル」と「『ファイト・クラブ』のデヴィッド・フィンチャー」だったわけで、「スタイリッシュ」な映像を武器にMTV世代以降の心を掴み、尖がったストーリーを語ってゆく若手監督たち……の代表格として捉えていた。その二人がオスカーを競い合うとは、まさに隔世の感ありだ。ついでに、彼らの活躍を見ていると、ガイ・リッチーの現状が悲しく思えてくる(もっとも二人と比べてさらに若い世代ではある)。
 日本では『おくりびと』の外国語映画賞受賞が大ニュースになったが、ここまで高く評価されたことは意外でならない(詳しくはいずれレビューで書こうと思うが)。一昨年の『フラガール』、昨年の『それでもボクはやってない』はいずれも最終候補にも残らなかったが、個人的にはこれら二作の方を格段に高く買いたいと思う。とはいえ、海外では『おくりびと』の方が受けるというのもわからないではないし、決して悪い作品というわけではないので、日本映画の明るい話題として喜ばしいことではある。
 もう一つ書き留めておきたいのは、これが史上二人目だという故人受賞を果たしたヒース・レジャーで、彼への敬意を素直に表した今回の授賞はやっぱり粋だなぁと思う。賞の意義とか小難しいことを考えるのはよしておきたい。


 さて、上記のように81回はダニー・ボイルとデヴィッド・フィンチャーの争いだったわけだが、では前回(80回)=2008年日本公開組はどうだったか、と振り返ってみると、これが『ノーカントリー』のコーエン兄弟と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・トーマス・アンダーソンの争いだったんである。この二人もまた、数年前までは「『ファーゴ』の技巧派監督」と「『マグノリア』の才気走った監督」だったわけで、このオスカーを争った両作で急激に作風に厚みを増した様は、圧巻でさえあった。個人的には、ここ数年のオスカー作品賞の中でも屈指のハイレベルな戦いだったように思われる。
 しかし、本邦での公開日によって一年を区切る限りにおいては、やはり次のように言っておきたい。日本の映画ファンにとって、2008年という年は二人の悪役によって記憶されることになるだろう、と。すなわち、『ノーカントリー』のアントン・シガーと『ダークナイト』のジョーカーである。この二つの作品を観ればアメリカ映画の底力がいかに凄まじいかということは明瞭で、ともに映画史に長く名を残すだろう。ただここで敢えて同時代的な見方を書き残しておくなら、(個々の作品のレビューにも書いたので詳しくは繰り返さないが)前者=アントン・シガーからは9.11を、後者=ジョーカーからはイラク戦争を、それぞれ連想させるものが感じられた。彼らはいずれも、「狂気の」「我々には理解できない」存在として描かれているように見えるが、そのあり方は異なっている。シガーという殺し屋を我々は理解できないが、しかし同時に、彼自身が何らかのルールに則って行動していることは理解可能である。一方、ジョーカーという愉快犯は、正義の味方たるバットマンが生み出してしまった影であって、我々が理解せねばならない存在であり、しかし同時に、彼自身の輪郭は(シガーなどと比べて)ぼやけている。いってみれば、シガーは「他者」であり、ジョーカーは「自分自身の影」であるということだ。このような二人の個性的悪役を、それぞれ映画として最上の効果をもって見せつけてくれた両作には、心底からの驚きと興奮を覚えた。
 ここにクローネンバーグの『イースタン・プロミス』、シドニー・ルメットの『その土曜日、7時58分』などを並べてみれば、2008年は犯罪映画の年だった、と言ってもいいだろう。
 日本映画に関しては、中堅になってきた監督たちがそれぞれの新作で優れたものを見せてくれた、というのが全体的な印象になる。是枝裕和、橋口亮輔、黒沢清、阪本順治……各種映画賞を彩った顔ぶれは、どこか頼もしさを感じさせてくれる。しかし、最大のインパクトが若松孝二の『実録・連合赤軍』にあったことは揺るがない。「60~70年代アングラ映画の雄」としてではなく、この一本の力作によって日本映画史に刻まれるのではないだろうか。


 ところで世界的な不景気は当然ながら映画業界も直撃しているようで、これは一ファンとしてやはり心配なことではある。2009年元旦の朝日新聞のトップ記事が「ハリウッドの危機」についてであったなどというのを見ると、それほどまでかと暗い気分になったりもする。もちろん、個々の優れた作家たちは、それぞれの力量によって優れた作品を生み出してくれるだろうし、そのことは心配するには及ばない……というか、いつの時代も変わらないだろう。しかし、個人的には予算を大量に投下した「夢の装置」としての大作映画も好きなので、やはり不景気不景気と騒がれていると寂しさを感じるのも確かなんである。
 ともあれ、今年も多くの優れた作品に出会えることを祈って、映画館へ通い続けたいと思う(……と、もう4月になってから言うことではないが……)。



最新の画像もっと見る