昨日のBlogで、、、
<医者によると、、、
<・原因はストレス
<・そのストレスはいろいろなことから起こる。
< …わたくしの場合はこのBlogに書いたとおり
と書いた。
が、久し振りに今まで書いてきたことを振り返ってみた。
確実に数年前と今とは自分の状況が違うことに気が付く。
数年前は”焦燥感”に悩んでいたが、少なくても”前向き”な時間が
多かった。今はというと、”前向き”でいる時間がないわけではないが、
確実に少ない。
…これも”0・100”ではないと思う。おそらくは、急激に
変化するのであれば簡単なんだけど、徐々に変化してくるから
難しい。
前の自分のコメントで”もし、3億円の宝くじがあたったら、会社を
やめるか・・・”という自問自答に”やめない”と答えていた。
今は、、、”やめるなあ・・・苦笑”
前とは違うってことだ。
そこで考えるのは、、、
”自分は逃げている???”
ということ。
いろいろなプレッシャはどんな人でも抱えている。
そのプレッシャーがストレスに変わっていくと考えているのだけど、
それを乗り越えるためにいろいろ努力する。それを乗り越えると
また自分が成長できる。
要は、プレッシャー→ストレスは”成長のための機会”であること。
”その機会をもう活用しないのか=逃げるの???”
てな気分になっちゃう。
前に宗教ってなに?ということについて、
”強い生き方を神や仏から学び、そこから新たな自分を発見し、
死に対するしっかりとした信念を持ち、人生を積極的に生きる”
ということを確認した。
”自分の考えを神・仏にぶつけ、その教えが自分のとって規範と
なるものなのか、しっかり自分で考え、判断し、もしそれが規範と
なるものであれば、その教えから、生きる知恵、生き方を実践し、
学んでいく”
ということ。
もうひとつ、前に勉強した論語より、、、
○人間は幸せを求める
○幸せは”物の豊かさ”と”心の豊かさ”が必要
○心の豊かさは”生き方”が作る
○生き方が定まると覚悟ができる。
○覚悟ができると心が落ち着く
○心が落ち着くと人生を静かに生きることができる。
この”心の静けさ”=”心の豊かさ”
要は”生き方を定める”→”覚悟ができる”→”心が落ち着く”という
ロジック。プレッシャー感じたり、限界感じたり、先が読めなくなって
不安感じたりして追い詰められた気分になっても、”覚悟を決めておく”
ことができると結構すっきりする。
その出発点・KeyPointが”生き方”。
その”生き方”に徹すること、それを孔子は個人の幸福の原点として
語り続けた、これが儒教。
儒教の中での”生き方”を考えるに重要なものとして、仁=人の道がある。
仁は儒教の基本”五つの徳”のなかでも重要な徳とされる。
子曰く、仁遠からんや。我仁欲すれば、即ち仁至る。
仁(人の道)は難しい徳であろうか?(そのようなことはない)己が
そうでありたいと志せば、ただちにその境地に達するものだ。
と言う論語のなかに出てくる”徳”これは儒教の重要なベースらしんだけど、
儒教の中で徳というと、仁・義・礼・知・信の五徳
…これは孔子が直接述べたものではないようですが。
儒教の教えは端的にいうとこの五徳の実践という。
仁:人を思いやる心
義:正義を貫く心
礼:礼を尽くす心
知:知徳を磨く心
信:人を信じる心
そして、この五つの徳が並列にあるわけではなく、
仁(人の道・人を思いやる心)あっての儀
仁あっての礼、仁あっての知、仁あっての信
たとえば仁がなく、義だけを追求すると”正義のためには手段を選ばす”
になってしまう。
また仁がなくて、礼のみが独り歩きすると”虚礼”になる。
仁なしの知は自分だけよければよいという”利己知”・・・
要は、、仁という土台の上に、義・礼・知・信という柱があり、徳を
構成しているということ。
”生き方”を身に着けるということは、仁をベースとした徳をみにつける
ということ
=この五徳を実践すること、、、のようだ。
ふーーーむ。数年前より、厳しい状態であることは認識しつつも、
もう少し、頑張ってみようかなあ(苦笑)
でも頑張る=”我を張る”のはよくないよね。
結局、”覚悟”をするということだよ、要はね。
<医者によると、、、
<・原因はストレス
<・そのストレスはいろいろなことから起こる。
< …わたくしの場合はこのBlogに書いたとおり
と書いた。
が、久し振りに今まで書いてきたことを振り返ってみた。
確実に数年前と今とは自分の状況が違うことに気が付く。
数年前は”焦燥感”に悩んでいたが、少なくても”前向き”な時間が
多かった。今はというと、”前向き”でいる時間がないわけではないが、
確実に少ない。
…これも”0・100”ではないと思う。おそらくは、急激に
変化するのであれば簡単なんだけど、徐々に変化してくるから
難しい。
前の自分のコメントで”もし、3億円の宝くじがあたったら、会社を
やめるか・・・”という自問自答に”やめない”と答えていた。
今は、、、”やめるなあ・・・苦笑”
前とは違うってことだ。
そこで考えるのは、、、
”自分は逃げている???”
ということ。
いろいろなプレッシャはどんな人でも抱えている。
そのプレッシャーがストレスに変わっていくと考えているのだけど、
それを乗り越えるためにいろいろ努力する。それを乗り越えると
また自分が成長できる。
要は、プレッシャー→ストレスは”成長のための機会”であること。
”その機会をもう活用しないのか=逃げるの???”
てな気分になっちゃう。
前に宗教ってなに?ということについて、
”強い生き方を神や仏から学び、そこから新たな自分を発見し、
死に対するしっかりとした信念を持ち、人生を積極的に生きる”
ということを確認した。
”自分の考えを神・仏にぶつけ、その教えが自分のとって規範と
なるものなのか、しっかり自分で考え、判断し、もしそれが規範と
なるものであれば、その教えから、生きる知恵、生き方を実践し、
学んでいく”
ということ。
もうひとつ、前に勉強した論語より、、、
○人間は幸せを求める
○幸せは”物の豊かさ”と”心の豊かさ”が必要
○心の豊かさは”生き方”が作る
○生き方が定まると覚悟ができる。
○覚悟ができると心が落ち着く
○心が落ち着くと人生を静かに生きることができる。
この”心の静けさ”=”心の豊かさ”
要は”生き方を定める”→”覚悟ができる”→”心が落ち着く”という
ロジック。プレッシャー感じたり、限界感じたり、先が読めなくなって
不安感じたりして追い詰められた気分になっても、”覚悟を決めておく”
ことができると結構すっきりする。
その出発点・KeyPointが”生き方”。
その”生き方”に徹すること、それを孔子は個人の幸福の原点として
語り続けた、これが儒教。
儒教の中での”生き方”を考えるに重要なものとして、仁=人の道がある。
仁は儒教の基本”五つの徳”のなかでも重要な徳とされる。
子曰く、仁遠からんや。我仁欲すれば、即ち仁至る。
仁(人の道)は難しい徳であろうか?(そのようなことはない)己が
そうでありたいと志せば、ただちにその境地に達するものだ。
と言う論語のなかに出てくる”徳”これは儒教の重要なベースらしんだけど、
儒教の中で徳というと、仁・義・礼・知・信の五徳
…これは孔子が直接述べたものではないようですが。
儒教の教えは端的にいうとこの五徳の実践という。
仁:人を思いやる心
義:正義を貫く心
礼:礼を尽くす心
知:知徳を磨く心
信:人を信じる心
そして、この五つの徳が並列にあるわけではなく、
仁(人の道・人を思いやる心)あっての儀
仁あっての礼、仁あっての知、仁あっての信
たとえば仁がなく、義だけを追求すると”正義のためには手段を選ばす”
になってしまう。
また仁がなくて、礼のみが独り歩きすると”虚礼”になる。
仁なしの知は自分だけよければよいという”利己知”・・・
要は、、仁という土台の上に、義・礼・知・信という柱があり、徳を
構成しているということ。
”生き方”を身に着けるということは、仁をベースとした徳をみにつける
ということ
=この五徳を実践すること、、、のようだ。
ふーーーむ。数年前より、厳しい状態であることは認識しつつも、
もう少し、頑張ってみようかなあ(苦笑)
でも頑張る=”我を張る”のはよくないよね。
結局、”覚悟”をするということだよ、要はね。