狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

人間の持つ素晴らしい力とは、身を委ねることを慎重に判断する力だ。

2017年07月29日 12時37分24秒 | その他の日記





 そっか。
 企業がメディアのスポンサーになるのは、メディアのコンテンツを評価しているわけではなく企業の宣伝になるからでもなく、メディア対策の一つとしてスポンサーになることが有効であると考えているからなのか。
 メディアは有罪であるという証拠も無しに(無罪であるという証拠が無数に存在していても)勝手にストーリーを作り無実の人間を犯罪者扱いすることが出来る。
 勝手に作ったストーリーに合致しない情報は無視して或いは捏造して捻じ曲げて言葉を切り貼りし映像を切り貼りして無実の人間を犯罪者扱いして糾弾することがしばしばある。
 メディアがスクラムを組んでリンチをはじめれば対象者だけではなく対象者に関わったことがある人全てが貶められ辱められる。
 民間のスポンサーがないNHKもメディアがスクラムを組むとそのスクラムに加わる傾向がある。
 そうなると、嘘や捏造や言葉の切り貼りや映像の切り貼りや問題のすり替えや人格攻撃や差別表現や罵倒や憎悪表現が多発して事実は無視される。
 反論しても無視され無実である証拠を出しても捻じ曲げられてしまう。そして人格を攻撃され対象者の精神の破壊を目論む。
 こうなると大企業であっても手に負えなくなってしまう。長い時間をかけて無罪を証明してもダメージは膨大で信用は大きく損なわれる。
 しかし長い時間をかけて無罪を証明してもメディアは絶対に責任を取らない。

 このメディアの体質を熟知している企業体はお金があるならばメディア対策の一つとしてスポンサーになってメディアに影響力を持っておくことが得策であると考えているのだろう。
 メディアのコンテンツを評価しているのではなく企業の宣伝になるとも思っていない。




 ただ、近年においては企業がメディアのスポンサーとなることに別のリスクが発生しはじめている。
 あまりにも酷い報道機関に対して利用者がその報道機関に直接意見を述べるのではなくスポンサーである企業体に意見を述べるケースが増えている。
 つまり、メディアのコンテンツの内容がスポンサーの企業の考え方であると見做す人が多くなっている。
 このリスクにどのように対処するのか。企業はこの問題に頭を悩ませ始めている。
 このリスクを対処するのに一番簡単な方法はスポンサーを止めることなのだけれども、それでは第一の目的であるメディアの攻撃を避ける為にメディアに影響力を持っておくことというメディア対策ができなくなってしまう。
 しかしメディア対策の為にスポンサーとなるという発想は、暴力集団にみかじめ料を払って大きな問題となるのを避けるやり方に似ている。そんなやり方を企業体がいつまでも続けて良いのだろうか?
 さてさて? どうしますかね?
 



 メディアのコンテンツの質が下がると様々なところに迷惑がかかるのです。
 それでもメディアによる集団リンチに燃えるのが人間の本質であり人の習性でもあります。メディアも企業体であるのでお金儲けができる大受けするコンテンツを利用者に届けようとします。
 NHKは民間のスポンサーを受け付けていませんがメディアによる集団リンチの圧力に簡単に屈します。人々が求めるものを提供しようとするのも人の習性です。
 でもそうなると、事実は消え去ってしまいます。事実が消滅すれば有権者は正確な判断はできなくなります。そうなると民主主義は潰されます。
 そしてメディアがスクラムを組めばメディアの多様性は消え去ります。
 それを良しとするのか?

 メディアの質の良し悪しは、結局のところはメディアを利用する私達の判断にかかっているのだろうと思うのです。
 メディアに無批判であればメディアは暴走するでしょう。
 メディアが暴走すればどうなるかは太平洋戦争前の社会を調べれば分かることです。

 メディアが述べていることが事実か事実でないかのチェックはメディアに任せるのではなく、利用者がしなければいけない。最低限のチェックは必要である。と私は思っているのでございます。


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