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愛の法則

2017-07-27 | 人生

この地上には、「自由」という考え、自由主義が蔓延しています。そして、「自由の勝利」と「平等の敗北」が叫ばれています。

しかし、ほんとうの平等とは、「仏は人間を平等に愛している」という意味においての平等です。

 

それは、「この地上において多くを持たない者が、他の人に愛の思いを抱いたときに仏より与えられる光のほうが、すでに多くのものを与えられている者が、他の人に愛を与えんとするときに仏より与えられる光よりも多い」ということです。貧しき者が、その心富みたるときに、光は、その人のうちに満ちるのです。

 

そうです。仏の光は、その降り注ぐ量において、分け隔てがありません。いや、むしろ、この世的に恵まれていない人であればあるほど、清く聖なる思いを抱いたときに流れ入ってくる仏の愛の量は、増えると言ってよいのです。

 

「もはや、この世では平等を基礎とした社会はつくりにくい」と思っている人もいるでしょう。しかし、私がいま述べた言葉をよくよく思い返していただきたいのです。

 

別の説明をすれば、「仏の愛は法則の下に平等である」という言い方もできるでしょう。

 

この地上に人間として生まれた人は、誰もが一定の法則の下にあります。その法則は「仏法真理」と呼ばれています。仏法真理とは、仏の創ったルールのことです。そのルールは明確です。

 

その一つは、「仏は、自分と似た性質を発揮しようとしている人間には、自分の光のエネルギーを惜しみなく与える」というものです。すなわち、人間が自分を仏に近い存在へと変身させていこうとするときには、その人の固有の力を超えた偉大なる他力が降り注ぐことになっているのです。

 

仏の持つ素晴らしい側面を、日ごろから自分の心の指針として生きている人を見ると、笑顔に溢れ、慈愛に溢れて、まばゆいばかりであり、ときに、まぶしい光さえ出ているように思えるはずです。目がくらむばかりのまぶしさに見えることさえあるでしょう。それが仏の光を受けている人の特徴なのです。

 

「みずからの心のうちに、まだ『充分に愛された』という気持ちがないのに、他の人々を愛したならば、その分だけ、心のなかの“お小遣い”が減っていくのではないか」と感じる人もいるでしょう。ところが、与えれば与えるほどに増えていくのが「心の富」なのです。

 

たとえば、「他の人々に優しい行為をもって接しようとしている人は、疲れることがない」と言えるでしょう。「常に他の人々への愛のために生きている人は、疲れることがなく、自分のために生きている人は、常に疲れのなかにある」と言ってもよいでしょう。

 

もし、「仕事をしていて、常に疲れてどうしようもない」というならば、それは、おそらく、その仕事を他の人々への愛ゆえに遂行してはいないからではないでしょうか。

 

他の人々への愛を込めた仕事は、決して疲れないものなのです。なぜならば、愛をもってなされた仕事には、二つの見返りがあるからです。一つは、愛を受けた人から、喜びの思い、感謝の思いが返ってくることです。もう一つは、仏から「おまえを愛しているよ」という愛の光が降りてくることです。そのため、「一つの行為が二つになって返ってくる」と言ってもよいでしょう。

 

この「疲れない」ということで、ある有名な脳神経外科医である福島孝徳先生を思い出しました。

世界を飛び回り、手術困難と判断された数々の患者を救って来られた先生は御年74歳で、今も世界各地で手術をされていますが、先生は1日も休まないと言っておられました。それでも疲れないのです。多分、患者さんから感謝され、喜ばれることでパワーをいただいているのだと感じました。

 

「一つを与えると二つに増える。二つを与えると四つに増える。三つを与えると六つに増える。十を与えると二十に増える」、これが仏の世界の法則なのです。

 

「他の人々を幸福にしよう」と思う人が、一人の人を幸福にする行為をなすと、それは、二人の人を幸福にしたのと同じだけの結果となります。このように、仏の思いに則った行動は、すべて、一つのものが二つに数えられるようになるのです。

 

この逆もあります。他の人々から奪う思いで生きている人の場合です。

「ある人の幸福を壊してしまいたい」という衝動に駆られる人がいますが、他人から一つの幸福を奪えば、その幸福は、奪った人のもとに来るでしょうか。そんなことはありません。幸福を奪われた人も不幸になりますが、その幸福を奪い取った人間もまた不幸になるのです。

 

なぜなら、仏の心に反した行為をした場合、その人は霊的には犯罪を犯したのと同じだからです。すなわち、みずからを利したつもりで、実は損をしているのです。魂の観点から言えば、「プラスではなくマイナスをつくってしまった」ということなのです。

 

このように、奪う心と奪う行いは、「一つを奪えば二つを失う」ということになるのです。

「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。「他人のために墓穴を一つ掘ったはずなのに、その横には、いつの間にか自分自身の墓穴も並んでいた」ということです。

 

なぜ、この世に不幸がはびこっているように見えるかが、お分かりになったでしょうか。それは、そういう事情からだったのです。

 

「奪おうとする人間が一人いれば、二人の人が不幸になる。奪おうとする人間が二人いれば、四人の人が不幸になる。奪おうとする人間が一万人いれば、二万人の人が不幸になる。奪おうとする人間が五千万人いれば、一億人の人が不幸になる」、この方程式がお分かりになったでしょうか。

 

--owari---

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