永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(207)その1

2017年08月09日 | Weblog
蜻蛉日記 下巻 (207) その1  2017.8.9

「さて助に、『かくてや』など、さかしらがる人のありて、ものいひつく人あり。八橋のほどにやありけん、はじめて、
〈葛城や神代のしるし深からばただ一言にうちもとけなん〉
返りごと、こたびはなかめり。

〈帰るさの蜘蛛手はいづこ八橋のふみみてけんとたのむかひなく〉
こたみぞ返りごと、
〈通ふべき道にもあらぬ八橋をふみみてきともなにたのむらん〉
と書き手して書いたり。また、
〈何かその通はん道のかたからんふみはじめたる跡をたのめば〉
又、返りごと、
〈尋ぬともかひやなからん大空の雲路は通ふあとはかもあらじ〉
負けじと思ひ顔なめれば、又、
〈大空もくものかけはしなくはこそ通ふはかなき嘆きをもせめ〉
かへし、
〈ふみみれど雲のかけはしあやふしと思ひ知らずもたのむなるかな〉
又やる、
〈なほをらん心たのもし葦鶴の雲路おりくる翼やはなき〉
こたみは『暗し』とてやみぬ。

◆◆さて、助に、「このように独り身では」などと世話をやく人がいて、助が求婚する女(ひと)ができました。八橋のあたりに住んでいる女であったかしら。はじめに、
(道綱の歌)「葛城山の一言主(ひとことぬし)の神の霊験が確かなら、私の一言にうちとけて心を開いてほしい」
返事は、このときはなかったようでした。

(道綱の歌)「八橋を通って行ったのですから、手紙を差しあげて安心していたのですが、一体お返事はどこへ行ってしまったのでしょう。手紙を見てくださったことと、頼りにしていましたのに。」

今度は返事がきました。
(八橋の歌)「八橋の道は一度踏んでみたからといってとても通うことはできません。手紙を送り通いたいと期待されても、お受けしませんのに、一度手紙を見たからといって、何を頼みにされるのでしょう」

と、達筆の侍女に書かせてありました。また助から、
(道綱の歌)「どうして通えぬことがありましょう。踏み始めた道の足跡、すなわちお手紙を差し上げはじめて今後に期待をかけているのですから、これから通う道はむずかしくないでしょう。」

また、返事には、
(八橋の歌)「お尋ねくださっても何の甲斐もないでしょう。私の方への道は蜘蛛手ではなく、大空の雲路ですから、踏み通う跡も残ってはいないでしょうから」

負けまいと思っている様子が見えるので、助は、また、
(道綱の歌)「大空にも雲の梯(かけはし)があるのですから、通うことができますよ」

返事に、
(八橋の歌)「足をかけても雲の梯はあやういものだということがお分かりにならず、あてになさっていらっしゃるようですこと」

また、手紙をやります。
(道綱の歌)「何と言われても、雲の梯にとどまっていましょう。いざとなれば、降りるための翼があるのですから。いつかはきっとお逢いできるとあてにしております」

今度は「暗くなったから」ということで返事がありませんでした。


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