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家庭愛

2017-08-13 | 人生

結婚の段階において、過去が満点である相手はいないのです。

したがって、結婚生活に乗り出した以上、結婚という舟に乗って人生の門出を果たした以上、たとえ旅の途中で嵐が来ようとも、雨が降ろうとも、風が吹こうとも、波が高かろうとも、相手の過去をあげつらってはなりません。「私は、百点満点の相手と結婚しなかったから、いま、こんなに不幸なのだ」と考えてはなりません。それは決して言ってはならないことです。

 

そうではなく、「結婚したその日から、未来をかたちづくるために、自分がどれほど努力をしたか」ということをこそ問わなければなりません

 

結婚のほんとうの素晴らしさは、相手に自分の欠点を補ってもらうと共に、相手の欠点を自分が補い、共に長所を見つけ合い、その長所をほめ、伸ばしていくところにあります。

 

ところが、夫婦生活が破綻する過程においては、たいてい、この逆のことが行われます。「あばたもえくぼ」という言葉どおりだった。結婚当初の有頂天の情熱が冷めていくにつれ、しだいに相手の欠点をあげつらうようになり、「こんな嫌な欠点がある人とは思わなかった」などと、お互いに言うようになります。

 

夫がそれを言えば、妻も応酬します。その妻の姿を見て、さらに、「また新たな欠点を発見した」と言って、夫は妻を責めます。こうして家庭が悪くなっていくのです。

 

そこで、「結婚愛から家庭愛へ」という順序が大事だと私は思います。

家庭愛は、結婚愛とは違ったところがあります。

結婚愛は、情熱によって互いを結びつけ合う力です。異質な二人を、離れていた二人を、一つに結びつける力です。「二人を一つに結びつける」という方向において、結婚愛は強い力を働かせます。

 

しかし、結びついた二人は、毎日の生活のなかで息苦しさを感じ、また、身近であるがゆえに、相手の欠点がよく分かるようになってきます。両親でさえ分からなかった欠点までが分かってくるようになるのです。

 

そういう段階に至った夫婦は、どうか考えを改めていただきたいのです。

結婚愛は結びつけるための情熱でしたが、家庭愛はそうではありません。家庭愛は、持続していく情熱、持続のための情熱です。結婚は、持続していくなかにこそ真実のものがあるのです。

 

アコヤ貝は、外から砂や小石など異物が入ってくると苦しみます。しかし、やがて、その異物をみずからの粘液によってくるみ、固め、見事な真珠にしていきます。

 

真珠は、外からは何の欠けるところもないように見えます。何らの欠点もないように見えます。それが真珠の特徴です。しかし、その見事な真珠ができるには、「砂や小石が入ってアコヤ貝が苦しんだ」という事実があるのです。

 

夫婦とは、アコヤ貝のようなものかもしれません。アコヤ貝は二枚の貝殻からできています。夫婦は二枚の貝殻で一つの貝をつくっており、そのなかで、真珠のように見事なものをつくり出そうとしているのではないでしょうか。

 

それでは、持続によって生み出される美徳とは何でしょうか。なぜ、持続をしていくことに、価値、値打ちがあるのでしょうか。

 

それは、真珠のたとえを例に取って考えると、よく分かるでしょう。入ってきた異物を単に吐き出すことをもって、よしとするならば、あるいは、砂や小石が入ってきたために二枚の貝殻が互いに離反して口を開いたならば、決して真珠はできません。

 

異物は、異質なるものは、より素晴らしいものを育んでいくために利用していかなくてはならないのです。

 

---owari---

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1 コメント

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夢中Ing (グミちゃん)
2017-08-16 23:52:00
ひょんなきっかけです。今夢中で読んでおります。

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