出目金が行く

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

勉強って何?その144

2017-02-24 06:00:00 | 日記

  はじめにいた人数=Xとする    残っている人数=Yとする

すると、xとYとの間には、次のような関係がそんざいするのである。     Y=X+3

  これを、ちまたでは、「関数(1次関数)」と呼んでいる。数学という知識である。

この知識を使うことで、この「問題」を「問題でなくするため」の「解」を「決」することができる。これを「問題解決」と申します。

めでたし・めでたし、これにて一件落着?じゃないのであります。解決法はできましたけれど、答えがまだ出されていないのであります。

むしろ、これからが「たいへん(問題だ!)」なのであります。調べてみなくてはなりませんので、手間(=労力)と暇(=時間)と経費(=お金)が

必要となるからであります。こうして、私たちは、この問題の「ほんとうのありか」が何であるか、そのことに気が付くのであります。

机に向かってじっと座っていては、この問題は問題でありつづけます。片付かないじゃありませんか。そんなことをみなさん承知できますか?

大げさなことを言いますが、これで生活が成り立っていきますか?!問題でなくそうとして、おそらく、みなさん実際に動きまわるんじゃありません?

「調査する」という行動をとられるのではありませんか。普段の生活の中で、どうされているんでしょう?だれかがどうにかしてくれるから、それまで

何もしないで、指をしゃぶっていれば、解決が見つかり、やがて答え(という結果・成果)がでるんでしょうか。それこそ「否・いいえ・NO」であります。

だから、そこに「勉強」という行為があるのです。私たち、じつは、気が付いているのです。「勉強」というものを避けてはその先がないということを。

つまり、勉強せざるを得ないということを、物心ついた時から味わっていればこそ、そうした考え(=勉強はやらねばならない)をもつようになるのです。

今日、べんきょうといえば「学校との関係でかんがえるのがふつう」すなわち常識ですから、「べんきょう=学校=学習の場」となって「学習」とほぼ

同意語あつかいされています。だから・・・・・「『わ・か・り・ま・せ・ん』が正解」なんていう「答え」が正しい!?なんていうことになるのであります。

「学・習」という動作はどうするんでしたっけ?まねて=じっと観察して、くりかえす=覚えるために、とは、とにかくじっとすることであります。

ところが、人間様をみてください。幼い子ともたちを見てわかるように、人間様これがすこぶる嫌いと来ているご様子がみてとれます。

とにかくじっとできないのであります。ですから、訓練というものをせざるをえないのです。その訓練する場所を「学・校」と呼びます。

それじゃ、いつまでもそこにいるでしょうか?いいえ、やがて、卒業して(いまでは死語になっている)実社会にでていかざるを得ないのであります。

実社会にでる?ならば、それまでの学校時代はなんでしょうか、まさか「虚=ニセモノ?嘘!」の社会?そんなばかな!!

        教育は訓練と啓発から成るのであります。

 訓練とは「枠にはめる」ことをいみします。その典型が「什の掟・会津藩校での教え」である「ならぬものはならぬものです」であります。

よみ・かき・かんがえる(=そろばんをはじく)もそうしたものの一つです。これを子どもに徹底して教えている塾が「ドリルの公文」です。

蔭山先生の提唱する「早寝・早起き・朝ごはん」もおなじです。それらはすべて「訓練(=枠にはめこむ)」がその主体となっている学習であります。

 学校は学習の場であります。では何を学習するのでしょうか?目標とすべきは「実社会において生活するに不可欠な『頭』」という

日本語にいう「わざ=技、そして、すべ=術」すなわち「勉強の仕方(=仕事の仕方)」の「知」の部分を身に付ける(=自分のモノにする)ための

施設・場なのです。だから、じっとさせるために「校」という文字がつかわれるのであります。

   勉強って「創造的行為」です。おもいだしてください。「創造って何?」とは「実現する」ことでした。実現とは、「かたち」として残すことであります。

それを人は次のように呼んでいます。「思い出つくり」。やがてやってくるあの世へもっていけるものはなんでしょうか?六文の銭は渡船代で消える

、それ以外持っていけるものといえば「思い出」しかありません。その思い出つくりのために私たち勉強するのであります。

心技体っていうじゃないですか。全人的行為って、その心とその体が一つ方向に同時に働く。同調するとき「心技体」っていうらしいです。となると、

その心とその体を結び付けるモノこそ「技」であります。その技をみがき術を身に付ける行為それはなんでしょうか?勉強であります。

おかあさんたちみてください。「子ども」という宝を育てることに必死になってがんばっているじゃないですか。その姿こそ「勉強」という行為の

原風景なのです。その記憶は万人に宿っている、だから、勉強しなくちゃ、とごくごく自然とそういう思いがわき出るんじゃありません?

男が「しごとがすべて」と思うのは「しごと=子ども」なんですよ。仕事をすること=勉強すること=自己実現=自分の成長を実感するなんです。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 勉強って何?その143 | トップ | 勉強って何?その145 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL