永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(173)

2017年03月03日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (173) 2017.3.3

「かくて又、廿よ日のほどに見えたり。
さて、三四日のほどに、近う火のさわぎす。おどろきさわぎするほどに、いととく見えたり。風吹きて久しう移りゆくほどに酉すぎぬ。『ささなれば』とて帰る。『<ここにと見聞きける人は、まゐりたりつるよしきこえよとて、帰りぬ>と聞くも、面立たしげなりつる』など語るも、屈しはてにたる所につけて見ゆるならんかし。

◆◆こうして、又あの人は二十日過ぎに見えました。そして、二十三、四日ごろに、近いところで火事騒ぎがありました。びっくりして騒いでいると、あの人が急いで掛け付けてこられました。風が吹いて久しく燃え続けた火が下火になったのは午後六時ごろでした。「もう大丈夫だから」と言って帰られました。侍女たちが『「お殿さまが作者邸にいると知ってきた人は、(自分が)こちらにお見舞いに伺ったことを兼家さまにお伝えしてください、と言って帰りました」と下僕が言うのを聞くにつけ、いかにも面目ありげな感じがいたしました。』などと話すのもすっかり顧みられず、卑屈になりきっている我が家なのだから、そのように感じられるのであろうよ。◆◆



「又つごもりの日ばかりにあり。はひ入るままに、『火など近き夜こそにぎははしけれ』とあれば、『衛士の焚くはいつも』と見えたり。」
◆◆また、月末のころに見えました。入ってくるなり、「火事などが近い夜は、この家もにぎやかだが…」などと言うので、「衛士のたく火のように、私の思いの火はいつも燃え盛っていますわ」と答えたのでした。◆◆

■『衛士の焚くはいつも』=古歌「御垣守(みかきもり)衛士の焚く火の昼は絶え夜は燃えつつものをこそ思へ」を引いている。作者は兼家の「火など近き夜は…」と言ったので、「御垣守」の歌を連想し、余情の「火の無い時は」を「兼家の訪れのない夜は」絶え入る思いをしていると言い、要するに、衛士は火を焚いて夜皇居を守るが、自分は昼は絶え入る悲しい思い(火)をし、夜はあなた恋しさに胸の中で「思ひ」の火をもあしつづけていて、火のないときはないと恨みの言葉で応酬したのである。


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