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「色即是空 空即是色」は何を意味しているのか?

2016-10-29 | 人生

「色即是空 空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)」は、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」に出てくる有名な言葉です。

 

「般若心経」ほど、一般によく知られよく唱えられる経典はありません。このお経は、ご葬儀やご法事に、護摩祈願やご祈祷に、巡礼やお遍路の際にも、よく唱えられています。

 

「般若心経」とは、全部で260文字強からなる、短くも奥の深い経文です。
般若心経を正式な名称にすると、『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』となる。

 

ここで言う「心」とはすなわち「芯」であり、大般若経の中心的な存在であるという意味です。

大般若経とは大乗仏教の中心となる般若経の経典類の総称で、600もの経典からなっている。

こうした大般若経の真髄を凝縮したものが、「般若心経」なのです。

 

そこで、般若心経の元となる、『大般若経=大般若波羅蜜多経』の語義について説明します。

般若とは、パーリ語(「仏教経典」で使われる言語)の『パーニャ』という言葉の音訳です。パーニャとは、日本語で表現すると、「真の智慧」といったものです。パーニャは、仏教世界観独特の「真理」を表します。

 

昔のお坊さんたちは、「この部分は大切な箇所なので、語義をきちんと調べて、理解してください」という意味を込めて、音訳のままにしたのです。

 

実は、「般若心経」はお釈迦さまが直接、書かれたものではなくて、お釈迦さまが説いたことを、弟子たちが思い出して書いたものです。一般的に、お経というのは、そのようにお釈迦さまが説かれたという形式になっています。

 

「般若心経」は、お釈迦さまが、「空」と「般若波羅蜜多」について説くにあたり、まず観音様の救済の行を例にあげます。そして、それは実はこういうことなのだよ、と弟子の「舎利子(サーリ)」に説明するという状況をまとめられたものです。

 

さて、この「舎利子」すなわち「舎利弗(しゃりほつ)」ですが、お釈迦さま在世中の十大弟子の一人で、サーリプッタの事です。舎利子は智慧第一といわれた、もっともすぐれた仏弟子であったと伝えられています。舎利子は、一番弟子の中の一番弟子なのです。従って、経典の大事な部分には必ず舎利子が出てきます。

 

話しは横にそれましたが、まとめとして、「般若心経」の般若とはパーニャの音訳で、近い日本語で表すと「真の智慧」という意味です。

 

「波羅蜜多」とはサンスクリット語の「パーラミター」またはパーリ語の「パーラミー」の音訳で、日本語では「彼岸(ひがん)に至る」という意味になります。

 

仏教では、生きている人間たちが暮らす世界は此岸(しがん)と呼ばれ、仏や菩薩の暮らす理想世界は彼岸(ひがん)と呼ばれます。

 

そのため、「パーラミター」と言う言葉には、「苦しみに満ちた此岸から、理想世界である彼岸へ辿りつく」という意味があり、同時に、「完全なもの」「最高なもの」という意味もあるのです。

 

「般若心経」の「心」とは前述した通り、「芯」であり、大般若経の中心的な存在であるという意味です。

 

「経」とは、原語のスートラという言葉を訳したもので、聖者や聖人の教えのことを経と呼び、仏教経典では主に、「釈迦の教え」ということになります。

 

お釈迦さまが仏教をつくられてから、800年を経ても「般若経」の空の哲学は扱いが難しく、実用レベルで落とし込めていなかったのです。それほどに、説く者の悟りや知識や技量によって、大きく解釈が左右されてきたわけです。

 

その後、龍樹(ナーガリュジュナ)というインドの学者が、著書「中論」において、縁起という概念で空を説明したのです。その数百年後に、長大な般若経を要約した、「般若心経」が作られたと言われています。

 

その内容は、「色即是空 空即是色」とは、この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空であるということ。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということでした。(「故事ことわざ辞典」より引用) 

 

失礼ながら、この説明では私は少し分かりにくいと感じました。 

また、別の説明では、

「色即是空」とは、「色」は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象を意味し、「空」は、固定した実体がなく空虚であるという意味。空即是色と対をなす。「色即是空」の区切りは「色、即是、空」とされる。(by  Wikipedia )。

 

私の知識、悟りの低さでしょうか、この説明でも私はよく理解できません。 

この世のすべてのものは、永劫不変の実体ではないとする仏教の教義だとおっしゃるのですが、

「色」と「空」の関係性が理解できないのです。

 

一方、平易に説かれた内容ものもあります。

『空即是色』は、『実体の無いものが、縁によって今私達の目に見えている存在となっている』とも言い、『空即是色』は、私の命も縁によって今存在する事に気付き、他の生命体も縁によって命を与えられている事を知って、地球上に与えられた命を大切にしましょうと言う仏教の基本的な考えである、と説明されているものもあります。

もう少し平易に書かれたものもあります。

「空」というのは、空っぽとか、何もないという意味ではありません。形あるものは、必ず無くなってしまうのですが、形があるものにはそれを作っている本質があります。その「本質」のことを、お釈迦様は「空」と呼びました。


この世のすべてのものは「空」でできています。「色」は「空」がさまざまな形になった表れの一つです。そして、すべての存在、現象、人の気持ちなど、すべては一瞬たりとも同じ状態にはなく、常に変化し続けています。


執着をせず、あるがままを受け入れる、「色即是空 空即是色」の言葉にはそんな意味が込められているのだという説もあるのです。

 

また、「空」は眼には見えない「原子」のことだという説もあります。そして、「般若心経」は、「真言を説いたお経」だという説もあるのです。今でも、いろいろと諸説があるのです。

 

さて、皆さんは「「色即是空 空即是色」の言葉を、どのように理解されたでしょうか?

仏から永遠のテーマとして、人間に与えられた悟りなのでしょうか。

 

私は稚拙ながら、一つの理解ができました。

私のブログ「アインシュタインの特殊相対性理論 『E=mc2』の法則は美しい」で述べさせていただきましたが、「色即是空 空即是色」を理解するために、一つ次元を落として考えれば、分かりやすいのではないかと思ったのです。

 

すなわち、私たちが住んでいる3次元世界を、2次元世界と考えて考察すれば、理解しやすいのではないかと言うことです。

 

街の映画館を考えてみましょう。スクリーンがあります。映写機があり、フィルムがあります。

スクリーンに映った映像は映画の主人公ですが、それは「色」で出来上がっています。そこには色はありますが、実体はないのです。それを「空」と呼びます。

 

「色」=「空」です。「色即是空」です。

スクリーンは「空」ですが、映写機で投影されれば、「色」が浮かび上がってきます。

「空」=「色」です。「空即是色」です。

「色」は2次元では映像であり、3次元では物体なのだと思うのです。

「空」は2次元ではスクリーン(平面)であり、3次元では空間だと思うのです。

 

 

お釈迦さまが一つ言いたかったことは、このスクリーンに写されている人物や物は、実は実体がないと説かれたのではないでしょうか。

 

実体があるのはこの場合、フィルムであり、映写機なのです。

フィルムは私たちの「心」です。心のままに映像は写されることになります。その色合いは無限です。十人十色よりももっと無数の色合いがこの世界をつくっているのです。

 

そして、映写機の光源が仏のエネルギーです。この仏のエネルギーが大元にあって、私たちも含め森羅万象が成り立っているのです。この世は、仏のエネルギーで成り立っているのです。

 

これを言い表した言葉に、「仏の掌を閉じれば、宇宙は暗黒となる。この掌を開けば、宇宙は無限の明るさのなかにある」と説かれているのです。これが偉大なる宇宙の秘密なのです。

 

「色即是空 空即是色」とは、仏のエネルギーによって世界は出来上がっている、一人ひとりの心がこの世界に投影されているのです、とおっしゃりたかったのではないかと私は感じたのです。

 

光には七色が含まれている。

仏のエネルギーには善きパワーが含まれているのです。

 

仏のエネルギーは、叡智を含んでいる、光を含んでいる、愛を含んでいる、慈悲に満ちている、建設的な念いで満ちている、美しい調和に満ちている。

すべて善きものと思われるものを総合した力、それが仏のエネルギーなのです。

 

---owari---

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