生きる力になれば

あらゆる宗教からの教えや古典からの言霊を紹介します。

私が先生になった時

2016-10-20 04:14:41 | 日々の暮らし
昨日は横浜市主催の口腔ケアの研修会に行って来ました。

50名の部屋が一杯でした。

勿論講演内容は大変勉強になりました。

始まる前に、後ろの席の話し声にひかれてしまいつい聞き耳たてていました。

「昨日の夜勤者の報告によると、また出たみたいよ」

「え!幽霊がまた」

「防火シャッターが少し開いていたので、変だなあ!と
のぞいたら、タバコを吸っている人がいた。

驚いて声あげたら、

シャッターが壁にピタッと閉まったそうだ」

「きゃ!怖い。
内の施設多いよね」

どこも、あるんだなあと聞いてしまいました。

病院とか老人施設はそう言う話がつきません。

死んだのを気づかない、死にたくない、まだ成仏できない人がいるのです。

成仏するよう合掌しましょう。


このような話の種がつきないことを、

四方山話(よもやまばなし)といいます。

よもやまとは
「四方八方(よもやも)」が変化したもので、
四方八方(しほうはっぽう)の山で見てきたこと、

聞いたこと、

「山盛りの話題」で

話に花が咲くという意味です。

特に久しぶりに会えば、四方山話は尽きません。

ところで、「話す」の語源は「放す」で、
言葉を放つことです。

おしゃべりが心を解き放すのです。

本当におしゃべりができる仲間がいることは大切ですね。

さて、本題にしましょう。
青森の方でいじめで亡くなったお嬢さんの写真が最優秀賞になったというニュースを観ました。

学校の先生にはいち早く気づいてもらいたいものです。

そこで、思い出した言葉があります。

宮沢賢治の作だと記憶していますが。

『私が先生になった時』

私が先生になったとき
自分が真実から目をそむけて
子どもたちに
本当のことが語れるのか

私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるのか

私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちに
いったいどんな夢を語れるのか

私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに
胸を張れと言えるのか

私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに
仲良くしろと
言えるのか

私が先生になったとき
ひとり手を汚さず
自分の腕を組んで
子どもたちに
ガンバレ、ガンバレと言えるのか

私が先生になったとき
自分の闘いから
目をそむけて
子どもたちに
勇気を出せと
言えるのか』


教師が自ら行っていないこと、
または行おうと努力もしないことを、

子どもたちにもとめることができようか。

子どもの教育に当たる者は、自らの生き方を正してかかれという厳しいメッセージです。

肝に銘じて欲しいものです。
尊い命を皆で大事にしましょう。

南無成仏

阿弥陀如来


合掌
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