塔頭巡りは続くよどこまでも。
所在地:京都府京都市東山区泉涌寺山内町35
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:飛鳥時代
開基:聖徳太子
札所:泉涌寺七福神巡り
【歴史】
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として
造られたのが悲田院の始まりといわれる。
延慶元年(1308)無人和尚がこれを一条安居院に再興し四宗兼学の寺とした。
後花園天皇はこの寺を勅願寺とされ、崩御の時には当寺で御葬儀や荼毘が行なわれた。
これより当寺住職は代々天皇の綸旨を賜わり紫衣参内が許された。
正保3年(1646)、高槻城主・永井直清が現在地に移建し、
如周和尚を迎えて住持としたのが現在の悲田院である。
その後、明治18年(1885)塔頭寿命院と合併再興され現在に至る。
【山門】
【弘法大師像】
【毘沙門堂】
全く堂内が見れません。
残念なことである。
【阿弥陀如来】
画像はHPより拝借したものですが、
本堂内には快慶作の阿弥陀如来が祀られているそうです。
【風景】
【果物】
【御朱印】
所在地:京都府京都市東山区泉涌寺山内町35
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:飛鳥時代
開基:聖徳太子
札所:泉涌寺七福神巡り
【歴史】
聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として
造られたのが悲田院の始まりといわれる。
延慶元年(1308)無人和尚がこれを一条安居院に再興し四宗兼学の寺とした。
後花園天皇はこの寺を勅願寺とされ、崩御の時には当寺で御葬儀や荼毘が行なわれた。
これより当寺住職は代々天皇の綸旨を賜わり紫衣参内が許された。
正保3年(1646)、高槻城主・永井直清が現在地に移建し、
如周和尚を迎えて住持としたのが現在の悲田院である。
その後、明治18年(1885)塔頭寿命院と合併再興され現在に至る。
【山門】
【弘法大師像】
【毘沙門堂】
全く堂内が見れません。
残念なことである。
【阿弥陀如来】
画像はHPより拝借したものですが、
本堂内には快慶作の阿弥陀如来が祀られているそうです。
【風景】
【果物】
【御朱印】
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