はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

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湾岸戦争におけるニューウェーブの役割~荻原裕幸「日本空爆 1991」を題材として (2)

2012年09月21日 19時47分44秒 | インターミッション(論文等)

   2.短歌が捉えた湾岸戦争


1990年、91年は、短歌における「ニューウェーブ」運動の最盛期としてよい。
もう少し具体的に言えば、その数年前から半ば自然発生的に展開していた「ライトヴァース」を、意図的に先鋭化、多義化したのが、この時期である。
ニューウェーブとは何か、について論ずると方向を見失う可能性があるので、
「ライトバースの影響を色濃く受けつつ、口語・固有名詞・オノマトペ・記号などの修辞をさらに先鋭化した一群の作品に対する総称」(『岩波現代短歌辞典』)
という定義に従って、とりあえず話を進める。

無論、この時期、短歌界がニューウェーブによって染め尽くされたわけでは無い
しかし、現在(2012年)の立場から見れば、その運動自体は収束しても、方法論はしっかりと短歌界に根付き、その土壌自体を大きく塗り替えた。
「短歌は滅びた」と岡井隆に言わせるほど、その浸透は大きかったと見るべきだろう。
だが、視野をもう少し広げてみれば、これは文学史、日本史、世界史レベルで起こった変革の、ほんの一端であり、「ニューウェーブ運動」と呼ばれるものがことさら起こらなくとも、短歌が現在ある姿になることは、すでに決定づけられていたのかも知れない。
言い方を変えれば、ニューウェーブ運動自体が、歴史に要請された自然発生的なものだったのだろう。

時代の変革が産み落とした、鬼子としての湾岸戦争。
同じく、時代の流れによって生まれた、ニューウェーブ運動。
先に筆者は「偶然によってこの二つは重なった」と書いた。
しかし、両者の発生時期が重なっているのは、別段何の不思議も無く、(グローバルとミニマムの差はあっても)同じ親から生まれた兄弟のようなものなのかも知れない。

ところで、ニューウェーブのみならず、短歌界いや文学界にも多大な影響を及ぼしたはずの湾岸戦争だが、当時の文献を調べてみると、意外にそれに関する評論が少ない。
たとえば現代詩で言えば、藤井貞和の『湾岸戦争論―詩と現代―』(河出書房新社)が比較的有名だが、短歌に限ってみると、まとまった論文も、座談会などの研究も発表されていない。
東北大震災における、活発な論議を目の当たりにしている現在から見れば、ちょっと拍子抜けするほどだ。
それでもコラムや時事評などから拾い上げてみると、
「テレビや報道などを鵜呑みにして作られた歌が多い」「対岸の火事として歌ってはいけない」「時事を扱うときは慎重にならなければならない」
等、今回の震災でも方々で言われた意見が目に付く。

歌われた作品を見ても、ちょっと驚くほど、話題になった作品が少ない。
二、三上げてみると、まず、一番早く目に付くのが、黒木三千代の「クウェート」(『歌壇』1990年11月号)

  侵攻はレイプに似つつ八月の涸(ワ)谷(ジ)越えてきし砂にまみるる

  生みし者殺さるるとも限りなく産み落とすべく熱し産道(ヴァギナ)は

  ペルシャ湾までやはらかな雲充つる最終の日のための、絵日傘

戦争勃発前の、クウェート侵攻を歌ったものだから、これは早い。
続いて、近藤芳美の「大地」(『短歌』1991年1月号)

  掌に掬うほどの温もりを平和とし愚かに日常のかぎりもあらず

  イスラムの世界を知らずかの神も誇りたかき怒りも大地の飢えも

  分割され分割され国土あり埋蔵油田ありなべて砂漠のひかりのくるめき

戦争勃発前の混乱時期に歌われたものだろう。
また、高野公彦「バグダッドの雀」(『短歌』1991年4月号)
これは、おそらく戦争中か集結間際。

  砲弾の焦がして火定三昧の跡のごときを人々囲む

  バグダッドに雀はゐるか雀居らば爆撃に破裂したるもあらむ

  女欲し戦恐ろし男とは思ふことみな羞しき一生

もちろん、この他にも様々な歌人が様々な手法で(例えば、日常詠の中に紛れ込ませたり)歌っているが、正直に言って、首を傾げるものが多い。
歌人はまず詩、作品であることを目指すため、あまり慣れない題材を扱うと、ぎくしゃくしてしまうのかもしれない。
むしろ、歌人に寄らない新聞等の投稿作品の中に、当時の情景を写す歌を見る。
 1991年の『朝日歌壇』から。

  戦争ははじまったかと行商の荷をほどきつつ媼たづぬる   松井 史

  受験など戦争ではない勉強する私たちなど戦士ではない   友岡佐紀

  命乞う捕虜が軍靴にキスをするおのれのために妻子のために   家弓寿美子

  「掃海艇に乗らなかったわけを聞いてくれ」何度も話す酒に酔いつつ   深津豊子

今回の震災を受けて、現在も「報道のみを題材に歌う事の是非」について論議が盛んだ。
だが、報道でしか情報を得るすべのない一般市民において、それを「非」とされることは、「歌うな」と言われるに等しい。
地球の裏側が戦場、誰も兵として赴かず、なのに情報だけは(おそらく偏って)ふんだん過ぎるほどに入ってくる。
そんな高度情報化社会に突入したばかりの時代。一つの時事に対してどのような態度を取るべきか。リトマス試験紙の一つとして、湾岸戦争は作用したのではなかったか。
投稿歌を読むと、生な歌い方がされている分、そんな一人ひとりの苦悩が伝わってくる。

考えてみれば、日本史的な流れで見ても、湾岸戦争は決して対岸の火事などではなかった。
国際連合加盟国の中でもトップの供出金を出しながら、軍隊を派遣しなかったことにより国際的非難を浴びた。
戦争終結後、掃海艇部隊を派遣したことにより、国内で議論が沸いた。
「世界の中の日本」が流行語になり、今まで金だけ出せば解決できると信じていた、高度経済成長期の神話が崩された。
言い方を変えれば、第二次大戦後(もう少し近く言えばベトナム戦争後)、初めて訪れた国家的規模の時事が、湾岸戦争だった。
それまで個人の叙情を歌うことに重きを置き、その技術を磨いてきた短歌にとって、「現代の戦争」という時事は、大きすぎ、生々しすぎる物だったのかも知れない。
そう考えれば、当時の時評・作品等に見られる、どことなく戸惑いを含んだ、腰の引け具合も納得できる。
この後、日本は様々な戦争、震災、事件を連続的に経験し、経済的な冷え込みが常態となり、時事に向き合わざるを得なくなっていく。
その、向き合った《現在的》時事の最初が、湾岸戦争であった、と筆者は考える。

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