このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

「リョカン」の魔術

2017年06月03日 | 日本

今日はフランスの作家で、シャルル・ド・ゴール研究所初代理事長でもあったオリヴィエ・ジェルマントマが日本を訪れたときの「リョカン(旅館)」についての感想を著書よりご紹介します。

 

ジェルマントマは、世界に比類なき精神文化と幸福な平等社会を作り上げてきた日本を愛した一人です。

世界の模範となり得べき日本であれと日本人を鼓舞し、めざめよと𠮟咤激励した人でもあります。

 

―――――――

五、六日まえのこと、この国の木々と大地との絆を深めたいとの思いから、私は、比叡山につらなる山波をひとり歩いておりました。そこで驟雨(しゅうう:にわか雨)に見舞われたのです。東の方向へと、私は一散に駆け下っていきました。

 

横道があって、そこにはいります。霧を透かして何軒かの家々が見え、その一軒は旅館でした。私はそこの庇を借り、思いがけない温かいもてなしを受けたのです。

 

まず、幾重ねものタオルと、乾いた衣服まで、どうぞと供されました。食事を所望しますと、小さな和室に招じ入られました。鶴が羽を伸ばした図の掛け軸が掛かっています。外は、障子ごしに木枝の揺れるのが見え、それが鶴のゆるやかな動きと呼応しているかに思われるのでした。そこへ豪勢な膳が運ばれてきて、その場の甘美な夢想から私を引き戻しました。

 

見れば、中央に、一匹の焼き魚が、小舟の姿に似せてぴんと反りを打たせ、周囲に漆器の小鉢が点々と配されています。その一つ一つに、野菜、根菜、山菜のたぐいが盛られ、まるでブーケのよう。一個の割竹の上に根菜の酢の物がしつらえられ、これは、味わってみると、甘草のごとき趣です。

 

黒塗りの椀は、蓋を除けると、澄まし汁。なかには、何か葉片と、加えて、是は何ぞ、空より墜ちたる星一個。また別の蓋物には、白飯。最後に添えられた林檎は、何の変哲もない代物が、ここでは皮をむき、刻まれて、花咲ける姿と化して呈されているのです・・・・・。

 

なんだ、つまらない、と皆さんはお考えかもしれません。

これほどの調和も、あなたがたにとっては文字どおり日常茶飯事でありましょうから、西洋人にとっては日常生活のなかにかくも素朴にして強力な美を見いだすことが、いかに深い悦びであるか、それをお伝えできないもどかしさに私は苦しむのです。

 

死の不安も孤独の恐れも、巧みに配された色彩と形態を前にしては、ただ、霞のごとく消えていくのみ。殊にも、あなたがたは、あるいは黒一色をもって、あるいは一本の線描と曲線の間の、素朴きわまりない調和をもって、神秘なるものの調整の術を心得ているのですから、何をか言わんやであります。

 

我々は、このような、心を鎮めるためのフォルムとの戯れを知りません。西洋芸術は効果を求め、日本芸術のごとく、観想をうながす創造形式なるものを、これほどまでに深く掘りさげることは一度たりともありませんでした。

 

過去何百年というもの、あなたがたは、生活の必要性と結びついた美を生きてこられました。我々が壁を押し建てたところに、あなたがたは動く間仕切りを作ったのです。

 

もう一度申しましょう。いったいいかなる弱みから、あなたがたは、西洋のなかでも面白からざるものを模倣しようとするのか、訳が分かりません。宿のお内儀は、食膳に、色とりどりの美を盛りつけただけではありませんでした。加えて、渓流の魚を、野生の草々を調理することで、深山の霊気をも客人にふるまったのであります。

 

ギリシャは我々西洋人に「イデア」の嗜好を与え、これを、西洋の古典主義時代が、我々の世界観のうちに抜き差しならず深く彫りこんだのです。私は、貴国の最特殊的なるものを愛すると同時に、皆さんに宛てて筆を走らせながら自分自身でありたいと願っています。

 

私が前に話した日本の秘宝の一つについて、もう少し話を続けましょう。それあればこそ、私は日本人を信じ、日本の未来を信ずるのですから。

 

何かと申せば、あなたがたは美を絶対に日常生活から切り離さなかったという、この一事です。日本の伝統において、美は、生誕と死、霧と光、四季、喫飯、まどろみ・・・・・等々、そのどれからも置き去られることはありませんでした。

 

簡潔をきわめたオブジェをもって、あなたがたは生の一瞬一瞬との和合をつくりあげました。床の間の生け花、一片の刺身を引き立てる菊花、つややかな急須、夜のなかにつらなる石灯籠、神社正殿に真向って張られた「シメナワ」・・・。

 

こうした物たちは、皆さんにとっては馴染になりすぎて、どんなにそれが優雅であるか、もはや念頭にないほどでありましょう。問題は、ただ、万一それらの必要性まで分からなくなってしまったら、それこそ悲劇であろうという、このことなのです。

 

皆さんは想像できましょうか。一人のフランス人が、ほのかな藁の香の立ちのぼる畳の上で、最初の夜を過ごすときの、歓びを。たとえ読めなかろうと、一幅の書のまえにたたずむときの、あるいはまた、障子ごしに、庭の疎水の岩間をつたうせせらぎを聞いたときの、歓びを。

 

それは宇宙なのです!この最初の歓びは、私にとっては遠いものとなりました。しかし、それはあまりにも強烈だったので、八月にあとから合流する予定の自分の二人の子供と、甥とに、経験させてやりたいと願っています。

 

予備知識をあたえずに。「リョカン」(旅館)」の魔術なるものを。第一夜からして味わわせたい。一生涯、彼らはその美を大事に保ちつづけるであろうこと、確実です。

 

―――――――

 

美の魔力とは何か。美は美術館にあらず。

美は、人とともに生き、人を変えるためにこそあるのだと、ジェルマントマは言うのです。

 

日本の美は私たちの意識しないなかに、混然一体として厳然と息づいているのです。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仕事で「もう、潰れる」と思... | トップ | 高度な土木技術が発揮された... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事