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2017-03-06 16:38:25 | 日記

生命のフリーズ[編集]
ウィキメディア・コモンズには、生命のフリーズに関連するメディアがあります。

フリーズ
ムンクは、主に1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、「生命のフリーズ」と称し、連作と位置付けている。「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」、「死」、そして愛と死がもたらす「不安」である。
ムンクは、1918年に、ブロムクヴィスト画廊で「生命のフリーズ」の展示会を開くに際し、その成立について、次のように振り返っている[120]。
僕はこのフリーズと、かなり途切れ途切れではあるが、約30年にわたって取り組んできた。最初のスケッチ風の構想は、1888年から1889年にかけてできている。『接吻』、『黄色いボート』、『謎』、『男と女』、そして『不安』は1890年から1891年に描かれ、1892年の初め、この町のトーストルップハウスで、更に同年ベルリンでの僕の最初の個展でも展示された。翌年、このシリーズに『吸血鬼』、『叫び』、『マドンナ』を含む新しい作品が付け加えられ、その後独立したフリーズとして、ベルリンのウンター・デン・リンデン画廊に展示された。1902年のベルリン分離派展では、その一部が「現代人の精神生活から」のタイトルで大ホールの壁にぐるりと並んだのが見られた。そのフリーズは一連の装飾的な絵と考えられ、集められているが、むしろ『生命の絵』とするべきであろう。〔……〕そのフリーズは、生命、愛、死についての一つの詩なのだ。
1902年の第5回ベルリン分離派展では、22店の作品が「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられていた。「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』など、「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命の踊り』など、「生の不安」には『不安』『叫び』など、「死」には『病室での死』『新陳代謝(メタボリズム)』などの作品が展示された[121]。
その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は、写真が現存している。それによると、展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている[121]。
1904年にはクリスチャニア、1905年にはプラハで連作展示が行われた。前述の1918年のブロムクヴィスト画廊での展示会にムンクが寄せた文章によって、初めて「生命のフリーズ」という名称が与えられた[122]。
肖像画[編集]
ムンクは、優れた肖像画を残している。初期には、自画像や家族の肖像画が多い。また、ハンス・イェーゲルなど、クリスチャニア・ボヘミアンの詩人や芸術家たちを描いた。1890年代には、ベルリンやパリの友人たちを描いている。もっとも、肖像画のモデルとなった友人たちは、自分たちの肖像画に驚いたり、不満を漏らしたりすることが少なくなかった。1900年代には、多くの等身大の肖像画を描いた。 ムンクは、晩年、友人たちの肖像画をエーケリーの邸宅に集め、「私の芸術の護衛兵」と呼んで、求められても手放そうとしなかった[123]。

『ハンス・イェーゲルの肖像』1889年。油彩、キャンバス、109 × 84 cm。オスロ国立美術館。


『インゲルの肖像』1892年。油彩、キャンバス、172.5 × 122.5 cm。オスロ国立美術館。


『ストリンドベリの肖像』1892年。スウェーデン国立美術館。


『ダニエル・ヤコブソン教授の肖像』1909年。油彩、キャンバス、204 × 111.5 cm。ムンク美術館。
版画[編集]
版画、特にリトグラフやエッチングは、1890年頃のフランスで隆盛を迎えていた。1891年にトゥールーズ=ロートレックがムーラン・ルージュのカラー・リトグラフを制作したのと同じ頃から、ムンクも多数の版画の制作を始めた。1894年までにドライポイントの技術を身に付け、間もなくアクアチント、さらに1895年にはエッチングも習得した。 これらの凹版画に加え、1894年終わりにはリトグラフも習得した。1895年から1896年のパリ滞在時、『病める子』のカラー・リトグラフを制作して実験を重ねた。最後に、木版画も用いるようになった。初期版画のほとんどは、油彩画の主題をコピーしたものである。多くの場合、彼は、銅版、石版、木版の上に直接描したため、刷り上がりは左右が逆になった[124]。アクアチントとドライポイント、リトグラフと木版画、といったように、複数の版画技法を併用している点がムンクの特徴であり、版木をいくつかの部分に分解して刷るといった、新しい試みも行っている[125]。1920年以降は新しい版画制作は減り、1930年頃までにほぼ終了した[126]。
ムンクは、一つの版画から多くの刷りを重ねており、全部で700以上の版画から、約2万5000の刷りがある。そのうち約1万5000点がムンク美術館に収蔵されている[127]。ムンクと交友を持った美術愛好家グスタフ・シーフラー(ドイツ語版)が、1907年と1928年に、2巻から成る版画の作品目録を出版し、ムンクの版画研究の基礎資料となっている[128]。

『病める子』1894年。エッチング。


『マドンナ』1895-1902年。リトグラフ、60.5 × 44.4 cm。大原美術館。


『叫び』1895年。リトグラフ、35.5 × 25.4 cm。ムンク美術館。


『宇宙での出会い』1905年。木版画。
壁画[編集]
ムンクは、1916年に完成したオスロ大学講堂壁画をはじめ、1906年から翌年にかけて制作した、ベルリンの小劇場のための「ラインハルト・フリーズ」、オスロ郊外のフレイア・チョコレート工場の社員食堂のために制作した「フレイア・フリーズ」(1922年完成)など、建築内部装飾のための大作をたびたび手がけている。
彼は、大学講堂壁画と生命のフリーズとの関係について、次のように語っている[129]。
「生命のフリーズ」は、大学の装飾との関連で見られるのでなければならない。「生命のフリーズ」は多くの点で講堂装飾壁画の先駆的作品であり、「生命のフリーズ」がなければ講堂壁画はおそらく存在しなかっただろう。「生命のフリーズ」は、私の装飾に対する感覚を発展させた。〔……〕「生命のフリーズ」では個人の悲しみと喜びが等身大に描かれ、これに対し大学の壁画は偉大で永遠なる諸力が描かれたのである。
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ 『思春期』第1作、『その翌朝』第1作は、間もなく焼失している。アルノルト (1994: 23, 198)。
^ リンデは、ムンクに、「どうか子供にぴったりのモティーフを描いてください。〔……〕接吻も愛しあう男女も禁物、ということです。〔……〕どこかの風景を描いてくださるのが一番よいのではないでしょうか。」と書き送っている。アルノルト (1994: 87-88)。
^ ドイツのハレ大学から、クリスチャニア大学で拒否された場合は引き取りたいとの申出があり、このことがノルウェー政府を動かしたとされる。アルノルト (1994: 140)。
^ 当時の1ドル80円で換算すると、96億円。石坂 (2016: 18)。
^ その後、2013年11月にフランシス・ベーコンの作品がクリスティーズで1億4240万ドルで、2015年5月にパブロ・ピカソの作品がクリスティーズで約1億7900万ドルで落札され、記録は更新されている。石坂 (2016: 19)。
出典[編集]
^ 三木 (1992: 41-42)。
^ 三木 (1992: 45-49)。
^ アルノルト (1994: 15-17)、新人物往来社 (2012: 137)。
^ 新人物往来社 (2012: 137)。
^ 三木 (1992: 54-56)。
^ “The Life of Edvard Munch: 1864–1882” (English). The Munch Museum. 2016年8月30日閲覧。
^ 三木 (1992: 59-60)。
^ 三木 (1992: 64)。
^ 三木 (1992: 61-63)。
^ 三木 (1992: 73-74)。
^ 三木 (1992: 78-79)。
^ 三木 (1992: 79-83)。
^ アルノルト (1994: 22)。
^ 三木 (1992: 84)。
^ 三木 (1992: 84-85)。
^ 三木 (1992: 85, 90-92)。
^ アルノルト (1994: 26)。
^ “The Life of Edvard Munch: 1886–1888” (English). The Munch Museum. 2016年8月30日閲覧。
^ ヘラー (1891: 34-36)。
^ アルノルト (1994: 33)。
^ アルノルト (1994: 37-38)。
^ 三木 (1992: 94)。
^ ビショフ (2002: 16)。
^ 三木 (1992: 94-95)。
^ 三木 (1992: 96)。
^ 三木 (1992: 98-103)。
^ a b 三木 (1992: 103-04)。
^ a b “The Life of Edvard Munch: 1890–1891” (English). The Munch Museum. 2016年8月30日閲覧。
^ 三木 (1992: 96-97)。
^ 三木 (1992: 106-07)。
^ 三木 (1992: 97)。
^ 三木 (1992: 112-13)。
^ 三木 (1992: 117)。
^ 三木 (1992: 119-122)。
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^ アルノルト (1994: 110)。
^ 三木 (1992: 187-88)。
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^ 三木 (1992: 187-88)。
^ 三木 (1992: 198)。
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