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勉強って何?その150

2017-03-20 10:07:24 | 日記

名は体をあらわすそうだ。体すなわち「姿・かたち・様子」といったものであるから、目で見ることができる。となれば、百聞は一見にしかずというぐらい

だから、我々が受けるであろう印象は強力で、あるいは生涯記憶に残るかもしれない・・・・ということなので。 ・・・・「勉強」という名について、これまで、

ああだこうだとのぞいてきたのであるが、ここらへんで、一度じっと立ち止まって整理整頓しておくことにしたい。そうでないと、次なるステップ

に進むに際して支障をきたすように感じられたのである。

漢字という文字のもつ「象形」という特長を活かすことで、われわれは、「子どもを産み育てる」というすがたに「勉強」という言葉としての意味を

探り出すことができた。おかあさんと「勉強(今風にいえば教育)」とは密接なつながりをもって「そこにある」ことに気がついたのである。それは

妙にしっくりするある種の「納得と説得」をもっている。「なるほど! 言われてみれば…そういう感じがする」という気分にそれは、させるのである。

 ならば、そういう行為とはどのような性格・性質をたずさえているか調べてみると、そこには「創造的行為としての3ヵ条」という性質が備わっている

ことが判明したのである。そして、さらにわかったことは、その3ヵ条がお互いに矛盾をたずさえていればこそ、その矛盾の解消のために「強いる」という

ものがどうしても要ることがわかったのである。それが「強」という名の由来であり、合わせて「勉・強」となるのだ。

創造とは「実現すること」すなわち、なにがしかの手ごたえを感じる行為である。自分の目の前にいる「新しい自分」という姿・様子を実感できるから

こそ「実現」を味わうことができるのである。だから、自分を信じる「自信」という「強さ」が身に付くのである。

こうして、まず、われわれは、「勉強」という行為がもつ「創造性」という性質を理解することになったけれど、ならば、その「構造(すがた・かたち)」は

、いったいどうなっているか、よくわかっているかというと、はたして、なにもつかんでいないのである。だから・・・・・??なにをどうすればいいか?

いわゆる具体的な行動手順をもっていないのである。このような暗中模索の状況から抜け出すにはどうすればいいだろうか?

そのヒントになるのが、「WORK=しごと」という言葉に隠れているのである。

しごととは何かを知ることは、「勉強=WORK=しごと」であるから、すなわちそれは「勉強」を知ることにつながる。そこでもし、しごとの構造が判明

するなら、それは何を意味するかというと、「勉強の構造・すがた」であるだろう。となれば、なにから始めて、どうすればという手順がわかるに

ちがいない。だれでもすることができるということになるにちがいない。がしかし、これまで、悲しいかな、わたしたち分かったつもりで済ませてきたのだ。

      子  べんきょうってなに?    親  勉強? べんきょうでしょう! つべこべいわずべんきょうした・した・・・

ってな具合で、しごとについてだって、

  生徒・学生   しごとって何? どうするの?      親 教師・教官    しごと?! しごとでしょう!

以前いいましたけれど。人の能力レベルには「知っている・わかっている・身に付いている」とあるのですが、

じつは、教える側も、教えられる側と同じで、「しごととはなにか?」まるでわかっていないのです。ですから、おしえることができないのです。すると、

どういうことになるかといいますと、こうなるんです。

   ものすごく学識のある教師や親だったら、「なぜ勉強しなければならないか」を説明できるかもしれない。

  人類とは何か、歴史とは何かについて話をし、さらに、近代はどのように成立し、近代的な人間(個人)の理念が

  どのように構成されたかを説明し、人間と啓蒙のつながりから教育の必要を解き明かせるかもしれない(それにしても膨大な時間がかかりそうだが)

 したがって、学校であれ家庭であれ、「なぜ勉強しなければならないのか」という問いかけがでてきたら、まともに真正面から答えるのではなく、

 できるだけ焦点をぼやけさせて曖昧にしてしまうのが適切であろう。これは逃げやごまかしではない。この問いに誰も真正面から答えられない

からである。もちろん、親も教師も、それなりの理屈や必要性を語ることはできよう。それは親や教師が正しいと思う理屈である。

だが、そういう世間的な理屈や必要で納得するくらいなら、子供もはじめから問いを出すわけがない。

子どももある意味で答えられないだろうと感じているからあえて口にするともいえるのだ。

         「なぜ勉強させるのか」(諏訪哲二著)

今日、仕事とほぼ同意語で使われている日本語があります。作業という言葉です。しかし、英語圏では、しっかり区別されています。

     仕事=WORK        作業=JOB=a piece of work

学校教育で習う事はないでしょうが、社会人となって企業内教育における新入社員研修セミナーなどにおいて、「作業の5S」をおしえられます。

             整理  整頓  清掃  清潔   (そして)   躾

という頭文字5つをとって「5S」であります。作業における要点とでも言いますか、心得とでもいいますか、それをいいます。

 5Sとは「整理」、「整頓」、「清掃」、「清潔」、「躾」を指す。
「整理」とは「捨てること」で、業務に必要なものだけを残し、不要品を処分する。
「整頓」をすることで、置き場所・置き方を決めて、ものを探すという無駄な行動を一掃する。
「清掃」をすることで、必要なものをきれいな状態に保ち、いつでも使えるようにする。
「清潔」にすることで、必要なものがいつでも使える状態を常に維持する。
「躾」により、決められたことを守り、習慣化する。

 ですが、いかがでしょうか、学校教育においても極めて示唆に富んでいると思いませんか?

(あなたの身の回りはどうですか、机周りはどうですか?)

「ぼやけさせ・あいまい」に誤魔化されては児童・生徒・学生の身分にあって「勉強させられる」者にとってはたまったもんじゃありません。

そこで、つぎは、その手順・すすめ方をみることにします。

取り出した参考書は「チームワーク 川喜田二郎著 光文社刊」である。

 人は、自信が納得すると、自分から進んでやるようになります。「いまやろうとおもったもに・・・・!!???」ってなことは起きません。

放っておいてもするんです。心と体が同じ方向をむくのです。そのための「技」を身に付け、「術」をみがきましょう。

そんな「技・術」ってどういうものなんでしょうか。

 

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