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勉強って何?その153

2017-03-30 10:43:33 | 日記

生活ですが、  「生」とは、いわゆる「肉体的に存在する」ということであります。食事したり・睡眠をとったり・歩いたり・走ったりであります。

がしかし、人にはもう一つの「精神的に存在する」という極めて「人間的」なものがぶらさがっています。精神いわゆる「心」であります。

体が生きているように、心もまた活きているのであります。どこにいきているかというと「自分」という一人の人間の中に「生きて・活きて」いる

のであります。それすなわち「生活」と申します。ですから、生活する=命をつなぐ=暮す=人生を送る と同じ意味(=行為)になります。

  さて、成長=年齢を重ねる=体が大きくなる(=大人になる)とみるとき、その体に宿るであろう「心」はどうでしょうか?体の成長は一目で

判別できます。「大・人」と呼ばれるように、その体が変化するからです。しかし、心はどうでしょうか?一目で???…残念なことに、心は目で確認

 できませんから、その成長という変化を判別することがきわめて難しいわけです。しかし、心も、体と同じように成長を遂げているに違いないのです。

その証拠に、「最近、めっきり大人っぽくなたじゃないか!」「ずいぶん大人びてきたようだ」なんていうじゃないですか。

 そこで、勉強という言葉の意味を思い出してください。「勉強=創造的行為=実現すること」でありました。実現とは文字どうり「形にする」です。

 漢字を使って「実・現と」書く、実を現すとは「(見える化による)カタチ」を与えるということになります。そこで、見えない「心」に形を与えて、見える化

するにはどうすればいいでしょうか? 言葉がその答えになります。がしかし、人には生まれつきその能力すなわち言語の持ち合わせやその使い方

に精通しているかというと、残念ですが、生まれついて持ち合わせてはいないのです。だから、どこかで身に付けねばならないのです。

「言葉を覚える=言語の習得」という「訓練(=学習訓練)」を受けざるを得ないのです。言葉という「技」であります。

心を実現する=つまり見えるようにするには「言葉」でしか出来ません。「よみ・かき・そろばん(=かんがえる)」という「道具立て」を身に付けて、

その「術」に精通する必要があります。これを習得する場というと、今日、それは学校ということになります。

 体は見える化しなくても、見れば誰でも見えますが、心はというとそうはいきません。言葉(言語表現)というモノによらねば見える化できないのです。

「よむ・かく・かんがえる」という「心」すなわち心が住んでいる「頭」を使うという行為にあっては、言葉という道具立てをどうしても使わざるを得ない。

      心=頭=頭を使う=よみ・かき・かんがえる

ならば、生まれつき備わっているかというと、残念なことに、そうではありません。学習という人為的行為によるすなわち学習という行為を施さねば

身に付かない「能力」なのであります。ですから、漠然とですが、学校に通わねばならないと感じているのであります。

   ここで、私たち、「能力」という言葉に初めて出会うことになります。すると、レベルすなわち成長との関連を認めざるを得なくなります。

 知っている→わかっている(=理解する)→身に付いている(=マスターする=いつでも、どんな時でも、自分の思いどうりに駆使できる)

という能力の成長段階という「階段というカベ」の存在を知るのであります。その壁を乗り越えるには「ある時間がかかる=義務教育」ことを

知るのであります。その「技=わざ」とその「術=すべ」をマスターしなくてはならないのです。

        心技体   

   この言葉を探ってみると、わかったようなわからないような「解説」に出会うはずです。よろしかったら検索してみてください。

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