凡人跋扈

☆ばっこ【跋扈】=(悪いものが)思うままに勢力をふるうこと。
――『新明解国語辞典 第四版』より

「夏至前夜の夢」

2005年06月24日 | 本を跋扈
もう過ぎてしまいましたが、21日(火)は夏至でした。

シェイクスピアの「 A Midsummer Night's Dream 」。通常「真夏の夜の夢」、または「夏の夜の夢」と邦題が付けられています。前者の方を耳にすることが若干多いでしょうか。

新潮文庫の「夏の夜の夢」の解題で訳者の福田恒存は、“Midsummer-day は夏至で、クリスト教の聖ヨハネ祭日前後に当り、その前夜が Midsummer-night なのである。直訳すれば、「夏至前夜の夢」となる”と言っています。この解題を読むまでそのことをまったく知りませんでした(なぜ「夏の夜の夢」と訳したかは同じく解題に書かれていますので、興味のある方は本屋さんで立ち読みでもして下さい)。

これまでシェイクスピアの作品をいくつか読みました。劇場でも二、三回観たことがあります。愛読している福田恒存が訳しているからというのが読むきっかけだったのですが(したがって読んだ作品はすべて福田訳)、なかなか面白いと感じるところがある反面、読んでいてもどうも科白や筋にピンとこないところがあるのも事実です。それは舞台上でも同じでした(翻訳だから、訳者による、といった問題は私の手には余るので、そういう議論は専門家に任せて話を先に進めます)。

そう感じる人は多いかもしれません。でもそれは私も含めて、現代の感覚でシェイクスピアを鑑賞しているからでしょう。妖精や魔女や亡霊が信じられていた時代に作られた話なのです。シェイクスピアが生きていた時代には、騎士が剣を持ち、王侯貴族が宮廷を優雅に歩いていたのです。

安易に荒唐無稽であるとか予定調和であるとかいうのは間違いで、そういう地平に立って読んだり観たりすることが大切です。芝居であれば“いわんや演じる役者をや”、であります。それが洋の東西を問わず古典に親しむための基本的な姿勢だと思いますし、まっとうな鑑賞の仕方だと思います。

そんなに難しいことではありません。「 A Midsummer Night's Dream 」を「真夏(さしずめ日本では土用前後)の夜の夢」だと思っていた方、実は「夏至前夜(日本では梅雨のさなか)の夢」が直訳であることを知ってなんとなくイメージが変わりませんでしたか? 簡単に言うとそういうことです。私たちは思い込み過ぎているのです。自分の生きている(見えている、知っている)世界以外に世界は存在しないと思ってしまっているのです。

想像力が私たちを鑑賞と納得の地平に連れて行ってくれることでしょう。