狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

印象が先行する事は悪い事ではない。悪いのは具体的な事が伴わず印象のみが独り歩きする場合である。

2016年12月02日 12時58分40秒 | その他の日記





 「死ね」という強力で尚且つ下品な言葉を使わなければ議論を提起できない人間は稚拙で低能な人間である。と評価されるべきだと私は思うのです。
 それでも一般人で素人のお方がどうしても問題提起をしたくて強力な言葉を使った、というところまでは理解できるのです。

 しかし、話題になったその後にわざわざ「死ね」という言葉をプロが再び使う必要はありません。
 プロならプロらしくきちんとした言葉を使い、問題を分析し解析して問題の解決案を提起すればよいのです。
 プロであるはずの人達がわざわざ下品な言葉を使う必要などないのです。
 プロであるはずの人がわざわざ下品で強力な言葉を使うということは、プロであるはずなのに強力で下品な言葉を使わないと議論が出来ない無能な人間であると表明しているようなものです。


 流行語に認定されてしまいましたね。
 ってことはですよ。プロであるはずなのに言葉をまともに使うことができない議論が出来ない無能な人間であると日本中に広まってしまったということですよ?
 「死ね」という強力で下品極まりない言葉を使わないと問題を提起することができない稚拙で愚かな人間であると日本中に広まってしまったということですよ?

 言葉は大事だと思うのですが、どのように思っているのでしょう?
 下品な言葉しか使えないのならば影響力のある立場に立つべきではないと思うのですが、その点はどのように思っているのでしょうか?
 非常に興味があるところなのでございます。

 
 
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