生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

清少納言は面白い

2017-01-19 03:08:40 | 日々の暮らし
穏やかな夜中に枕草子(杉本苑子訳)を読んでクスクス笑っています。


例えば、「第25段世の中には憎らしいものが(にくきもの)」

世の中には憎らしいものがたくさんある。

まず、急用があるとき、ふらりとやってきて、長っ尻するお客。

これには閉口する。
軽くあしらってよい相手なら、
「いま忙しいの。あとで出直してきてよ」と追い出すこともできるが、気のおける客ではそうもいかない。
 
いらいらをこらえながら応対するのは、不愉快なものである。

硯(すずり)の中に髪の毛が入っているのを、うっかり知らずに墨をすってしまうのはいやなものだし、墨の中に石が入っていて、キシキシきしむのも気持ちの良いものではない。

急病人ができたので修験者を呼びにやらせたのに、

家にいないというのは不届きな話だ。

やっとやってきたので喜んで祈祷を始めさせると、掛け持ちで走り回ったあとなのか、

疲れきったように座るとすぐさまに眠たげな声になり肝心の読経がいい加減になる。

これもじつに憎らしい。


また、取り柄のない平凡な人間が、にこにこ顔でのさばり出て、さかんにしゃべり散らすのも笑止せんばんである。

火桶や囲炉裏に手をかざし、打ち返し打ち返しあぶったりしわをのばしたりする者も見苦しい。

酔っぱらいもいやなものだ。

泥酔しだすと苦しがって、げえげえ始める者もあるし、もっと飲め、さあ飲めと人に強(し)いる。

酔っぱらいというものはつくづく気に入らない。

他人のことをやたらうらやみ、自分の身の上を嘆き、人の悪口を言い、ちらっと口にしたことにたちまち好奇心を起こして根掘り葉掘り聞きほじろうとする人間。


「もうそれ以上はぞんじませんよ」と断ると、
「けちんぼね。話してくれたっていいでしょ」と恨んだりそしったりするのだから、

これまた、やりきれない。

こんな感じでずっと続いている。

思わず耳が痛いと、苦笑いしてしまいました。

古代も変わらないと

思いませんか。

次回は朝帰りする男の帰り方を細かく観察して、

志の深さ、

風雅の度合いをいろいろ分析している。

帽子を深くかぶったり、あわてて帰ったり。


当時の男は彼女には頭が上がらない。

女性には痛快だったのかも。

朝になりそうだから
寝ないと。


今日の佳き日に


合掌
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