
中国の映画作家ワン・ビン(王兵)監督の作品だ。
この映画は、中国辺境の砂漠地帯で撮られた。
でも、「中国映画」ではないのは何故か。
世界的にも鬼才の呼び声の高いワン・ビン監督が、これまで封印された実話にもとづいて、観る者を圧倒する映画美で、鮮やかにその謎を解き
明かした作品である。
人間が絶望のどん底にありながら、何とか人間らしさを保とうとする、命の尊厳を描く叙事詩だ。
この作品には、多くの無念と、決して消し去ることのできない歴史が、厳然として生きている・・・。
日本では、初めて劇場公開された作品である。
1960年10月、中国西部にある、中国共産党右派の収容所・・・。
風邪が轟々と鳴り、砂の舞う荒野である。
一本の樹も見えず、空は濃く青い。
男たちが歩いている。
男たちは粗末なテントに集められ、隊長のチャオ(リー・ジュンチー)が、彼らをそれぞれの壕に振り分けて行く。
彼らは、反革命の思想の持ち主だとして、労働によって思想を改造する「労働改造」を命じられ、“右派”とされた人たちであった。
農場とは名ばかりで、そこは収容所と呼ぶ方がふさわしかった。
壕は土肌が剥き出しの穴倉だ。
昼間でも中は暗く、だが、わずかな隙間から射し込む陽は眩しい。
彼らの労働は、広大な荒野を開墾することだが、痩せた大地を掘り越す作業は、不毛な苦役であった。
班のまとめ役であるチェン(リェン・レンジュン)が、所長のリュウ(ワン・ダーユアン)に呼ばれ、稼働状況を聞かれるが、三分の一は歩くことさえままならず、働くことができない。
仲間が、二人がかりで男を歩かせようとしても、男は歩くことができない。
男は死んでいるのだ。
だが、誰ひとり男の死を気に留めることもなく、作業を続ける。
配給の食事といえば、水のような粥だけである。
ある朝、きょうもまた誰かが死んだ。
いよいよ冬が始まり、零下20度にもなるこの砂漠では、夜を持ちこたえられない者も多い。
死体は布団にくるまれて、ロバに引かせた荷車にのせて、遠くへ運ばれ捨てられる。
食糧は、切迫し1日わずか250グラムに減らされた。
折しも、中国に、飢饉がやって来ていた。
荒れ果てた土地に生える雑草から、一粒でも草の種をとろうとする老人、ネズミを捕まえぐつぐつと煮て食べる男、生のトウモロコシにあたったのか吐く者がいれば、その吐瀉物の中の穀物を探して口に運ぶ者さえいる。
果ては、死んだ人間を墓から掘り起こして食べる。
飢餓は、極限に達していた・・・。
近代中国最大の傷跡である、文化大革命の嵐の前に起きた、知られざる「反右派闘争」の悲劇を描いている。
「反右派闘争」の対象者は百万人以上といわれ、中国西北部のゴビ砂漠にある収容所では、3000人もの人たちが、過酷な労働を強いられていたと伝えられる。
歴史に飲み込まれ、傷ついた人々の悲しみに慟哭し、怒り、そしてなお人間の尊厳を見つめた、驚くべき傑作である。
ワン・ビン監督は、2004年に脚本を書き始め、さらに3年間にわたって実際の生存者たちをリサーチし、封印されていた悲劇に真正面から挑んだ。
この作品には、当時の生存者の一人も出演している。
中国の歴史を語るのではなく、人間とは何であるかを見せる作品が、ここに誕生した。
ワン・ビン監督の映画「無言歌」に描かれたすべては、実際に収容所で起こった出来事で、この映画のために作り上げたり、加えたりしたものはない。
人里離れた、人知の届かない無人の砂漠地帯で、カメラは回された。
映画は、香港、フランス、ベルギーの共同制作で、中国政府の許可は得ていない。
この物語に、実際に生きた人々が参加したことも重要だし、いかに真実が映画の中に存在するかを問いかけていて、中国のタブーに敢然と挑戦したドキュメンタリーを観ているようだ。
圧巻は、夫が三日前に死んでしまったとようやく知らされ、上海から幾日もかけてやって来た女が、声もなく、やがてすすり泣き、号泣するまでの過程をカメラが一定の距離を保って見つめるシーンだ。
そこに、風の音が聞こえ始める。
かすかだった風は、一夜明けて、女が夫の墓に行きたいと言い出すあたりから、次第に激しくなる。
砂漠の中を、土饅頭の墓を捜してさまよう女の背中を、カメラが追う。
数々の歴史を背負って、幾世紀の向こうから轟々と吹き渡ってくるかのような風は、ひとりの女の心を突き通し、その泣き声さえ、引っ浚っていく・・・。
この作品から受ける感銘は、重い。
人間の犯した罪を、後世の人間は忘れてはいけない。
エンドロールは伝えている。
「苦難の末に非業の死をとげた人々と、辛くも生き延びた人々にささげる。」
この作品、現在もなお、中国本土では上映が禁じられているというのも、うなずけることだ。
1960年代といえば、日本は高度成長期だったし、フランスはヌーヴェルヴァーグだった。
そして、中国では、世界の誰にも知られぬまま、人々が辺境の地で死に向かっていた。
そこには、かつて百花のごとく咲き誇った言葉は失われ、感情さえも失いかけた男たちがいたのだ。
・・・上海から、一人の女性がやって来る。
愛する者に逢いたいと、ひたすら願い、嗚咽する女の声の高まる中で、いつしか男たちの心に忘れかけていた生命のさざ波が広がっていくのだ・・・。
歴史とは、何と残酷なものだろうか。
ワン・ビン監督が、命がけででメガホンをとった、必見に値する、まことに感動的な作品だ。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)










様々な文化が壊され,消されていった歴史・・・。
破壊から建設には、かくも大きなさまざまな犠牲を伴うものなのですね。
いつの時代も・・・。
日本は、どうでしょうか。