プミポン国王死去

2016-10-15 05:44:06 | 日記
タイのプミポン国王が亡くなりました。

人気がすごく・昏睡状態になってからはタイのバーツの価値も下がるほど影響がありました。





13日死去したタイのプミポン国王は、70年もの長期にわたった在位中

強い指導力で国家の危機を乗り越えてきた。

~在位70年~

国民生活向上に貢献する施策も打ち出し

カリスマ的人気を集める国民統合の象徴として、絶対的権威を確立した。

1927年12月、父マヒドン親王の留学先だった米マサチューセッツ州で生まれた。

スイス・ローザンヌ大学在学中の46年6月、兄王ラマ8世の急死に伴い

18歳でチャクリ王朝第9代国王に即位した。

しかし、当時の王室は32年の立憲革命で絶対王制から立憲君主制に移行して以来

威信が大きく揺らいでいた。


スイスでの勉学を終えて51年末に帰国して以降、精力的に地方視察を繰り返し

ほぼ全国を踏破。一般市民と直接触れ合い

「開かれた王室」を実践した。

「王室プロジェクト」と銘打った社会開発事業で農村開発に取り組み

かんがいや洪水対策、教育、医療支援活動など3000を超える事業が実施された

首からカメラをぶら下げ、地図を手に農村を調査する姿は

「慈父」としてのイメージを国民の間に広く浸透させた。

王室の威信回復の背景には

国王の権威を利用して自らの権力の正当化を狙った当時の独裁政権の思惑や

インドシナに第2次大戦後広がった共産主義に対抗する意味合いもあった。


タノム軍事政権の崩壊につながった73年10月の学生決起で

初めて政治の表舞台に登場。学生側を支持して自らの側近を首相に任命するなど、事態収拾に尽力した。


92年5月、民主化を求める反政府デモ隊と軍・警察の衝突で多数の死傷者が出た際にも

調停に乗り出した。

王宮に呼ばれた当時のスチンダ首相とデモ隊指導者が国王の前でひざまずく映像が世界中に報道され

国王の権威を鮮烈に印象付けた。


タイの民主化に一定の貢献を果たす一方

その役割には限界もあった

多数の反体制派学生が警官隊と右派勢力に虐殺された事件を契機とした76年のクーデターや

タクシン政権を打倒した2006年のクーデターなどでは

最終的に軍部の実権掌握にお墨付きを与える形になった。



近年は健康状態の悪化に伴って

公の場で発言する機会がめっきり減少

13年秋に始まった反タクシン派による反政府デモに端を発した政治混乱には介入せず

翌14年5月のクーデターに帰結した。

写真撮影やジャズ演奏など多趣味で知られた

日本製のカメラや乗用車を愛用する親日家でもあった。

シリキット王妃(84)との間に1男3女。 



日本でいう天皇似た感じですね。

タイも国際的に大きな立場になってます。

国王の死がタイの混乱にならなければいいんですが・・・・・・

納得できる引き継ぎが重要ですね。

タイは王国だったんですね。
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